”なぜ、働らかなけれがならないか?”と言う事を宗教観を通して、考えようとし、宗教の歴史(古代イスラエルの宗教
〜ユダヤ教)を調べました。今回はそれ以降の宗教です。
---担当:経済学部経営学科2年 由美---
バラモン教について、
バラモン教(古代ヒンドゥー教)は、紀元前13世紀頃、アーリア人がインドに侵入し、インダス文明などを構成した先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程
でバラモン教が形作られたとされる古代インドの民族宗教を指す。
その後、アーリア人とドラヴィダ人の混血により、紀元前5世紀には4大ヴェーダ(宗教文書又は聖典)が現在の形で成立して宗教としての形がまとめられ、
バラモンの特別性がはっきりと示される。
また、あくまでバラモンの特別性を主張するのに反発して、多くの新しい宗教や思想(仏教・ジャイナ教)が生まれる。
4世紀になりバラモン教にインドの各種の民族宗教、民間信仰が加えられて、徐々にいろいろな人の手によって
再構成されたのが現在のヒンドゥー教である。
バラモンは祭祀を通じて神々と関わる特別な権限を持ち、宇宙の根本原理ブラフマンに近い存在とされ敬われる。
バラモン教(Brahmanism)という名前は後になってヨーロッパ人がつけた名前で、仏教以降に再編成されて出来た
ヒンドゥー教と区別するためにつけられた。
ちなみにヒンドゥー教という名前もヨーロッパ人によってつけられた名前であり、特にヒンドゥー教全体を
まとめて呼ぶ名前もなかった。最高神は一定していない。
儀式ごとにその崇拝の対象となる神を最高神の位置に置く。階級制度である四姓制をもつ。司祭階級バラモンが
最上位で、クシャトリヤ(戦士・王族階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(奴隷階級)によりなる。
また、これらのカーストに収まらない人々はそれ以下の階級パンチャマ(不可触賤民)とされた。
カーストの移動は不可能で、異なるカースト間の結婚はできない。
仏教ついて、
仏教はゴータマ・シッダッタ((パ)Gotama Siddhattha)(ガウタマ・シッダールタ((梵)Gautama siddhaartha))
(釈迦)が現在のインド北部ガンジス川中流域で提唱し、各地に広まり現在も続く世界宗教。
仏教の生まれた時代のインドでは
「にんげん」とは、人の間と書く。間とは世間とか仲間という意味である。
衆生は五趣(天、人、餓鬼、畜生、地獄)を輪廻すると信じられており、人はこの中の1つの世界に偶々生まれているに過ぎないのである。
そして、この五趣輪廻の苦から解脱して永遠の安寧を得る事は出来ないとされていた。仏教は衆生がこの苦から解脱するための処世的な側面
を持って開かれたのである。五趣はやがて大乗仏教の時代になると、天の中の闘争的な性格を具する阿修羅を人の下に置いて、六道というようになった。
天台宗などでは、さらに天の上に声聞、縁覚、菩薩、仏の四を加え、十界の教義を立てた。これによって善業を積んで転生しながら、
次々と上の世界に生まれていけば、終に仏になり輪廻から解脱するという階梯が出来たのである。
言い換えれば、人間は悟りへの途中の状態にあるという事が出来る。 さらに、人間誰もが仏心という心(仏性)を持っており、それを煩悩が取り巻いているために
仏心が顔を出す事が出来ないという、本覚(ほんがく)という考え方も言われる。
仏教の教えの基本は、三法印(3つの根本思想)である。
(三法印に一切皆苦を付加し、四法印とする経典もある)
1.諸行無常(一切の形成されたものは無常であり、縁起による存在としてのみある)
2.諸法無我(一切の存在には形成されたものでないもの、アートマンのような実体はない)
3.涅槃寂静(苦を生んでいた煩悩の炎が消え去り、一切の苦から解放された境地が目標である)
4.一切皆苦(一切の形成されたものは、苦しみである)
釈迦の悟りの内容は、四諦と縁起及び無我である。
以下にその関係を整理された十二支縁起を示す。
1.無明(無知)2.行(潜在的形成力)3.識(識別作用)4.名色(心身)5.六入(六感覚器官)6.触(接触)7.受(感受作用)8.愛(渇愛)9.取(執着)10.有(存在)11.生(出生)12.老死(老いと死)
これは、何故最大の苦である「老死」の不安の下で生きているのかの由来を示すと同時に、「無明」の状態を覚醒する事により、「老死」が克服されるという根拠も示している。
このように仏教では、救いは超越的存在(例えば神)の力によるものではなく、個々人の実践によるものと説く。
すなわち、釈尊の実体験を最大の根拠に、現実世界で達成・確認出来る形で教えが示され、それに従う事を呼び掛ける。
(あくまで呼びかけであり強制ではない事に注意)このため、仏教での神は、六道を輪廻する一切衆生の一部をなし、輪廻という苦の中にある点では、他の衆生と同様、特別な存在ではない。
この事から、釈迦も仏教の開祖ではあるが、既述の通り、セム・ハム系の「唯一神」のような全能な人格・超越者ではない。
仏教のあゆみ
釈迦が入滅(仏滅)して後、
出家者集団(僧伽、サンガ)は個人個人が聞いた釈迦の言葉(仏典)を集める作業(結集)を行った。
仏典は、この時には口誦によって伝承され、後に文字化される。(釈迦が自ら教えを経典としてまとめる事はなかった。)
仏滅後100年頃、
僧伽は、教義の解釈によって上座部(小乗仏教又は、南伝仏教)と大衆部(大乗仏教)の二つに大きく分裂(根本分裂)する。
時代とともに、この二派はさらに多くの部派に分裂する。この時代の仏教を部派仏教と呼ばれる。
紀元前後、
在家者と釈迦の墓(仏塔、ストゥーパ)の守護者たちの間から、出家する事なく在家のままでも仏となる教え(大乗仏教)が起こる。
この考え方は急速に広まり、アフガニスタンから中央アジアを経由して、中国・韓国・日本に伝わっている(北伝仏教)。
7世紀ごろ
ベンガル地方で、ヒンドゥー教の神秘主義の一潮流であるタントラ教と深い関係を持った密教が盛んになった。
8世紀より
チベットは僧伽の設立や仏典の翻訳を国家事業として大々的に推進、同時期にインドに存在していた仏教の諸潮流を、数十年の短期間で
一挙に導入、その後チベット人僧侶の布教によって、大乗仏教信仰はモンゴルや南シベリアにまで拡大されていった(チベット仏教)。
現在インドでは、
仏教はヒンドゥー教に呑み込まれ、生滅している。原因は仏教が密教化した事と仏教を支えた富豪たちが居なくなったためと考えられている。
*密教
この密教は、様々な土地の習俗や宗教を包含しながら、それらを仏を中心とした世界観の中に統一し、全てを高度に象徴化して独自の修行体系を完成し、秘密の儀式によって究竟の境地に達する事ができ仏となる事(即身成仏)が出来るとする。
一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持する点に特徴がある。
初期密教は、
呪術的な要素が仏教に取り入れられた段階であり、各仏尊の真言・陀羅尼を唱えることで現世利益を心願成就するものであった。
中期密教は、
密教が普及してくると仏教としての理論体系化が試みられた。実在した釈迦如来に替わって、新たに密教の教主である大日如来を中心とした五仏(五智如来)を主軸に、曼荼羅に示される多様な仏尊の階層化・体系化が実施された。
後期密教は
仏教体系として一つの頂点を極めた反面で、複雑化した。そこで衰退するインド仏教の再興を賭けて、より実践的な後期密教が誕生した。中期密教の大日如来を中心とした仏尊の体系化に替わって、後期密教では仏性の原理の追求が図られた。
法身普賢や金剛薩埵といった本初仏が尊崇された。また、ヒンドゥー教やイスラム教の隆盛に対抗するため、憤怒相の護法尊が数多く登場した。
一方で、性エネルギーの昇華も図られ、歓喜仏やタントラ教(性的な瞑想修行)であることも後期密教の特徴である。
密教のあゆみ
密教は、インドからチベット・ブータンへ、さらに中国・韓国・日本にも伝わって、土地の習俗を包含しながら、それぞれの変容を繰り返している。