南無妙法蓮華経
--------化 城 喩 品 偏-------

 

  私たちが住むこの世は
  お釈迦様が言われた娑婆(耐え忍ぶ)世界であり、時代も、また格差が進んでいる時代である。だから、仏教から学ぶ事により、沢山の事が得られるのではないでしょうか?。   もう一度、自分自身を見つめ直すキッカケが作られたら幸いです。  
  

   担当:社会学科3年 山本栗栖(クリス)


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

倫理の話

世界の神話



語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・阿僧祇劫(あそうぎこう)
これらは実際の時間ではなく教えの深さを表すのに用いられている。

・三千大千世界 三界の事で、すべての世

・知見(ちけん)
事物に対する正しい認識

・地種(じしゅ)
地に根付いた種、身に付けた習慣の喩え

・大通智勝
釈迦の師

・無碍智(むげち)
情や欲などに、捕らわれる事のない智慧

・無所碍(むしょげ)
情・欲・執着心・恐怖などに邪魔されない事

・忉利天(とうりつてん)
天とは、人間界以上の果報が得られる所で、悦楽に満ちて、神の住む所
天上界の中でも人間界に近い下部の6つの天は、依然として欲望に束縛される世界であるため、 これを六欲天と言い、そのうちの一つです。

・由旬(ゆじゅん)
帝王の軍隊が一日に進む距離といわれ、約10キロメートル、

・往詣(おうけい)
往生(おうじょう)

・憺泊(たんぱく)
物事にこだわらず、さっぱりしている


---編 集 録---

NHK紅白出演者や歌謡有線大賞も発表された今日この頃、もう少しで、お正月を迎えると思うと、 寂しさを感じるのは私だけでしょうか?

今日は、皆さん
もうすぐ、クリスマスです。プレゼントの準備は御済でしょうか?。私たちは貰う方なので、そんなの関係ね〜! では、前回の続きをどうぞ!!

山本夏:
「なるほど、それで仏教が生まれる前、インドではどんな宗教があったのですか?」
鈴音:
「その前に、インドはなぜ、インドと言うか知っていますか?」
山本夏:
「???」
鈴音:
「インドとはヒマラヤ山麓一帯の地域(パキスタン〜バングラヂシュ)を総称して、言います。そして、 インドラ(帝王)神(帝釈天のこと)を仰ぐことからインドとヨーロッパ人が付けたのです。

インドラ神は古代インドの神々で33柱の最高神とされ、約8700年前のトルコ付近にいた農耕・遊牧民族「ヒッタイト」 とされるアーリア(高貴な人)人によってもたらされたと伝えられている。

アーリア人は約2300年前に、黒海を渡りインダス河流域(インダス文明)に栄え、ハラッパーとモヘンジョダロの二大都市 を中心として三百にも及ぶ中小都市国家を滅ぼした。

約1500年前、一部のアーリア人は、更にイラン東部を経由してインド北部のパンジャブ地方へ進出し、 約1000年前にはガンジス川流域にまで達したものと考えられている。

そして、「リグ・ベーダ」を原典とし、先住民とみられるドラヴィダ人などを支配しながら、 現在のカースト制度につながる身分制度をかたちづくっていった。

先住民のドラヴィダ人は紀元3500年前、イラン東部の高原からインド西北の平野部へ移住した地中海人種であるとされる。 そして、水・牡牛・菩提樹を聖なるものとし、獣神としてのシヴァ神(吉祥な)や ソーマ(神聖酒)などを信仰し、リンガ(性器)の崇拝するタントラ教であったとされる。

そして、ドラヴィダ人はシヴァ神が女性と性交をして出来た世界に我々の住んでいると思っており、 何事も起るべくして起ているので運命を変える事は出来ないと考えている。当時の習慣としては婚姻様式は交叉婚であり、 ガンジス川の水で清めれば何でも治ると信じられている」

山本夏:
「アーリア人はドラヴィダ人を一気に攻めたのですか?」
鈴音:
「そうでは有りませんよ。」

----続く。

次ページへ

◆化 城 喩 品(けじょうゆほん)

ここからは、化城喩品(けじょうゆほん)です。
この場面は弟子である500人の阿羅漢たちに成仏の記を授け、その理由が化城喩品に描かれている。そして、 法華経の本当の教えが記されている。

この作品は古代インドの宇宙観やインドの様子が盛込まれている為、表現がSF的で、理解する事が難しいが、 最も、重要な部分である。

------終わり

●翻 訳 一

仏様(お釈迦様)は諸の比丘に、告げられたのです。
無量・無辺・不可思議・阿僧祇(あそうぎ)劫と言われる途方もなく、思いもつかない過去に、 大通智勝如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と言う、仏が居りました。 その仏国を好成(こうじょう)と言い、大相(どいそう)と言う時を過ごしたのです。

比丘たちよ、
彼の仏がこの世から去ってから今日まで、遥かに永い時が流れました。譬えば、すべて世界(三界)が所有する地種(習慣)を、 仮に、人を使って磨り潰して墨を作り、東に向かって進み、千の国土を過ぎた所で、極めて小さな塵のような点を一つ打つのです。

そして、また千の国土を過ぎた所で、再び点を打つのです。地種から出来た墨が無くなるまで、これを何度も繰り返して行くのです。

汝らはどう思うのであろう?
もし、数学者や数学者の弟子たちがいて、この者たちが力の限りを尽くして、その数を知る事が出来るかどうか。」

「出来ないでしょう、世尊。」
「諸の比丘たちがいて、この人達が歩んできた国(心)において、もし、留めたものと留めなかったものを悉く、塗りつぶして塵を作り、 一塵を一劫とします。

そして、彼の仏の滅度より今まで、この様な事を幾度も繰り返して、無量・無辺・百千万億・阿僧祇劫が過ぎたのです。 我は如来の知見力をもって、すなわち、彼の遥か昔の事を今日、目にする様に 感じる事が出来たのです。」

この部分は古代インドの人の宇宙観を表している。この世は欲界・色界・無色界から成り立ち、更に人は欲界を 六つに分けられた六道を輪廻転生するものと思われていた。輪廻転生の理由は業によるもの、つまり、因果応報です。

そこから、抜け出す(=解脱、げだつ)ためには、アートマンがブラフマンと一体であるという真理を得なければなりません。 また、千の国土とはカーストにより、細分化された身分つまり、職業の数。

その時に、世尊は再びこの意義を伝え様として、偈(歌)を読み、諭す様におしゃるのです。
「我は人が思いも及ばない遥か昔の過去世を思うに当たって、その昔に大通智勝と言われた仏両足尊(如来の別名)がおりました。

人の力をもって、三千大千の土(すべての世の土地)を磨り潰し、地種とする。この諸の地種を作り終え、これらすべてを墨にして、 千の国土を過ぎて、そして、一の小さな点を打つのです。これを次から次へと繰り返して、小さな墨の点を沢山打ち続ける。

この様にして、諸の国土に印したものと印さ無かったものを等しく、また、塗りつぶして塵とし、一塵を一劫とする。 この諸の極小の塵の数ほど、その劫数が過ぎ去ったのです。

よって、彼の仏の滅度より今までに、この様な無量劫が過ぎたのです。如来の無碍智は彼の仏の滅度、及び、彼の仏の 声聞・菩薩を今、見たかの様に知る事が出来るのです。

諸の比丘よ、必ず知るのです。
仏智は浄くして、言葉にすら出来ないほど勝れており、更に無漏・無所碍である為、無量劫を見通す事ができるのです。」

仏は諸の比丘に告げられた。
「大通智勝仏の寿命は五百四十万億那由他劫であった。その仏が本道場に座して、魔軍を払いのけ、ついに 阿耨多羅三藐三菩提を得る事が出来たと悟ったが、しかし、諸仏の法が目の前に現れる事がなかった。

この様に、一小劫から十小劫に至るまで、蓮華坐(れんげざ)して心身を動かされる事がなかったにも拘らず、 諸仏の法が目の前に現れることが無かったのです。

その時、忉利天の諸天 より、彼の仏の為に、菩提樹の樹の下に高さ一由旬の師子座(説法の座)が敷されました。仏はこの座において、確実に阿耨多羅三藐三菩提を 得たのであると思われて、はじめて、この座に座る事が出来たのです。

時に、諸の梵天王は各面ごとに、高さ百由旬なるまで数々の天の華を雨らしました。時折り、香風が吹き、萎んだ華を吹き去って、 更に新しき華を雨らす。

この様に絶えず十小劫の時が満ちるまで仏を供養したのです。また、この華は仏の滅度まで降る続いたのです。

そして、四王の諸天たちは仏を供養する為に、 常に天の鼓を撃ち、その他の諸天たちは天の伎楽を演奏して、十小劫の時が満ちた。また、それも仏が滅度に至るまで続いたのです。

諸の比丘よ
大通智勝仏は十小劫を過ぎた後に、諸仏の法を今、目の前して、阿耨多羅三藐三菩提を 達成する事が出来たのです。

その仏が未だ出家しなかった時に、十六人の子がおり。その長男の名を智積(ちしゃ)と言い、王子たち、皆は各々珍しい玩具を持っていました。 父が阿耨多羅三藐三菩提を成就した事を聞いて、王子たちは興味を引く珍しい物を捨てて仏の所に詣でたのです。

諸の母は涙を流して泣きながら、子らの後に随い、子らを見送る。また、その祖父、転輪聖王は百人の大臣及び百千万億人の人民と共に、 子らの周囲を取り囲みながら、子らの後に随って道場まで付いて行ったのです。

皆、大通智勝如来に親しみを持って近ずき、供養・恭敬・尊重・讃歎しょうと願って、仏の下に行くと、仏の足に額を付けて礼しする。 仏を祭り終えて一心に合掌し、世尊をあおぎ見て、偈(歌)をもって、仏の徳をたたえながら、明に申し上げたのです。

「大いに威徳ある世尊よ、衆生に苦海を渡らす為に、数知れないほどの年月の億歳をもって成仏する事を得て、諸の願いを叶えられました。 宜しく、この上ない喜ばしい事を成し遂げられました。世尊は世にも珍しい人です。

一度、座られると十小劫と言う間、身体及び手足を静ずかにさせて、安じて動かす事無く、 その心は常に物事にこだわる事が無く、また未だに乱される事が無い。そして、物事の本質を突き詰められて、 永く、心を寂滅して、無漏の法に安住なされた。

前項へ次項へ