南無妙法蓮華経
-----見 寶 塔 品 偏-----

 

  私の様な女の子たち、皆がお経は葬儀の時に
  死者の冥福の為に読むものと思い込んでいました。しかし、それが間違えである事に気付いたのです。
  本来は、これから生きて行かねば成らない人の為のものです。だから、このhpも、また同じなのです。
 
  

   担当:社会心理学科2年 松本 実花


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト







語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・侍者(じしゃ)
貴人のそば近くにいて、雑用をする人

・分身(ぶんしん)
仏や菩薩が衆生(しゆじよう)を教化するために慈悲によって種々の姿をとって出現すること。化身

・交露(きょうろ)
物と物を合わせて、一つの物に表す事

・校飾(こうじき)
飾り直す

・一仏国土(いちぶっこくど)
仏がいる国の事で、娑婆世界はお釈迦様が救う一仏国土である。 バラモン教の神々の化身である三千世界とは違う。

・所分の身
同じ思いを分けた者、仲間

・耆闍崛山(ぎじゃくっせん)
ハゲタカの山と言う意味で、霊鷲山とも言う

・關鑰(けんやく)
かんぬき

 


---編 集 録---

”五月雨の雲を眺めて詠む歌の侘しき心誰ぞ知らせん”
梅雨の時期、何もする事が無いので短歌でも、考えてみるかなと思い、指を折々 語句を数えながら作ったのは良いが、誰がこの句を見るのかなと思い詠んだ歌。

今日は、皆さん
どうお過ごしでしょうか?。最近は書く話題も尽きて、何を書いて良いのか分かりません。 最近変わった事と言うとwoopieと言うメディアサーバーをインスト−ルしたくらいです。

ただ、気を付けないと情報が漏れ安いと言う欠点もある。このサーバーが有名なのは 猫鍋からだそうです。? では、前回の話の続きをどうぞ

松本実花;
「お釈迦様は突然、仏教を悟ったのですか?」
鈴音;
「それは違います。いくらお釈迦様が賢くとも、いきなり因果の法則を悟る事は不可能です。 お釈迦様も、出家した最初はインドの体系的な伝統医学アーユルヴェーダやバラモン教の哲学書「ウパニシャッド」や 自己と大いなる存在との合一させる修行法のヨーガ(瞑想による抑制法)を学んだのです。

ヨーガとは紀元前2500年ごろのインダス文明が起源とされている。その根拠となったのは モヘンジョ・ダロからは、坐法を組み瞑想する神像や様々なポーズをとる陶器製の小さな像が発見されたからである。

中国では春秋戦国時代、ペルシャ帝国時代に古ウパニシャッド初期に 成立したタイッティリーヤ・ウパニシャッドにヨーガ(抑制法)の事が書かれている。

また、インドのウパニシャッド哲学も、独自の哲学では無く、善悪二元論のゾロアスタ−教や 善・悪・密教の三元論のミトラ教や 善悪関係なく救われる教えのタントラ教(密教) を取り込みながら発展していったのです。

古代インドでは死者の国の神ヤマの世界に行って幸せに暮らすものだと考えられていたのだが、アーリア人が持ち込んだ バラモン教により、輪廻思想が登場し、 その原因として、業(ごう)と言うものが、 考え出されたのである。

それが発展して行き因果論決定論宿命論と言う様なものが出てきた。 そして、アーリア人のバラモン階級だけが最高神ブラマーと一体化し、輪廻から解脱 する天道を歩めるが、

凡夫はその魂が月へと昇り、雨となって降り、植物に吸収され、その植物を食べた男性の精子となり、 女性の卵子と結合して再生して生まれ、苦を味わう祖道を歩む者と考えられていた。

だが、バラモン教では祭礼や儀式のみが複雑化して行くだけで、悟りが得られなかった。 そこで、仏教やマニ教 などの新興宗教が誕生したのです。」

----続く。

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◆見 寶 塔 品(けんほうとうひん)

ここからは見寶塔品(けんほうとうひん)です。
多宝塔は現実世界の格差を象徴したものです。それが生じる理由はお釈迦が説いた因果の法(法華経)であり、 つまり、貧欲の世界に住んでいるお陰で、貧欲を知り、貧欲を愛し求めて苦しみ、また他の者に貧欲を教える。

その法の成り立ったのはこの世に生命が誕生したときから始まっている事を述べたものです。 これを簡単に言うと”カエルの子はカエル”と言う事です。

------続く

●翻 訳 二

その時に、
十方に居る、それぞれの仏たちは、それぞれの集団の菩薩たちに伝える様に言ったのである。

”仏を信じる善男子よ、 我は今、娑婆(しゃば)世界の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の所に行き、多宝如来の宝塔を供養しょうと思う。 なぜなら、娑婆世界が清浄な世界へと変わりつつあるからだ。

無垢の心である瑠璃(るり)の地を徳と言う名の宝樹で美しく飾り立てられていて、 黄金を編んで作られた縄(戒律)をもって、 八道(八正道)の境いとしていた。

多くの集落・村が営む宿・城塞都市・大海・江河・山川・藪の林などは無く、 大変、貴重な香りを焼き、曼陀羅華(まんだらげ)を偏る事無く、その地に敷きながら、

絹などの貴重な布を網状にして、その上を覆う様に掛け、 更に、沢山の珍しい音色を鳴らす鈴なども、掛けられていたのである。

ただし、この会に集まった者たちを残し、そして、それぞれの天人を移動させて他土(此土に対するもの、浄土)に置いた。 その時、それぞれの仏は各々、一人の大菩薩を侍者として引き連れて来て、 各々が娑婆世界の宝樹(菩提樹)の下に辿り着いた。

すべての宝樹は、樹の高さが五百由旬(五千キロ;約月までの距離)あって、次第に枝や葉や華や果など 飾れたのである。

宝樹の下の様々な所には勝利者しか座る事の出来ない師子の座があり、その高さは五由旬であった。また、 師子の座は大宝(仏の教え)をもって、美しく飾られていた。

その時に、それぞれの仏は各々がこの座に足を組んで座ったのである。この様に次から次に展転して 三千大千世界(浄土)を満たしたのである。

しかし、一方の娑婆(しゃば、耐え忍ぶ)世界では釈迦牟尼仏のひとり身だけであった為、 未だに世を満たす事が出来ずにいたのです。

時に、釈迦牟尼仏は、かつて共に修行した仲間の諸仏を受け入れようとして、 八方に広がる国を更に、それぞれ二百万億兆の国を変えて、皆、清浄させたのである。

すなわち、地獄・餓鬼・畜生及び阿修羅などは無くなり、また、諸の天・人を移して、 他土に置いた。

釈迦牟尼仏が変えた国も、また瑠璃(るり)を地(無垢の心)とし宝樹(徳)もって、その地を美しく飾り立てたのです。 樹の高さは五百由旬あって、次第に枝や葉や華や果を付けて、美しく飾り立てた(礼儀、知識、技能などを身に付ける事)。

そうした樹の下には、皆、貴重で、勝利者だけが座れる師子座があって、その高さは五由旬である。 色々な種類の数多くの宝をもって、規則正しく飾られていた。

また、大海・江河及び 目真隣陀(ムチリンダ)が住む山・勝れる目真隣陀が住む山・ヤミが住む 鉄圍山(てっちせん)・ヤマが住む大きな鉄圍山・ 須弥山(しゅみせん)などの様に数々の山に住む王は居なかったのである。

そして、すべてが一仏国土(仏だけが住んでる国)となり、その宝地は 規律正しく、誰にでも平等であった。

また、宝を縫い込んだ幕をもって、その地上を隙間無く覆い、諸の幡蓋(ばんがい)を掛け、大宝の香を焼き、 諸天の宝華を隙間無く、その地に敷き詰めた。

釈迦牟尼仏は諸仏が来て、ここに座るであろう事を確信して、また更に八方世界の各々、二百万億兆の国を変えさせて、 皆、清浄させた。地獄・餓鬼・畜生及び阿修羅は無くなり、また諸の天人を移して他土に置いたのである。

仏の教えによって変えられた国も、瑠璃を地として(無垢な心になり)宝樹()により、 綺麗に飾られた。樹の高さは五百由旬で、枝や葉や華や果などで、次第に飾られて行った。

そうした樹の下には、皆、貴重な勝利者しか座る事の出来ない師子座があって、その高さは五由旬である。 また大宝(仏の教え)をもって、これを清く飾っていた。

また、大海・江河及び目真隣陀山(もくしりんだせん)・摩訶目真隣陀山(まかもくりんださん) ・鉄圍山(てっちせん)・大鉄圍山・須弥山とうの諸の山の王は無く、すべては一仏国土 となり、その宝地は規律正しく、誰にでも平等であった。

宝を結びつけた幕で隙間無く、その上を覆い、諸の幡蓋(ばんがい)を掛け、大宝の香を焼き、 諸天の宝を遍くその地に敷詰めた。

同じ様な文書が、三箇所も書かれている部分は仏教にとって重要な箇所です。
お釈迦様は災いなどの厄は悪霊や悪魔の仕業でなく人の欲によるものである事、 欲に執着するメカニズム、つまり因果の法を悟った。

しかし、当時のインドの人には理解する事は出来なかった為、古代インドの神々を利用して 仏教神話を創り、人々に布教して、因果の法を悟らした事を述べた部分である。

その時に、
東方にあって、釈迦牟尼仏と共に修行した仲間である百千万億兆と言うガンジス河の砂と等しい数の国土(色々な種)の 中の仏たち(物の譬)、それぞれは法を説く為に、この場に集まり来たのである。

そして、この様にして、次第に十方から多くの仏たち、皆が集まり来て、八方に座ったのである。

その時に
四百万億兆と言う国土をすべて、沢山の仏である如来(果報)がその中を満たしたのである。

その時に
諸仏は各々が宝樹(徳の譬)の下に居て、師子座(勝利者の座)に座り、侍者を遣わして 釈迦牟尼仏を問い質したのです。

それぞれが持って来った宝華の匂いを嗅ぎ終わると、侍者の大菩薩に告げたのである。
”善男子よ、汝は耆闍崛山(ぎじゃくっせん) の釈迦牟尼仏の所におもむき、我が述べた言葉を伝えよ。”

”なぜ、病気にかかる事が少なければ、悩む事も少なくして、強い精神力が持てるのか。 また、菩薩や声聞衆が一人残らず安穏でいられるのか。?”

”この宝華を仏に散じながら、仏を供養して、この言葉を伝えよ。 彼のなにがしかの仏がこの宝塔を開ける事を我も、望んでいると。” 諸仏が使いを遣わされた事は重ねて、この様な訳からであった。

その時に、釈迦牟尼仏は、共に修行した仲間の諸仏が、すでに一人残らず集まり来て、各々の師子の座に 座っている姿を見わたし、また、諸仏の皆が同じ様に宝塔が開けられる事を願っている事を聞いたのである。

そして、座より立って虚空(何も無い空間;あの世)の中に住まわれたのである。 すべての四衆は起立して、合掌しながら一心に仏を見ておりました。

ここでもって、釈迦牟尼仏は右の指で七宝塔の戸を開けたのです。その時、戸はかんぬきを抜いて、大きな城の門を開けた 時の様に、大音声を出して開いたのです。

開いたと同時に、集会に集まった者、すべてが宝塔の中にいる多宝如来が師子座に座り、 禅定に入っている様に精神統一している様子を見、

また”素晴らしい、素晴らしい釈迦牟尼仏よ。快く、この法華経を説きなされた。 我はこの経を聞く為に、ここに来たのだ”と言うを聞いたのです。

その時に
四衆らは、すでに遠い過去、百千万億劫に滅度(逝った)された仏のこの様な言葉を述べられた様子を見て、 ”未曾有なり”と感心しながら、沢山の天の宝華を多宝仏及び釈迦牟尼仏の上から散らした。

その時に
多宝仏は宝塔に中にいて、師子座の半分を譲り、釈迦牟尼仏に与えて、この様に言葉を掛けたのです。

”釈迦牟尼仏よ。この座に就きなされ。”
すると、釈迦牟尼仏はこの塔の中に入り、その半座に腰を下ろして足を組で座禅をしたのです。

その時に
大衆は二人の如来が七宝塔の中の師子座の上に留まって 結跏趺坐した姿を見掛けると、 各々がこの様に思ったのである。

”仏は、なぜ、あの様な遥かに高い所に座られたのか?。ただ、願わくは如来が神通力をもって、 我らが仲間たちも、一緒に虚空の所に連れて行って下さい。”

すると、即座に釈迦牟尼仏は神通力をもって、諸の大衆に接して、皆を虚空(無限の智慧)に置き、 そして、大音声をもって、普く、四衆に告げられたのである。

”誰が、良く、この娑婆国土でこの妙法華経を多くの者に説くのだ。今、確実にその時である。 如来はそう遠くない時に涅槃に入るであろう。”

”仏はこの妙法華経を弟子に伝えて、その布教を弟子に託する事で、 仏が居た事を明らかに示す事を望んでいるのだ。”

ここでは、お釈迦様が悟った智慧を布教する事が何より、大事な事であり、因果の法の証明にも成る事である。 そうする事で、お釈迦様が本当の仏に成る事を意味している。

当時のインドでは、自分が悟った事は他人に明かさない事が常識であった。しかし、お釈迦様はこれに反して 積極的に、自分の考えを明かしたのである。当時の人にとっては犬が話す位、驚いた。



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