徳行品/無量義経
--------徳 行 品 偏-------





私達の様な悩みの多い女の子でも
この経を読むことで本当の幸せを見つける事が出来ます。その為に、 私達は自分たちなりに無量義経を訳して掲載する事にしました。 これを読んで皆さんの幸せづくりのお手伝いが出来れば、幸いです。 皆さん、是非読んで見て下さい。

担当:商学部3年 中 綾乃


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

仙学研究舎

中国史

中国史地図





語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が 出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、 説明する。
( ゜д゜)ノ ョロ!!


・智(ちえ)
物を区別する知識の事

・陰界入(いんかいにゅう)
五陰・十八界・十二入の事

・有(う)⇔無(む)
輪廻する者がある状態で存在してる事。六道のどれか

・解行(げぎょう)
仏教の教理の理解と実践的な修行

・知見(ちけん)
修行して得られた認識

・慧解(えげ)
真理によって物事を理解すること

・六波羅蜜(ろくはらみつ)
大乗仏教の思想→布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧

四向四果(しこうよんか)
部派仏教や上座部仏教における修行の階位→須陀オン・斯陀含・阿那含・阿羅漢など指す


---編 集 録---

最近は世間では、人手不足でファミレスや牛丼屋が閉店しています。22年振りの売り手市場に、成って来ました。 しかし、バイトに関しては、まだブラックバイトが存在しています。

こんにちは、皆さん
元気でしょうか?私たちは元気です!大学も夏休見で、みんなバイトに励んでいます。私は、31でアイスを売っているます。 良かったら、みなさんも来て下さいね。!

綾乃;
「漢族の奴隷で有った羯族出身の石勒が建国した後趙 は、なぜ滅んだのですか?」
鈴音;
「この頃、中国は西普→前趙→後趙・前涼成漢東普 などが台頭する五胡十六国時代を迎える中、石虎が都城建設と後宮の拡張をして経済を疲弊させた上に、相続争いが起きたからです。 また、仏教が盛んに成るのも、この頃です。

333年、後趙の石勒が死去すると、翌年には石虎が即位した石弘 を排除して皇帝に成った。38年、石虎は鮮卑段部を滅ぼすと、続いて慕容コウの前燕 を攻撃するが、敗北してしまう。

翌年の40年、前燕に侵攻されて中原の一部の領土を失う。その後、前涼や東晋と戦うが、成果を挙げられず国力を消耗させて行った。 47年2月、荊州の少数民族の反乱により衰退した成漢を、東晋の桓温軍が襲って滅ぼした。

48年、太子の石宣が弟を殺すと処刑され、代わりに石世を太子にした。 翌年、石虎が死去して石世が皇位に就くと、兄の石遵が冉閔に命じて石世を 殺害させて皇位に就くと、冉閔と対立して石遵も殺害されると、 6代皇帝の座に石鑑が就いた。

50年、石鑑は横暴な冉閔の暗殺を図ったが、逆に殺されて冉閔が漢民族でけの国、 冉魏を建国した。その為、石祗が襄国で後趙の最後の皇帝に即位して 冉魏を攻めたが、翌年に敗北して石祗が殺され、後趙は消滅した。

51年12月、東晋の北伐が始まり、エン州・徐州・豫州・荊州が東晋に下った。52年には、皇帝を名乗った劉顕を殺害すると、 3月に羌族の姚襄に敗北し、4月に南下した前燕に冉閔が討たれて冉魏は消滅した。

また、テイ族の苻 健が東晋が独立して前秦を建国すると、 54年に、東晋の桓温の北伐を受けるが、それを跳ね除けて陝西一帯を支配する。そして、華北を前燕と前秦で二分した。 55年に、苻生が二代目の前秦帝に成ると、前涼・羌族を服属した。

57年、前燕がギョウに遷都すると、前秦・東普を討伐し始める。63年、高車が鮮卑拓跋部の代国に侵入して敗走し、 65年、鉄弗部の劉衛辰が謀反を起し、代国に討伐される。 70年、代国が高車を制圧し、前秦も慕容評の前燕を滅ぼした。

71年、前秦が前仇池を滅ぼして遼東・中原を獲得した。76年、前秦は前涼を滅ぼして涼州を平定し、12月には 劉衛辰の要請をより、代国を倒して東西に分割すると、 東を劉庫仁が、西を劉衛辰が統治した。

378年、華北統一を成した前秦の苻堅は天下統一を図り、東晋領の襄陽を攻撃して勝利した。83年、前秦は東晋討伐を決行するが、 ヒ水の戦いで前秦は大敗した。 その時、弟の苻 融が戦死、皇帝苻堅は長安に敗走した。

その結果、前秦に服従していた有力者が謀反して独立する。西燕を 建国した慕容泓・慕容沖らに苻堅が攻められ五將山に逃げると、後秦を 建国した姚萇に捕われ、85年に殺された。

その後、後燕を建国した 慕容垂が、前秦皇帝に成った苻丕を晋陽に追いやり、 更に、平陽に居た苻丕は、西燕に攻撃されて東垣へ逃げる。 86年、東晋の追撃を受けて苻丕が戦死すると、苻登が第5代前秦皇帝に即位した。

同年1月、翼ケン の孫の拓跋珪が、劉庫仁の力を借りて代国を復興させ、名を 北魏と改め、後燕と同盟を結んだ。

87年、苻登は前秦の本拠を胡空堡に置いて後秦に復讐するが、 89年の大界の戦いで大敗すると、離反者が相次で戦力が、 衰退して行が、94年に姚萇が死ぬと、苻登は全軍を率いて攻撃したが、 廃橋の戦いに敗れ、姚興に殺された。

87年、北魏は匈奴独孤部大人と成った劉庫仁の子の劉顕を討伐し、91年には匈奴鉄弗部大人の劉衛辰や、 柔然や、高車などを破って広大な領地を得ると、 後燕と対立した為、西燕と同盟を結んだが、94年に西燕が滅ぼされた。

94年10月、西秦乞伏乾帰が前秦皇帝に即位した 苻崇と、 仇池王の楊定を討伐した為、前秦が滅んだ。 95年、西秦が呂光の後涼に支配された。また、釈道安の命により 亀慈国を制圧して鳩摩羅什を庇護した。

また、参合陂の戦いで、 後燕が北魏に大敗した。96年、慕容垂が死去し、慕容宝 が即位すると内乱が相次いだ。98年、慕容徳が南燕を建国すると、 慕容宝が暗殺され、後燕は滅んだ。

その後、父を殺した蘭汗を討って、慕容盛が後燕を再建する。 401年の禁軍の反乱で慕容盛が戦死した為に叔父の慕容熙が即位した。 しかし、07年に横暴を極めた熙が馮跋よって殺され、後燕は消滅した。 その後、馮跋が慕容雲を建て 北燕を建国する。

一方、後秦の姚興は北魏が手薄な隙にオルドスを占領し、99年の 孫恩の乱で混迷する東晋から洛陽を奪った。 更に、401年には西秦を、03年には後涼を支配したが、02年の 柴壁の戦いで北魏に大敗すると、 河北進出を中止した。

03年、東晋が桓玄に乗っ取られて桓楚が建国すると、 後秦は淮河以北に進出した。05年には乞伏乾帰軍と共に楊 盛の後仇池を討った。 12月、東晋を復興させた劉裕に漢中を奪われ、 06年には南涼に涼州を渡した。

07年、後秦から勃勃が独立し、 09年、乞伏乾帰も後秦から独立して西秦を復興した為、後秦は急激に衰退した。その結果、413年までに従属国の南燕や後蜀を 東晋に滅ぼされる。414年、後秦の姚興が病気で倒れると、姚弼の乱が勃発して国内は混乱した。

同年、西秦の熾磐が南涼を滅ぼし、 北涼と対立した。16年、姚興が病死し、姚泓が即位すると、 再び兄弟間の争いが起きて国が混乱すると、東晋に攻撃され、17年に後秦は滅亡した。

418年、劉裕が安帝を殺害し、弟の司馬徳文を擁立して恭帝にさせた。同年、夏は南下して東晋を破って関中を占領した。19年には、夏は 吐谷渾北涼を服属させ、華北西部に勢力を築いた。

20年、劉裕が禅譲を受けると、が建国して恭帝を 零陵王に封じて東晋を消滅させた。21年、北涼は西涼を滅ぼして河西全土を支配する強国と成り、大規模な西秦攻撃を実施すると、 逆に西秦の攻撃を受け、夏に服属した。

25年、夏の勃勃が死去し、子の昌が皇位に就くと、北魏・西秦討伐を行う。28年、北魏に敗北して昌が捕まれると、 弟の赫連定を即位させた夏は431年に西秦を滅ぼし、 北涼に向かう途中で吐谷渾に襲われ、夏は全滅した。

その後、宋と連帯していた小国の後仇池・北燕・北涼は北魏に滅ぼされて行った。36年には北燕が、39年には北涼が、 43年には後仇池が滅んで、北魏が150年振りに華北統一を果たした。これで五胡十六国時代は終わった。」

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◆徳行品/無量義経

ここからは徳行品/無量義経です。
ここから後編部分に入ります。この後編部分では、偈も以って、お釈迦様がこれまで歩いて来た道や、仏の姿、 仏の能力、悟りへの道などが書かれている。

●翻 訳 2

「この素晴らしい悟りを得た大聖者は偉大である。迷う事無く、情に染まる事無く、欲に執着する事が無い。 神々から象馬まで自在に扱える調教師よ。道理の風を吹かせ、あらゆる功徳の香を焚いて嗅がせる。

差別する知恵(智)を鈍くし、激しく動く感情を休めせ、思い悩む事を止める。主観(意)を捨て、 様々な印象や固定概念()を無くし、煩悩のない静かな心と成る。

永い間、根拠の無い夢の様な思いや考えを断じ、再び、縁によって影響される 陰界入(凡夫)に戻る事は無い。 この身は、実体が存在する(有)とも、しないと言えない。

また、因(過去世)に依るものでも、縁(境遇)に依るものでも無ければ、自力でも、他力でも無い。

また、正方形でも、円形でも無ければ、大小も無い。

また、突然現れる事も、急に隠れる事も無ければ、生死も無い。

また、モノを造るでも、奇跡を起こすでも、人に成果を求める事(為作)も無い。

また、座る事も、寝る事も、苦行する事も、ある地位に留まる事も無い。

また、何を動かす事も、転がす事も、静かにする事も無い。

また、安全だから進む事も、危険だから退避する事も無い。

また、損得を問うて、これは良い、あれは悪いと考え無い。

また、ここに来る事も、彼の地に去る事も無い。

また、肌の色は青くも、黄色くも、ピンクでも無い。

また、紅でも、紫やその他の色でも無い。

そして、三昧・六通道品を修行して、 戒律・禅定・智慧・解行・知見を身に付けた。

また、慈悲・十力無畏を持って、衆生に善業の因縁を説いた。

そして、姿を表しては1.8mの身の丈から紫金色の光を放す。その存在はあらゆる方角を分からせる星々の様に、明らかである。

眉間には細長い毛が巻いて小さな月の様に成っている。更に、うなじの辺りから光を放っている。 紺青色の髪は渦巻き、頭頂部は高く盛り上がってる(肉髻)。

清らかな目は鏡のように輝き、まぶたを上下に瞬たかせていた。紺色の眉は口・頬の方に向かって伸びている。 唇や舌は赤くて色鮮やかな赤い実のようであった。また、四十本の歯は雪の様に白い。

額が広く、口を開けて鼻の頭を舐める事が出来き、ライオンが恐れる卍字を胸から放っていた。 手足の関節は柔らかく、足の裏に車輪のマークが有り、また手を肩の後ろで組むことが出来る。

腕を伸ばすと肘から先が長く指は細くて長く、皮膚に有るうぶ毛は柔らかで右に渦を巻いている。 くるぶしと膝は潤いが有って馬の玉袋の様に黒ずんで無い、筋肉や鎖骨は細く鹿の身体のようだ。

肌は裏表が透き通るほど清らかで垢が無く、汚れた水に浸かっても染らず、塵が付く事が無い。 この様な三十二相と、八十種の好ましい形が現れる。

そして、真実とは目に見える景色と違って、定まった姿は無い。目に見えるあらゆるものが絶対で無い。 見た目と異なる本質を持ってその姿を現す、また、生き物(衆生)の見た目の姿もそうである。

また、生き物たち(衆生)に礼儀を丁寧に教えて喜ばせれば、 人を尊ぶ謙虚な心をもって、人を大切に扱うであろう。(誠慇懃)

なぜなら、自分を高く見て人をけなす素の我慢 を除くからである。そして、この様な不思議な姿の身体を得られる事が出来るであろう。

我ら八万の大衆は、今、皆で一斉に頭を下げて帰依する。正しく物事を認識させ、心の思いや悩み(思想)を消させる 象や馬の調教する様に心を制御させ、欲に執着する事を止めさす聖者に、

この法を説く為に現れた者に頭を下げて帰依する。その法は戒・ ・慧解・知見から成り立っていた。また、袈裟をまとった不思議な者に頭を下げて帰依する。また、凡夫では理解できない如来に 頭を下げて帰依する。

読経の声(梵音)は八つに枝分かれした稲妻を走らせる雷雲の様に轟き、不思議なほど心が澄む、奥深い教えである。 四諦・六度(六波羅蜜)・ 十二因縁・ 迷い悩んでいる者たちの境地と、積み重ねて来た悪業などを順序良く説明した。

もし、その説法を聞いたならば、疑いを持って聞いてはいけない。何故なら、輪廻する生死の苦から開放されるからである。

或いは、聞く事により、須陀オン・斯陀含・阿那含・阿羅漢など、いずれかの聖人に成り、人里から離れ(無漏)、 あるがままに生き(無為)、様々な縁に触れて悟りを開く者(縁覚)や、 ものに実態がない事を悟った菩薩に成れるだろう。

或いは、数えられない数の重要な教え(陀羅尼)や、自在にたとえ話を用いて法を説く能力(無礙楽説大弁才)を 身に付け、不思議なほど奥深い偈(四句)を大勢の前で解き明かし、いつでも気楽に澄んだ法の池で沐浴出来る。

或いは、神足を現して高い所まで跳ね上がったり、 水や火の中でも自由に身を置く事が出来る。また、十如是 の法輪には、この様な特性が備わっている。それは不思議なほど、限り無い数の罪悪を消すことが出来る。

そして、この法輪が説かれた時、我ら、あらゆる者が、再び頭を下げて仏に感謝し、煩悩を払い除ける声明に感謝し 縁起・四諦・六度(波羅蜜)の教えにも感謝する。

世尊は思い付かない遠い昔、様々な苦行難行に励みながら、様々な優れた能力と、その方法を学んで身に付けた。 そして、我ら(阿難)や、人々や、龍神や、王などの輪廻転生する者たちの為に、広めたのである。

また、世尊は財宝・妻子・国・城を捨てる事で、あらゆる災難を捨てる事が出来た。 更に、法に従って体の内にも外にも惜しむ所が無く、頭・目・髄・脳など、全身全霊を使って人に施しをする。

様々な仏たちの傍近くに仕え、戒めを以って身を清め、その事で命を失ったとしても、罵ったり、戒を破ったりしない。 もし、刀や杖を持ってる人が来て、害を与える。悪口や罵りを受けても、最後まで怒ることは無かった。

永い年月、座禅の修行しても飽きる事は無かった。常に静か所に身を置き(禅定)、夜昼関係なく精神統一をしながら、 あらゆる人々の道理・習慣(法)を偏り無く学び、 智慧を以って衆生の意識(根)の奥底まで入る。

この事より、今、自由な力を得て、教えを自由自在に解ける法王(仏)と成ったのである。 再び、我ら、皆で一緒に頭を深く下げ、やらなければならない様々な苦行を成し遂げた事に感謝(帰依)する。




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