私たちが住むこの世は
お釈迦様が言われた娑婆(耐え忍ぶ)世界であり、時代も、また格差が進んでいる時代である。だから、仏教から学ぶ事により、沢山の事が得られるのではないでしょうか?。
もう一度、自分自身を見つめ直すキッカケが作られたら幸いです。
担当:社会学科3年 山本栗栖(クリス)
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・利(利益)
他から与えられる恵みや幸福
・盲冥(もうみょう)
愚かで、欲に迷う事
・導師(どうし)
仏道を説き、人々を仏道に導く者
・長夜(ちょうや)
煩悩の事
・度脱(どだつ)
迷いの世界からさとりの世界へ導き入れること
・行(ぎょう)
身口意の働きのうち、時と共に遷り変わるもの
・業(ごう)
身口意の働きのうち、時と共に遷り変わらないもの
・仏(ぶつ)
真理を自らさとり,他をさとらせ,すべて満足している者の意
・梵天王(ぼんてんおう)
バラモン教の最高神、ブラフマーのことで、下位から梵衆天(ぼんしゅてん)、梵輔天(ぼんぽてん)、大梵天(大梵天)に細分化されている事より、
カースト制を意味している
・禅定(ぜんじょう)
欲や情で心が揺れ動かさず、常に一つの事に集中して心が静寂であること
・涅槃(ねはん)
煩悩を吹き消された状態を表す、つまりは悟りの世界(彼岸)で、一般には死を意味する
・須弥山(しゅみせん)
古代インドの生死観で、人は生きている間に行なった業により、死の世界が決まるとされていて、その世界を
縦に並べたものである。
今年も早いもので、大晦日まであと三日です。梵鐘が108回打たれる頃、私たちは無事、法華経が仕上がる様に
祈願するでしょう。
今日は、皆さん
皆さんは、何を祈願するのでしょうか?。あっ、そうそう。お寺では手をたたかない様に、また賽銭は投げ入れない事です。
仏教では欲を捨てろと教えているので、「今年こそ、○○をやめる」と願うのが正しいのです。
では、前回の続きです
鈴音:
「ヒッタイトと思われるアーリア人は先住民であるドラヴィダ人を武器をもって攻めた痕跡が無いのですが、
一般的には粗暴な印象があり、聖書もヘト人として登場する。また、ギリシャ神話のトロイの木馬で有名な民族です。」
山本夏:
「では、どうしたのですか?」
鈴音:
「アーリア人は当初、ガンジス河の上流域に住み着いて農耕を営んでいたのですが、徐々に、ガンジス河流域に
都市国家を築きながら、支配して行ったと思われます。
アーリア人は初めて鉄を作った民族とされ、その為か、釜戸の神(アヴェスタ)を氏神(ペナテス)として、先祖の霊を崇拝する原始宗教の基礎を築いた。
また、イスラム教とは違がって多神教で包括的であり、他の神も認める特徴があった。つまり、日本の風習に類似していたのです。
例えば、イランへ侵入したアーリア人はゾロアスター教の最高教典「アヴェスター」、更にインドへ到達したアーリア人は
「ヴェーダ聖典」を残し「ウパニシャッド哲学」
と呼ばれている世界最古の哲学的思惟で書かれているものなどを残し、歴史的には各文明に深く関った勝れた民族と評価されている。」
山本夏:
「どうして、勝れた民族のアーリア人があちこち民族移動したのですか?」
鈴音:
「はっきりした事は分かりませんが、インド・ヨーロッパ語族の内、
ヴォルガ川の東に位置する南ロシアの
ステップ地帯に住んでいた牧畜民をアーリア人
(原インド・イラン語族)と呼ぶだけ、そして、元前四千年紀から三千年紀までステップ地帯は緩慢であったが、その後、
気候が変化して砂漠化が広まった為ではないか?と言う説です。」
----続く。
この化城喩品(けじょうゆほん)は
この場面では過去の仏、大通智勝如来の事を描きながら、古代インドの死後の世界観を描いている。
それは、人の業により死後の世界が決まり、また生まれ来る世界が決まるという物である。
そして、業は煩悩の身であり、愚かであるから生じると悟り、無漏の法に至る事ができた。
その時、梵天(アーリア人の神;ブラフマー)が教えを乞いに来たのである。
つまり、梵我一如を超える事が出来たのであると
この場面は法華経がお釈迦様のどの教えであるかを描いたものである
------続く
今ここに居る者、世尊が安穏に仏道を成就されたのを見て、我らは善の利益が得られる我が身の徳を祝いながら、大に喜ぶのです。
衆生は、常に苦悩しているのも関らず、愚かで欲に迷っている為、道を説いて導く者が居なかったのです。
それ故、苦を終わらせる道を正しく認識する事が出来ずに、解脱(煩悩から抜け出す事)を望む事も知らないでいたのです。
煩悩の身である為に悪趣(悪道)を増して、諸天(古代インドの神々)の名を忘れ去り、迷いから迷いに入り、永い間、仏の名を聞くことが無かったのです。
今、仏は心を安穏にさせる事が出来る、最も勝れた無漏の法(煩悩が漏れることが無い法)を得られたのです。
我ら及び天・人はこの最大の恵みを得たいと望んで、この様に、一人残す事無く、頭を地面に擦り付けて、無上尊を心から仏やその教えに従がって敬います。」
その時に、十六王子たちが
偈(歌)をもって仏を褒め称え終わった。世尊に法輪を説いてもらい、教えを乞える様に勧める為、この様な言葉を述べた。
「世尊、如何か法をお説き下さい!。心を安らかにする数多くの法を。諸天・人民を哀れんで、多くの恵みをお与え下さい。
再び偈(歌)を歌いながら申し上げたのです。
「勇者(仏の異名)は他の者と比べる事など出来ない。百福をもって自らの身を恭しく飾って、この上ない智慧を得られたのです。
願わくは世間の為に法を説いて、我らや色々な生き物の仲間たちを迷いの世界からさとりの世界へ導き入れて下さい。
そして、皆の為に良く考慮し、はっきりと分かる様に示されて、この智慧を得られる様、お願い申し上げます。
もし、我らが仏を得られれば、衆生も、また得られるでしょう。世尊は衆生が持つ心の奥く深い所にある思いを知り、また行為に辿る道を知り、
また智慧力を知り尽くす。
そして、欲がる楽みや修めようとする福、一時の行いが避ける事も変える事も出来ないものとなる業などを
世尊は一つ残らず、知り尽されたのです。よって、必ず無上輪を転がして下さい。」
仏は諸の比丘に告げたのです。
大通智勝と言う仏が阿耨多羅三藐三菩提(迷いや不安などが一切無い心)を悟られた時、十方の各々の五百万億の諸仏世界が六種に震動し、
その国の中間にあって死者の行く処や太陽や月の威光でも照す事が出来ない所など皆、すべてを明らかにしたのです。
その中に住む衆生は互いの姿を見ることが出来たのです。そして、各々がこの様に口々に言ったのです。
「どの様にして、たちまちのうちに、この中に衆生を生じさせたのか?。」
また、その各世界の諸天の宮殿から梵宮まで六種に震動し、大光は普く照して、死者の世界にあまねく満ちて、諸天の光より勝さていたのです。
その時に、東方にある五百万億の国土の中で、ひときは梵天の宮殿の光明は光り輝き、常に明りは他の倍であった。
諸の梵天王たち、各々はこの思いを抱いたのです。
”この様に宮殿を照らした光明を昔より今まで、見た事が無い。何の因縁をもって、この光景が生じたのであろうか。”
この時に、諸の梵天王たちは各自集まり、共にこの出来事を審議したのです。それは、”彼の衆の中に、
名が一切救と言う。一人の大梵天王がいるのではないか?”と言う事です。
諸の梵衆の為に偈(歌)を詩って言ったのです
「我らが諸の宮殿で、かつて昔より今までこの様な光明が有った事が無い。これはどの様な因縁であるのか?宜しく、
各自、それぞれがこの光明を求めてみょうではないか?。
大徳の天が生まれようとしているのか。また、仏が世間に出ようとしているのか。まして、この大光明が遍く十方を照す訳を」
その時に、
五百万億の国土(カーストの身分)の諸の梵天王(バラモンの事)たちは、各々の宮殿を共に持ち、また諸の天華を沢山抱えながら
共に西の方角に向かい、この現象を訪ね歩いていた時です。
大通智勝如来が道場である菩提樹の下に座して、法座(獅子座)を開いて、諸天(しょてん)・龍王(りゅうおう)・乾闥婆(かんだつば)・緊那羅(ぎんなら)・摩喉羅伽(まごらか)
・人・非人(奴隷)の者達に周りを取り囲まれて恭敬されている所を見、
また十六王子に伝えるべき法輪(教義)を授けている所を見かけたのです。
諸の梵天王は、すぐその場で、仏の頭上の空中に留まり、仏を百千もの囲みを廻らして拝礼し、
天華を以て須弥山の様に仏の上を散ばめ、並びに、仏がいた菩提樹を供養したのです。その菩提樹の高さは十由旬(100q)でありました。
華を供養し終り、各宮殿を彼の仏に献上すると、このように述べたのです。
「ただ、我らを哀れんで、沢山の恵みを我らに施して下さい。願わくは、我らが献上した宮殿を納まる処に納めて下さい。」
時に、諸の梵天王たちは仏の前に歩みより、一心に声を揃え、偈(歌)をもって、仏を称えながら、申し上げたのです。
「世尊は、ただただ希な存在です。他に、世尊の様な価値ある仏に出会う事は難しいでしょう。思い計る事が出来ない功徳を身に付け、良く、すべてのものを
救って守り、天人の大師として世間を悲しみ、哀れんで下さり、
十方の諸の衆生は偏る事無く、皆が多くの恵みを得られる。我らは五百万億の国より、光明に従がって、参りました。
深い禅定の楽を捨てまでして、詣でた訳は仏を供養する為なのです。
我らは前世に福があって、宮殿(知識の事)を非常に良く整えられて、美しく飾る事が出来たのです。そして、今、世尊をあがめる事ができたのです。
ただ、願わくは我らを哀んで、我らの願いを聞き入れて下さい。」
諸の梵天王たちは偈(歌)を歌って仏を讃め終わった時に、各々はこの言葉を述べました。
”ただ、願わくは、世尊が衆生に法輪を伝え、衆生を度脱して涅槃への道を開き成されて下さい。”
その時に、諸の梵天王は一心に声を合わせて、偈(歌)をもって諭すように述べてのです。
”世雄両足尊(仏の別名)、ただ願わくは法を演説して、大慈悲の力をもって苦悩の衆生を涅槃へと渡らし下さい。”
その時に、大通智勝如来は黙って、これを許されたのです。
また、諸の比丘たち及び東南方向にある五百万億の国土の諸の大梵王たち、各々は自らの宮殿(体)の光明(智慧)をもってこの様に輝き照らした光明が
昔より未だに無かった所を照らし見て、喜びに湧き立ち、希なる心を生じたのです。
そして、お互いに集まって来て、この事を論議していた。その時に、彼の衆の中に大悲と名乗る、一人の大梵天王がおり、
諸の梵衆の為に偈(歌)でもって、分かるように言ったのです。
”この事(果)は何の因縁あって、この様な相(姿)を生じるのであると、
我らが諸の宮殿を照らした光明が昔より今日まで有っただろうか?。
この事は大徳の天が生まれたか?或いは仏が世間に出現れたのに違いない!。なぜならば、未だ曾て、
この様な現象を見た事が無いのであるからだ。必ずや、共に心を一つにして、求めるよう”
”例え、千万億の土(人)を過ぎたとしても、光(智慧の例え)を尋ねて、共に、これを見定めよ!。
多分、この事は仏が世に出現して、苦の衆生を度脱させる為であろう”
その時に、五百万億の諸の梵天王は宮殿と共に、それぞれの服を持ち、諸の天華を沢山抱えながら、
共に、西北方向に出向き、この相(姿)を推理しながら、訪ね歩いた。
大通智勝如来は道場である菩提樹の下に座り、師子座(法座)を開いていたのです。諸天・龍王・乾闥婆・緊那羅・摩・羅伽・
人・非人らに、囲まれて恭敬されているのを見、及び十六王子の仏に伝えるべき法輪を授ける所を見かける。
時に、諸の梵天王は仏の頭上の空中に留まり、仏を百千もの囲みを廻らして拝礼し、
天華を以て須弥山の様に仏の上を散ばめる。
並びに仏いた菩提樹にも供養したのです。
華の供養を終えると、各々の宮殿をもって、彼の仏に申し上げる為に、この言葉を述べたのです。
”ただ、我らを哀れんで、多くの恵みを与えて下さい。願わく、献上する諸の宮殿を納まえる所を教え下さい。”
その時、諸の梵天王は仏の前において、一心に声を合わせて、偈(歌)をもって、称えながら申し上げたのです。