南無妙法蓮華経
--------薬 艸 諭 品 偏-------

 

  私たちが法華経をテーマに選んだのは、
  お釈迦様が私たち、人に何を伝へたかったのか、を知る事で人間本来の生き方が見えて、来る様な気がしたからです。
  もう一度、自分自身を見つめ直すキッカケが作られたら幸いです。  
  

   担当:国文学科3年 木村来菓(らいか)


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト







語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


有(ゆう)
何かの存在の事・因果の輪廻

・疑悔(ぎけ)
 疑いや後悔する事

・悦豫(えちょう)
 事前に喜ばす

・靉靆(あいたい)
 雲のたなびくさま

・承攬(じょうらん)
 手で取る事の意味

・流澍(るじゅ)
 流れ込む

・率土(そつど)
 陸地の果て

・鮮沢(せんたく)
 明らかに恩恵をうける

・枯槁(ここう)
 人が痩せ衰えること。やつれること

・限碍(げんけ)
 五障碍の事
 修行の妨げとなる五つの障害
 煩悩障(ぼんのうしよう)・業障(ごつしよう)・生障(しようしよう)・法障(ほつしよう)・所知障。
 悟りの智慧を得るための五力を妨げとなる五つの障害
 欺・怠・瞋・恨・怨

・毀戒(きかい)
 戒(五戒、八齋戒、菩薩戒、十重禁戒、三聚浄戒など)を破る事

・梵諸王(ぼんしょおう)
 欲の対象となる物を神格化したもの

・三明(さんみょう)
 宿命明・天眼(てんげん)明・漏尽明

・道果(どうか)
 修行の過程を意味する


---編 集 録---

こんにちは、皆さん!
もう初霜の便りが聞かれ、冬の到来も、感じられる今日この頃です。皆さんはどうお過ごしですか? 私たちは、ゼミの論文「経済における宗教の位置づけ及び波及効果」に追われている毎日です。

この論文では会社経営の有り方が各宗教教団のに類似している事です。たとえば、契約社会のアメリカは キリスト教、御家で秘密主義の日本は密教、戒を重んじるイスラム教です。論文の話しはこの位で、前回の 話しの続きです。

鈴音:
「では、なぜ、仕事しているとやりたい事が見つからないのか?」
私たち:
「仕事に追われて、好きな事ができないからです。」
鈴音:
「では、やりたい仕事とは?」
私たち:
「別に、ありません。」
鈴音さんは笑いながら、こう答えた。
「如何でしたか?、どんどん過去を遡って行くと、理由が無くなって来ませんか?」
私たち:
「はい、そうですね」
鈴音:
「我々人は、もともと生ていく意味を持たずに、ただ生きているのです。それを空と言うのです」
私たち:
「ただ生きていると色々な事に巻き込まれ、苦しむと言う事ですか?」
鈴音:
「はい、そうです。だから、災難に会わないように学ぶ事や相手を思いやる心が何より大切なのです。 さぁー、説教はこの位で夕食の仕度を致しましょう。まかさつ、お前もお腹空いたか?」
ニャンコ:
「にゃ〜ん」
----続く。

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◆薬 艸 諭 品(やくそうゆほん)

ここからは、薬艸諭品(やくそうゆほん)です。
この場面は前の部分を具体的に述べた偈の部分です。
なぜ、お釈迦様が大乗教を衆生に教える理由と布教方法とその理由が描かれている。また、一相一味の法で ありながらも、受け取るものが異なる理由も書いてある。

------続く

●翻 訳 二

その時に、
世尊はもう一度、この意義を伝えようと思い、偈(歌)を読んで、諭す様に申されました。

有を打ち破る法王、世間に出現する。そして、衆生の欲に随い、数々の法を説く。 如来は尊重すべき、奥深い智慧を所持する。永い間、この大事を口にする事無く、務めて速やかに説く事も無い。

智ある者、もし、これを聞いては良く信解(確信)する。智なき者は疑悔し(疑惑を起す)、永い間、自からを失う。 この事より、迦葉よ。力に応じて、信解させる為に説き、色々な縁をもって、正見を得さしめる。

迦葉よ。
必ずや知るのです。譬えば、大雲が世間に起って、遍く一切を覆う時に、湧き立つ雲が潤を含み、電光を走らせ、雷鳴を遠く響かせ、 衆を前もって、喜ばせ、日光を覆い隠して、地の上に清涼をもたらす。

その雲は厚く敷詰められ、手で取る事が出来る様に、低く垂れ込む。 その雨はすみずみまで等しく、周囲の土地に降り注ぐ。その降雨は無量であり、陸地の果てまで潤いを満たす。

それは山川や険谷(けんこく)の静かで奥深い所に生きている卉木・薬草などの大小様々な樹木や百穀の芽吹いた苗 や甘蔗(さとうきび)や葡萄などまで、及んだ。

雨の潤す所は豊かに満ちて足らざることは無く、すべての乾燥した土地を潤わし、薬木までも茂らせる。 その雲より出て来た一味の水に、草・木・叢林(そうりん)は身に適った潤を受ける。

すべての各々の樹、上・中・下あるが等しく、また、その大・小に適って各々が生長することを得る。 根・茎・枝・葉・華・果・光・色など一雨の及ぼす所は皆、明確に恩恵を受けることを得る。

その体相(体の姿)や性の大小に分れた様に、潤す道理はこれ一つであるが、しかし、各々が茂る様に 仏も、また、この様なものである。

世に出現する時は、譬えば、大雲の普く一切に覆う様に出現し、すでに世に生まれ出ていれば、 諸の衆生の為に、諸法の真実を分別し演説す。

大聖世尊は諸の天人・一切衆の中において、是の言葉を伝える。
”我はこれ如来であり、両足の尊(二本足で歩くものの中で、最も徳を得た者)である。 世間に出ずること、猶お大雲の如し、一切の枯槁の衆生を充満せり。

故に、皆苦を離れて、安穏の楽、世間の楽、及び涅槃の楽を与えん。 諸の天・人衆は一心に善く聴け、皆の衆はここに来て、必ずや無上尊を観るのだ”

”我はこれ世尊(有徳者)であり、我より良く徳を及ぼす者はない。衆生を安穏にする為、世に現れて、大衆の為に甘露の浄法を説き、 その法は一味であるが解脱と涅槃である。

今までに聞いた事の無い一番の不思議な言葉をもって、この義を気楽に演説する。常に大乗の為に、因縁を定義して、これを説く。 我は一切を観るに、偏る事無く、皆を平等にして、あれ・これなどの愛憎の心を持つ事無く観る。

我は貧著する事が無い、故に、限碍(愛情と過失)なし。恒に、すべての者に、平等に法を説く。 一人りの者に法を説く時、と同じ様に、また、大衆においても同様である。

常に法を演説するが、決して他の思いは無い。”話しを聞きに来る者、または立ち去る者、座って聞く者、或は立って聞く者などの者達は、終には疲れて厭きる事も無かった。 そして、そう言う者達が世間に充満した。この事は雨が普く潤すのと同じであった。

上は高貴な者から下は卑しい者まで、またはを守る者・戒を破る者・礼儀を身に付けた者及び乱暴な者・ 正見・邪見・利根・鈍根な者達に等しく法雨を雨らしても、疲れを感じ厭きる事が無い。

一切衆生で、我が法を聞く者はその力に応じ、受けとる所に随いながら、様々な地(心境)に住するか、 あるいは人・天・転輪聖王・釈(お釈迦様の事)・梵諸王に生まれ変わる。

これが小の薬草である。無漏の法を知って、良く涅槃を得って六神通を起す。並びに、三明を得て、 一人で山林に身を置き、常に禅定を行じて、縁覚の悟りを得る。 これが中の薬草である。

世尊の住む場所を求めて、必ずや自分は悟れる者に成る為、精進・ 定(三味)を行ずる。これが上の薬草である。

また、諸の仏子(弟子)が心を仏道に専念して、常に慈悲を行い、自ら仏に成らんとする事を確信して、疑いがない事を知る。 これを小樹と名ずける。

神通に安住して、不退の輪を転じ、(何事に対しても、怯む事無く、問題が解決するまで突き進む)限りない数の億百千の衆生を度する。 この様な菩薩を菩薩と呼び、大樹とする。

仏が唱える平等の説は降り注ぐ一味の雨と同じであり、衆生の性(本性)に随って、受くるものが不同であるのは、彼の草木が生まれ持った性質により受ける所 が各々、異るのと同じである。

仏は此の喩をもって、方便して開示し、種々の言辞(言葉)をもって、一法を演説すれども、 仏の智慧に比べれば、海の一滴に過ぎない。

我は法雨を雨らして、世間を充満させる。一味の法を力に応じて修行することは彼の叢林(そうりん)・薬草・諸樹などが大きさ(大小)に随って、 徐々に成長して、成熟するのと同様である。 諸仏の法は、常に一味をもって、諸の世間においても、 普く所有することを得られる様にして下さる。

徐々に修行して、すべての道果を得。声聞・縁覚が山林に住み着き、最後身に住して法を聞いて果を得る。 これ、各々の薬草が成長することを得と名づく。

もし、諸の菩薩が智慧(般若波羅蜜多の事)を堅固にして、三界を知る尽くし、最上乗(大乗)を求むる。 これを小樹が増長することを得と名づく。

また、禅に住して神通力を得、”諸法は空である”を聞いて、心を大に歓喜して、無数の光を放って、諸の衆生を度する事を願う。 これを大樹の増長することを得と名づく。

この様なものである、迦葉よ。
仏が述べた所の法は、譬えた大雲の一味の雨をもって、人華を潤して、各自が実を成らせる事が出来たのと同じ様である。

迦葉よ、必ず知って於くべきである。
諸の因縁・数多くの譬喩(ひゆ)をもって、仏道を開示す。これ、我が方便なり、諸仏も、また、そうである。

今、汝らが為に、この上ない真実を説く。
諸の声聞衆は皆、滅度する事はない。汝らの行いが、これこそが菩薩の道であり、 徐々に修学して、一人りも残さずに、必ず成仏するのです。

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