南無妙法蓮華経
--------信 解 品 偏--------

 

  法蓮華経を読んでいるうち、私たちは
  友人や大学などの有り難さが徐々にではありますが、
  分かりかけて来ました。このhpを通して皆さんに、この事をお伝へ出来れば、幸いと思います。   ぜひ、読んで見て下さいネ!
 
  

   担当:国際人文学科4年 榛名みゆき


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

空飛ぶ水冠





語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・傭賃展転(へいちんてんかい)
 雇われて労賃を得る事を幾度も繰り返す

・寶几(ほうき)
 金銀で飾られた足を休める壷

・刹利(せつり)
 王族の階級の刹帝利(クシャトリア)

・圍繞(いんよう)
 撮り囲む

・瓔珞(ようらく)
 珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具(指輪、ネックレス、ピアス)

・宝帳(ほうちょう)
 帳は葬儀で用いる鯨幕の様な物、宝帳とは貝や真珠の飾りの付いた幕を傘の様に貼った物

・幡(ばん)
 仏・菩薩の権威や力を示す荘厳具(しようごんぐ)として用いる旗の総称

・厳飾(ごんじき)
 傷・汚れ・歪み・くすみなどが無い綺麗な飾り物

・傭力(ゆうりき)
 仕事する能力

・肆力地(しりょくち)
 自分の力を見せる場所、仕事場

・貧惜(とんじゃく)
 欲を貪り、欲に執着する心を捨て去る事を惜しむ

・相(そう)
 物性を示す場合、つまり形をなす物(人など)に用いる

・転た(うたた)
 だんだん状態が進行する事

・須い(もちい)
 必要とする

・作処(さしょ)
 作は身体を使っての行為を意味する。働く場所

・怪しむ
 身分の低い事・貧しい事を感じた時に用いる

・窓
 明かり取りの為に、竹で編んだ丸いもの

・羸痩(るいしゅ)
 ラバのように痩せている

・瓔珞(らくよう)
 珠玉を連ねた首飾りや腕輪

・懈息(けそく)
 怠けて、休息する事

・咄や(つたなや)
 ちょっと

・壮(そう)
 元気で充実した年頃。三〇歳前後


---編 集 録---

いつもの道を一人で歩いていると、不忍の池に蓮の花が咲いているを見かけました。猛暑の中、 この蓮の花は誰の為に咲いているのかと、思うと切なくなり、そっと手を合す、私でした。

今日は、皆さん
お墓参りは、無事、済んだでしょうか?私は行けなかったので、 我が家の風習に則り塩水・果物・をお供えしました。 では、話の続きを致しましょう。

猫は鈴音尼君の膝の上に乗り、大きな口を開けてあくびをするのでした。
鈴音:
鈴音尼君は笑みを浮かべながら「摩訶薩、今日は何処で遊んでいたのですか」
と言いながら、猫子(にゃんこ)摩訶薩の頭を撫でていました。
私たち:
「面白い名ですね。なんで、その名を付けたのですか?」
鈴音:
「猫は、人と違って、嘘を吐いたり、裏切ったり、騙したりしない。また、人見たく欲を貪らない、 常に、自分に正直であることから、摩訶薩と付けたのです。」
私たち:
「でも、猫は悪戯して、人の飼っている金魚を食べたり、車に上って足跡をするのです。」
鈴音:
「それは、仕方の無い事です。猫には物を所有すると言う事が分からないのです。だから、  人の様に物に執着する事もないのですよ。」
私たち:
「そうなのですか?」
鈴音:
「そうですね。人はすべての事を自分中心に考えているから、猫を畜生と思うのでしょう。  もう一歩、後ろに下がって物を見ると違う世界が見えるかもしれない。ナァ〜、摩訶薩」
猫子摩訶薩:
「ニャ〜」
----続く。

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◆信 解 品(しんげほん)

ここから、信解品(しんげほん)をお送りします。
この場面は有名な長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の比喩を描いたものです。窮子は四大弟子のことで、 長者はお釈迦様のことを表しています。

そして、四大弟子たちは、元々はバラモンでありながら、バラモン教では心が救われないと観じていたところ、 お釈迦様のことを知り、お釈迦様の説法を聞きに行ったのです。

しかし、理解できずに、バラモンに戻ったのです。その後、舎利弗に誘われて、お釈迦様の弟子になるまでを 喩え話をもって、描いています。 ここで、大切な事は人を説得す時の様子が書かれていることです。

-----続く

●翻 訳 二

世尊、その時に、窮子は職を転々と変えながら、偶然にも、父の住んでいる家に行ったのです。
そして、門の側にたたずみ、遥かに遠い自分の父の姿を見たのです。父はライオンの毛皮を敷いて、その上に座り、足を寶几に乗せて、 諸のバラモン刹利居士、などの皆に囲まれて、恭敬されていたのです。

その身を千万なる価直の真珠の装身具で飾り立て、白払 を手に取り、役人や召使の子供たちに、左右に付き添って立つ様に命じていたのです。

頭の上を覆うのに宝帳を用いて、色々な華旛を垂れさせて飾り、 香水を地に注ぎ、名のある華を集め、それらを散りばめる。宝物を連ね並べては、その中から選び取って人に与える。

この様に、数々の厳飾(ごんじき)を持ち、しかも、勢力があって、徳の高くて、特に人から敬やまれる人であった。 窮子は父の大力勢ある姿を見て、そして、恐怖を抱き、ここに来た事を後悔する。

密かに、この様に思いを廻らした。
この人は王様なのか?、または王の一族なのか?。我が仕事して、物が得られる所ではない。

働く場所を見つけて、衣食をすぐに得られなければ、確かに、貧しい里に辿り着いてしまう。 もし、永い間、ここで暮らしたならば、困難に責められて、間違えなく、我は罪を作るだろう。 この思いを尽くし終えて、窮子は疾く、走り去った。

時に、富める長者は師子の座にて、子を見かけて、その子が自分の子である事が判り、心から大に歓喜し、 そして、この思いを抱くのです。

「今、我が庫蔵にある財物を託す者が現れた。常に、我はこの子の事を思っていたけれど、子を探して見るとしても、 当てが無かった。しかしながら、突然、自分からやって来て、急に、我が願は叶えられた。

我は年老いたといえども、まだ、貧惜する心がある。そして、そばにいる者を遣わし、急いで、 後を追いかけさせ、引き連れて戻らさせよう。」

その時に、使者は素早く走って行き、追い着いて、子を捉まえたのです。 窮子は非常に驚いて、”何の怨みか”と言いながら、”我は汝に害を加えた事が無い。

なんで、我を捉え様とするのか?”と大声で叫び続けたのです。 使者は大急ぎで、子を捕まえるや否や、無理やり、引き連れて帰ったのです。

時に、窮子は悟ったのです。
罪が無いのに、囚人を捕まえる様に捉えるのは、必ずや殺す為であると。思いを募らせて、更に、恐れおののきながら、 もだえ苦しんで気絶して、地面に倒れた。

父は遥か遠くで、これら一部始終を見て、使に自ずから語りかけて言った。 この人を用いようと思わず、無理やり引き連れて来る事をしてはいけない。

冷水を顔に注ぎ、目覚めさせよ。また、ひざを突き合わして、話し合うってはならない。 どう言う訳かと言うと、父はその子の考えている事が下劣であることを知るのです。

自分は最も高貴な身分であるため、子に掛かる難を悟って、明らかに、子である事が分かっていながらも、 方便をもって、他人に自ら語って、この者は我が子であると伝えなかった。

使者はこの者に語る、”我は今、汝を放してやるから、好きな所に行くい。”窮子は今までに味わった事のない喜びを味わい、 地より起きて、貧しい里(ドヤ街)に至り付いて、衣食を求めたのです。

その時に長者は、その子の興味を引き付けながら、子を誘て来ることを願って、確実に、方便を設けたのです。 そして、密かに、二人の顔色が悪く、やつれて、貧弱は者を使わした。

汝らは、彼の所に行き、徐々にこの様に語るのです。
「ここに働く所あり、おまけに、汝に対価を与える。もし、窮子が許すならば、必ず、ここに来きて働のです。」と

もし、何の仕事するのかと問うて、言ったならば、すなわちこの様に語るのです。
「汝を雇う訳は糞さらいをするためにです。我ら、二人も、また汝と共に働こうと思っています」と。

時に、二りの使人はすぐに、窮子を探し求めたところ、すぐ、窮子に会う事が出来て、詳細に、最初の事を述べた。

その時に、窮子は、まず先に、その対価を取って、”共に糞さらをするのか?”と尋ねた。 その父は子を見て、悲しむと同時に、子を粗末な者と感じた。

また、数日間、窓の内より、遥かに、子の身体を見れば、ラバの様に身体が細くて、やつれていて、その上、 糞・土・塵・汗・垢などにまみれて、不浄であった。

そして、珠玉を連ねた首飾りや腕輪・細工が施された軟かな上服などの厳飾された物を脱いぎ、 更に、垢と油にまみれ、破れて穴が開いている粗末な衣を着て、土ぼこりで身を汚し、右の手に糞さらいの器を握り締めて、臆病者の様に振る舞った。

様々な働く者に自から話しかける。”汝ら、仕事に励み、仕事を怠けて休もうとするな!”と方便をもって、その子に近づいた。

その後ち、また、告げる様に言った。
”ちょとお兄さん!、汝は、ここで、ずっと働きなさい、また、ほかの所へ行こうとするな!。必ずや、賃金を加算して、汝に与える。”

数々の必要な物がある。それらは、お盆や食器・米や麺・塩や酢の類いの品である。これらを遠慮する事無く使う事ができる。 また、年老いた役人がいて、必要と有らば、使う事ができる。

良く、自ら心を落ち着けて考えよ。我を汝が父と思い、心配する事はない。 なぜならば、我はすでに年老いて、高齢であり、汝は、まだ三十に満たない。

汝、仕事している時は常に、欺怠(怠けるため、人を欺く)・瞋恨(腹を立て、人を恨む)・怨言(悪口や陰口)などをやってはいけない。 度々、汝がこれらの悪業を行なうならば、他の労働者と同じ様に見る。 今より以後、ここで生まれ、育った子と同じ様に振る舞うが良い。

即刻、長者は、この事より、更に名字を考えて、兒(こ)と名乗らせた。

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