南無妙法蓮華経
--------信 解 品 偏--------

 

  法蓮華経を読んでいるうち、私たちは
  友人や大学などの有り難さが徐々にではありますが、
  分かりかけて来ました。このhpを通して皆さんに、この事をお伝へ出来れば、幸いと思います。   ぜひ、読んで見て下さいネ!
 
  

   担当:国際人文学科4年 榛名みゆき


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト







語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・弊欲
 自分だけが悟りを開き、仏の神通力を身に付け、この世を思い通りにしたいと言う悪い欲を意味する。

・仏子
 仏の弟子で、将来、仏に成る事が出来る者の意味

・方
 次の文脈を指す

・悋惜(りんしゃく)
 物惜しみすること

・楽(ねがう)
 精神的に楽なことを願うの意味

・毀訾(きし)
 叱り付ける

・宝聚(ほうじゅ)
 集められた宝物

・田業僮僕(どぼく)
 田畑で働く召し使いの少年

・商估賈人(しょうここにん)
 商人や物を買う客の事


---編 集 録---

漸く、朝晩が涼しくなり、秋の香り立つころ、長い様な短い夏休みも終わりを告げる。 咲き乱れようと思うに嵐吹きて蕾は散り去り、学び舎から窓の雲を見てはため息つく、私たちでした。

今日は、皆さん
夏休み、皆さんはどうお過ごしになされたのでしょうか?。皆さんの事ですから、さぞかし有意義であった事と存じます。 さて、相も変わらず、この前の話の続きを致しましょう。

私たち:
「ところで、摩耶先輩!」
詩羅:
「なんだ!」
私たち:
「霊って、いるの・・・?」
詩羅:
「何だ、相変わらず下らない質問するネ!。君たち」
その時、鈴音はにゃん子マカサツを抱き上げながらこう言ったのです。
「私も聞きたいですよ。にゃ〜マカサツ」
詩羅:
「そうですね、は居ると思えば居るし、居無いと思えば居無いものだと思います。要は気持ちの問題です。」
私たち:
「鈴音さんは、どう思っているのですか?」
鈴音:
「そうですね!もともと神や霊などは人が生きて行くために必要な礼儀や人に対する慈悲を身に付けさす為の方便 として、生まれたものと考えています。だから、物質としてはない、また、方便品の中でお釈迦様もそう言っています。」
私たち:
「だったら、どうして、毎日のように、阿弥陀仏を拝むのですか?」
鈴音:
「人の心と言うものは移ろい易く、何かに捕らわれ易い、その為に欲を貪り、他の存在を忘れ、害を与えて難を被り、 苦悩を受け、恐怖を覚える。 その事を呼起こし、忘れないようにするために、阿弥陀仏を拝んでいるのです。」
私たち:
「どうして、人の心は移ろい易いのでしょうか?」
鈴音:
「それは、本来、人の心は空だからです。それ故に、自分が生まれた縁に染まる事が出来て、その縁の中で生きて行く事が できるのです。」
私たち:
「空とは何ですか?」
----続く。

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◆信 解 品(しんげほん)

ここから、信解品(しんげほん)をお送りします。
この場面はお釈迦様の弟子、慧命須菩提・摩訶迦旃延・摩訶迦葉・摩訶目健連たちを成仏させる様子が 描かれている。

当初、彼らも、自分たちの成仏でけを願う小乗を信じていましたが、その事だけでは、真に成仏を成就する事は 出来ない事を阿耨多羅三藐三菩提の記により、お釈迦様から悟される。

そして、他人を利する事により真の成仏を得る事が出来ると言う大乗の教えを信じて、 小乗から解脱する事が出来たが、なぜ、その事が成仏するための理由なのか?、分からなかった。
-----続く

●翻 訳 四

そして、自らの思いを言ったのです。
”仏法の教えに従いながら修行に精進することが結果として、莫大な利益を得られると。”

更に、世尊は、最初から我等の心が弊欲に捕らわれて、浅い法で悟り易い事を願っているのを承知なされていたのです。

そして、これを許して、自からも、仏法を捨てられて”汝らは如来の知見や法の宝蔵が有る事を知らんのか” と悟らす事をしませんでした。

世尊はただ、方便力をもってのみ、如来の智慧を説いて下さるのです。 我等はただ、仏に従がって参るだけで、これは涅槃に至る修行の一日分に値するのにも関らず、 大きな利益を得る事が出来たと思わず、また、この大乗を志求することが無かった。

我らは、また、如来が智慧をもって、色々な菩薩のために、これを明らかに示して、述べて説くのを聞いても、 更に、自らはその場においても志願する事はなかった。

なぜでしょうか?、仏は我らが心より小法を願っている事をお知りになり、方便力をもって、我らに合わせて、教えを説いて下さるのは。 更に、我らは本当に、”我らは仏の弟子であり、未来の仏である”事を知らなかったのです。

今、我らはこの事を知ったのです。世尊は仏の智慧を物惜しみせずに与えると。 なぜでしょうか?、我らは、昔より今まで、誠に仏子であるのにも関らず、更に、 ただただ小法を願うのであろうか?。

もし、我らに大法を願う心があるとするならば、仏は我が為に大乗の法を説いて下さい。 今、この数々の教えの中で、一番大切な一乗の法を説いて下さい。

昔、菩薩の前で、声聞(説法を聞いた者)が説く小法を願う者を叱り付けたのは、 さらに、仏が実際に大乗をもって教え導こうと成された為のものです。

この理由をもって我らは説いているのです。本心より少しでも求めたいものなど、何も無いにもかかわらず、 今、法王の大宝の前に自然に辿り着き、仏子であるならば、身に付けなければならないもの、すべて 皆、すでに得ているのです。」

その時に、摩訶迦葉(まかかしょう)は
再び、この意義を宣言しょうと思って、偈(歌)を説いて申し上げました。

「我ら、今日において仏の音教を聞けり、心が舞踏して歓喜し、未曾有なることを得ん。 仏の声を聞に、”今、必ず作仏する事を得よ”と説き申されん。 無上の宝聚(大乗の教え)を自ら求めずして、これを得たり。

譬えば、幼子が何も知らず、浅はかにも、父を捨てて、逃げ去りて、遠くの他国に到らん。 職を求めるに、諸国に流浪し、五十余年を重ねん。

その父、憂愁して、四方に我が子を推測して、探しを求めん。これを求むるに、既に疲れ果て、 急に、一城にこもり、家を建てて、五欲に自ら楽しめん。

その家、おおいに富みて、諸の金・銀・蝦蛄(しゃこ)・碼碯(めのう)・真珠・瑠璃など多し、 象・馬・午・羊・輦輿(れんよ)・車乗・田業僮僕・人民(家来)多数あり。

出入する者を利することで営み、そして、他国に普く知れん。商人や客で、埋め尽くされて、空き地ある事なし。

千万億の衆に囲まれて恭敬せられ、常に王者より愛されることを得ん、そのため、家臣及び豪族など皆、共に教えを尊重し、 色々な縁を結ぶ故に、往来する者が集まりぬ。

この様にして、富豪になりて、大力勢あらん。そして、年老いると共に、ますます子を憂いては、朝に、晩に、 思いをめぐらす。

必ずや、我は死の時を迎えんと言うに、愚かにも、子は我を捨てさりて、五十余年の長きに渡らん。 今、庫蔵の諸物をいかに処理せん。



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