南無妙法蓮華経
----薬王菩薩本事品偏----

 

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  話題のファションを取り上げるものではありません。時代と共に変化して行った人間の思想をテーマに取り上げた
  サイトです。だからと言って、堅苦しいものではありませんので気軽にご覧下さい。
 
  

   担当:社会心理学科2年 藤井 美紀


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト



秦末漢初地図

中国史地図

中国通史



語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・転輪聖王(てんりんせいおう)
インドの伝説上の王で、法をもって民衆を治める王の事

・学無学(がくむがく)
部派仏教や上座部仏教における修行の階位の事→四向四果

四果
賢者→預流(よる)果の事で、有身見(うしんけん)・疑(ぎ)・戒禁取(かいごんじゅ)が無い人
聖者→一来果の事で、強い執着心が無い為に欲・怒り・無知が弱まった人
学者→不還(ふげん)果の事で、この世への未練がない人
無学→阿羅漢果の事で、ブッタと同じ悟りを開いた人

四向
四果に至るための修行の段階
須陀洹
→預流向;聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位

斯陀含
→一来向;一回人と天の間を往来して悟りに至る位

阿那含
→不還向;欲界には再び還らず色界に上って悟りに至る位

阿羅漢
→応供向;供養を受けるにふさわしい者で、今生の終りに悟り涅槃に至り再び三界には生れない位

・凡夫人(ぼんぷにん)
仏教の真理に目ざめることなく、欲望や執着などの煩悩(ぼんのう)に支配されて生きている人間。 また、凡夫には地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六凡がある

・瞻匐(せんぼく)
チャンパカ樹

・須曼耶(すまんな)
スマナー樹

・汲羅羅(ばらら)
パータラ樹

・婆利師迦(ばりしか)
ヴァルシカ樹

・那婆摩利(なばまり)
ナヴァマーリッカ樹

・無生法忍
音響忍・柔順忍・無生法忍と言う三法忍の一つ(浄土教より)
→音響忍;説法を聞いて真実であると認める事
→柔順忍;真実を知って、心が柔軟に成る事を認める事
→無生法忍;全ては不生不滅である事を認める事


---編 集 録---

今日は、皆さん
お元気でしょうか?。『寒空に 坊主が走る 師走かな』と俳句でも聞こえそうな、12月がとうとうやって参りましたね。

師走と言って思い出すのが宝くじと年賀状です。宝くじは買えば済む事ですが、年賀状の方は、そう言う風には いきませんよね。

取り合えず、キーワード検索でEPSON郵便年賀.jpからデザインを見つけたものの、どれにするか迷う所です。 また、年賀状を出す相手に、それと無く、住所を聞くことの方が更に難しい。では、前回の話の続きをどうぞ。

美紀;
「どうして、劉邦は王朝名を漢としたのですか?」
鈴音;
「鴻門の会の後、項羽が劉邦を蜀巴の地(漢中)へ左遷させて封じ、 漢王にした事より始まったのです。漢中とは揚子江の支流;漢水の中にある事より名付けられたそうです。

また、古くは漢とは乾いた川の事で天の川を意味するらしいのです。その後、劉邦は漢中に封じられていた時、田栄が田都を殺して 自ら斉王と名乗って、彭越が梁(旧魏)で挙兵して項羽に反旗を翻しました。

それを機に劉邦も、韓信を大将にして関中の三秦を攻略した後、項羽が斉を攻めている隙に、彭城の戦いを 起し、彭城を陥落させたのですが、すぐさま斉と停戦協定を結んだ項羽軍の3万の先鋭部隊とスイ水で戦って破れる。(スイ水の戦い)

その時、父(劉太公)と妻(呂雉) は捕らえられて劉邦も、命からがらケイ陽城に逃げ込んだ。その際、二人の子を馬車から投げ捨てたのは有名な話です。

その後も、項羽軍の追撃を受けてケイ陽城(河南省)は完全に包囲され、食糧が尽きて落城寸前にまで追い込まれるのですが、 陳平の策(離間の計)や、紀信の策によって 劉邦は成皐城に脱出して項羽軍の攻撃をかわす事が出来た。(ケイ陽の戦い)

そして、劉邦は関中に戻り、蕭何の用意した 兵士や物資で体勢を立直すと、別働隊の韓信に離反した国を打つ様、命じたのです。

まず手始めに、韓信は魏豹の西魏と代を陥落させた。 次に、背水の陣で30万の趙軍を打ち破って張耳を趙王にした (井ケイの戦い)。更に、趙の 李左車の策を取り入れて、 燕を降伏させたのです。

一方、劉邦は成皐城より逃れた後、関中に入ると軍を立直し、袁生の助言により武関を抜けて宛・葉にて挙兵し、 ケイ陽城に居る項羽軍を引き付け、漢軍を休ませた。更に、彭越と組んで彭城付近の楚軍を攻めさて項羽軍の 補給路を断つ作戦に出たのです。

そして、彭越が梁を攻略した事で項羽軍は梁に向かった為に、再び劉邦軍は成皐城に籠った。しかし、すぐに項羽軍に包囲された為、 劉邦は修武に居る韓信軍を引き連れてケイ陽の広武山 に陣を張って項羽軍と対峙し、韓信に僅かな兵を与えて斉討伐を命じた。

しかし、劉邦は途中で気が変わり、儒者レキ食其を派遣して斉との和平を結び、 韓信に進軍停止命令を出すのであるが、韓信は蒯通の助言により独断で軍を進め、 紀元前203年10月に斉を攻略したのです。

その後、逃れた斉王田広は楚の竜且に助けを借りて楚・斉の連合軍を作り、 韓信軍とイ水で戦うのですが、同年11月に敗北する(イ水の戦い)。これに勝利した韓信は劉邦に斉王の位を求め、斉王に任じられたのです。

紀元前203年、広武山での戦いが長期化するにつれて、項羽は食糧の調達に困り、劉邦も自身の負傷と父が捕虜になっている事から両者は停戦し、 両者で天下を二分する盟約を結び、共に帰路に着いたのです。

しかし、帰路の途中で張良陳平 の進言により、劉邦は気が変わり盟約を反故にして項羽軍を打つべく、漢軍を陳の固陵に結集させたのですが、 彭越軍が動かなかった事で項羽に気付かれ、逆に楚軍に攻められて山中の城壁に駆け込んだのです。

紀元前202年、再び項羽を打つ為に、劉邦は垓下に兵を集めた(垓下の戦い)。 今度は、韓信に楚を、彭越に梁を与える約束して漢軍に加われせ、更に劉賈と周殷の軍が加わり、総勢30万人の兵を集めて10万の楚軍を 包囲したのです。

最初は項羽軍が優勢であったが、徐々に後退して四方を漢軍に包囲された。そして、夜になると四面から楚歌(四面楚歌)が聞こえて来たのを知ると、 項羽は驚きと共に戦意を喪失し、酒宴を挙げながら時勢の句を読んだ後、虞美人 を殺して八百余りの兵を連れて出陣し、囲みを破って南へ向かった。

翌朝になって漢軍がこれに気付くと、劉邦の命を受けて灌嬰 が五千騎の兵を率いて追撃し、東城(定遠県)の所で二十八騎の項羽軍に追い着き、戦ったのです。 そして、項羽は、再び二十六の配下の者と出会う事が出来た。

その後、項羽たちは揚子江の渡し場である烏江 まで逃げ延びるが、色々な事を思い返すと漢軍の中に切り込んで行き、旧知の友である 呂馬童を見付けて、自害して果てた。また、その事で魯(山東省曲阜)も漢に降伏したのです。

この様にして約5年間に渡る楚漢戦争が終り、劉邦が皇帝に就き、前漢時代が始まり平和が訪れると思いきや、 反対勢力となり得る可能性のある韓信ら功臣の諸侯王を粛清しするための戦を始める。 ちなみに、中国で有名な京劇は垓下の戦いを演じています」

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◆薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじゅほん)

ここからは薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじゅほん)です。
この場面は、法華経の重要性を様々な事柄に例えて示し、また、その効果を日常の出来事で 表現し、その実践方法も記されている。

更に、薬王菩薩本事を読んだ人が得られる善果も描かれている。最後は、お釈迦様が薬王菩薩本事を説いた事で菩薩たちは 解一切衆生語言陀羅尼を得る事が出来、宿王華菩薩は多宝如来から誉めれて終わる。

解一切衆生語言陀羅尼とは
すべての人が述べた事を理解して、覚え易い様にまとめたもの事で具体的には十善戒の事らしい。

また、この薬王菩薩本事によって菩薩思想(利他行)を基盤とした大乗仏教 の中から阿弥陀を初めとする浄土教を が誕生したと考えられている。尚、多宝如来は過去七仏信仰の象徴

●翻 訳 三 

また、沢山の小国の王の中でも、転輪聖王が最も優れて一番の様に、この経も、また同じ様に 数あるお経の中において最も尊いのである。

また、帝釈(インドラ)が三十三天の神々の中の王である様に、 この経も、また同じ様に、数ある経の中の王である。

また、大梵天王(ブラフマー)が、すべての生き物の父である様に、 この経も、また同じ様に、すべての賢者・聖者・未だ何かを学んでいる者(学)・学ぶべきものが無くなった者(無学)及び悟りを求め様とする者の父である。

また、須陀洹(しゅだをん)・斯陀含(しだごん)・阿那含(あなごん)・阿羅漢(あらかん)などのあらゆる凡夫(ぼんぷ) の中でも、辟支仏(びくしぶつ)が一番の様に、また、この経もそれと同じなのである。

全ての如来が述べた事柄(所説)、或いは菩薩が述べた事柄、或いは声聞が述べた事柄など書き記した沢山のお経(経法)の中で、 最も、これが一番なのである。

良く、この経典を授かって、その教えを忘れ去る事がない者も、またこれと同じであり、すべての衆生の 中において一番であるのだ。

すべての声聞(しょうもん)・辟支仏の中で菩薩が一番である様に、この経も、またこれと同じく、 様々な経のすべての中で、最もこれが一番なのである。

仏がこれら沢山の教えの王である様に、この経も、またこれと同じく、様々なお経の中の王である。

宿王華よ。
この経は、善くすべての衆生を救い出す者である。この経は、善くすべての衆生を多くの苦悩から離れさせるであろう。 この経は、善く大いにすべての衆生に多くの利益をもたらし(饒益)、その願を満足させる。

例えば、清くて涼しい池の水が、善く喉の渇いた者達のすべて喉を潤す様に、または寒さに震える者が火の温もりを 得られた時の様に、または裸の者が衣服を得られた時の様に、また商人が家の主を探し出した時の様に、

また子が母を見つけた時の様に、また川を渡ろうとする者が船に乗れた時の様に、また病人が名医と会えた時の様に、 または暗闇で灯を得た時の様に、または貧しさの中で宝を得た時の様に、

または民が良き指導者(王)を得た時の様に、または貿易商人(賈客)が海に辿り着いた時の様に、 または松明の火が暗を照らす様に、この法華経も、また、それらと同じである。

善く、人(衆生→衆縁所生)をして、全ての苦しみや、 全ての病の痛みから離れさせ、善く、すべての生死(輪廻) の束縛から解放させる。

もし、人がこの法華経を聞く機会を得て、もし自分の手でこれを書いたならば、或いは人を使ってこれを書き留めたならば、 身に備わる善果と成る行い(功徳)は、仏の智慧をもって、多いか・少ないかを推測できても、その確かな数を得る事が出来ない。

もし、この経巻を書き写して、花・香・瓔珞(装身具)・焼香・抹香・塗香 ・幢幡・天蓋・衣服・様々な種類の灯・バター油の灯(蘇燈) ・油燈の灯・様々な香油の灯・瞻匐(せんぼく)油の灯

・須曼耶(しゅまんな)油の灯・汲羅羅(ばらら)油の灯・婆利師迦(ばりしか)油の灯・那婆摩利(なばまり)油の灯 をもって供養したならば、身に備わる善果と成る行い(功徳)は、更に限り無いものになるであろう。

宿王華よ。
もし、人が居て、その人がこの薬王菩薩本事品を聞いた事のある者であるならば、その者の善い行い(功徳)は 無限で、数え切れないほど(無量無辺)の幸福をもたらすであろう。

もし、女の人がいて、その人が薬王菩薩本事品を聞いて、よく心に刻んで忘れ去らぬ者であるならば、 この女の体の寿命が尽きた後、また女の体を授かる事がないのである。

もし、如来がこの世から去った後、その時から五百年が過ぎていない中において、仮に女の人がこの経典を聞き、 その教えの通りに修行したならば、ここ娑婆世界において寿命を尽くし、

そして、阿弥陀仏や仏の周りを幾重にも取り囲んで座っている偉大な菩薩たちが暮らしている安楽世界に行く事が出来て、 蓮華の中の宝座の上に生まれ変るであろう。

そして、また貪欲(どんよく)に悩まされず、また更に瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)に悩まされる事無く、 憍慢(きょまん)・嫉妬(しっと)・様々な心を汚すものに悩まされる事が無いのである。
(→三毒六煩随煩を参照の事)

そして、菩薩のあらゆる物を見通す能力(神通力)や、全ての物が勝手に生まれたり、滅んだり出来ない存在である事を認る事(無生法忍) が出来たのである。そして、これを認め終わって眼根を清浄したのである。

更に、この清浄した眼根で七百万二千億那由他と言うガンジス河の砂と同じ数だけの諸仏・如来を見る事が出来たのである。”

この時に、
多くの仏達は、かなり永い間一緒になって、その者を褒め称える為に、この様に言うだろう。

”すばらし(善哉)、すばらし(善哉)、仏に帰依した者よ(善男子)。
汝は、善く釈迦牟尼仏(お釈迦様)の法(因縁)の中において、この経を授かり(受持)、忘れ去らない様に声に 出して読み(読誦)、これを理解する為に考えたり、法の存在を他人に知らせる為に法を聞かせた。

汝が得た恵み(福徳)は数え尽くす事が出来ないほど多く(無量無辺)、火で焼き払う事も、水で洗い流す事も出来ない。 汝が施した良い行い(功徳)は、千人の仏が一緒になって説明したところで、説明し終える事は出来ないのである。

汝は、今すでに様々な魔賊(誘惑・執着)を打ち破り、生死の軍(四苦八苦輪廻)を破壊し、 その他、怒り・嫉妬などの沢山の恨みを抱く敵(自尊心)をすべて、一人も残さずに打ち砕いて消滅させた(摧滅)のである。

仏に帰依する者(善男子)よ。
百千人に上る多くの仏たちが、それぞれの神通力をもって、共に汝を見守るであろう。すべての世間の天人や人間の中において 汝に勝る者は居ない。

唯一、如来(釈迦)を除いては、小乗仏教の比丘(声聞)や、独力で悟りを開き、他に教えない修験者(辟支仏) 或いはバラモンの比丘(菩薩)など、様々な者たちが持っている智慧や禅定も、また汝と同様なものを 持っている者は居ない。

宿王華よ。
この薬王菩薩はこの様な功徳(善果に結びつく行い)や智慧 (→大乗では実践智、小乗では偏智)などの力を完成させたのである。

もし、ある人が居て、その人がこの薬王菩薩本事品を聞いて喜び、感謝して、「これは善いものである」と褒め 称えるならば、

この人は、現世において口の中から常に青い蓮華の香を出し、体の毛穴から常に 午頭栴檀の香を出すであろう。 更に、この人が行った善行は(功徳)は先ほど述べた所と同じである。

この理由より宿王華よ。
この薬王菩薩本事品をもって、仏教が代々、人の口から伝えられる事を汝に託す。我がこの世を去った(滅度)後、 五百年が過ぎるまでには閻浮提(インド)の多くの者に この法華経の教えを述べて世間に法華経を広めよ。(広宣流布

そして、この伝統を絶やして悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉(やしゃ)・鳩槃荼(くはんだ) などの者達にその機会を与えては成らない。(→前世の因縁物語「施身聞偈」をなぞらえている)

宿王華よ。
汝は、必ずや神通力をもって、この経を大切に守らなければ成らない。なぜならば、この経は閻浮提(インド)に住む人 の病気を治す良薬であるからだ。

もし、病気になった人がこの経を聞く機会を得たならば、病は消え去って老いる事も、死ぬ事も無くなるであろう(不老不死)。
(→不老不死とは格義仏教における輪廻の事)

宿王華よ。
汝が、仮にこの経を持ち、その教えを忘れないでいる者を見かけたならば、青い蓮華から作った抹香を手に沢山盛って、 その者の頭上から散らして、その者を供養するのである。

そして、撒き終わったら、この様に言葉を述べながら、それを望むのである。(念言)
『この人はそう遠くない日に、必ずや草を取って道場を作り、そこに座っては様々な魔軍(誘惑)を打ち破るであろう。

そして、必ずや法(因果法則)の法螺貝を吹き鳴らし、偉大な法の太鼓を打ちながら、全ての生きもの(衆生)が所有している 老い、病い、死の苦海(→悪因による現象、四苦の事)を渡して、迷いの世界から脱させるであろう。』

この様な訳があって、仏道を求める者がこの経典を授かって、その教えを忘れ去らぬ様にしている人を見ては、 必ず、この様に身を謹んで、相手を敬う心を起すのである。”

如来がこの薬王菩薩本事品を説いて下さった時、八万四千の菩薩がすべての衆生が語る言葉を理解して(解一切衆生語言)、記憶できる力 (陀羅尼)を得られたのである。
そして、多宝如来(→浄土教の象徴)は宝塔(仏塔)の中から、 宿王華菩薩を誉めて言った。

”すばらしい(善哉)、すばらしい(善哉)、宿王華よ。
汝は我が想像出来ないほど(不可思議)の良い結果をもたらす行い(功徳)を成し遂げ、そして、 釈迦牟尼仏にその様な事を質問して、数知れないほどの衆生のすべてに利益を与えたのである。”




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