南無妙法蓮華経
-----五百弟子受記品偏----

 

  私たちの活動の意義は
  どんなに詰まらない事と思われても、遣り通す事が自らが生きている証であり、幸せになる事に成ると信じたからです。
  ですから、このhpから皆さんに、届けられたら幸いです。  
  

   担当:社会哲学科3年 蒼井沙羅(サラ)


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト







語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・方便随宜(ほうべんずいき)
聞く相手の力や心に合わせて、理解しやすい様に用いた例え話

・智慧(ちえ)
人が体験を重ねて、知識を応用出来る力の事

・宿世の因縁
因とは直接的な要因、親からの遺伝など、縁とは間接的な要因、親の躾や家庭環境など

・所為(しょい)
振る舞い、行い

・利喜(りき)
喜びを与える事

・四無碍智(しむげち)
1)法無礙
教えの内容が真理に即しているため自由自在であること。
2)義無礙
教えの意味を自由自在に知りつくしていること
3)辞無礙
教えを説くのに適切な言葉を自由自在に駆使すること
4)楽説無礙
自ら進んで自由自在に教えを説くこと

・賢劫(げんこう)
過去から現在未来に渡る劫

・溝壑(こうがく)
みぞと谷

・臺観(だいかん)
高さ

・算数校計(さんすうこうけい)
比べて、順番を付ける


---編 集 録---

まだ春浅き日の頃、私は優姉との別れに当たり、餞として花と和歌”卒業、髪を結びて笑顔かな、我が袖裏に君を眺めん。” を準備をするのでした。
その時、”う〜ん、なるほど。沙羅は相変わらず文学的だな”と夏の呑気な声がした。本当は夏、お前の番なのだ。!

今日は、皆さん
お元気ですか?。春とは言えど、まだ寒さが続いています。私たちは謝恩会に向けての準備に、追われています。 先ほども、書いた様にhpの担当が夏から私に代わりました。では、前の話の続きをどうぞ!

蒼井沙羅;
「鈴音さん、ところで、本当に霊魂はいるのですか?」
鈴音;
「お釈迦様と同じ事を訪ねるのですね?霊魂の存在は人類が、初めて ストーンサークル 様な墓を作り、埋葬した時に、死体から出たリン が雨で燃えるのを見て、それを霊(バー)としたのです。

やがて、不幸な死に方をした者の霊が災いを引き起こすのでは無いかと思われて、 屈葬が行なわれたのである。 その証拠として、シリアのテル・エル・ケルク遺跡で発見された。

また、平地に定住生活して農耕をはじめる様に成り、自然には四季があり、四季は移り変わるが再び季節は元に戻る。 そして、それらは繰り返へされる事に気付き、神の存在を認めるようになり自然崇拝する様に成って、すべての物に 魂が存在すると考えた。

メソポタミはシュメール人 によりテル・コサック・シャマリ遺跡が発見されたウバイド期(紀元前6000年頃から3500年頃)から 都市エリドゥキシュウルクウルなどを中心とした都市国家が作られた。

メソポタミは神殿や塔が幾度も作られて、小規模な囲いと祭壇だったのが巨大なジッグラト と宝物を納める蔵とに変貌し、王が祭司となった神聖国家であり、市民には自由民・半自由民・奴隷という身分制があった。

また、市民の住居は同時に墓地の役目をも果たしていた。先祖の霊は家そのものに宿ると信じられていて、 家の壁の中に作られた特別の穴蔵に埋葬された。のちに仏壇である。

そして、紀元前23世紀にアッカド王サルゴンによって支配され、地中海からペルシア湾までを統一したアッカド帝国が建国された。 しかし、紀元前22世紀に再びシュメール人により、最後のウル第3王朝が築かれた。」

----続く。

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◆五 百 弟 子 受 記 品(ごひゃくでしじゅき)

ここから五百弟子受記を送りします。
この場面ではお釈迦様の諸の説法を聞いたり、見たりして、感心している富楼那(ふるな)と 半信半疑の比丘たちとの場面を描いています。

そして、お釈迦様の説法を分かり易く解説しているだけの富楼那が将来、成仏する事をお釈迦様から皆に告げて、 その訳を挙げながら、教えを分かり易く説いている。

------続く

●翻 訳 一

その時に、弥多羅尼(みたらあま)の子、富楼那(ふるな)は 仏を敬いつつも、仏にお仕えしながら、相手の心や智慧に応じて、例え話をしながら、法を説く方便随宜の智慧や、

また、諸の大弟子に、阿耨多羅三藐三菩提(あのくだらさんみゃくさんぼだい)の話を授けた事や

また重ねて、前世(先祖)から輪廻する因縁の事や、また重ねて、諸仏には何にも捕らわれる事のない大いなる心で、 物事を見通す力が有る事を聞きながら、今までに感じる事がなかった気持ちを得たのです。

富楼那は心が清まり、急に喜びが湧き立ち、そして、座より立って仏の前に歩み出で、額に仏の足を付けて礼拝し終えると 退いて、皆が座っている所に腰を下ろして、落ち着いたのです。

世尊の顔を見上げては目を少しも反らす事が無く、そして、この様に思いを抱いたのです。 世尊はただただ、不思議な人であり、その行いも、奇妙である。

世間において、僅かながらも、生まれ付き持った本性をむき出しにする人に従いながら、逆らう事無く、 方便を用いて、真実を見せながら、衆生に悟らせるのです。

そして、衆生の為に法を説いて、衆生が抱えて放さない、それぞれの貧著(執着する欲)から抜け出させたのです。 我らは仏の功徳を言葉をもって、言い伝える事は不可能であり、唯一、世尊と言う仏のみが良く、 我らが心の奥く深い本当の願いを承知なされているだけであると。

その時に、仏は諸の比丘にお告げに成られたのです。
”汝ら、この弥多羅尼の子である富楼那を見るが良い。我は、常にその者が人の中で行なう説法が最も勝れていて、 ”第一位である”と言え、また、常にその種々の功徳を褒め称えたいのです。

我が前にて経を読み、祈りを捧げる事に励みながら、我が法を大切に守り続けては我れが法を述べる時の手助けをして、 良く、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆に法を教え、意味を示し、喜びを与えては自らも身に付ける。

そして、仏の正法を解釈しては、大いに同じ梵行者に多くの恵みを与える。如来を除いては、 良く、その者の言論の弁に及ぶ者はいない。

汝ら、富楼那(ふるな)は単に、良く我が法を敬い守護して、助言しているだけと言う事無かれ。 また、過去世において、九十億の諸仏の所にいた時も、仏の正法を敬い守護して助言していたのである。

彼れの説法は人の中で行なったとしても、また、最も第一である。また、諸の仏が空法を説く為に述べた数々の言葉を 明確に理解したのである。

そして、四無碍智を得て、常に、物事を調べて悟りを開き、心を清浄して法を説いては 疑惑を持つ事無く、菩薩の神通力を身に付け、寿命が許す限り、常に梵行(淫欲を禁ずる)を修めたのである。

彼の仏世の人たちは、一人残さず皆が”彼者は真の声聞(仏の弟子)である”と述べたのである。 しかも、富楼那はこの様にして得た方便をもって、百千と言う無量の数の衆生に沢山の得を与えたのです。

また、阿僧祇と言う数限りない人の心を変えさせて、阿耨多羅三藐三菩提(これ以上無い位に物事を観察して、 正しきを悟れる所・菩提心)を立てさせた。それは心の中の仏土を浄めんが為に、常に仏の教えを知らしめ(仏事)衆生を教え導く。

諸の比丘よ、富楼那は、また七仏の説法を人の中で行なっても、第一であったのです。 今、我が所の説法を人の中で行なっても、また、第一に成ったのです。

七仏とは、初七日の仏の事である。仏教ではすべての過去世の諸仏を供養するが本当であるが、当時の風習では 7世の父母を御霊屋で祭る習慣がある為、三世の諸仏を順次に従いながら、滅度後の衆生の為に過去の七仏を説いた。第一結集で作られた長阿含経から投与されたもの

過去から現在そして未来へ続く途中の時において、来たる世の諸仏の説法を人の中で行なったとしても、また、第一であり、 皆、すべては仏法を敬い守護して、助言するものである。

また、未来においても、数える事が不可能なほどの無数の諸仏の法を敬い守護して、助言して 無数の衆生を教え導き、多くの徳を与えて、阿耨多羅三藐三菩提(あのくだらさんみやくさんぼだいを)を立てさせる。

仏土を浄めんが為、故に、常に仏事を勤めて、精進しては衆生を教え導くのです。徐々に菩薩の道(六波羅蜜)を身に付けて、 無限の阿僧祇劫と言う時を過ぎて、必ずや、その土において、阿耨多羅三藐三菩提を得るであろう。

そして、名を法明如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と言い。 その仏はガンジス河の砂と等しい数の三千大千世界(古代インドの世界観)をもって、 一人の仏が教え導く世界と思い、またその世界を七宝の様に清らかな土地(人の心)にしょうと思ったのです。

その土地はどこまでも平(平等)で、手のひらの上の様でありながら、山陵(せんりょう)・渓谷(けいこく)・ 溝壑(こうがく)などが無いかの様である。

七宝の高さはその地において際立っていて、諸天が住んでいる宮殿に近い虚空まで到達していたのです。人界と天界とに 接近して交わっていた為、両方を連なって、様子を見る事が出来たのです。

諸の悪道が無く、また女人が居なく、すべての衆生、皆が自らの意志で生まれ(化生)、淫欲を生じる事が無く、 大神通を得て、体からは光明を出して、自由に飛び回っている。

志して念ずる事が非常に固く、精進して智慧あって、普く皆が金色に肌が光り、 三十二相をもって自らを美しく飾っていたのです。

その国の衆生は常に二食しか無かったのです。一つは心が喜ぶ話を聞たり、読んだりする法喜食(ほうきじき)と 二つ目は人に何かをしてあげて自分も満たされる禅悦食(ぜんえつじき)です。

無数で数える事が不可能な千万億兆と言う数の菩薩たちがいました。その菩薩たちは皆、大神通・四無碍智を得ていて、 良く、仲間の衆生を教え導き、よい方向に向かわせる事が出来たのです。

その声聞の弟子たちが菩薩の教えを比べて、優劣をつけ様としても、その教えを知り、理解する事が出来なかった。 それは菩薩、皆が六通・三明及び八解脱を身に付けていたからである。

その仏の国土はこの様な国と等しい数の無量の功徳があり、礼節をもって身を美しく飾って、願いを叶える。 時を宝明と名け、国を善浄と名けん、その仏の寿命は無量の阿僧祇劫であり、法が世間に留まっている時は相当永い。 仏が滅度した後、七宝の塔を建て、その国をくまなく満たすのである。

※三千大千世界とは
具体的には無色界、色界、欲界の三界をそれぞれの界を更に、大・中・小に分け、縦に並べた物である。 そして、それを山に例えたものが須弥山で、須弥山のモデルがヒマラヤ山脈のカイラス山と言われている。 これは当時のインド人が最古の宗教であるゾロアスター教の影響を受けて、 高い山にしか神は降臨しないと信じていたからである。

・無色界
個々の物を支配する霊魂の世界、仏教では天
・色界
欲界以外の物の世界
・欲界
息をしている生き物の世界
更に、仏教ではこの欲界を天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・阿鼻の六道に分けた

また、須弥山の回りにある四つ国(東勝身洲、西牛貨洲、北倶盧洲、南贍部洲)あるとされているが、これらはエジプト、 メソポタミア、ヒッタイト、インドを言っていると思われる。更に四劫は四季の変化に基づいて考え出されたものです。



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