南無妙法蓮華経
----妙音菩薩品偏----

 

  このホームページは、
  混迷の時代に、「どの様な人生を過したら良いか?」を考える機会を与えられる為、
  作成したものです。これを読んで読者の皆さんのお役に立てられれば幸いです。
   
  

   担当:社会倫理学科3年 里美 あかね


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト



秦末漢初地図

中国史地図

中国通史



語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・肉髻(にっけい)
頭頂部の盛り上がった所、三十二相の一

・白毫( びゃくごう)
眉間にある白い巻き毛の事、三十二相の一

・浄光荘厳国
清い光で輝いている国

・徳本(とくほん)
徳が得られるもとと成る行いを意味する。
徳→智・断・恩の三徳の事である。

・十八不共法
十力四無所畏・三念住・大悲の事

・于座(うざ)
違う場所の意味

・甄淑迦宝(けんしゅくがほう)
キムシュカ樹の赤い花の色に似た宝石→ルビー

・邪見
五見の一つ

・魔怨(まおん)
仏道修行を妨げ、悪道に引きずり込む者の意→三障四魔


---編 集 録---

今日は、皆さん
お元気でしょうか?。すっかり年が開けて新年ですね。新年と言えば、初詣ですね。皆さんは初詣で神様に 何をお願いしたのでしょうか。?

ところで、神様への願いの有効期限はいつ頃からいつまでだか知っていますか?。それは、元旦の卯の刻(午前6;00) 〜大晦日の日の入りですよ。よって、元旦の夜開け前まで神様は不在ですよ。ちなみに初夢は二日目の夜に見た 夢の事を言います。では、前回の話の続きをどうぞ。

美紀;
「漢代はどう言う時代だったのか?」
鈴音;
「一個で言うと、地方分権を主体とした郡国制から中央集権とした郡県制へ徐々に移行し、 建築・芸術面でも秦代の青レンガから木造・瓦に変わり始め、更に前漢の初めの頃は 黄老思想が全盛期を迎える様になったのです。

黄老思想が流行した訳は、秦朝(BC221〜BC207)の過酷な統治下を経て、道徳・儀礼によって王制を守ろうとする儒家や 制度・罰則によって人民を支配する法家などに対して、それらを否定する思想(アンチテーゼ)であったからです。

では、話を前漢に戻しましょう。
紀元前202年の垓下の戦いで項羽を破ると、劉邦(高祖)は皇帝に即位して中国全土を統一し、 破壊された秦の都城(咸陽)の郊外に新たな都城を建設して名を長安と改め、漢王朝(前漢)を開いたのです。

そして、劉邦は中国全土を首都と地方に分け、首都長安の周辺は中央直轄地として郡県制を、地方には一族・功臣 を諸侯王・列侯として封じる封建制を併用した。更に、二十等爵 と言う身分制を作って庶民にも爵位を与える事で皇帝権力の基盤を確固たるものとしたのです。

しかし、劉邦が皇帝になったその年、燕王臧荼が漢に対して反乱を起し、劉邦自ら征伐に出向き、 臧荼を捕らえて殺した後、 盧綰を燕王に封建した。

更に、紀元前201年には鍾離昧を匿った事や韓信の出世を妬んだ者から謀反の疑いを掛けられて鍾離昧の首を 持参した事で韓信は謀反の罪を免れ、淮陰侯へと格下げになり、長安に移り住む。

そして、同年の冬に韓王信が匈奴の冒頓単于 と休戦交渉を行った事が裏切り行為と見なされ、止むなく匈奴に投降し、匈奴の将軍として漢軍と戦うが、紀元前196年に柴武軍に破れた。

これにより、陳豨(チンキ)が鉅鹿太守に任命され、鉅鹿に赴任する途中で韓信の所に立ち寄ると、韓信から 謀叛の企てを聞かされ、紀元前196年の春に鉅鹿で反乱を起すと、激怒した劉邦はこれを鎮圧の為に 遠征し、都を留守にしたのです。

その隙に韓信は反乱を起そうとしたのですが、韓信を恨んでいた下僕がこの事を呂后に密告した為、呂后の命を受けた 蕭何(しょうか)に捕らえられ、長安城中の未央宮内で殺されたのです。

韓信が死ぬ間際に「蒯通の勧めに従わなかった事が心残りだ」と言った事で、 蒯通(かいつう)にも疑いが掛けられたが、堂々とした抗弁により開放された。

また、彭越も病気を理由に陳豨討伐に加わらかった事で劉邦の怒りを買い、庶人として蜀へ 流罪された。その後、彭越は辺境地の蜀から故郷の昌邑で隠棲したいと、呂雉に泣き付いたが、 逆に疑念を持たれて、紀元前196年の夏に劉邦によって処刑された。

そして、彭越の死体の肉の一部が塩漬けとして、見せしめのために英布を初めとする諸侯王に 劉邦から送られた。これにより、自分への誅殺を恐れた英布は軍備を整える始めた。

しかし、費赫によって英布の反乱の計画を密告され、追い詰められた英布は紀元前196年の秋に 謀反を起こしたのです。最初は勢いが良く、劉賈(りゅうか)及び 劉交(りゅう こう)の軍を破り、親征して来た劉邦軍にも 対等して戦うほどであったが、徐々に劣勢になり、英布の軍は敗れた。

紀元前195年、英布は妻の兄弟である長沙王・呉臣の元へ逃れた。だが、関わるのを嫌った呉臣は 英布に対し、共に越へ逃れようと偽りの誘いを掛けた。これを信じた英布は鄱陽に至ったが、 地元の者に殺された。

更に、英布討伐で負傷して寝込んでいる劉邦のもとに盧綰(ろわん)が謀反を企てているとの告発を受けて 盧綰の親友の樊噲(はんかい)に燕討伐の大将に命じたが、 ある者の讒言で勅命を受けた陳平によって捕らえられ、周勃と交代させられた。

しかし、紀元前195年の夏に、劉邦が死去すると盧綰は漢軍を待たずに匈奴の元へ亡命して 一年余で病死し、樊噲は許され開放された。つまり、皇帝劉邦がした仕事は諸侯王廃絶政策 であったのです。」

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◆妙音菩薩品(みょうおんぼさつ)

ここからは妙音菩薩品(みょうおんぼさつ)です。
この場面ではお釈迦様が光明で様々な仏国土を照らし出すと、浄光荘厳国に居て、法華十六三昧を身に付けている 妙音菩薩だけがその事に気付く。

そして、お釈迦様や様々な菩薩に会おうと思って浄華宿王智仏に娑婆世界に行く事を願い出るが、娑婆世界の様子を 聞かされる。

しかし、それでも妙音菩薩は浄華宿王智仏の許しをもらい、三昧の力によって娑婆世界の七宝の蓮華に化身する。 そして、その蓮華を見つけた文殊師利菩薩は不思議に思い、お釈迦様にその訳を尋ねると、妙音菩薩の姿が 見てみたいと願い出る。

すると、お釈迦様は多宝如来に妙音菩薩が娑婆世界にやって来るように依頼する。やって来た妙音菩薩は様々な事を お釈迦様に尋ねる所が描かれている

以上が妙音菩薩品の前編であるが、この作品で一度自分の世界に帰ったはずの多宝如来が再び、登場するは疑問に残る 所です。また前編と後編で話し相手がガラッと変わる。

法華の十六三昧
@妙幢相三昧
粗末な着物を纏ったとしても心を乱す事が無い
A法華三昧
法華経を読んだり、書いたりして、それを実践しても心を乱す事が無い
B浄徳三昧
智断恩の三徳を身に付ける修行をしても心を乱す事が無い
C宿王戯三昧
あらゆる現象を体験しても心を乱す事が無い
D無縁三昧
無縁の慈悲を を実践しても心を乱す事が無い
E智印三昧
あらゆる自然の智慧を悟らそうとしても心を乱す事が無い
F解一切衆生語言三昧
衆生が語る言葉をすべて理解したとしても心を乱す事が無い
G集一切功徳三昧
良い果をもたらす善行を全て行ったとしても心を乱す事が無い
H清浄三昧
五欲や愛情など誘惑するものが有ったとしても心を乱す事が無い
I神通遊戯三昧
どの様な所に身を置いても心を乱す事が無い
J慧炬三昧
智慧もってすべての物事の道理を解き明かすとしても心を乱す事が無い
K荘厳王三昧
人々を救う為にあらゆる誓願を立てたとしても心を乱さない
L浄光明三昧
慈悲や智慧をもって真実を人に教えたとしても心を乱す事が無い
M浄蔵三昧
人の噂などの先入観に心を乱される事が無い
N不共三昧
仏だけが持つ能力(十六不共法)を得る為の修行したとしても心を乱す事が無い
O日旋三昧
太陽が照らすように全ての真実を照らし尽くすとしても心を乱す事が無い

●翻 訳 一 

その時に、
釈迦牟尼仏は偉大な人間だけが持っている身体的特徴の三十二相の肉髻(にっけい)相から 光明を放したのである。

更に、みけんの白毫(びゃくごう)相から光を放し、万遍に東方の百八万億那由他と言うガンジス河の砂 の数ほどの諸仏の世界を照らし出されたのである。

そして、この様な無数の世界を過ぎた当たりに一つの世界があって、その国名を浄光荘厳 (じょうこう しょうごん)と言ったのである。

また、その国には仏が居て、名を浄華宿王智(じょうけしゅくおうち)如来・応供・正ョ知・明行足・善逝・世間解・無上士 ・調御丈夫・天人師・仏・世尊と名乗っていました。

そして、その仏は数限り無い無数(無量無辺)の菩薩たち、大衆に恭しく敬われながら周囲を幾重にも 取り囲まれて法を説いていた。

また更に、釈迦牟尼仏は白毫の光明で、その国の隅々まで照らし出したのである。 その時、浄光荘厳国のすべての人々の中に、一人の菩薩がいて、名を妙音と名乗っていた。

永い年月、すでにその者は何人かの人々にと成る本(徳本)を植えながら、 計り知れない百千万億の諸仏に親しみをもって近付き、供養したのである。

そして、一つも残さず非常に奥深い智慧を得て、妙幢相三昧(みょうばんそうさんまい)・法華三昧・浄徳三昧 宿王戯三昧(しゅくおうぎさんまい)・無縁三昧・智印三昧・解一切衆生語言三昧

集一切功徳三昧・清浄三昧・神通遊戯三昧(じんつうゆうぎ)・慧炬三昧(えこさんまい)・荘厳王三昧(しょうごんのうさんまい) ・浄光明三昧(じょうこうみようさんまい)・浄蔵三昧(じょうぞうさんまい)・不共三昧(ふぐさんまい)・日旋三昧(にっせんさんまい) を得る事が出来た。

そして、この様な百千万億と言うガンジス河の砂と等しい数の様々な大三昧を得て、釈迦牟尼仏の光りによって、 その身を照らし出されたのである。

そして、妙音菩薩は浄華宿王智仏(じょうけしゅくおうちぶつ)に向かって明らかに述べた。
”世尊よ。我れ、今まさに娑婆世界に行き、親しみを持って近づきながら礼拝して釈迦牟尼仏を供養し、 更に文殊師利法王子菩薩(最高智を持つ者)・薬王菩薩(最高供養の焼身供養した者)

勇施菩薩(布施の勇者)・宿王華菩薩(布教を託された者) ・上行意菩薩(布施を志願した者)荘厳王菩薩(仏教に帰依した者)薬上菩薩(現世利益) に合って見たいと願っています。”

その時に、浄華宿王智仏は妙音菩薩に告げられた。
”汝(なんじ)、あの国の人々を馬鹿にしながら見、下品で卑しい者たちであると言う想いを生じてはなら無い。

良識ある者(善男子)よ。あの娑婆世界では身分の上下があり、不平等である。更に砂漠(土石)や荒野(諸山)など未開拓の地(穢悪) が充満している。また、仏身は小さくて弱々しく、その仏の多くの菩薩たちも、その姿は粗末なものである。

それに対して汝が身は四万二千由旬(ゆじゅん;10km)、我が身は六百八十万由旬である。汝が身の容姿は美しく、 この世界で一番である。また更に百千万の福相を備え、とても美しい不思議な色の光明を放っている。

この理由より汝があの国に行ってあの者達を軽蔑し、そして、仏や菩薩や国土に対して下品で卑しい物であると 言う想いを抱いては成らない。”と

そして、妙音菩薩は浄華宿王智仏に向かって明らかに述べた。
”世尊よ。今、我が娑婆世界に行こうと決めたのは、皆が如来の力や如来の神通遊戯(どの様な境遇でも自由に行動出来る能力) 如来の功徳や智慧で、その身を飾っていたからです。”

この様な訳で妙音菩薩はその場を離れる事無く、同じ所に座って身を動かさずに三昧に入った。そして、三昧の力 をもって耆闍崛山(ぎしゃくつせん)の法座から遠くない所に、 宝石を集めて八万四千本の蓮の花に化身したのである。

閻浮樹の林の中を流れる川から採れた砂金を茎とし、 白銀を葉とし、最も硬い金属(金剛)をひげ根(鬚;しゅ)とし、キムシュカ樹(甄淑迦)の赤い花と同じ色の宝石をそれの土台としていた。

その時に、文殊師利法王子はこの蓮華を見て、仏に向かってはっきりと述べた。
”世尊よ。これはどの様な因縁があって、この様なめでたい前兆がまず先に現れたのであろうか?。

つまり、僅か千万本の蓮華が閻浮檀金を茎とし、 白銀を葉とし、金剛を根として、キムシュカ樹の花と同じ赤色の宝石の土より生えているのか。”

その時に、釈迦牟尼仏は文殊師利に告げた。
”これは妙音菩薩摩訶薩が浄華宿王智仏(じょうけしゅくおうちぶつ) の国において八万四千の菩薩に周りを取り囲まれながらも、

この娑婆世界に来て、我れを供養する為、我が側に仕えて礼拝しょうと望むと共に、法華経を供養してその教えを 聞きたいと望んでいるからである。”

文殊師利は仏に向かって明らかに述べた。
”世尊よ。この菩薩はどの様にして無貪・無瞋・無痴などの善の根本(善本)を植えて、どの様な他者へ恵みをもたらす善行(功徳)を修行すれば、 この様な偉大な神通力を現す事が出来るのであろうか。 或いはどの様な三昧を修行すれば良いのであろうか?。

願わくは、我れらが為にこの三昧の名を説明して下さい。我らも、またこれを修得する修行に励みたいと願っております。そして、この三昧を行って、 この菩薩の姿(色相)、つまり、体の大きさ(大小)や礼儀正しい姿(威儀)や信念をもった行動(進止)を見たいのです。

ただ願わくは、世尊の神通力をもって、彼の菩薩がこの地にやって来た時に、我れらにもその姿を見る事が 出来ます様にお願いしたいのです。”

その時に、釈迦牟尼仏は文殊師利に告げたのです。
”永い間、この悟りの世界に住んでいる多宝如来が、今当に汝らが為にその妙音菩薩の姿を見せて下さるであろう。”

まさしくその時に、多宝仏は彼の妙音菩薩に告げた。
”善男子よ。ここにやって来い、文殊師利法王子が汝の姿を見たいと願っているのだ。”

暫くして、妙音菩薩は彼の国を去り、八万四千の菩薩と共に出発して娑婆世界に来たのである。彼らが通って来た国々は、すべてが六種に震動し、七つの宝の色の蓮の花を降らし、 百千もの天の楽器は、演奏する者が居なくも、自ら鳴った。

この菩薩の目は青い花を咲かす蓮の葉の様に瞳は丸く、その端正な顔立ちは、例えば百千万個の月光をもってしても、 それを凌ぐことは出来いほどであった。

また、肌の色は純粋な黄金と同じ色をして、量る事の出来ない百千もの善行(功徳)で飾れ、 その菩薩の堂々たる風貌や高い教養・礼儀によて作られた人格(威徳)は火が燃え上がる様に勢力があって(熾盛)、その光明の輝きはあらゆるものを照らしている。(光明照曜)

更に、様々な相(三十二相)を身に付け、那羅延天(ならえんてん→仁王=ヴィシュヌの事) の様に丈夫(堅固)な体を持っていたのである。

そして、七宝の楼台に入ってその空間を昇り始め、地面から高さ、タラ樹(ヤシの樹)の七倍の所まで来ると、 様々な菩薩たちに取り囲まわれ、謹みをもって敬われた後、この娑婆世界の耆闍崛山(きじゃきせん)にやって来たのである。

妙音菩薩が娑婆世界に到着すると、七宝の楼台を降り、高価で百千億する腕輪や首輪なとの装飾品(瓔珞)を持って、 釈迦牟尼仏の所に行き、額に仏の足を付けて礼拝し、腕輪や首輪を差出して仏にはっきりと述べた。

”世尊よ。浄華宿王智仏は世尊に尋ねられていました。
『病も少なければ悩みも少くして体を動かす事も厭わず(軽利)、心穏かに(安楽)暮らしているだろうか。?

体(四大)は健康であるか。 食べ物など(世事)に文句を言わないであろうか。娑婆で生きてる者(衆生)は悟りの境地に導きやすいかどうか。

更に欲に執着して貪る者(貪欲)・自分の意に従わないものを怒り恨む者(瞋恚)・心が揺れ動く為に愚かで道理に暗い者(愚痴) ・身勝手の為に他人の幸せを妬む者(嫉妬)・驕り高ぶって人を見下す者(慳慢)が多いかどうか。

また、親孝行せず、仏道を学ぶ者(沙門)を敬わず、 自分勝手なものの見方(邪見)をして善くない心(不善)を生じさせて 喜、怒、哀、楽、怨などの感情を抑えようとしない者が居るであろうか。

世尊よ。衆生は煩悩魔・陰魔・死魔・天子魔 などの魔物から恨みによる攻撃を受けて、それに服従しないだろうか。 永い間、七宝の塔の中に住み、完全な悟り得た多宝如来は法を聞く為に、やって来るだろうか。』

また、多宝如来にも尋ねていた。
『穏かな暮らし、悩む事も少ないにも関らず、耐え忍ばなければ成らない世界に長らく住んでいるのか。』

世尊よ。今、我れは多宝仏の姿を拝見したいと願っています。 ただ願わくは世尊よ。我れにその姿を教えて、拝見させて下さい。”




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