この女の子のホームページは、
話題のファションを取り上げるものではありません。時代と共に変化して行った人間の思想をテーマに取り上げた
サイトです。だからと言って、堅苦しいものではありませんので気軽にご覧下さい。
担当:社会心理学科2年 藤井 美紀
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・憂悩(うのう)
自分の思い通りに行かない苦しみに悩む事
・悲哀(ひあい)
悲しみ
・福徳(ふくとく)
善行によって得た幸福(しあわせ)の事
・意
身・口・意の三業の一つで、思考・判断・意志などの心の働きを言う。
身業→人間が身体で行うすべての行為
口業→言語表現による行為
また、諸行無常の行が変化する全ての存在を意味する。更に五蘊の行は意識を生ずる意志作用である。
・諸々の如来
大乗仏教が広まった頃、この世の穢土とは違った浄土が存在するとして、
阿閦如来・阿弥陀如来・薬師如来と共に他土仏信仰が始まった。
最近、ブログの冒頭に書く挨拶が、なかなか、思い付かずに困っています。
何故って、ブログはいつ、誰が、どの様に見ているが分らないからです。
それでも、何も書かない訳には行きませんので、webを参照しながら書いてみました。何も考えず、思いついた事を書いて
見ました。
今日は、皆さん
お元気でしょうか?。まだ、霜月だと言うのに、寒さは歳を越したかの様に厳しく、私たちは、日々、震えながら
大学に通っている次第です。
「年の瀬に ふところ寒し 赤提灯」とオヤジ見たいに歌を詠みたい気分ですが、そう行かないのが、
女子大生の辛い所です。では、前回の話の続きをどうぞ。
美紀; | |
「やっと、漢時代に入りましたね」 | |
鈴音; | |
「まだ、漢の創始者である劉邦が天下統一していないので漢時代とは言えません。ここでは、仮に反秦軍が旧楚の懐王を立てて、
楚を再建しようとしていた事で西楚時代としましょうか。? この時代の始まりは、陳勝・呉広の乱で項梁が挙兵した時に、軍師の范増より「楚の懐王の子孫を楚王 を立てよ」と言われた事より、懐王を立てて秦の章邯(しょうかん)軍と戦うが、項梁は戦死してしまう。 その後、主力部隊を失った懐王は、いきなり都を彭城(江蘇省徐州)に移し、 一発逆転の策を取るのです。それは、敵主力部隊 (章邯)のいない隙に関中に攻め入り、秦の首都咸陽を落とそうとする策です。 その為、総大将を宋義、副大将を項梁の甥の項羽した主力部隊と、劉邦を中心とした別働隊とに、 分けてから彭城を出陣させると、主力部隊を鉅鹿城を包囲していた 秦の章邯軍に当てたのです。 しかし、宋義はすぐに秦軍を討とうとせず、46日間も安陽に留まった。これに反対した項羽は宋義を殺し、再び主力部隊 を北進すると、『背水の陣』を敷いて秦軍を破り趙王を救出した。 その後、趙の将軍陳余は失墜して趙王と張耳が項羽軍に加わると、更に二世皇帝から孤立した章邯・司馬欣・ 董翳の軍も加わったが、黥布により20万の秦の兵士は惨殺される。 そして、項羽は先に関中入りした劉邦のもとに向かうものの、劉邦によって函谷関は閉ざされたのです。 これに、激怒した項羽は、40万の軍を率いて劉邦を攻撃しょうとしたが、項羽の叔父である項伯 によって和解が成立し、鴻門の会を開いたのは紀元前206年の頃です。 更に、項羽が関中に入ると、劉邦が関中入りした時に、クーデターを起して二世皇帝胡亥を殺害した趙高を討って、 劉邦に降伏していた三世皇子嬰を殺害すると、劉邦を漢中に封じたのです。 その為、項羽は懐王から「約を実行せよ」と厳命されのですが、これを無視して懐王に「義帝」の称号を奉じ、彭城から追い出して 黥布に暗殺する様に命じ、その後は自ら『西楚の覇王』と名乗って諸侯を封じ始めた。 この事で項羽には大義名分が無くなり、紀元前206年に斉の王族・田栄が項羽に対して挙兵した事を機に、楚漢戦争 が勃発し、四面楚歌で有名な垓下の戦いで項羽が自害して楚漢戦争は終結し、 紀元前202年に劉邦は群臣の薦めを受けて、終に農夫出身の皇帝が誕生したのです。」 |
ここからは薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじゅほん)です。
その時、一切衆生喜見菩薩がこの歌(偈;げ)を聞かせ終わり、そして、日月浄明徳仏に向かって明らかに述べた。
この場面は、焼身供養したはずの一切衆生喜見菩薩が、再び王子として生まれ来て、日月浄明徳仏の存在を知り、
仏の所に戻って、仏に「仏の寿命は永遠なのですか」と尋ねる所から始まる。
余談ではありますが、この一切衆生喜見菩薩の話はジャータカ物語における施身聞偈(せしんもんげ)
の雪山王子や捨身飼虎(しゃしんしこ)の薩埵王子(さったおうじ)の話に似ています。
そして、日月浄明徳仏は一切衆生喜見菩薩に「今夜、私の寿命は尽きる。そこで、この法華経をお前に託す。」
と言うと、その晩に亡なった。
その後、一切衆生喜見菩薩は仏を荼毘に付すと、仏を偲び、その遺骨を供養する為に仏塔をあらゆる所に建てるのだが、
満足する事無く、更に、自分の両腕を燃やして供養した。
すると、その光景を見ていた多くの菩薩たちは哀れんで、一切衆生喜見菩薩に「あなたは私たちの師であるのに、身を犠牲に
する事は無かったであろう」と述べた。
しかし、一切衆生喜見菩薩は「必ず私の腕から仏の腕が生えて来るから、心配いらない」と皆の前で誓うと、両腕は元通りに
なり、全ての者が感激した。
この話を話し終えると、お釈迦様は宿王華菩薩に「この一切衆生喜見菩薩が、今の薬王菩薩であり、一切衆生喜見菩薩の行った布施が
高価な物を供養するより尊い布施である。」と述べるまでが描かれている。
ちなみに、薬王菩薩にはこれと別な話しがある。また、この頃は他の浄土信仰などを取り込もうとしている。
●翻 訳 二
”世尊よ。世尊は、今後も、相変わらずこの世に有り続けるのですか。”
その時に、日月浄明徳仏は一切衆生喜見菩薩に告げられた。
”良識ある者よ(善男子)。我れは、完全な悟り(涅槃)を得る時が来た。
やがて、すべての煩悩を滅し尽くす時が訪れるであろう。汝は足の付いた四角い台(牀座)を用意せよ。
今夜、我れは必ずや死ぬ(般涅槃)
であろう。”
また更に、一切衆生喜見菩薩に命じる様に述べた。
”良識ある者よ(善男子)。我れは、汝によって仏の教えが世に伝えられる事を汝に託す。また、多くの菩薩や大弟子、
及びに阿耨多羅三藐三菩提の法(因果律)、
並びに、三千大千(娑婆)の七宝の世界・多くの宝樹・宝台、また更に給仕の諸々の天人を、悉く汝に託す。
我が滅度した後、我が遺骨を所有する事を汝に与えて、また、これを汝に託す(付嘱)。必ず、世間に広めさせて(流布)、
数多くの供養する所を設けるのである。少なからずとも(若干)、千の塔を建立するのである。”
この様に日月浄明徳仏が一切衆生喜見菩薩に命じ終わると、深夜に完全な悟り(涅槃)の境地に入ったのである。
その時に、一切衆生喜見菩薩は仏が入滅した様子を見て、深く悩んで悲しみに暮れながら仏を恋しく思うのであった。
そして、海此岸で育った栴檀を積み木にして仏の身を供養し、これを焼いたのである。燃え尽きた後、遺骨(舎利)を拾い集め、
八万四千個の宝瓶を作った。
また、その事により八万四千の塔を建てる。その塔の高さは三世界よりも高く、表に柱を建て、様々な幢幡(どうばん)と天蓋(てんがい)を垂らして、
様々な宝鈴を掛けた。
その時に、一切衆生喜見菩薩は、また自らの思いを述べた。
”我れ、この様な供養をしたのであるが、我が心は未だ満ち足りない。我れは、今、更に遺骨を供養しよう。”
そして、諸々の菩薩・大弟子及び天・竜・夜叉らの、すべての大衆にこの様に語った。
”汝らは、一心に仏を思い出せ、我れは、今、日月浄明徳仏の遺骨を供養する。”
この言葉を話し終えて、そして、八万四千の塔の前で百の福相に飾られた腕(臂)を燃し、七万二千歳の年月が過ぎた。
そして、これを供養としたのである。
なぜなら、数限り無い者が自己の悟りのみを求める者達であり、この無限に続く計り知れない者達に、
これ以上無い悟りを願い求める心(阿耨多羅三藐三菩提心)を起させ、
すべての者に、あらゆる現象が現れても、心が揺れ動かない境地(現一切色身三昧)に留まって居られる事を
得させるためである。
その時に、諸々の菩薩・天・人・阿修羅などの者たちは、その腕(臂)が無い姿を見て、
どうにも成らない苦しみに悩み、そして、悲しんで、この言葉を言った。
”この一切衆生喜見菩薩、この者は我れらが師であり、我れを教え導いてくれた者である。しかしながら、今、
自分の腕を焼いて不自由な身に成られたのである。”
時に、一切衆生喜見菩薩は大衆の中で、この様な誓いの言葉を立てたのである。
”我れは、両腕を捨てたとしても、必ず仏の金色の体を得るであろう。もし、この事が真実で嘘でなければ、
我が両腕を先ほど述べた通りに復元させよう。”
この誓いを成し終えると、自然に両腕が復元した。この菩薩が、この様になった理由は菩薩の行いによって与えられる幸福(福徳)や智慧が、
純粋な上に、人に暖かい事(淳厚)から生じていたからである。
その時に当って、三千大千世界は六種に震動し、天からは貴重な花が降り始めて、すべての天人は今まで体験した事のない
経験をしたのである。
仏(ブッタ)は、更に宿王華菩薩に告げられた。
”汝が気持ち(意)はどうであろうか?。一切衆生喜見菩薩とは他の者で無く、今の薬王菩薩、この者である。
その身を捨ててまでして布施した姿は、この様に無限とも思える百千万億那由他(あゆたや)の月日の数であった。
宿王華(しゅくおうけ)よ。
もし、出家する決心(発心)をして、これ以上無い仏の悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を、自分も得て見たいと望んだ事がある者は、
手の指から足の指一本に至るまで、これを良く燃して仏塔に供養するのだ。(→遺体を荼毘に付す事)
この供養は国やお城や妻子、及び三千大千世界の国土にある山林・河川・池や、沢山の珍しい宝物をもって、
供養する者より勝れている。
もし、また更に、ある者がいて、その者が七種の宝でもって、
この三千大千世界に満たして仏及び大菩薩・辟支仏(びくしぶつ;縁覚)・阿羅漢(あらかん)に供養したとする。
この者が得られる功徳は、この法華経の教えを心に刻んで忘れないと言う功徳には及ばない。
或いは、法華経の四句の一偈(→諸行無常、諸法無我、一切皆苦など)を聞いて得られる福の方が最も多いのである。
宿王華よ。
例えば、全ての川の流れ、大河などの様々な水の流れの中でも、海が一番である様に、
この法華経の教えも、またこれと同じなのである。
沢山の如来が説かれた言葉(経)の中でも最も深くて広大である。
また、土山・黒山・小鉄囲山・大鉄囲山および十宝山などの多くの山の中で須弥山が一番の様に、この法華経も、また同じなのである。
多くのお経の中でも、これが最も勝っている。また、多くの星々の光の中で月光(月天子)
が最も輝いて一番明るい様に、この法華経も、またまた同じなのである。
千万億種類と言う沢山のお経や教えの中で、最も、この法華経が明るく照らしている。また、太陽の光(日天子)が、良く多くの闇を取り除く様に、
この経も、また、それと同じである。良く、すべての不善(三毒・十悪)の闇を破壊する。