南無妙法蓮華経
---提 婆 達 多 品 偏---

 

  私たち、女子大生は法華経を読んでいる時に気付いたのです。
  自分たちが生かされている事や、他の人を生かしている事をです。   だから、このhpも同じ様に訪れた人が何かを悟れる助けと成りたいのです。
 
  

   担当:教育学科3年 五十嵐 帆美


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト







語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・般涅槃(はつねはん)
完全な涅槃の事

・浄心(じょうしん)
素直

・仁(じん)
人。また、人を敬っていう語 ・六波羅蜜(ろくはらみつ)
1.布施
2.持戒
3.忍辱(にんにく)
4.精進
5.禅定(ぜんじよう)
6.智慧(般若(はんにや))の各波羅蜜。

 


---編 集 録---

”夕涼み うちわ片手に蝉の声 心に沁みんひと夏の恋”
ボラバイトの帰り道、小さな公園を見つけて、 そこで、一休みしょうと思って缶コーヒーを買い、ベンチに腰を掛けながら飲んでいると、何処からと無く、 蝉の声が聞こえてきた。その時、もう夏休みも終わりかと、ふっと、思って読んだ歌。

今日は、皆さん
お盆も過ぎて、もう秋ですネ。夏休みも、あと少しで終わりですが、楽しい夏の想い出を 作る事が出来たでしょうか?。私たちも、それなりに夏の想い出を残すことが出来たと思います。 でも、憂鬱な事が一つ有ります。それは試験ナァ〜ノダ。と言う訳で、前回の話しの続きをどうぞ!

五十嵐帆美:
「どうして、インドから仏教は消えたのですか?」
鈴音;
「紀元前4世紀のインドで、すべての苦悩は苦悩を感じる人に原因があるとする仏教が釈迦によって生れました。 そして、彼の死後に出家者集団(僧伽、サンガ)により、釈迦の言葉をまとめた教典(スッタニパータ)が作られるのです。

紀元前3世紀ごろのアショーカ王の時代、出家者集団は托鉢の時間をめぐる教義の解釈の違いにより、 上座部と大衆部の二つに大きく分裂する根本分裂が起きる。

更に時代が進むにつれ、多くの部派に分裂し、いわゆる小乗20部が成立した。 この時、各部派から伝えだされた経・律・論の教説が部派仏教と呼ばれたのです。

そして、世紀前後ごろ、在家者と釈迦の墓(仏塔、ストゥーパ)の守護者たちの間から、 出家することなく在家のままでも、仏になれるとする大乗仏教運動が起き、一世紀ごろ 龍樹(ナーガールジュナ)らによって理論付け (中論、空=縁起=無自性)されて、 般若経600巻が誕生した。

これにより、自らの悟りしか求めよとしない部派仏教で、特に有力な説一切有部を指して、 小乗仏教と呼ぶ様になったのです。

しかし、大乗仏教も、お釈迦様が嫌がった呪術的な要素を含むと共に、誰でも弟子に成る事が出来ため財を成す 者があらわれ、最後にはお釈迦様の教えは単なる仏界の入り口しか過ぎないとし、以前のバラモンと同じになり 、非仏教と呼ばれるようになったのです。

終に、7世紀ごろ、以前のように明確な言葉で仏の教えを伝えるのではなく、タントラ教の様な秘密の教義と儀礼 を仏教に取り込み、そして、その技法を師匠から弟子へと秘密裏に伝え持とうとする密教が誕生したが、 ヒンズー教と変わらないとして、インドから消えたのですよ。」

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◆提 婆 達 多 品(だいばだった)

ここからは提婆達多(だいばだったほん)です。
この場面は悪人であった提婆達多がお釈迦様に仏道を悟らす切っ掛けを作り、尚且つ将来、仏に成る事が 描かれている。また、人でない女の子でも、仏に成れる事を描いている。

その理由として、文殊師利が述べている所にある。すべての法は空で、自から何かを生じることも、滅する ことも出来ないからだ。何かを変えるときは、必ず縁(条件)が必要になる。

つまり、悪人でも、女の子でも、仏になる因(慈悲)とそれを育てる縁(環境)が揃えば仏になれる事を 示している。

------終わり

●翻 訳 二

”天王仏(てんのうぶつ)が肉体を離れ、完全な悟りの境地に入った(般涅槃;はつねはん)後、 二十中劫と言う時、仏の教えが世の中に正しく伝へられる。また、仏の遺骨は高さ六十由旬 、広さ四十由旬の七宝の塔を起てて、その中に納められる。

また、沢山の天上界の人々や庶民たちの皆は色々な花や抹香・焼香・塗香 ・衣服・瓔珞(ようらく)・幢幡(どうばん)・宝蓋(ほうがい)・妓楽(ぎがく)・仏を誉めたたる歌などを供養しながら、 七つの宝で飾られた珍しい塔を礼拝するのである。

そして、数知れないほど多い衆生は修行者として、最終の地位である阿羅漢果(あらかんか)を得、 また、数限りなく多い衆生は一人ぼっちで、真実を悟ろうと修行する辟支仏(びくしぶつ)を悟り、

また、考えの及ばない数の衆生は仏としての最高の悟りを願い求め様とする菩提心を起こし、教えを信じて 思いが変わることのない不退転の心に達するのである。”

更に仏は多くの比丘(びく、出家信者)に述べたのである。
”もし、未来の世において、信仰心のある青年、或いは女の人がいて、妙法華経の提婆達多品を聞き、 素直に信じて敬まい、疑惑を起こさない者は、地獄、餓鬼、畜生の道に堕ちずに、必ず仏のいる所に生まれる。

そして、生まれた所において、常に法華経を聞く事が出来るのです。 もし、人間界や天上界の中に生まれたとしても、この上ない喜びを味わうでしょう。もし、仏のいる所に生まれたならば、 蓮華より生まれるでしょう。”

その時、下方の世界から多宝如来のお伴にやって来た菩薩がおり、名を智積(ちしゃく)と言い。 この菩薩が多宝如来に申し上げたのです。
「もう、本の世界に帰りましょう。」

その時、釈迦牟尼仏は智積菩薩に告げ様におしゃいました。
「善男子よ、しばらくお待ち下さい。ここに居る菩薩、文殊師利と会って、妙法について議論してから 本の世界に戻られてはいかがでしょうか。」

その時、文殊師利(もんじゅしり)は大いな車輪の様に千枚からなる蓮の花びらの上に座りながら、 同じ様に蓮華座にすわる菩薩を供にして、大海の裟竭羅龍宮(しゃからりゅうぐう)より、 ひとりでに湧き出して、邪魔するものが無く、すべてのものが存在する空間に身を置く。

そして、霊鷲山に向かう。霊鷲山に到着すると蓮華(れんげ)から降りて、仏の前に歩み寄り、 二人の世尊の足に額を付けながら、礼拝する。それを終えてから、智積菩薩の所に行き、互いに労をねぎらった。

そして、その場に腰を下ろして、智積菩薩は文殊師利に問うのであった。
「仁(きみ)、龍宮(りゅうきゅう)に行って、教え導いた衆生の数は何人くらいですか?。」

文殊師利は答えた。
「その数は計り知れないほど多く、数える事が出来ないのです。よって、口にして何人とは言えないのです。 また、あなたが心で描がける数ではありません。もう暫く、お待ち下さい。その証拠をお見せしますので、 自分の目で確認して下さい。」

そう言い終わらないうち、無数の菩薩が貴重な蓮華の上に座りながら、海(苦海;この世)より湧き出し、 霊鷲山(りょうじゅうせん)の虚空(自由な空間)に集まって来ました。

この沢山の菩薩たち、皆は文殊師利が教え導いた者達であった。そして、菩薩の行を 修行している人は、互いに六波羅蜜について論じ合いながら、その道を極めようとしている。

また、以前に教えを聞いた人(声聞)は空中に留まりながら、四諦の法に頼って、自己の解脱(声聞の行) のみを説明するのであった。

しかしながら、今、皆は大乗の空の意義を修行するのであった。
文殊師利は智積菩薩にはっきりと述べた。
「海で、我が人を教え導いた事は御覧頂いた様なものです。」

その時に、智積菩薩は偈(げ;句)を詠んで、誉めて述べたのです。
「汝は大きな智慧と徳と勇気と強い意志をもって、数え切れない人たちを教え導いて、悟りの世界へ渡したのですね。 今、ここに集まった者達や我はすべてを見ました。

汝は真実の有り方の意味を解き明かし、唯一人を苦から救われる法を明らかに示して、 広く色々な人々を導いて、速かに仏の悟り(菩提)を授けさせたのである。」

次に文殊師利が述べた。
「我は海中で、ただ、常に仏の説いた妙法華経を伝え歩いただけです。」

智積菩薩は文殊師利に尋ねた。
「この経はとても奥深くて、細かな所まで行届いていて、数ある教えの中でも貴重なものであり、 世にも珍しいものです。もし、衆生が一生懸命に努力して、この経を修行したとして、 速やかに仏の悟が得る事が出来るでしょうか。」

文殊師利はこの様に答えたのです。
「裟竭羅龍王(しゃからりゅおう)の娘がいました。まだ、歳は八歳ですが、智慧があって生まれつき賢く、 良く、衆生の心の中にあるものや、振る舞いや、その成り行き(行業)を知り抜いて、 忘れては成らない大切なもの(陀羅尼)を身に付け、

そして、多くの仏が説いた教えやその奥底に眠る奥義まで、良く、理解した後に、 深い精神統一(禅定(ぜんじょう))より、 色々な法を習得し、短な時間でも、真実を悟る心(菩提心)を起こして、元の欲世界に戻る事の無い不退転の心を得たのです。

巧みに言葉を用いて衆生を慈しんでいる様子は、まるで母親が赤ん坊をあやすかのようである。 そして、功徳(くどく)を身に付けているため、 心に懐く思いも、口に出す言葉も、すべての物事に当てはまるほど大きく、奥深いものであった。

また、その娘は慈悲深い為、思いやりがあって慎ましく、堅い志意を持ち、上品なうえに穏やかでありました。 すなわち、仏の悟りを理解する素質を備えていたのです。」

智積菩薩は述べた言葉は
「我は今まで釈迦如来を見て参りましたが、しかし、思い付かないほど永い年月、さまざまな苦労や 苦難にたえる修行をし、その成果(功)を積み重ねて、人格(徳)を身に付けていきながら、 菩薩の道を求める事を今まで片時も、休む事が無かったのです。

我が三千大千世界(この世の総ての世界)を眺めた時に、芥子粒の様な小さな所まで見たのですが、 例え、菩薩(バラモンの位)が居たとしても、衆生の為に身命を捨てまで悟りを開こうとする者はお釈迦さま以外、 見当たらなかった。

そして、後になって最高の悟り(菩提)が得られ方法(道)を発見する事が出来たのです。 この娘が、しかも、幼くして仏と同等な悟り(正覚;中道の事)に達する事が出来たとは信じられないのです。」



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