私の様な女の子たち、皆がお経は葬儀の時に
死者の冥福の為に読むものと思い込んでいました。しかし、それが間違えである事に気付いたのです。
本来は、これから生きて行かねば成らない人の為のものです。だから、このhpも、また同じなのです。
担当:社会心理学科2年 松本 実花
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゜д゜)ノ ョロ!!
・由旬(ゆじゅん)
軍隊が一日で進む距離(約11キロ)
・多摩羅跋栴檀(たまらばせんだん)
多摩羅跋とはタマーラ樹の葉。 栴檀. は香木の名前
・四天(してん)
須弥山の東西南北を守護神を四天王と言う
四天王には持国天・増長天・広目天・多聞天がいる
・願力(がんりき)
必ず悟りを成就し智慧の目で慈悲を実践するという果てしない誓いである。
”梅雨に咲く恋の蕾みは哀れなり ひとりで歩む紫陽花の道”
梅雨に入ったある日の事、大学の帰り道、途中で雨に降られ、バッグを傘代わりにして、
駅へと急いでいる時に思いついて読んだ歌
今日は皆さん
毎日、雨ばかり降って憂鬱な日々が続いていますが、元気ですか?
私たちは仏教がどの様に日本に伝えられて、来たのか?ふっと疑問に思い、
今、調べなおしている最中です。
仏教がこんなに広まったのは、最初にインドを統一したマウリヤ朝のアショーカ王と言う事は分かったのですが、
そこから先は今後のお楽しみと言う事で、前回の話の続きをどうぞ!
松本実花;
「仏になる事は、死ぬ事ですか?」
鈴音;
「違います。仏を辞書で調べると人にあらざる者と言う意味ですが、では人とはどう言う者でしょうか?」
松本実花;
「う〜ん。自分の都合ばかりを考えているかな?優奈の様に」
仲本優奈;
「実花、人の粗探しばかりしないで、自分はどうなのかな?嘘と見栄の固まりの癖に!」
鈴音;
「まあまあ、ケンカしないで落ち着いて聞いて下さい。普通の人なら、あなた達が言った事は皆が持っているものです。
その事が争いの種になり、悩みの素になって、孤独観や楽しみや望みのない無量観の苦しみを味わうのですよ。
仏とは、道理を弁えているため、嫉妬して相手をバカにする事や嘘をついて見栄を張る事や高慢なって怠ける事や欲に
捕らわれて人に害を与える事が無い人の事です。つまり、他の命あるものの存在を認め、重んじて自から行いを慎む人。
では、歴史に戻りましょうか?マケドニアのアレキサンダー大王
がアレキサンドロス帝国を建てた当たりでしょうか。紀元前330年頃はお釈迦様は、もうこの世にはいなく、彼の教えも
忘れ去られ、伝説になっていたのです。
当時のインドは十六国に分かれていたが、
そのうちの二国(マガダ国とコーサラ国)の強国を倒して、初の統一国家であるマウリヤ朝が成立した頃です。
インドの文明の起こりはインダス川流域で、
更にガンジス川流域に移ったのです。」
----続く。
ここからは見寶塔品(けんほうとうひん)です。
ここから法華経の重要な部分が書かれている所です。つまり、人には本来、仏性が備わっていると言う事です。
仏性とは簡単に言うと理性の事です。そして、この見寶塔品では、人には誰にでも多少の理性や知恵があり、
それらを磨く事により、仏(最高の人格者)になる事が出来て、その事は永久に変わる事がない事を説いている
喩えば、多宝塔は仏性を表し、多宝如来は真実を表して、地より多宝塔が現れる事は、煩悩の身であっても、法華経の
教えに従えば、仏性(理性)に目覚め、人を重んじる事より、多くの人から誉められる事を意味する。
現実に、人の葬儀を見る事により、この事が実感できる。
------続く
その時に、仏の前に七宝の塔が現れたのです。その塔の高さは五百由旬(5500キロ)で、
大きさは二百五十由旬(2750キロ)でありました。
五百由旬と言うのは
仏道修行の厳しさや困難を現したもので、実際の距離ではない。また五百は五欲を喩えたものされ
また、七宝の塔は仏性(人の理性)を喩えたものとされる。
その塔は地中より湧き出して空中で留まったのである。そして、
様々な宝物をもって、塔は美しく飾り立てられていたのである。
五千の欄楯(らんじゅん)があって、更に
龕室(かんしつ;仏壇の事)は千万ある。
無数の幢幡(どうばん)を綺麗な飾りものとする。
それは宝の瓔珞(ようらく)を垂れさす為、
宝鈴の部分を万億にして、その上に掛けた。
そして、四面の皆からタマーラ樹の葉やタガラ樹{白檀(びやくだん)}
から作った香りを漂わせ、世界中を偏り無く充満させた。
その塔の沢山の幢幡と天蓋(てんがい)は
金・銀・瑠璃(るり)・シャコガイ・碼碯(めのう)・真珠・枚魂(まいえ;猫眼石の一種)などの七宝を用いて、それらを
組み合わせながら、高く積み上げられて四天(持国天・
増長天・広目天
・多聞天)の王宮まで達したのです。
そして、三十三天
(須弥山の中腹に住んで、帝釈天を初めとした33の神様の事)は天の曼陀羅華(まんだらげ;朝鮮アサガオの事)を雨して、
宝塔を供養なされた。
また、他の多くの天(神)・龍・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)
・緊那羅(ぎんなら)・摩睺羅伽(まごらか)・人・人でない者たち等の千万億衆は、
すべての華・香・瓔珞(らくよう)・幢幡(どうばん)・天蓋(てんがい)・妓楽(ぎがく)などをもって、
身を謹しんで、敬いながら宝塔を供養し、そして、また宝塔を尊い物として重んじる為に、
宝塔を褒め称えられたのです。
その時に、宝塔の中より、大きな声を出して、仏に感心する声が聞こえて来たのです。
「素晴らしい(善哉)、素晴らしい(善哉)、釈迦牟尼世尊よ。
良く、平等に大きな悟り(大慧)であり、菩薩を教え導く為の教え(教菩薩法)であり、
仏が護り念じて来た所(仏所護念)の妙法華経をもって、大衆の為に説かれた。
その通り、その通り。釈迦牟尼世尊(お釈迦様)が説かれた所のもの、これら、すべては真実である。」
その時に
四衆は大宝塔が空中にそびえ立つのを見、また塔の中より聞こえて来た声を聞いて、
皆がこの仏の教えに喜びを感じたのであるが、今までに耳にした事がないと怪んだのです。
そして、座より立って、謹みをもって近づき、手を合わせ願い出ては、また退いて、一面に座ったのである。
その時に、一人の菩薩摩訶薩がおりました。名を大楽説(だいきょうせつ)と言う名の菩薩であった。
すべての迷い土に住すむ天や、人や、阿修羅(あしゅら)たちの心の中にある疑念を知り、
仏に明らかに述べられたのです。
「世尊よ、どの様な理由(因縁)があって、この宝塔が存在し、また地より湧き出たのか?。更に、
その中より、あの様な声を出したのでしょうか?。」
その時に、仏は大楽説菩薩に告げられたのです。
「この宝塔の中に、如来の全身(骨)あるのです。今から遠い昔、東の方にあった数え切れないほどの千万億阿僧祇(あそうぎ;10の六四乗)
と言う世界に、宝浄(ほうじゅ)と言う国があり、彼の国に、一人の仏がいました。
そして、その仏は名を多宝と名乗っていました。
その仏が初めて、菩薩の道(六波羅密)を極め様とした時に、
大誓願を立てられたのです。
”もし、我が仏となって、迷いの世界から悟りの世界に渡った後、
十方の国土で法華経を説いている所があるとしたら、
我が塔廟(とうみょう)はこの経を聞く為、
その前に地面から湧き上がって姿を現わし、その為の証明として、”素晴らしい”と口にして讃める。”
彼の仏が仏の道を歩み終えて、いよいよ、迷いの世界から悟りの世界に渡ろう(滅度)とする時に臨んで、
天人や大衆に囲まれた中で、沢山の比丘に伝えたのである。
”我が滅度した後、我が全身(骨)を供養したいと願う者は、必ず一の大塔を建てるのです。
その仏の不思議な誓願力(願力)により、十方世界のありとあらゆる所においてでも、
もし、法華経を説いたならば、あの様な宝塔が法華経を説いた者、すべての者の目の前に、
地面から湧き出して姿を現し、塔の中に全身を置ながら”素晴らしい、素晴らしい”と誉めて言うと。”
大楽説(だいきょうせつ)よ。
今、多宝如来の塔は法華経が説かれた事を聞いた為、地より湧き出し、
そして、讃めて”素晴らしい、素晴らしい”と言うのだ。
この時に、大楽説菩薩は如来の神力を目の前にして、仏にはっきりと述べられたのです。
”世尊よ、我ら、叶う事なら、この仏身と会って見たいと思うのですが”
仏は大楽説菩薩、つまり、大菩薩(摩訶薩)に告げられました。
”この多宝仏は深くて重い願いを立てたのです。もし、我が宝塔が法華経を聞こうとして、
諸仏の前に姿を現す時、
すなわち、我が身をもって、四衆に示さなければならないと思う時は、
あの仏の分身であり、十方世界で法を説いている諸仏を、すべて残らず、一つの所に戻し集め、
そして、集まった後に、我が身を出現させる事である。”
”大楽説よ、
我が分身の諸仏、十方世界(すべての方角に無限に存在する世界の全部)
に在って説法する者を今、確実に集めようと思うのだ。”
大楽説は仏にはっきりと述べてのです。
”世尊よ、我ら、また願わくは世尊の分身である諸仏と会って、礼拝し供養したいと思います。”
その時に、
仏は眉間(みけん)にあるという白い巻き毛より一筋の光を放たれ、そして、東方の五百万億那由他(五百万兆)と言う、
ガンジス河の砂と等しい数の国土いる多くの仏を見たのである。
その諸の国土は皆、ガラス(頗黎;はり)から出来た地面を、宝石の樹や金糸・銀糸で織られた宝衣などで美しく飾られいて、
数えられない数の千万億の菩薩たちでその国中が埋め尽くされていたのである。
隙間無く、シルクの布を縦に縫い合わされた幕(幔:まく)を張って、
宝網(ほうもう)がその上から掛けられていた。
彼の国の沢山の仏は大いに不思議な声をもって、色々な教え(諸法)を説き明かされるのです。
また、考え付かないほどの数の千万億の菩薩が諸国に満ち溢れ、衆の為に法を説く姿を見る事が出来るのである。
南・西・北方・四隅・上下など眉間(みけん)にある白い巻き毛の光が照らし出す所は、また、また同じ様なものであった。