南無妙法蓮華経
-----観 持 品 偏-----

 

  私たちは宗教を特別な目で見ていません。
  現代の様なストレス社会だからこそ、お釈迦様が説いた智慧が必要なので無いかと考えています。
  だから、hpを開いたのです。  
  

   担当:社会学科3年 夏生 美夏


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト







語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!




 


---編 集 録---

”線香の 煙たなびく 秋彼岸 笑顔の君に 恋する日かな”
幼くして、亡くなった弟の墓参りに行った時のこと、すれ違った若者に亡き弟の 面影を見た想いがして、読んだ歌

今日は皆さん
お元気でしょうか?。私も元気です、たぶん?
夏休み明けで、何を書いたらよいか分かりません。他の女の子たちは半分元気だと思います。? だだし、テストの結果次第です。と言う事で前回の話の続きをどうぞ!。

美夏;
「あの〜、仏教とキリスト教と初めとする宗教の違いは何ですか?」
鈴音:
「では、最初に砂漠の一神教から話しをしましよう。砂漠の一神教と言えば、ユダヤ教・キリスト教・ イスラム教との事です。

そして、これら三教ともエルサレム神殿を聖地とし、イスラエル地母神「ヤーウェ」だけを仰いでいますが、 経典はユダヤ教が旧約聖書、キリスト教が新約聖書、イスラム教がコーランと言うように異なります。

まずはユダヤ教の成り立ちから始めましょう。
紀元前2000年頃、
イスラエル人の祖であるアブラハムの一族は古バビロニアのハムラビ王に襲撃され、 ウルからハランの南方カナンの地に定住する様に成ったのです。
紀元前1600年頃、
ヒクソスが古代エジプトを支配するとアブラハムの孫の子にあたるヨセフの一族がエジプト に移住するのですが、ヒクソスが倒されるとヨセフ一族(ユダヤ人)はエジプトの奴隷となったのです。
紀元前1230年頃、
奴隷から逃れる為、モーセをリーダとしてエジプトを脱出しカナンに向かうのですが、 40年間もシナイ半島、ネゲブの砂漠をさ迷う事になるのです。そして、その時に部族の戒律が モーセの十戒 が作られたのです。
モーセの死後、ユダヤ人たちは約束の地カナンに入り、ヨシュアを指導者としてエリコを攻撃し、住民を滅ぼして イスラエル人の12部族にカナンの土地を分け与えた。やがて、部族間の統一を計るためヤーウェを神とする 宗教的な共同体を形成したのがユダヤ教の始まりです。
紀元前1100年頃、
それまで、イスラエル民族は緩やかな部族連合を保ち、危機に直面するたびに土師(しし)と呼ばれる カリスマ的な軍事指導者が民衆を守っていたのですが、ペリシテ人に攻められ大きな打撃が加えられて 王政に移行し、サウルが初代国王に任命され、ダビデ王の時にエルサレムを首都してイスラエルを建国する。
紀元前922年頃
ソロモンの時、イスラエルは繁栄し、エルサレム神殿を築くのだが、ソロモンの死後に 人々に課せられた重税と過酷な労働への反発からイスラエルはイスラエル国(北国)とユダ国(南国)に分かれて 争うようになるのです。
紀元前721年頃
イスラエル国はアッシリアにより滅亡され、ユダ国はその属国と成るのです。
紀元前612年頃
アッシリアが新バビロニアによって倒されると、エルサレムも侵攻されてイスラエル人 はバビロンの捕囚と成ったのです。
10年後、
ゼデキア王が独立を試みたが失敗し、エルサレム城壁もろとも神殿までも 破壊されてユダ国は終に滅亡した。
紀元前333年頃
アレクサンドロス大王がペルシアのダレイオス3世を打倒すると、ユダヤ地方もギリシアの支配下になって、 ヘレニズム国家支配時代が到来し、ギリシアの自由政策のもとユダヤ人による自治と宗教の自由が認められるのです。
紀元前323年頃
アレクサンドロス大王の死後、後継者をめぐりディアドコイ戦争が起こり、 セレウコス朝シリアによりユダヤ地方は支配されてヘレニズム化政策を強引に押し進め、 エルサレム神殿での異教崇拝などを強要した。
紀元前164年頃
ヘレニズム化政策のためユダヤ人の反感が高まり、マカバイ戦争が勃発し、セレウコス朝からエルサレム神殿を奪還する
紀元前143年頃
セレウコス朝の支配をのがれ、マカバイ家による支配を確立させた再びユダヤ人の独立国家ハスモン朝が誕生した。
紀元前63年頃
ローマがセレウコス朝を滅ぼした頃、ハスモン朝ではヨハネ・ヒルカノス2世とアリストブロス2世の争いが 続いていたが、ヨハネ・ヒルカノス2世がローマの支援を受けてユダヤの実権を握った。
紀元前37年頃、
ヒルカノス2世の将軍アンティパトロスの息子ヘロデが王位に付くとハンモス朝の血を引く者を皆殺しにした為、 ハンモス朝は滅んだ。またこの時、ナザレのイエス(イエス・キリスト)が誕生した。
紀元前4年頃、
ヘロデの息子たち失政のために、ローマの総督による直轄支配となった。
紀元70年頃
ローマの総督たちの失政や宗教観の違いより第1次ユダヤ戦争が勃発し、エルサレム神殿を破壊され ユダヤ人は故国を失い、多くのユダヤ人が捕虜となり、ローマ帝国全土に奴隷として売られた。
紀元132年頃
第2次ユダヤ戦争が勃発し、ユダヤの地はパレルチナと改名され、ユダヤ教を信じるものは死刑される様になった。
その後、ユダヤ教の学問の中心はガリラヤ地方に移り、ファリサイ派の伝統を下地に、今日の現代ユダヤ教にまで 発展するユダヤ教の原型ができた。一方、ナザレのイエスの活動から、普遍的な教義を 受け入れたグループ(ユダヤ教ナザレ派)は初期キリスト教(原始キリスト教)に発展する。」
--続く

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◆観 持 品(かんじほん)

ここからは観持品(かんじほん)です。
この作品では、お釈迦様が去られた悪世において、弟子たちがするべき事が書かれている。 つまり、人は自己中心的で、表では人に従うように見えても、心では疑念を懐いて居る者が多い そ言う者にお釈迦様の教えを説いて、悟りを得させることである。

また、ここでは女性にも成仏出来る事を予言する場面が描かれている

------続く

●翻 訳 一

その時、
薬王大菩薩と大楽説(だいぎょうせつ)大菩薩と、仲間の二万人の菩薩達と共に、仏の前で、誓いの言葉を語った。

”世尊よ。どうか、心配成されません様にお願い申し上げます。
我らは仏が世を去られた後、この経典を大切に守り続ける為、忘れない様に経を声に出して読み、 また仏の教えを人に聞かせます。

仏が去られた後の悪世に生きる者達は善根が少なく、 高慢心が多く、高価なお供えもの(利供養)を要求(貧り)して、悪事に変わる種(不善根)を増やしながら、 欲から解脱する事から遠く離れて行く。

この様に教化する事が難しいのでありますが、我らは大いなる忍耐力をおこし、 この経を声を上げて読み、教えを忘れ去らないようにします。時には教えを人に聞かしたり、経を書写したりして、 様々な供養を施こします。そして、それらの事を身命を惜しまず(不惜身命)に行ないます。”

その時、
集り来た五百人の阿羅漢(あらかん)の内、将来、仏になる事を予言された者たちが、仏にはっきりと述べた。 ”世尊よ、我らもまた同じ様に誓いを立てましょう。他の国土において広くこの経を説くでありましょう。”

また、学(預流果、一来果、不還果)・無学(阿羅漢の事)の八千人の弟子の中から未来仏の予言を受けた者が、 座から立って合掌し、仏に向かって誓いを立てたのです。

”世尊よ、我らもまた、他の国土において広くこの経を説き、歩きます。
なぜならば、この娑婆世界(この世)においては人に危害を加える悪人が多い為、人は自分勝手に振舞う増上慢(ぞうちょうまん) の心を懐いて功徳が薄い。

その為、心は怒りや恨しみに染り、他人に媚びへつらいながらも疑いの気持を持って、 常に不誠実であるのです。”

その時、
仏の叔母で偉大な波闍波境(はじゃはだい)比丘尼と、その仲間で修行中の者や修行を終えた比丘尼たち六千人と、共に座を立って、 一心に手を合わせながら、世尊の顔をまばたきもせずに仰ぎ見ていた。

その時、世尊は若くして我が子を亡くした僑曇弥(きょどんみ)比丘尼に告げられた。
”どうして、悲しげな顔して我(如来)を見つめているのか。

汝は今、心の中で我が汝の名を呼び、そして、未来世に汝がこの上ない正しい悟りを得られる予言 をしなかったと思っているのではないか。

僑曇弥よ、
我は以前にまとめて、すべての弟子達にその予言を授けているのだ。今、汝がその予言を知らないと思っているなら、 それはこうである。汝は未来に、六万八千億の諸仏の教えの中で、偉大な法師となるであろう。

また、汝に従ってきた修行中の者や修行を終えた者の六千人の比丘尼も、同じく法師となるであろう。 汝はこの様にして次第に菩薩の道(六波羅蜜の事)を備えてから、仏になる事が出来るであろう。

その名を一切衆生喜見(いっさいしゅうじょうきけん)如来應供・正偏知・明行足・善逝・世間解・無上士 ・調御丈夫・天人師・仏世尊というであろう。

僑曇弥よ、
この一切衆生喜見仏は六千人の菩薩に次々と仏になる予言(記)を授けて、この上ない正しい悟りを得させるであろう。”

その時、羅護羅(らごら)の母であり、お釈迦様の出家前の妃であった耶輪陀羅(やしゅたら)比丘尼はこの様に思いを 懐いていた。「世尊は予言を授けているときに、独り私の名だけをあげられなかった。」

仏は耶輪陀羅に告げられた。
”汝、来世にて百子万億の諸仏の教えの中で、菩薩行を修めて偉大な法師となり、 次第に仏道を歩んで善き国において仏となる事が出来るであろう。

その名を具足千万光相(ぐそくせんまんこうそう)如来・應供・正偏知・明行足・善逝・世間解・無上士 ・調御丈夫・天人師・仏世尊というであろう。 その仏の寿命は数える事が出来ない、果てしない時が過ぎるであろう”

その時、
偉大なる波闍波堤比丘尼や耶輸陀羅比丘尼とその仲間の者達は大きな喜びに包まれ、今までに味わう事のない気持ちを 懐き、仏の前でこの歌(偈)をもって、仏に述べた。

”天上界や人間界の人々の心を安心して下さった導師、世尊よ、 我らに、仏の悟りが授かる事を予言されて、我らが心は安らぎ、満足しました。”

多くの比丘尼はこの歌(偈)を歌い終わると、仏に向かってこう述べたのです。
”世尊よ、我らもまた、他国において、沢山の人にこの経を聞かせましょう。”

その時、
世尊は、八十万とも億とも那由多(なゆた)とも言われる数の沢山の菩薩を見わたされた。

この沢山の菩薩たちは阿毘跋致(あびばっち)であり、二度と欲や迷いに苦しめられずに、 不退転の法の輪(欲→貪り→迷い→悩み→病気→苦しみ→死)を転がし、 数々の陀羅尼を得たのです。

そして、彼らは座から立ち上って仏の前に進み、一心に合掌してこう思った。
「もし、世尊が我らに自らの考えに基づいて、この経を説きなさいと告げて下されば、仏の教えに従がって、 多くの人にこの教え伝えるだろう。」





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