説法品/無量義経
--------説 法 品 偏-------





日ごろから、愚痴ばかり言ってる女子でも
この経を読むことで本当の幸せを見つける事が出来ます。その為に、 私達は自分たちなりに無量義経を訳して掲載する事にしました。 これを読んで皆さんの幸せづくりのお手伝いが出来れば、幸いです。 皆さん、是非読んで見て下さい。

担当:商学部2年 木村 絢


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

仙学研究舎

中国史

中国史地図





語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が 出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、 説明する。
( ゜д゜)ノ ョロ!!


・四善根
『倶舎論』に基づくヨガ行者の位の 四善根(暖・頂・忍・世第一)を指す。
四善根を超えると、聖人(見道)の四向四果に入る

・凡夫
十分に四諦の道理を知らない人→自己に実の我があると考え、自と他とを区別し自分に執着して、 その差別観の中に苦悩している者
凡夫には、内凡・外凡・底下がある。

・無生法忍
すべてのもの(喜び、悲しみなど)には、不生不滅(絶対的な存在が無い事)である事を認知する事。


---編 集 録---

前回アップした時から、早いもので梅雨入りに成ってしまいました。この半年間は、何と無く地震が多いような気がします。 それと、この頃は急に暑くなったせいか?hpの編集が中々進みません。

こんにちは、皆さん
お元気でしょうか?私達は、相変わらず元気です。文祭も終わって、一息ついてる所です。社会人の皆さんは、 ボーナスが上がって楽しい時を過ごしているのでしょうか?学生にとっては以外に憂鬱な季節です。

それから、我がサークルに新人さんが3人ほど、入りましたよ。では、中国史をお楽しみ下さい。! 東魏・西魏時代から隋王朝に至るまでです。

絢;
「なぜ、南北朝は滅んだんですか?」
鈴音;
「528年、六鎮の乱をもたらした孝明帝が 霊太后によって暗殺され、元ショウが即位すると、 爾朱栄が挙兵して二人を殺害した後、孝荘帝を擁立して娘を皇后すると、 実権を握った。翌年、葛栄を滅ぼし、六鎮の乱を平定した。

30年、孝荘帝が爾朱栄と元天ボクを暗殺すると、爾朱世隆らが 元 曄を擁立して孝荘帝を廃位した。31年、爾朱世隆・天光らが元 曄を廃位して元恭を節閔帝に即位させると、 高歓が元朗を後廃帝に立て反旗を翻した。

32年の韓陵の戦いで、爾朱軍が大敗した。翌年、高歓節閔帝と後廃帝を廃位して 孝武帝を擁立したが、 斛斯椿や王思政らにそそのかされて孝武帝と高歓が対立する様に成った。

534年、孝武帝が洛陽から長安に遷都すると、高歓は孝静帝を立てた。暮に、宇文泰によって孝武帝が毒殺されて文帝が即位すると、 35年、北朝は高歓が実権を握る東魏と、宇文泰が実権を握る西魏に別れ、 戦に明け暮れた。

47年、高歓が死去し、高澄が実権を握ると、孝静帝に濡れ衣を着せて幽閉する。 また、侯景 が梁の武帝に帰順して東魏に攻め込むが、慕容紹宗に敗れて寿春へ退いた。

その後、東魏と梁が和解すると、侯景が梁で乱を起こす。48年、蕭正徳を味方に付けた侯景は都の建康を包囲する。 また、西魏の王思政と東魏の慕容紹宗 が穎川で戦いを繰り広げ、慕容紹宗が戦死する。49年、東魏の高澄が 王思政を降伏させた。

しかし、梁の捕虜の蘭京によって高澄が殺され、 高洋が兄の仇討ちをした。 梁では、武帝を幽閉して病死すると、侯景は簡文帝を即位させて、後から暗殺し、予章王 蕭棟を擁立した。

50年、高洋が孝静帝に禅譲を迫って帝位に即き、北斉 を建国した後、孝静帝を毒殺した。51年、侯景は予章王から禅譲を受けると、 梁をに改めたが、52年には梁の 元帝に即位した蕭繹によって滅ぼされた。

54年、西魏が梁の元帝を自殺に追い込み、甥の蕭サツを後梁 の初代皇帝にした。55年、王僧弁陳霸先らが、 蕭方智を梁の敬帝に即位させると、 北斉が蕭淵明を送り込んで閔帝に即位させると、 王僧弁と陳霸先が対立した。

57年、陳霸先が王僧弁を打ち破ると、閔帝を廃位して、再び敬帝を立てた。その後、陳霸先は禅譲を迫り、 を建国して初代皇帝になった。 これにより、王琳らが、北斉から蕭荘を返してもらい 梁を再建した。

一方、西魏では宇文泰が死去して宇文覚が太師に成ると、西魏帝 拓跋廓から禅譲を受け、北周の初代孝閔帝に即位し、西魏が滅んだ。 その後、孝閔帝は乱暴者の宇文護を排除しょうとして、逆に廃位されると、 護が宇文イクを擁立して明帝に即かせた。

59年、陳の武帝が崩御して文帝が即位すると、北周との間で和平を結ぶ。更に、吐谷渾と交互に 北斉に侵攻するが、宇文護によって排除された。

一方、北斉の初代・文宣帝が崩御し、吃音症の高殷が廃帝と成るが、翌年には太皇太后の令により廃位され、高演が 孝昭帝に即位した。

60年、北周では、宇文ヨウが兄・明帝を殺した宇文護を討って武帝に即位した。 また、陳の侯テン軍に梁の王琳が攻撃を加えると、北周の 史寧 に王琳の本拠地が包囲された為に王琳は陳軍に敗北し、梁も滅亡した。

61年、北斉の孝昭帝が崩御して高湛が武成帝に即位した。 64年、突厥と北周の 宇文憲軍に攻撃されるが、 北斉の斛律光・高長恭軍に敗れた。65年、武成帝は長男の高緯 に譲位し、太上皇帝と成った。

66年、陳では文帝が崩御して陳伯宗(廃帝)が13才で即位したが、68年には陳の沈太后の令により、陳伯宗が廃位された。 69年には、陳ギョクが宣帝に即位した。

一方、北斉で太上皇帝が崩御して後主が親政を開始すると、 高叡・高潤・高延宗らが 和士開を弾圧した為、胡皇后によって排除された。

73年、更に斛律光を粛清して、 高長恭を毒殺した為、 陳の呉明徹が淮南に侵攻して寿陽を落とすが、 皮景和に阻まれた。

75年、北斉の皮景和が死去すると、宗教弾圧を行った北周の武帝が北斉討伐を開始した。76年、晋陽の戦いの中に、 北斉の後主は恐れて敗走した為、部下の将帥から擁立され高延宗が安徳王に即位するが、北周に破れて晋陽は陥落した。

77年、後主から帝位を譲られて高恒が幼主に即位するが、すでに北周軍にギョウを包囲されて陥落し、北斉は滅亡した。 更に、翌年、穆提婆の乱が起きて 人質と成った幼主たちが処刑された。

78年、北周が華北を統一すると、今度は陳を攻略し始め、 呂梁の戦いで淮南の領土と、 陳の司空の呉明徹を得ると、間もなく崩御した為、 息子の宇文インが宣帝に即位したが、翌年には廃位され、宇文エンが静帝 に即位し、楊堅を丞相にした。

80年、北周で司馬消難が乱を起こして鎮圧されると、陳に亡命した。581年、静帝に禅定を迫った楊堅は、隋王朝を開いて、 宇文一族を皆殺しにした。82年、陳の宣帝が崩御して後主 が即位した。

589年、後継者問題で国が乱れた陳は隋に滅ぼされた。そして、 が中国統一を果たした。」

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◆説法品/無量義経

ここからは説法品/無量義経です。
この場面は、説法品/無量義経の後半部分を描いている。あらゆる現象の認識が人それぞれ違うのは、 持ってる欲望や、知識や、五感などが違う為に違いを生じる事。

その事より、仏はその人に合った教えを説く事や、また、仏が初めて説法した時から涅槃に至るまでが描かれている。

●翻 訳 2

しかし、仏と成って色・香・音などの認識されるあらゆるもの(一切諸)を観察し、 それら(存在要因)を他者へ正しく伝える事が不可能である事を悟った。 何故ならば、様々な生き物たちに備わっている六根の働きや、生ずる欲(性欲)が、すべて同じで無いからである。

この様に六根の働きや生ずる欲が違う為、色々な教えを説くのである。 また、少しずつ真実を悟らす智慧を使って様々な教えを説いて来たが、 四十余年の間、未だ真実を明らかにする事は無かった。

これ故、輪廻する者たち(衆生)は偏見を持って仏道を得たため、素早くこれ以上無い正しい悟りを 得る事が出来無く成った。

良識ある者よ(善男子)。
もし、法を譬えるならば、垢や汚れを洗い流す水である。その水が井戸の水であろうとも、池の水であろうとも、入江の水であろうとも、 大河の水であろうとも、渓谷の水であろうとも、水路の水であろうとも、海水であろうとも、

すべての水は、様々な垢や汚れを綺麗に洗い流すのである。この法の水も、この様に生き物たちの 様々な煩悩の垢を 洗い流す。

良識ある者よ(善男子)。
水の性質は一しか無いけれど、入江、大河、井戸、池、渓谷、水路、海など、それらは各々違うとして区別する。

この法の性質も、水と同様に煩悩(塵労)を差別せず洗い流すけれども、三法(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)や、 四果(須陀おん果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果)は、同一で無いとして二つの道に別れた。

良識ある者よ(善男子)。
水はどれも同じ様に汚れを洗い流すけれども、井戸は池と違う、池は入江や大河と違う、渓谷や水路は海と違うと言うのである。

そして、お釈迦様はコロコロ変わる世の秩序(法)に中で煩悩を断じて勇者と成って、様々な現実(法)を次の様に解き明かした。 それは、初め・中・後の説に分けた。それらは、どれも衆生(生き物)の煩悩を良く洗い流すものであった。

しかし、初め教えは中頃の教えと違い、中頃の教えは最後の教えと違うと、衆生は考えるのである。だが、初めの教えも、中頃の教えも、 最後の教えも、言っている事は同じであるのに、意味が異なると考えている。

良識ある者よ(善男子)。
我は菩提樹から立ち上がると、波羅奈国(ワーラーナシー) の鹿野園(サールナート)へ赴き、カウンデンニャ(阿若拘隣)を始めとした5人の修行仲間の為に、四諦 の法輪を次々と解き明かした。

その時、様々な現象(法)には初めから実体が無く、一瞬一瞬生滅を繰り返して僅かな時間でも休まず、 常に新しいものへと変化する事を示した。

そして、この初転法輪から最後の説法に至る途中の時期、至る所で様々な諸の比丘や菩薩たちの為に教えを演説し、 十二因縁六波羅蜜を解き明かした。

また、あらゆる存在は初めから実体が無い為(空寂)、常に新しいものへと変化して留まる事が無く、 僅かな時間で生滅を繰り返す事を説いた。

今、再び、この大乗仏教の無量義経の教義に於いて、あらゆる存在は初めから実体が無い為(空寂)、常に新しいものへと変化して留まる事が無く、 僅かな時間で生滅を繰り返す事を演説する。

良識ある者よ(善男子)。
この事より、初めの説法、中頃の説法も、今の説法も、一言一句間違いなく説くけれども、持ってる道理(義)が異なる為に差が生じる。

義が異なる事から、生き物(衆生)たちは自分勝手に、教えを解釈するのである。その事で、得られる真実(法)も、 悟りの境地(果)も、修行方法(道)も、すべて異なるのである。

良識ある者よ(善男子)。
最初、我は法を聞きたいと願う人(声聞)の為に、四諦の法を聞かせた。そのうち、 八億の神々が飛来し、法を聞いて菩提心(衆生救済)を現した。

中ごろ、色々な場所に赴き、自己救済の為だけに悟りを開こうとする修行者(辟支仏)の為に、奥深い十二因縁を 説いて見せた。更に、数えられない衆生に菩提心を起こさせ、我が信者(声聞)として出家させたりした。

そして、大乗十二部経、 摩訶般若(大般若経)、華厳海空(華厳経)を次から次に聞かして、菩薩が現在・過去・未来に繰り返し生まれ変わりながら、 長い修行をする事を演説した。

そして、百千の比丘(修行者)や万億の天上界に住む者、これらの者たちの中から数知れない者たちが、 小乗仏教の地位の須陀おん果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果などに成ったり、或いは 因縁の理法を観て独自で悟りを開く辟支仏に成る者まで居た。

良識ある者よ(善男子)。
この現実より、同じ様に真理(法)を説いたとしても、一人一人受け止め方が異なる事をすでに悟ったのである。

この事より、すべての生き物が(衆生) 自分勝手に法を解釈するのである。その為、求める法、求める果報、求める道もすべて異なるのである。

この為、良識ある者よ(善男子)。
我は独学で修行の道を探し出し、初めて悟りを開いた時から今日まで説法して来た。そして、大乗教の無量義経を演説するに当たり、 未だかつて、空、無常、無我を説かない事は無かった。

あるものを指して、これは真実、これは嘘、これは大、これは小と言えないのである。なぜなら、 ものには初めから同じ状態を維持する事が出来ないのである。しかし、今すぐに消える事も無い。 あらゆるものに実体が無いだけである。(無相)

生き物の身体や心は(法相法性)、どこからかやって来るものでも、どこかへ去り行くものでもないが、 生き物たちは、四相の生老病死を転々と歩まなければ成らない。

良識ある者よ(善男子)。
この理由より、多くの仏たちは余計な事を言わない。更に、巧みに一言を以って様々な民衆の声に答える。 また、一つの現象(身)を以って、ガンジス河の砂と同じ数だけ現象(法)がある事を示す。

また、それらの中に、数え切れないガンジス河の砂と同じ数だけの似た形がある事を示し、 また、それらの中に、数え切れないガンジス河の砂と同じ数だけの違う形がある事を、良く示した。

良識ある者よ(善男子)。
これが、奥深くて不思議な仏たちの境地であり、説一切有部や犢子部の教え(二乗)や、理法を知って満足している菩薩たちには 理解できないのである。唯一、仏だけが仏の事を理解し合える。

良識ある者よ(善男子)。
これ故、我は説くのである。大乗無量義経は言葉では言い表せないほど奥深く、これ以上の教えは無いのである。また、 ここに記してある事は真実で正しいものであり、尊んだとしても損することが無い。

現在・過去・未来の仏たちが生まれた所であり、共に大切に守るのであれば、数々の災難に遭うことも無く、 怪しい外道に近付き、その道に入る事が無い。 自分勝手な考え方(邪見)では、とても生老病死の苦を壊す事は出来ないのである。

もし、大乗教を求める菩薩が、素早く究極の悟り(菩提)を成就したいと望むならば、 この様にとても奥が深くて最高の教えである大乗仏教の無量義経を学んで修行するのである。」

仏が語り終わると、三千大千世界(この世)が感激して六種に震動すると、自然に空中から青蓮花、 赤蓮花、黄蓮花、白蓮花などの様々な花の雨や、天の香、衣服、首飾り、腕輪、宝石などの品々の雨が降り始めた。

それらは、しばらく上空を旋回してから舞い降り、お釈迦様・菩薩・声聞などの大衆に捧げられた。(供養) また、珍しい味の食べ物で満たられた食器が並べてある食卓、幢、旗、天蓋、素晴らしい楽器などが、あちらこちらに置いてあった。

そして、パレード(伎楽)が行われると、歌や音楽でもって仏を褒め称えた。また、東方にあるガンジス河の砂の数と、 同じ位の仏たちの世界をも六種に振動させて、再び雨を降らした。花・香り・衣服・腕輪・首飾り・宝石・様々な味の食べ物で 満たされた食器と食卓・旛・天蓋・楽器などの雨で有る。

更に、パレードを行って彼の地の仏や、菩薩や、声聞や、大勢の人々を賛美し、また更に、南・西・北・北西・南西・ 南東・北東・上下方向にも同じ様にしたのである。

そして、この大衆の中から、三万二千の菩薩摩訶薩が無量義経を昼夜に問わず修行し、 二万四千の菩薩摩訶薩は、思い付かないほど沢山の正しい礼儀(陀羅尼門)を身に付け、 すべての現在・過去・未来の仏たちに不退転の法を広めたのである。

そして、それら諸々の者の比丘(男の出家信者)、比丘尼(女の出家信者)、優婆塞(男の在家信者)、優婆夷(女の在家信者)、天、龍、夜叉(ヤシャ)、 乾闥婆(カンダツバ、阿修羅(アシュラ)、迦楼羅(カルラ)、緊那羅(ギンナラ)、まごらか

大転輪王、小転輪王、銀輪王、鉄輪王、などの様々な輪王、 国王、王子、大臣、国民、国士(国の為に身を捧げる男)、国女(国の為に身を捧げる女)、偉大な長者などが、 それらの親族の者たちと共に、如来がこの経を説き終わった時、更に仏に聞く

或いは、四諦の十六行相を修行するか(暖法)、様々な現象を見て因果を良く観る境地(頂法)か、 苦諦を観ずる境地(世間第一法)を 得るであろう。

或いは、預流果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、辟支仏果に成るか、すべてのものが不生不滅である事を認めて菩薩に成るであろう。

または、陀羅尼を一つ得、二つ得、三つ得、四、五、六、七、八、九、十の陀羅尼を得て、更に、 百千万億陀羅尼、または人が思いも付かないガンジス河の砂と同じくらいの無数の陀羅尼を得られるだろう。

そして、不退転の法輪を詳しく説明して、人の心を従順にさせ、多くの者たちに、この上ない正しい悟りを求める心を起こさせた。




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