南無妙法蓮華経
---提 婆 達 多 品 偏---

 

  私たち、女子大生は法華経を読んでいる時に気付いたのです。
  自分たちが生かされている事や、他の人を生かしている事をです。   だから、このhpも同じ様に訪れた人が何かを悟れる助けと成りたいのです。
 
  

   担当:教育学科3年 五十嵐 帆美


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト







語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・尊者(そんじゃ)
知識・徳行の備わった、尊敬すべき人。釈迦の弟子や祖師・高僧の尊称に用いる。

 


---編 集 録---

”秋空に 恋する人よ 泣くなかれ 蓮華をめでて 人癒されん”
クラブの会合で、久しぶりに後輩の子と会って話しをしたら、急に失恋の話しを 始め、泣き出したので、その子を慰めている時に詠んだ歌。

今日は皆さん
オリンピックを夜遅くまで見ていて、眠くありませんか?私は眠たいのです。さて この法華経も、提婆達多品で半分に成りました。ここまで読ん出来たあなたなら

お釈迦生の説いた事が分かって来たのではないかと思います。難しく言うと諸行無常である から諸法無我であり、 一切皆苦であるから、涅槃寂静である。

簡単に言うと、この世のすべての物は変わり続けるものであり、その中において変わらぬものを見つける ことは出来ない。よって、すべての物の存在は変化、つまり苦の中で成り立っている。 だからこそ、悟りを得られる。と言う事で、前回の話しの続きをどうぞ!

帆美;
「どうやって、日本に仏教が伝えられたのですか?」
鈴音:
仏教伝来には色々な説が有りますが、535年に百済の聖明王より欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典, 仏具などを献上された事より始まったと聞いています。

これは今まで様な山岳信仰に見られる人の直観や情を捨て、観察力によって 得られた知識や智慧で、論理的に物事を考える新たな教え、仏教を薦めれたと言う事です。

また仏教の伝わり方には北伝仏教(大乗)南伝仏教(小乗)の2種類がありますが、 日本では北伝仏教と言われる大乗教とヒンズー化された密教が伝えられた。

大まかに言うと、前4世紀末のお釈迦様の死後、マガダ国からチャンドラグプタがマウリヤ朝をおこし、初の統一王朝が誕生する。

前3世紀なかばのマウリヤ朝のアショーカ王がカリンガ遠征を期にダルマ(法)に基づいた国づくりをする為に仏教を保護する 第3回仏典結集(パーリー語)を行い、サンチーにストゥーパ(仏舎利を納めた塔)が建てられた。

1世紀になると中央アジアの支配権を握ったイラン系のクシャーナ族がインダス川流域にクシャーン王朝を開き、 中央アジアからガンジス川中流域までを支配した。

2世紀半ば頃、クシャーン朝カニシカ王の庇護の下、ガンダーラ(パキスタン) を中心に各地に仏塔を建造すると共に 第四回結集が行なわれた。その後、シルクロードを通じてクシャーン朝の僧の伊存(いそ)によって中国(前漢)に伝えた。

3世紀、伊存により口授されたものから、サンスクリット語で書かれた仏典を漢訳する様になったが、この頃は 道教儒教の影響が強く 格義仏教と呼ばれた。 4世紀、仏図澄や鳩摩羅什よって修正され、これが日本に伝えれれた。」

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◆提 婆 達 多 品(だいばだったひん)

ここからは提婆達多(だいばだったほん)です。
この提婆達多品はバラモン教で説かれた業をついて否定するため、提婆達の話を載せた。 つまり、穢れた魂は貧しく、醜いもので悪事を働き、人に災いをもたらすとする因果説を 否定するものです。

仏教では縁により因を生じて果になる事が説かれている。つまり、悪い環境で魂は穢れるのだから、 良い事をする事で、穢れた魂は良くなり、悪人も、善人に成る事が出来ると。

また、後半の女の人でも、仏に成れる訳はお釈迦様も、母から生まれたからです。 つまりは穢れている女の人から生まれて、悟りを開いたのです。この事実を認め、 女の人でも、仏に成れるとした。

以上の二つの事で、誰でも仏に成れるチャンス(仏性)がある事の証明をしたのです。 でも、人は欲に捕らわれている為、苦しみを味わないと気ずかない。

------終わり

●翻 訳 三

二人が論じ合って、未だ終わらない時に、龍王の娘が仏の前に姿を表して、仏の足に額を付けて礼拝し、 それを終えると下がって、その場に腰をおろし、仏を讃める様に歌(偈;げ)を詠んだのです。

「深く罪とは何か、幸福とは何かを見極められ、その事を十方の世界(天国・地獄を含めたすべての世界)に 偏り無く、照らして示された、言葉では表す事のできないほど清らかな法身(真実の法を悟る身)であり。

もし、その身が人前に姿を表す時、三十二相の吉相や八十種の福相をもって、その法身を美しく飾り立てて、 天上界や人間界の人々に有り難いと仰がれる所となり、龍神も、一人残らず謹み敬うでしょう。

すべての生きとし生きるもので、仏を心から信じて、その教えに依りすがらないのもなど無い。 それは、仏の言葉を聞いて、悟りを開く事を唯一、仏のみが悟られ、承知なされているからです。

我は大乗の教を人に分かり易く説明しながら、苦しみにもがいている生き物たちに悟りを開かせて 苦しみから逃れさせたいのです。(度脱;どだつ)」

その時に、舎利弗(しゃりほつ)は龍王の娘に自ら語りかけたのです。
「汝は僅かな時間で、この上ない道(仏道=最高の人道)を得たと思っている様だが、我にはその事が信じられないのである。

なぜならば、女の身は垢(欲情)で汚れている為、法が授かる様な 器(智慧)を持っていないと言うのに、どの様にして仏の最高の悟りを得たと言うのだろうか?。

仏道は遥かに遠い道のりである為、思いも及ばない年月を経て、苦労しながら様々な修行を積みながら、 一つずつ様々な煩悩を消し去って行き、そして、最後に仏に成る事が出来るのだ。

また女人の身には、更に五障(バラモン教より)があり、 一にはバラモンの最高位である梵天王に成る事が出来ない、二にはインドの神々の帝王である帝釈、 三には人命を害し、人の善事を妨げる魔王、四には偉大なる統治者である転輪聖王、 五には自ら真理をさとり、他人に真理をさとらせる真の覚者である仏身などである。 つまり、常に主体性の無い女の身でありながら、どうして速かに成仏する事が出来るであろうか?。」

その時に、龍王の娘は一つの宝珠を持っていたのです。その宝珠の価直はこの世の三千大千世界と等しいものであった。 龍王の娘はそれを仏に献上し、仏はそれを受け取られたのです。

龍王の娘は智積菩薩や舎利弗尊者(しゃりそんじゃ)の二人に思いを告げたのです。 「我が献上したものを仏は速やかにお納め下さいますか?」

二人は答えた。
「すんなりと、納められた。」

そして、龍王の娘は次の様に述べた。
「汝ら、神力をもって我が仏に成る所を見よ。」

するとまたもや素早く、龍王の娘はその時に集まった者たちの前で、突然、男の子となり、 菩薩の修行を修めて、南方の穢れない世界に行き、宝の蓮華に座って仏と等しい悟り(等正覚) を得て、三十二相や八十種好を表し、あらゆる世界のいきとし生きるもの為に勝れた法を 説いている姿を見せたのでした。

その時に、娑婆(しゃば)世界にいる菩薩と声聞(小乗の弟子)と天と龍と 八部衆と人と非人(獣)などの皆が、遥かに彼の龍王の娘が成仏して、 一人残さず、その時集まった天上界や人間界の人々の為に法を説くを見るのである。

そして、皆の心は大きな喜びに包まれて、遥かに敬礼するのである。 また、法を聞いた数えられない衆生は真理を悟り、再び、欲に目が眩むことの無い不退転の心を得る。

更に数えられない衆生は女でも、仏になれる道がある事を証明されたのである。 そして、穢れない世界(小乗の仏界)は六回、天地がひっくり返るほど震動し、 娑婆世界(この世)に住む三千の衆生は不退の地(大乗の仏界)に住み着いたのである。

三千の衆生は仏に成れる証を得られて、悟りを求める菩提心を起こすのであった。 そして、智積菩薩や舎利弗、及び集会に集まった者たちは黙ったまま、その事を信じて 心の底で受け取ったのである。





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