法蓮華経を読んでいるうち、私たちは
友人や大学などの有り難さが徐々にではありますが、
分かりかけて来ました。このhpを通して皆さんに、この事をお伝へ出来れば、幸いと思います。
ぜひ、読んで見て下さいネ!
担当:国際人文学科4年 榛名みゆき
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・窮子(きゅうし)
貧しさに困り果てた我が子
・邑(ゆう)
村のこと
・傭賃(ようちん)
労賃
・注記券疏(ちゅうきけんじょう)
記録を書き記す為の紙(券)に書く、帳簿を付けること
・貧里(ひんり)
世間の事で、欲を貪ることから称される
・眇目(みょうもく)
独眼の者
・矬陋(ざる)
手足が不自由な人
・愚劣(ぐれつ)
ばからしく何の価値もない
・鄙事(ひじ)
下らない仕事やむだな仕事
・草庵(そうあん)
粗末な仮住まい
彼岸を過ぎ、直も残暑きびしく、冬の到来が待ちどうしい、今日この頃です。そう言う中、私たちは
法華経を片手に、その訳に奔走する。ネットで、法華経を調べると、厳しい声の数々が聞こえてくる。
先生は、”気に病む事は無い、名誉欲に執着する者の言葉など”と私たちに、おしゃいました。
今日は、皆さん
皆さんは、法華経をどう思いますか?本当の法華経が意味するものは、どうやって、楽に死ねるか?と言う事
です。そして、その事で逆に、自分の生きる価値を見つける為のキーワードが隠されている、そうです。
私たちには、難しくて分かりません。!では、この前の続きをどうぞ
鈴音:
「そうですね。今日、ここへ来きたのは車ですか?」
私たち:
「はい、車です。」
鈴音:
「車に、連れられて来たのか?」
私たち:
「車が自分から、動くはずがありません。私たちが運転して来たのです。」
鈴音:
「そうですか?、カーナビで自動運転が出来ると、思いました。」
私たち:
「まだ、そこまで技術は進歩していません。」
鈴音:
「では、空の話しをしましょう。」
私たち:
「宜しく、お願いします。」
鈴音:
「車は、車両としての基本的構造が同じであるように、人も動物としての基本的構造は皆、同じである。
違うのは、人にはものを記憶する所があり、その記憶を出入れする所があるだけで、同じである」
私たち:
「えっ!、車と人が同じですか?、でも、人は自分で考えて、行動しますよ?」
鈴音:
「うん、そう思いたいの分かるが、車だって、運転士が乗れば、自由に動けますよ」
私たち:
「じゃ、人は誰が運転しているのですか?」
鈴音:
「それは欲です。そして、その欲も、体が感じる苦と親などの縁の教えから生じるのです。
ですから、自から生み出したものは無いと言えるのです。だから、空と言ったのです」
----続く。
ここから、信解品(しんげほん)をお送りします。
この場面は、今までの事を偈(げ)をもって、完結的に表しています。偈(げ)とは歌の事ですが、短歌や俳句と
少し違います。短い文を箇条書きに書いたものです。
例えば、この様にです。「我に、師あり。わが師は因・縁をもって、我に大乗教を教えん。」
この様な偈(げ)が法華経の中に、沢山あり、前文を分かり易く、また、覚え易くしている。
-----続く
その時に、衣食を探し求める窮子あり、彼の者は衣食を求むるに、村より村に至りて、国より国に至らん。
時には得る所あり、時には得る所なし。
故に、飢餓して身は削れ、体にて、あざやかゆみを生ぜる。次第に歩み辿りて、父の住せる城に到りぬ。
労賃を次第に増して、遂に父の住む家に至る。
その時に、長者はその門の内において、大宝帳を施し、王者の座に付きて、親族に囲まれん。諸人から護衛せられて、
時には金銀の宝物を計算し、財産を出し入れし、帳簿に書き記せん。
窮子は父の気品高く、尊厳なる様を見て、ある思いを抱かん。この者、国王か?あるいは王の親族なりやと。
驚怖して、自らを悔やまん。
どう言う訳で、ここに至れん。密かに、自らの思いを口にせん”我がもし、久しく、ここに住せば、
時として、苦痛に迫められ、急に否応なしくして、我に罪を作らしめん。”
これを考え廻らし終えて、走り去りぬ。世間(貧里)に尋ねんとして、行く先々にて、職を求めんと欲す。
この時、長者は師子の座にあって、遥か遠くより、その子を見ん。
黙して、これを覚えて、即く、使者を使わせり。使者、これを追い、捕らえて、これを引きつれて戻らしむ。
窮子は驚きて泣き叫び、迷惑して悶え苦しまん。
”この人は我を捕らえて、必ず殺さん。
何ゆえ、我に衣食を与えて、ここに住はせん?”と、終には地に倒れん。
長者は子の愚痴・狭量・劣力である為に、我が言を信ぜず。これ父なりと信ぜざるを知って、方便をもちいんとして、
更に、別な者、つまりは独眼で、手足が不自由な者であり、威徳なき者を遣わし、命ぜん。
「汝は、これに話し掛け、必ずや伝えん。必ず、お互いに雇われて、多くの糞の穢れを浄めん!。
倍して、汝にお金を与えんと」
窮子は之を聞くに歓喜して、使者に随行する。この為、糞の穢れを除き、諸の房舎を浄む。
長者、窓より、常にその子を見ては、子の愚劣をもって、楽に鄙事(ひじ)する事を思わん。
ここに長者、有らん。粗末な汚い衣をまといて、除糞の器を握らん。そして、子の所に行き、
方便するために近ずき、語って勤作(勤労)せしむ。
「すでに、汝が価を益せり、その上更に、足に油を塗り、
飲食を満足させ、自ら進んで席を取り、体を暖めて良い。」
また、是の如く苦言を呈す
「汝、必ず勤労せよ!また、軟語(無駄口)する事なかれ!。また汝、我が子と思うが良い。」
長者は智慧をもって、漸く、窮子を出入せしむ。二十年を経て、家の仕事を実際に行なしめ、
それに、金・銀・真珠・頗黎などの諸物の出入を命じて、皆に知らしむれども、なおも、門外にて住しむ。
草庵に、寝泊りして、自らの貧しき事を思わん。”我に此の物なしと”父は子の心を漸く解して、今すでに曠大なるを知り、
財物を与えんと欲し、そして、親族・国王・大臣・刹利(家来の侍たち)・居士(高い学徳の人)を集めん。
この大衆において、これを説く”是れ我が子なり、我を捨てて他に行きて、今、五十歳を重ねん。
子を見てより、この方、すでに二十年を過ぎん。
昔、某(それがし)の城において、この子を失いき、周囲に行きて、捜し求めん。ついに、ここに有りなん。
凡(おおよそ)の我が所有する舎宅・人民を一つ残さず、これに寄与する。
その所用を欲しいままにするが良いと”