私たちが住むこの世は
お釈迦様が言われた娑婆(耐え忍ぶ)世界であり、時代も、また格差が進んでいる時代である。だから、仏教から学ぶ事により、沢山の事が得られるのではないでしょうか?。
もう一度、自分自身を見つめ直すキッカケが作られたら幸いです。
担当:社会学科3年 山本栗栖(クリス)
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・那由他(なゆた)
きわめて大きい数
・恒河沙(こうがしゃ)
恒河(ガンジス河)にある砂の数
・娑婆(しゃば)
耐え忍ぶと言う意味
・功徳(くどく)
よい果報を得られるような善行。普通、供養(くよう)・布施(ふせ)の類をいう
・滅度(めつど)
苦を滅して、心が安らぐ悟りの世界へ渡る事
・導師(どうし)
仏道を説き、人々を仏道に導く者。高僧や仏・菩薩をいう
・二涅槃
涅槃の悟りの境地に至る前で、俗世を離れて欲を生じさせない境地の事
・所作(しょさ)
所は心の状態を表し、作は罪を作る事を表す。よって、愚痴
・籌量(ちゅうりょう)
思いを推し量る事
・化作(けさ)
ある物に姿を変えて、世に現す事
時は如月、春立ちて、雪降りぬれど風薫る。鳥はさえずり来て、冬の終期を告げる。
乙女は−−−−−?,これ以上、文才の無い夏には無理だった。m(;∇;)mゴメンネ
今日は、皆さん
もうすぐ立春ですが、まだまだ寒い日は続きそうです。試験も終わり、バイトに励んでいる
私たちですが、時々はお寺を訪ねては法華経の事について調べています。
皆さんも、機会が有りましたら、写経などしては如何でしょうか?では、前回の続きをどうぞ!
鈴音;
「そうですネ、お釈迦様がなぜ、仏教を開いたのかと言う事ですが?。
私が思うのには、人はなぜ、生まれ、どの様に生きたら良いかを研究しょうと思ったのでは
無いかと考えています。」
冬花;
「なぜ、そう思うのですか?」
鈴音;
「死の紀元、つまり墓の歴史を考える事にしましょう。
今から二百万年前の昔、人類が猿人と呼ばれていた頃は死の概念は無かったのです。」
冬花;
「どう、思っていたのですか」
鈴音;
「推測ですが、彼らにとって、死は猛獣などに襲われて喰われる事と思っていた様です。
更に、詳しく言うと人類は約500万年前、人類と類人猿に分かれて、猿人から他の動物と異なった進化を遂げたのです。
そして、様々な道具を使って独自の文化を広げて行く様になったのです。
まず、最初は下記に示す石器文化が広がった様です。
旧石器時代の前期(250万年前〜12万年前)
200万年前の頃、直立二足歩行して、石器を使った猿人であるホモ・ハビリス(ヒト属)が誕生した。
猿人は石器を使って死肉・骨・木の実を砕いて食べていた。
そして、180万年前になると、身長110〜150cmぐらいの原人ホモ・エレクトスが誕生します。
彼らは石器などを使って狩猟生活をしていたが、まだ明確な死が無く、居住空間である洞窟に遺体と共に生活していた。やがて、アフリカから世界へと移動するようになる
氷河期が60万年前より始まり、50万年前の北京原人の遺跡が発見され
そこから礫器・剥片石器・火で焼かれた鹿の骨・カキが出度し、人類が初めて火を使った事は分かった。
また、明らかに住居としていた洞穴の奥に、人骨を保存していて、死者と生者がある共生関係を待っていた。
旧石器時代の中期(30万年前〜3万年前)
ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにおいて、ネアンデルタール人
が、住む様になった。彼らは人類最古の文化であるムスティエ文化を築き、後のクロマニヨン人が築いた
オーリニャック文化
のもとを築きながら、氷河期の中を生き抜いていた。また、容姿などがあまりにも現生人類とは異なり原始的であったが、
人が死んだ後、死者が困らない様に日用品などを共に埋葬し、遺体には矢車草の花が手向けられていた。
まだ、墓標は無が生きている者と死んでいる者を区別する事が無かった。
旧石器時代の後期(3万年前〜1万年前)
氷河期の終わり、私たちの直接の祖先がアフリカのビクトリア湖から生まれた
クロマニヨン人が登場
して、地球各地に生息する様に成りました。彼らは氷河期に対応できる身体を持ち、農耕生活が始まるまで狩猟採取生活をしながら、
優れた道具を作り、一方では壁画や彫刻を洞窟に残したのです。また死者を丁重に埋葬し、呪術を行なった痕跡はあるものの死後の世界を具体的に描いていませんでした。
尚、平均寿命15歳で、長生きしても20歳位でした。」
----続く。
この化城喩品(けじょうゆほん)は
この場面はお釈迦様が前世において大通智勝如来の十六王子の一人であり、ここに居る諸の比丘たちは大通智勝如来
が阿耨多羅三藐三菩提を得たのを知って、十六王子と共に付いて来た家来であった事を告げる場面です。
そして、また現世において、阿耨多羅三藐三菩提を得られなければ、来世において、阿耨多羅三藐三菩提を
授けてくれる菩薩の下に生まれ変わり、阿耨多羅三藐三菩提が得られるまで続く事が描かれている。
ちなみに、カンボジアのアンコールワットは密教の世界を
化城したものと言う説があるが、アンコール朝によって建てられたヒンズー教寺院です。ただし、ヒンズー教も仏教の教えを取り込んでいます。
------続く
仏は諸の比丘にお告げなされたのです。
”是の十六人の菩薩は常に楽しませながら、是の妙法蓮華経を説きのです。
一人ずる菩薩が教え導いた所の六百万億と言うガンジス河の砂と同じ位い多くの衆生は
代々、菩薩と一緒になって世の中に生まれ出るのです。
そして、その菩薩に従い法を聞いて、一つも残す事無く、すべての法を信じ、理解するのです。
この因縁をもって、四万億と言う数々の仏である世尊(もとも徳ある人)に出会う事が叶えられて、
今に至ったのです。
諸の比丘よ、我は今、汝に語る。
彼の仏の弟子である十六人の沙弥は今、皆が阿耨多羅三藐三菩提を得ているのです。十方(四方・四隅・上下)の国土において
現在も法を説いて下さっているのです。
百千万億と言う数えられない菩薩や声聞がいて、それらを血のつながった親族といているのです。
その十六人の内、二人りの沙弥は東方において仏と成ったのです。
一人を阿閃(あしゅく)と名け、歓喜国にいます。
二人目は須弥頂(須弥山にいて、法を説く仏)と名く。東南方に二仏あって、一人を師子音(ししおん)と名け、
二人目を師子相(ししそう)と名く。
南方に二仏あって、一人を虚空住と名け、二人目を常滅と名く。西南方に二仏あって、一人を帝相と名け、二人目を梵相と名く。
西方に二仏あって、一人を阿弥陀と名け、二人目を度一切世間苦悩と名く。
西北方に二仏あって、一を多摩羅跋栴檀香神通と名け、二人目を須弥相と名く。北方に二仏あって、一人を雲自在と名け、
二人目を雲自在王と名く。東北方の仏を壊一切世間怖畏と名く。第十六番目の仏が我れ、釈迦牟尼仏である。
東方…阿閃仏(瞋恚を度した仏)・須弥頂仏(須弥山で菩薩に法を教えている仏)
東南方…師子音仏(何でも人の声を聞く仏)・師子相仏(物事を見通せる仏)
南方…虚空住仏(無量の智慧を持つ仏)・常滅仏(我を滅し尽くす仏)
西南方…帝相仏・梵相仏
西方…阿弥陀仏・度一切世間苦悩仏
西北方…多摩羅跋栴檀香神通仏・須弥相仏
北方…雲自在仏・雲自在王仏
東北方…壊一切世間怖畏仏・釈迦牟尼仏。
一説には大通智勝はインドを現し、十六王子はインドの国々を言っているそうです。だから、十六菩薩は釈迦牟尼仏が
出るまでの人の歩んで来た道を表しているのでは無いのかナ〜ア?。ちなみに、今は地蔵菩薩が担当しているらしい?ヾ(´゚Д゚`;)ゝ エーット・・・
娑婆(しゃば)の国土において阿耨多羅三藐三菩提を成就したのです。
諸の比丘よ、我らは沙弥(しゃみ)であった時、すでに一人一人が数えられない
百千万億と言うガンジスの砂と等しい数の衆生を教え導いて来たのです。
我に従って、法を聞いたらば阿耨多羅三藐三菩提を成就する事が出来る。
ここに居る諸の衆生の中から今に声聞の地で暮らす様になる者が現れ、
我は常に阿耨多羅三藐三菩提へと教え導く。
この諸の人たちはこの法をもって、徐々に仏道に入らせる。なぜならば、如来の智慧は理解する事が難しく、
信じる事さえ出来ないからです。
その時に入道したガンジス河の砂の様な無数の衆生、すなわち、汝ら諸の比丘及び
我が滅度の後の未来世おいて声聞の弟子となる者たちは
我が滅度した後の世において、再び弟子となり、この経を聞く事も無く、また菩薩の修行を知る事も、悟る事も、
出来なかったとして、自ら得て来た功徳により、生死の苦を滅し、安らかな悟りの世界を想いを生じて、
必ずや涅槃(安らかな気持ち)に至る事が出来る。
この人が滅度の想いを生じさせて涅槃に入ろうとしても、我はよその国において仏となり、更に名を改めていたのです。
そして、ある土おいて仏の智慧を求めて探しているうち、仏の説いた言葉(経)を聞く事が出来るであろう。
ただ、仏の救い(仏乗)のみによって生死の苦を滅する事(滅度)が得られるのである。
更に、諸の如来が法を説く為の方便を除くと、他の救いは無い。
諸の比丘よ。如来が自から涅槃に至る時を知って集まった者たちよ。また、心を清浄して仏を信じ、
悟りを開こうとして堅固な者よ。 空法を完全に理解する事が深い禅定に入れる事と知ったならば、
諸の菩薩及び声聞衆を集めて、この者の為に仏の説いた言葉を説くのです。
世間に救いの道が二つ(二乗)あって、どちらでも生死の苦を滅し、悟りの世界に渡る事が得られると言う事は無い。
ただ、この仏の救いの道、一筋のみが生死の苦を滅し、悟りの世界に渡る事が得られるのです。
比丘よ、必ずや知るのです、如来の方便は深く衆生の性(生まれ持った性格)に入り、
それらが持つた愚かな考え(小法)を単に志して、深く五欲に執着する事を知り、
これらの者たちの為に涅槃を説くのです。
もし、この人が法を聞いたならば、教えを信じて受けるでしょう。
譬えば
五百由旬と言う途方も無い長い道で、しかも困難に沢山出会う様な険しい悪道であった。そして、
その荒れた地に力尽きて倒れても、人がいるのを感じる事も出来ずに、ただ怖畏のみ味わう様な所である。
仮に、多くの旅人がいたとして、彼らはこの険しい道を通り、珍しい宝のある場所に行こうと望む者たちであった。
その民衆の中に一人の指導者(導師)あり。彼は道に詳しくて、とても賢い人であったので、
険しい道の通れる所と通れない所の様子を知り抜いていた。
そして、民衆を引き連れて、この難を通り過ぎ様と思っていたが、引き連れていた民衆は
道の途中で休(懈怠)もうとして、
指導者に遠慮なく、言ったのです。
「我らはもう疲れ果て、無事に目的地に着く事が出来るのか、どうか不安な気持ちで一杯です。
もう、これ以上前に進む事が出来ません。!まして、前方の道は遥かに遠く、今、この場を退いて
帰ろうと思っています。」
様々な方便を沢山知っていた指導者は彼らを哀れみながら、この思いを抱いたのです。
”なぜ、素晴らしく、珍しい宝を目の前にし、それを捨てまで、この場を退いて帰ろうと望むのだ。”
この思いを抱き終えると、方便の力を借りて、
険しい道を三百由旬と言う距離を越えた途中で、あるものを一城に作り変えて、この事を衆人に告げる為、
述べたのです。
「汝ら、怖れるな!また退去して帰る事するな。今、ここにある大きな城の中で、しばらく休みを取り自由に振舞おうではないか。
仮に、この城に入ったならば、快く安穏な気分が得られるだろうし、また仮に、このまま前に進んで宝の在処に辿り着いたならば、
また再び、帰る事が出来る。」
この時、疲れ果てていた衆たちは心から大いに喜んで”有り難い事だ”と褒め称えた。
我ら、今いる者はこの様な悪道を免れて、快く安穏な気分を得られたのである。
この様にして、衆人は進んで化城( 仏が神通力で造った城のこと)に入り、今までの不安な気持ちが消えて去る想いが生じて、やがて
安穏な想を生じたのです。
その時に、導師はこの人衆がすでに十分な休息を取り、更に疲れが溜まって無い事を確認すると、
化城を消して衆人に語ったのである。
「汝ら、行こうではないか!宝のある場所は近いのだ。さきの大城は”ここで、休め”と言う変わりに
我が作り出したものである。」と
諸の比丘よ、如来も、またこれと同じなのである。
今、汝らが為に大導師と成って、諸の生死の苦や煩悩などの悪道はいつまでも、険しく困難な事が続く、
ゆえに、これらを遠ざけて滅する事を知らせる。
もし、衆生がただ単に、一仏乗を聞きいたなら、仏の近くにお仕えして崇めようとはせず。
そして、この様に思いを抱いて、仏道は遠ざける。
その思いとは”永く、とても辛い修行をした後、やっと成し遂げられるか?”と言う事です。
仏はこの心の質が悪く、小さくて弱い事を承知なされているのです。
その上で方便力を使って、道の中(修行中)に休息する為の二涅槃を説く。
もし、衆生がこの二地に住み着いたならば、その時に如来はこれらの者の為に説くのです。
”汝らは未だ、愚痴(所作)一つ、こぼさず。汝らが住み着いてる所の地は仏の智慧に近いものである。
確実に物事の有り様を良く見極め、そこにある種々の事情を知り、その原因を推し量るのです。
心に得られた涅槃は真実ではないのです。ただ、如来の方便力を使って、一仏乗であるが分別して
三乗を説いたのです。
彼の導師が休息せんが為に、大きな城を作り出して、すでに休み終えた事を知り、
人衆に告げて、”宝の在処は近い、この城は現実の物で無く、
我が姿を変えて現したもの”と述べた様にです。”