十功徳品/無量義経
--------十 功 徳 品 偏-------





この章で終わりです。
これまで、私たちの様な女子大生に付き合って下さり、ありがとうございます。 私達が翻訳した教えを読んで下さった人に、観音菩薩の加護が有ります様に!

担当:人文2年 小野 雪


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

仙学研究舎

中国史

中国史地図





語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が 出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、 説明する。
( ゜д゜)ノ ョロ!!


・所以者何(ゆえはなにもの)
「どの様な理由で〜」と言う意味

・陀羅尼門(だらにもん)
「覚えるもの」と言う意味で、一切皆空を指す

・菩薩(ぼさつ)
菩提(ぼだい:知恵)+薩(サッタ:生き物)の造語。知恵を持つ者の意味

・驕慢(きょまん)
驕慢は驕+の事。驕とは、相手におごり高ぶる態度を取る事。 慢とは、相手を見ながら自慢する事。

・有漏(ゆうろ)
煩悩と愛欲(性欲)が漏れ込む状態。


---編 集 録---

今回は、早めにHPを早めにアップしょうとしたのですが、Window10の無料グレードアップの知らせたので、 そちらを先にやったら、パソコンがフリーズして、再インストールする事に成りました。

こんにちは、皆さん
お元気でしょうか?私達はこのそれなりに元気です。又吉さんの「火花」が芥川賞に輝いて、世間は騒いでいますね。 私達も、ご多分に漏れず、本屋に急いで買いに行きましたが、売り切れた後でした。

皆さんはどうでしたか?うまく、買えたでしょうか?、では、中国史をお楽しみくださいね。

雪;
「隋はすぐに滅んだのですか」
鈴音;
「589年、北周の静帝から禅譲受けた楊堅が、 後梁を滅ぼし、 突厥を二分すると、 中国全土を統一した。その後、隋王朝を開いて初代文帝に即き、 科挙制度を実施した。

598年、高句麗の嬰陽王が遼西を攻撃した為、 第一次高句麗遠征を行ったが、高句麗に敗退し、和平を結んだ。

600年、日本から遣隋使が派遣された。 隋が滅ぶ18年までに5回行われた。

604年、文帝は病死すると、次男が煬帝に即位する。 その後、廃太子の楊勇を殺害し、 更に弟の漢王楊諒に乱を起こさせて幽閉する。

こうして兄弟を処分すると、首都大興城・大運河・長城などの建設を手がけて民衆に過酷な労役を課した。 更に、611〜614年に渡って高句麗遠征を行った為、 楊玄感の反乱が勃発し、 それが国中に広がって行った。

615年、従属していた東突厥が隋の北方に侵入した為、煬帝が自ら軍を率いて制圧に当たるが失敗し、 援軍を募って突厥軍を撤退させた。

616年、東突厥が馬邑を奪うと、 唐公の李淵は馬邑太守の 王仁恭とともに突厥軍を攻撃して敗走させた。 更に、反乱軍がピーク状態に成り、李密王世充竇建徳・李淵らが独立した。

617年、李淵が太原で起兵し、長安を陥落させると、代王楊ユウ を擁立して隋の恭帝とした。一方、隋軍を率いて北方の鎮圧に乗り出した煬帝が鎮圧に失敗して、江都に引き籠もり、 酒と女に溺れる様に成った。

618年、宇文化及 ・智及兄弟が反旗を翻して煬帝と末子の楊杲を殺害し、秦王浩を擁立して長安に進軍し始めたが、 王世充・李淵・李密らの勢力に阻まれた。

煬帝が殺されて事で、李淵が恭帝から禅譲を受けて朝開いて初代皇帝と成ると、 洛陽では王世充が 越王楊トウを 皇帝に擁立して鄭国公に成り、河北では竇建徳 が夏王と成り、江陵では蕭銑が梁を築く、群雄割拠時代を迎える。

619年、王世充は宇文化及を倒した後、対立していた李 密元文都を倒し、 恭帝トウから禅譲受ると鄭朝を開いて、初代皇帝に成った。

一方、唐では劉武周が太原を占領すると、 夏県の呂崇茂が県令を殺して魏王を名乗った為、李淵が李世民に討伐を命じると、劉武周は唐軍に敗北して突厥に逃げ込むが 、突厥に殺される。

620年、李世民が中原に向かい進軍し、竇建徳と王世充が迎え撃った。しかし、竇建徳は虎牢関で敗れると、21年に 王世充は唐に降伏して平民に落とされた。

その後、長安で竇建徳が処刑されると、黒闥が 挙兵して唐の李神通らを撃破した。

22年、徐円朗らと結び、更に高開道や突厥と連合して、竇建徳の旧領をことごとく回復すると、黒闥は漢東王と名乗った。 3月、黒闥は唐の李世民軍とメイ水で戦い大敗して突厥に逃れた。

6月、黒闥は突厥とともに唐軍を攻め、河北を奪還したが、 唐の皇太子李建成軍に敗れて処刑された。

24年、突厥の頡利可汗と 梁帝師都が唐の北辺を脅かす様に成った為、 唐の李世民と戦い、28年には甥によって師都が暗殺され、唐に降伏した。

26年、玄武門の変が起こり、李世民は李建成と李元吉を成敗すると、李世民が禅譲を受けて唐の2代皇帝:太宗と成る。また、 李淵も太上皇と成って政治から離れ、35年に崩御した。

27年、太宗は即位直後に和議を結んでいた突厥の侵攻を受けるが、追いやった。その後、 賦役・刑罰の軽減、三省六部制の整備などを行って国力強化を図った。

29年、太宗は李勣・李靖らに命じて突厥討伐を実施し、30年には突厥の頡利可汗を捕虜にして唐の支配下に置いた。 また、日本なら第一次遣唐使が派遣された。

40年、西突厥の配下である 伊吾が唐に付いた為、高昌と西突厥が伊吾を攻撃しょうとした。その為、伊吾が高昌討伐を 唐に願い出て許され、高昌は唐の傘下に入ると、安西都護府を置かれてタリム盆地の支配を開始した。

45年、玄奘が インドより仏経典を持ち帰っており太宗は玄奘を支援して漢訳を行わせている。その後、玄奘は 後秦の時代に長安で仏教の根本論書を漢訳した鳩摩羅什 と並ぶ二大訳聖と成った。

49年、太宗は後継者問題を起こして、崩御する。」
次ページへ

◆十功徳品/無量義経

ここからは十功徳品/無量義経です。
この場面では無量義経によって得られる十功徳(善果をもたらす良い行い)が描かれている。 まず、初めに十悪を行って居る者に十善の心を起こさせる功徳が書いてある。

二番目の功徳は行った功徳がこの経の名前のように無限に広がって行く事が描かれている

●翻 訳 1

その時、
偉大な荘厳菩薩摩訶薩は仏に向かって明らかに述べた。

「世尊よ。世尊は我々に数々の教えの中で、非常に奥が深くて優れていて、これ以上の教えが無いほどの大乗の無量義経を説かれました。 その真実の奥深さは、今までの奥深さより、更に奥深いものであった。

なぜなら、この大衆の中には六道を輪廻する者達たちが数多く居たからである。その者たち言うのは、菩薩摩訶薩、 四衆・天人・龍神・鬼神・国王・大臣・国民などである。

更に、その者たちは、この奥深くて最高の教えの大乗の無量義経を聞いて、必ず、陀羅尼門(一切皆空)・ 三法(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)、 ・四果(預流果、一来果、不還果、阿羅漢果)・菩提心(真実を求める心)などを得るのである。

そして、次の様な事を必ず知るであろう。この経の文章と書かれている内容は正しくて嘘では無い事。 よって、これを大切にしたとしても損はしない事。

また、三世(現在・過去・未来)の仏たちから守られる事より、様々な魔物たちが群がる道に入る事が無い。 また、邪見によって、 生死のあらゆる苦を壊す事は出来ないのである。

何故なら、一度聞いただけで、あらゆるものの存在意義(法)が分かるからである。 もし、衆生がこの経を聞いて、この教えを信じたならば、大きな利益を得られるだろう。

何故なら、この者が修行したならば、確実に最高の悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を素早く得られるからだ。 逆に、その衆生がこの経を聞かなかったとしたら、この者は大きな利益を失う事を必ず知るのであろう。

それは、数える事も、想像する事も出来ないほどの永い時間が過ぎても、最後まで最高の悟り (阿耨多羅三藐三菩提)を得る事が出来ない事である。何故なら、悟りへと向かう大通りを知らず、 険しい小道を歩むた為、多くの障害に出会うからでる。

世尊よ。この経典はとても不思議なものである。唯一、我らが世尊に願う事は、様々な衆生を哀れんで、衆生に楽を与える為(慈)に、 とても奥深くて不思議なこの経を様々な所で演説して下さい。

世尊よ。
この経典は、どの様な理由で現れるのか(従何所来)、俗世間から離れてどこへ向かうのか(去何所至)、 留まるとしたら、それはどんな所か(住何所住)?

つまり、功徳を沢山行なう事で、人々を素早く最高の悟り(阿耨多羅三貎三菩提)へと導く不思議な力が備わるのか?」

その時、世尊は大荘厳菩薩摩訶薩に告げた。
「素晴らしい、素晴らしい、良識ある者よ。その通り、その通りだ。汝が言う通り。」

良識ある者(善男子)よ。我が説くこの経は非常に奥が深いのだ。奥が深いからと言って嘘では無いのだ。 何故ならば、衆生に素早く最高の悟り(無上菩提)を成就させた為、一度聞いただけで、すべての法を覚えられる(能持)為、

様々な種類の衆生に大きな利益をもたらす為、 ブッタが直に説いた偉大な道を行く事で災難に合う事が無い為、 これらの理由からである。

良識ある者よ。(善男子)
汝が、この経はどこから来るのか?。また、離れたとしたら、次はどこに行くのか?。また、留まるとしたら 、どの様な所に留まるのか?と問うならば、良く道理を聞くのである。

良識ある者よ。(善男子)
この経典は別世界にいる仏たちの中からやって来るのである。つまり、仏の所を離れて悟りを求める心を起こした衆生、すべての所に至る。 そして、様々な菩薩行を修行する者に留まる。

良識ある者よ。(善男子)
この経典は、この様に来たり、去ったり、住み着いたりするのである。その為、その経典は数知れない功徳や、 不思議の力が備わっていて、衆生を素早くこれ以上無い悟りに導くのである。

良識ある者よ。
汝はこの経を再び聞きたいと思うか?この経には不思議な力が備わる十の功徳が示されている。」

大荘厳菩薩は述べた。
「叶うことなら、聞きたいと思います。」

仏は言った。
「良識ある者よ。 この経典の第一義は、単に厳しい修行する者(菩薩)の中で、未だに衆生救済や様々な知恵を学ばない者に、 真実を求める心(菩提心)を起こさせる。

情け容赦が無い者(無慈仁)には、他人を思いやる心(慈心)を、 沢山の生き物を殺す残忍な者(殺戮)には、相手の痛みが分かる心(大悲)を起こさせ、

嫉妬して人を恨む者には、いつでも喜べる心を起さしめ、5欲に 執着する者(愛著)には、それによって得られる快楽を捨てる心を起こさせ、愚かで欲深い(慳貪)者には、人に物を分け与える 布施の心を起こさせ、

自分にうぬぼれて相手を見下し、勝手な振る舞いばかりする者(驕慢)には、謙虚で秩序を守る心(持戒)を起こさせ、 自分に反する者を怒り、動揺する者(瞋恚)には、侮辱や苦しみに耐え忍ぶ、不動な心を(忍辱)を起さしめ、

すぐに飽きて怠ける者(懈怠)には、何かに努力する心(精進)を起こさせ、様々な事に気が取られる者には、 一つ事に精神を集中させる心(禅定)を起させ、道理に暗い者(愚痴)には、真実を見抜く心(智慧)を起こさせ、

未だに六波羅蜜を行わない者には、六波羅蜜を行う心を起こさせ、 十悪の罪を犯す者には、十善の心を起こさせ、 自分の意見を押し付けて楽する者(有為)には、道理に従う心(無為心)に成る様に仕向ける、

臆病者(退心)には、どんな事からでも逃げ出さ無い心(不退)を身に付けさせ、様々な快楽の誘惑を受けて煩悩を生じる者 (有漏)には、その快楽から離れる心(無漏)を起こさせ、 沢山の煩悩を持った者には、それを消そうとする心を起こさせる。

良識ある者よ。
この教えをこの様に名付けた(是名是経)。功徳の一番目の不思議と、

良識ある者よ。
二番目に、この教えの不思議な功徳の力とは、もし、自己の在り方を求める人(衆生)が居て、この者が一度の説法(一転)、 或るは、一つの讃美歌(一偈)・一句を聞いたならば、百千億の存在意義に精通する事が出来るであろう。

そして、思いも付かない永い時間、この者が自分の授かった教えを他人に聞かせても、話が尽きる事が無いのである。 なぜなら、物が存在する意義(法義)は数えられないほど有るからだ。

良識ある者よ。
この教え(法)を、草花の種で例えるならば、一つ種から百千万の草花が生え、また、 それら一つ一つの草花から百千万の種が出来る。この様に繰り返して、どこまでも続いて行くのである。

この経典も、それと同じである。一つの教え(法)から、百千もの善行 (義)が生まれ、また、その善行一つ一つの中から 千万と言う数の善果が生まれる。この様に広がって行き、数える事も、考える事も出来ないほどの善行が生まれる。 この事より、この経を無量義(無限に広がる正しい教え)と名づけた。

良識ある者よ。
この教えをこの様に名付けた(是名是経)。功徳の二番目の不思議と、




前項へ次項へ