南無妙法蓮華経
--------化 城 喩 品 偏-------

 

  私たちが住むこの世は
  お釈迦様が言われた娑婆(耐え忍ぶ)世界であり、時代も、また格差が進んでいる時代である。だから、仏教から学ぶ事により、沢山の事が得られるのではないでしょうか?。   もう一度、自分自身を見つめ直すキッカケが作られたら幸いです。  
  

   担当:社会学科3年 山本栗栖(クリス)


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト







語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・宣暢(せんちょう)
穏やかに、述べる

・垓(がい)
数の単位で、京の次

・正覚(せいがく)
仏陀の悟った中道の事

・毒獣(どくじゅう)
蠍や蜘蛛などの事であるが嘘や悪口を言う人の例えでもある

・渠流(きょうりゅう)
何本かの溝が集まった。大きな溝

・懈廃(けはい)
事をするのがだるくなって、捨てる事。つまり、懈怠

・一仏乗(いちぶつじょう)
菩薩乗の事で、自分を律して、他を利する事

・二乗
独覚乗の事で、欲を内外より取り除く事

・三乗
声聞乗の事で、業(悪習)を断じて、法(持戒)を明らかにする


---編 集 録---

”椿咲きて、去り行く香り、いと悲し、乙女の香り、君に留めん。------夏”
バレンタインデーは普通の女の子をキラにする日です。3/15日は実行される、 チェンジ・ザ・ワールドを望むなら、エルを探せ。!
山本夏、デス・チョコでは無理かもネ!。それよりも、法華経の訳を急いでナ-------ヽ(`Д´#)ノ

今日は、皆さん
最近、関東では、よく雪が降るように成りました。34年振りだそうです、温暖化が進んだ生でしょうか? 私たちは相変わらず、元気にバイトしています。これも修行の一つなので、文句を言わないで下さいネ。! では、時間なので前回の話の続きをどうぞ-----アセアセ... ( -`Д´-;A)

蒼井沙羅;
「鈴音さん、夏と冬花が訪ねている事がお釈迦さんが悟った仏教と如何関り合うのですか?」
鈴音;
「人類の歴史は常に厳しい自然との闘いであり、死との闘いでもあった。 言い換えると生死観の歴史とも言えるのでは無いでしょうか?その延長上に仏教があったのです。
ですから、人類が死に対して如何思って来たのか、見つめる事で仏教が理解できるのではないでしょうか?」
蒼井沙羅;
「なるほど、では鈴音さん、話しの続きをお願いします。」
鈴音;
「■中石器時代(紀元前11000年 - 紀元前8000年頃)
この頃は氷河期が終わったのであるが、もう一度だけ、寒の戻り ヤンガー・ドリアスが起こり アフリカ大陸北部、ユーラシア大陸の西南から中央にかけて巨大な砂漠が広がり、 ヨーロッパ・シベリヤでは厳しい寒さに見舞われた。

人類は狩猟生活が困難になり、住居も洞窟から平地に小屋を建て住むようになり、大きな実を持つ大麦や小麦を栽培し、 動物を飼う様になった。また道具も、打製石器から磨製石器 を使う様になった

人類最初の農耕や牧畜が始まった。それと共に、人は住居とは別に、川の彼岸(西)に死者を埋葬する様になり、 死者には死者の世界(黄泉の国)があると信じるようになる。 また、世界最古の都市ジェリコを築く。

■新石器時代(紀元前8000年頃 - 紀元前3000年頃 )
人類は定住して、農耕や牧畜を営む様に成って、穀物を蓄えられる様になり、貧乏と大臣の格差や男女の格差が生じていき、 土地をめぐり、戦いが始まって王と王国が誕生する。
やがて、初めてシュメール人による都市国家メソポタミア が誕生する。

最初の宗教は、埋葬された死者の霊が黄泉の国に逝けずに苦しんでいる為、災害が起きると、 考えて屈葬したが、やがてと崇めて、神殿や聖塔(ジッグラト)などが造られ、 神官などにより祭礼が行なわれるようになった。」

----続く。

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◆化 城 喩 品(けじょうゆほん)

この化城喩品(けじょうゆほん)は
この場面は今までの事を箇条書きにして、おさらいしている。お釈迦様が説いた十二因縁である 法華経を知って、修行して静かな境地である涅槃を得たとしても、煩悩が消えたわけではない。

本当は、悩む者を救う事が真の仏であり、煩悩を消す事が出来るのだと。ちなみに、法華経の言われは アショカ王が仏教の教典を 納めた蔵の柱に蓮の花が彫られてい事からと言われている。

------終わり

●翻 訳 六

その時に、
世尊は再び、この教えの意味を伝えようと思い、偈(歌)もって分かり易く述べたのです。

「大通智勝と言う仏は十劫の時、道場に座り続けるが、目前には未だ仏法は現われずに、 仏道を成就するに至らず。

諸の天神龍王阿修羅の神々は、常に天の華を雨らして彼の仏に供養する。 諸の天人たちは天の鼓を撃ち、並びに様々な音色を演奏して、香る風は萎み行く華にそよぎ、さらに新しき好き者を雨らす。

時は十劫と少しの劫を過ぎ終わり、終に仏道を成就することを得る事が出来き、 諸天及び世間の人々の皆の心に喜びが湧き立ち、彼の仏の十六の子やその親族など皆が 千万億と言う人々で、仏の周囲を囲もうと、共に仏の所に行き。

道場に辿り付いて、仏の足元に額を付け拝礼しては、 仏に法輪を紐解いてもらいながら、法を授けてもらう様に願い出る。

”(聖師子)清らかで尊く、神々の王である仏よ。法の雨を降らして、 我らやすべての生きとし生ける物の望みを充たして下さい。”

世尊の様な仏と出会う機会は、滅多に有りません。 途方も無い永い年月を経て、偶然にも、一度だけ姿を現して、ただ生きて群れているものに悟りを開かさせる為に、 一切のものを振るわせて下さい。”

東方の諸の世界の現世において、五百万億の数に上る人の国の梵(ブラフミン) の宮殿を輝き照らす光は昔より、未だかつて有る事が無かったのです。

諸梵はこの光景を見て、訪ねながら仏の所に詣り、仏の所に着くと、頭上より華を散じて仏を供養する。 さらに、宮殿を差し出しては、仏に法輪を紐解いてもらいながら、法を授けてもらう様に願い出て、 偈(歌)を詠んで、仏を褒め称える。

仏は未だ、説く時が来ていない事をお知りになり、教えを乞いる願いを聞き届けても、沈黙したまま座り続けていた。

三つの方向からも、また四隅の方向や上下の方向からも、同様に諸梵が集まり来り、 華を散じ、宮殿を差し出して、仏に法輪を紐解いてもらいながら、法を授けてもらう様に願い出る。

”世尊の様な仏と出会う機会は滅多に有りません。 願わくは我らに大慈悲をもって、広く甘露(不死)の門を開き、無上の法輪を紐解いて下さい。”

世尊の無量の智恵を彼の衆人たちの願いをお聞き届けなされて、この衆人の為に、種々の法や四諦及び十二縁 を授けたのです。

”無明(無智)より老死(悩み)に至るまで、すべてが縁により生れて存在するのです。 この様な過失が集まり合っている事を汝らは必ずや知るのです。”

この法を仏が穏やかに、述べられた時
六百万億(おく)垓(がい)と言う数ほどの様々な苦の因を滅し尽くす事が出来て、皆が阿羅漢に成れたのです。

第二の説法の時、千万と言うガンジス河の砂と同じ数の民衆がいて、この者たちは諸法の教えを聞かなくても、 また、阿羅漢に成る事が出来たのです。

これより後ち、得度して悟りを開き、彼岸へ渡る者はなく、人の数を数える事さえ出来無くなり、仮に 万億劫の間、人を数えようとして、そう言う者を見つけようとしても、見つける事が出来無かったのである。

時に、十六王子が出家して沙弥と成り、皆と共に、彼の仏に大乗の法を述べて説いて下される事を願い出たのです。

”我ら及び我らに従がって着いて来た者は皆、必ずや仏道を成就します。 願う事なら、世尊の様に物事を何でも見通す慧眼をもって、一番、心が淨まった者に成りたいのです。”

仏は彼らの幼い心や過去世で、彼らが行なった事を承知なされて、考え付かない数の因縁や様々な種類の多くの譬喩をもって、 六波羅蜜や数々の神通である 事柄を説明して下さり、

また、真実の法や菩薩所行の道(菩薩行)を判り易い様に、この法華経のガンジス河の砂の数のほどの偈(げ)をもって、 意味を解いて下さったのです。

彼の仏が経を説き終えると、静かな室で禅定に入り、心を一にして一か所に座り続け、 八万四千劫と言う時が過ぎた。

この諸の沙弥たちは仏が禅より、未だ出て無い事を知り、数え切れない数の億と言う民衆の為に、 仏の最高の悟り(十二因縁)を説いたのです。

仏が静寂な場所に身を置いた後に、沙弥の各々が講座を開いて、仏が述べた教え(大乗経)を説いたのは仏の教えを広く世の中に明らかに示めして、 仏法によって、煩悩の身から仏の身に変わる事を助ける為です。

一人一人の沙弥らが悟りの世界に渡した諸の衆生は六百万億と言う数で、ガンジス河の砂と同じ数の人々であった。 この法を聞いた諸の者は彼の仏の滅度した後も、常に、方々にある様々な仏の土に、師と共に生れ来る者である。

また、この十六の沙弥は教えを身に付け、仏道を行いながら、今、現に十方にいて、各々は 正覚を成就する事を得たのである。

その時の法を聞いた者は各々の諸仏の所にいた。その声聞の弟子が仏の所に住んで居たのは仏道を少しづつ、学ぶ為であった。 我がその十六の沙弥であった頃、かつて再び、汝が為に法を説いたのである。それ故、方便をもって汝を引き連れて、 仏慧(仏の悟り)に趣かせるのである。

この因縁が本になって、今、法華経を説いて、汝を仏道に入らせるのである。慎んで、驚いて恐れを抱く事無かれ!

譬えば
何処までも真直ぐで、があったとする。その道は毒を持った獣が沢山いて、おまけに水や草が無く、人の怖畏する所である。

千万と言う無数の旅人がこの危険な道を通り過ぎようとしていましたが、その路は遥かに遠く、 五百由旬を通り過ぎた当たりの頃。

その群衆の中に一人の導師がいた。彼は記憶力が強く、何でも道の事を知り尽くしていた。更に、智慧があって、 物事を素早く決断して、心が戸惑う事が無かった。

道の険しい所に出会って、この諸の困難から彼らを助け出すのであった。一行の皆は疲れ果て、飽き飽きしていた ので、導師に明らかに言ったのである。
”今、我らは急に、心細くなりました。これより先は退いて、帰ろうと思います。”

この時、導師はこの様に思ったのです。
この連中は、非常に哀れな者達であろうか。なぜ、この場を立ち去り、帰ろうとして、勝れた希に見る宝を捨てようと思うのか?

次に、必ずや神通力を用意しておかねばならないとして、方便を思出だすのであった。

大きな城郭を自ら作り、彼らの目前に現わした。そして、諸の舎宅を整えて城郭を飾り、周囲には庭園の林や 数千本の溝と交じり合う大きな溝や露天風呂などの浴池及び門が重なり合った高い楼閣などがあり、 男女共に、皆がこれに満足する。

そして、この幻の城郭を作り終えると、旅の衆を慰める様に述べた。
”不安がらなくても良い、汝ら、此の城に入ったならば、各々が自分の思いのままにするが良い。”

色々な人が、すでに城に入って、心の隅々まで、大いなる喜びに迎えられて、皆の気持ちに安穏な想いが生まれて、 もうすでに、自ら涅槃に渡り切ったと思う様になったのです。

導師は”休息はもう終わりだ”と知り、衆を集めて告げたのである。
”汝ら、今や前に進もうではないか?。この城は我がただ単に作った城である。我は汝が極めて疲労し、 路の途中で立ち去って、帰ろうと望むのを見たからである。”

”それゆえ、方便力をもって、仮りの城をこの様な形に作り変えたのである。汝は今、精進して勤めを果たすのだ。 「必ずや、共に宝のある所に辿り着こうではないか」と言った様に”

我もまた、彼の導師と同じであり、我は一切世間の導師である。諸の道を求むる者が路の途中で、厭きて投げ出し 、生死や煩悩により苦を生じさせる様々な険しい道を渡る事が出来ないのを見たのです。

それ故に、方便力をもって、休息させる為に涅槃(ねはん)を説いたのです。
汝らは苦しみが消え去って、”修行すべき所は皆、すべて終わり、学ぶべき所は十分に理解した。”と言いながら、 すでに涅槃に到達し、皆が阿羅漢に成った事を知る。

そうして、大衆を集めました。その時、彼らの為に真実の法を説くのです。”仏に成る法は唯一、一仏乗だけであるにも拘らず、 諸仏は方便力をもって、判断して三乗と説き、汝らを休息させる為に、二乗を説いたのです。”

今、汝が為に真実を説く”汝が得た心境は煩悩が滅した訳でない、仏の一切智により生じたものである。 今まさに、大いに精進を起こすのです。

汝は一切智や十力と言った仏法が確かなものと言う証拠に、三十二相を身に付けなければ、 すなわち、真実の滅では無い。”

”諸仏である導師は、休める為に涅槃を説かれたのです。 すでに、これが十分に休んだと知れば、仏慧に引き入れなされるのです。”


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