私たちが住むこの世は
お釈迦様が言われた娑婆(耐え忍ぶ)世界であり、時代も、また格差が進んでいる時代である。だから、仏教から学ぶ事により、沢山の事が得られるのではないでしょうか?。
もう一度、自分自身を見つめ直すキッカケが作られたら幸いです。
担当:社会学科3年 山本栗栖(クリス)
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・八解脱(なちげだつ)
三界(物質・精神・欲求)の煩悩(貪、瞋、痴、慢、疑、見、見惑、修惑)に背いて、これを捨てる為の
八定
1解脱
内面の苦しみや欲望を見つめる。(四念処)
2解脱
感情を捨て、他人の苦しみや欲望を見る
3解脱
すべての欲望を捨てる
4解脱
すべての物事に多くの想いを抱かず、すべての物事は空である事を感じる
5解脱
空を感じ終わり、すべての物事の起因が無限である事を感じる(無量識處)
6解脱
無限の起因を感じ終わり、大きな意志の存在(魂)を感じる(無所有處)
7解脱
大きな意志の存在を感じ終わり、欲・情・想いなどが消え自己の存在の意識のみを感じる(有頂天)
8解脱
自己の満足に浸っているのを抜け出して悟りを開き、智慧で諸の煩悩を滅し尽せる事を感じる
・称数(しょうしゅ)
数を唱えることから、不平を言う意味
・沙弥(しゃみ)
仏門に入り十戒を受け、正式の僧となるための具足戒を受けるために修行している七歳以上、
二〇歳未満の男の僧、または剃髪して僧形にありながら、妻帯して世俗の生活をしている者
・根
体の器官や機能・能力を意味する
・明了
すべてを身に付けて、終わる事を意味する
・通利
働きがよく、良い結果に導く、つまり、勝れている
・安詳(あんじょう)
安らかなさま
・菩薩(ぼさつ)
あらゆる人を救える教えを求める続ける者で、欲を貪る凡夫に対するもの
寒き春の頃、梅の花のほころぶを見つけた夏は”東風吹けば匂い起せし梅花、
起たぬ身に雪は舞ちり、春風を告げ来る人もなし”と私に句を挙げたのです。
ムカついた私は”日本にはバレンタインデーがあるのだ!”と夏に言った-----ヾ(´Д`;●) ォィォィ
今日は、皆さん
大寒が過ぎて、益々、寒さが厳しくなりましたネ!今、試験日が続いているので、風邪を引かないように
体調管理に気を付けながら、勉強しいます。皆さんはいかかでしょうか?
バレンタインデーが近かずいているので、風邪には十分注意してネ!。
さて、またこの前の話の続きをどうぞ
冬花(ふゆか);
「鈴音さん、大体の事は分かりました。でも、お釈迦様が悟り得た法華経と昔の事を知る事は
何の関係が有るのでしょうか?」
鈴音;
「では、他の皆さんはどう思いますか?」
山本栗栖;
「温故知新ではないでしょうか?、鈴音さん」
冬花;
「栗栖、それは新しいお経か?」
栗栖;
「ことわざです。古きを訪ねて、新しい事を知ると言う意味です。つまり、新しい事を考えたいのなら、
昔の歴史を調べてから行なえと言う事ですのね、鈴音さん!」
鈴音;
「そうです。当時の思想観やその成り立ちを考えなければ、お釈迦様と言えども、法華経を悟れなかったでしょう。
例えば、お経巻に出て来る菩提(ぼだい)や佛にも云われがあるのです。
菩提はボディと発音して、元はバディでは無いのでしょうか?バーは古代エジプトでは霊を言うから、
バディは宿る所、つまり体である。よって菩提(ぼだい)は人を意味する
また、菩薩(サットバー)はさ迷う霊で、菩提菩薩は人のさ迷う霊と言う意味になります。歴史的に言うと
古代エジプトのおかげで、2000年もエデン(平原)を求めて、さ迷ったユダヤ人ではないかと言われています。
そして、佛(ブッ)は当時、アーリア人のみが先祖供養する習慣があり、その一家の主人が先祖供養するために用いた器
をブーンと呼んだ事より、主人を佛と呼んだのですが、今ではお釈迦様の事を言います。
以上の事から歴史を学ぶ事は大切なのです」
冬花;
「では、お釈迦様はなぜ仏教を開いたのですか?」
----続く。
この化城喩品(けじょうゆほん)は
この場面はお釈迦様が菩提樹の下で、初めて悟った十二因縁の事が書いてあり、この法が法華経である事を述べている。
そして、この法華経を理解した者が如来の知恵である阿耨多羅三藐三菩提を得る事ができると。
この法華経を理解するには八解脱(お釈迦様が出家〜悟りまでを八つに分けた心理)することであり、禅定・三明・六通が得られる事が出来る
------終わり
故に、仏は世間の眼と成る為、遠い過去か?未来に生まれ来るのです。そして、
諸の衆生を哀れんでは、世間にその姿を現し、抜きにでた正覚(真の悟り)を成就されるのです。
我らは、ただ、その事を祝って喜ぶだけです。また、他の一切の衆も、”未曾有なり”と喜び、感心するだけです。
我らが諸の宮殿を輝く光をもって威厳よく飾られて、今、我らは世尊にお仕えしたいと願っています。
ただ、我らを哀れみ成されて、願いをお聞き届け下さい。願わくはこの功徳を以て、偏る事無く、すべての者に及んで
我等と衆生と皆、共に仏道を成し遂げさせて下さい。
その時に、五百万億の諸の梵天王は偈(歌)をもって仏を讃め終わり、各の仏に明らかに申し上げたのです。
”唯、我ら願う事は世尊が法輪を転がして、教えて下される事だけです。心を安穏ならしむる智慧が沢山あり、
また苦海から度脱させる道が沢山ある所の法です。”
時に、諸の梵天王は偈(歌)もって分かる様に申し上げたのです。
”世尊よ。法輪を転がし、甘露の法鼓を撃って、苦悩する衆生に苦海を渡らせ、涅槃の道(煩悩を吹き消す道)を開示して下さい。
唯、願わくは我が願いを聞き届けて、大いなる微妙の音(仏が語る言葉)を以て、我らを愛しく哀れんでは、
無量劫と言う永い年月に習らわれた法を喩えをもって演説して下さい。”
その時に、大通智勝如来は十方から集まった諸の梵天王、及び十六王子の祈願を聞き届け、
すぐその場で、三度も十二行の法輪を次から次へと説き広げたのです。
”もし、沙門や婆羅門であっても、或いは天・魔・梵であっても、及び他の世間の者でも、解き明かして行く事が出来ない智慧である。
言うなれば、これが苦であり、これが苦を集める素であり・これが苦を滅する事であり・これが苦滅の道である。”
また、続いて広く十二因縁の法を説れました。
”無明は行に関わり合い、行は識に関わり合い、識は名色に関わり合い、名色は六入に関わり合い、六入は触に関わり合い、触は受に関わり合い、
受は愛に関わり合い、愛は取に関わり合い、取は有に関わり合い、有は生に関わり合い、生は老死憂悲苦悩に関わり合うのです。
よって、無明滅すれば則ち行滅す、行滅すれば則ち識滅す、識滅すれば則ち名色滅す、名色滅すれば則ち六入滅す、
六入滅すれば則ち触滅す、触滅すれば則ち受滅す、受滅すれば則ち愛滅す、愛滅すれば則ち取滅す、
取滅すれば則ち有滅す、有滅すれば則ち生滅す、生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅すのです。
1.無明(むみょう)
真理を知らず無智である事
2.行(ぎょう)
縁起(周りの者)によって行動する
現在の5果
3.識(しき)
行動する事により物を知り、その存在を認める
4.名色(なしき)
物の存在を認める事で自分の存在を認めて絶対のものと確信する
5.六入(ろくにゅう)
絶対的な自分の六根を通して物事を区別、分別する
6.触(しょく)
物事を区別する事で、記憶する事が出来って、はっきり意識して物事と関り合う
7.受(じゅ)
関り合いながら、喜怒哀楽を感じる様になる
8.愛(あい)
喜怒哀楽を感じる事により、楽しい物に心が奪われる様になる
9.取(とる)
愛着する事で、嫌いなものは遠ざけ、好きなものはどこまでも追い求めようとする欲望が生まれる
10.有(ゆう)
欲望が生まれる為、物事を自己本位に考える様になり、幸・不幸を感じて苦楽の意識が生じる。
その為、他人と競い争いながら他人と自分を差別する心が存在する
11.生(しょう)
差別する心は人が忘れる事の出来ない業を行ない、また新たな問題を生じさせ、やがて次の世代に輪廻する
12.老死(ろうし)
苦楽の意識を持ち、業を深めながら生きているうち、生への執着が強くなり、老いや死の恐怖が強くなり、悩みや苦しむを増す
天人や大衆の中において仏がこの法を説いて下さった時、
六百万億那由他の数の人々はすべての法を授かった訳でなく、また諸の煩悩を所有しいる身でありながら、
煩悩の束縛から心が解放されて、自由な境地を得られたのです。
そして、皆は不思議なくらい奥の深い禅定や三明並びに六通をえて、八解脱を身に付ける事が出来たのです。
また第二・第三・第四の法を説いて下さった時も、千万億恒河沙那由他等の数の衆生はすべての法を授かる事無く、
しかも諸の煩悩を持ていた身でありながら、心を解脱する事が出来たのです。
この事より以後、諸の声聞たちは計り知れないほどに増えましたが、不平を言う者がいる事が無かった。
時に、十六人の王子は皆、童子の頃より出家して沙弥(しゃみ)となったのです。
諸の能力に勝れて、智慧を完全に学び取り。すでに、過去において百千万億の諸仏を供養し、浄く梵行を修め、
阿耨多羅(これ以上ない)三藐三(一切;此岸〜彼岸)菩提(智慧を持つ者)を求めて、
そして、仏にはっきりと申し上げたのです。
”世尊よ、ここに居る限りない数の千万億の声聞は大徳があって、皆、すでに成就する事が出来ました。
世尊よ、さらに我らが為に、阿耨多羅三藐三菩提の法を説いて下さい。
我らはそれを聞き終たなら、皆共に学び、これを修めます。 世尊よ、我らは如来が持つ知識を望んでいるのです。
心の奥底に眠る思いを仏、自らが証となって、我らに知せて下さい。”
その時に、
転輪聖王が引き連れて来た家来の中から八万億の人は十六王子の出家を見て、また自ら出家を求む。
王はこれを聞いて、許したのです。
その時に
彼の仏が沙弥の願いを聞き、その願いを叶えて二万劫の時が過ぎた頃、
四衆の中において、この教えが大乗経の
妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念であると名付けた事を説いて下さいました。
この経を説き終わり、十六の沙弥は阿耨多羅三藐三菩提を得る為、皆ともに、教えを心に刻んで忘れないよう
声を出して唱え、脳裏に記憶したのです。
是の経を説て下された時、十六人の菩薩である沙弥は皆一人残らず、心から信じて教えを受けたのです。
声聞の衆たちの中からも、教法をまず信じた、後に理解する者がいました。
そのほかの千万億種の衆生たちは皆、疑惑を抱いたのです。仏が是の経を説いて下さった事を八千劫の時が過ぎても、
未だかって、余計なものである思いを止める事は無かったのです。彼の経を説き終わり、
そして静室(懺悔する所)に入り、八万四千劫の時の間、禅定を行ない続けたのです。
その時に
十六の菩薩である沙弥は仏の室に入り、独り寂しく禅定をしているのを知り、
各法座に昇り、八万四千劫の時の間、四部の衆の為に広く妙法華経を説いて理解させていたのです。
一人ひとり丁寧に六百万億那由他恒河沙と言う数の衆生を彼岸へと渡らし、そして、人に教えを示して喜ばし、
阿耨多羅三藐三菩提の心を起こさしめたのです。
大通智勝仏は八万四千劫の時が過ぎ去って、三昧より目覚めて、
法座に詣でて、安らかに座って、普く大衆にお告げになりました。
”ここに居る十六人の菩薩である沙弥(しゃみ)は、ただただ不思議な者である。
様々な勝れた能力をもって、この智慧を完全に学んだのです。
そして、すでに昔より数限りない千万億の数の諸仏を供養し、諸仏の所で常に梵行を修め、仏智を忘れ去る事無く、
また衆生に仏の智慧を開示して、仏の智慧を理解させたのです。
汝らは皆、必ずやこの者たちに幾度も親しみ近づいて供養するのです。
なぜならば、仮に声聞や辟支仏及び諸の菩薩が居たとして、この者たちが良く、十六の菩薩が仏の教えを伝承する為に述べた言葉を信じて、
述べた言葉を記憶して忘れる事無く、また言葉を変える事が無い者であるなら、是の人は皆、必ずや如来の知恵である阿耨多羅三藐三菩提を得る事が出来るのです。