南無妙法蓮華経
----観世音菩薩普門品偏----

 

  私達のhpは、
  読者の皆さんの為に、何か生きる為のヒントをもたらす事を願って作成しました。
  もしも、何も得られないと思う人は、傲慢で、自分が生かされている事を知らない人です。
   
  

   担当:宗教心理学科3年 桜 麻由美


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

仙学研究舎

文景帝国

中国史地図

中国通史



語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・妙相(みょうそう)
仏の三十二相の事。由来は転輪聖王が備えるという 三十二個所にわたる身体的特徴である。

・偈(げ)
十二分教の一つで 散文の教説の内容を韻文で重説したもの

・弘誓(ぐぜい)
菩薩が自ら悟りをひらき、あらゆる衆生を救って彼岸に渡そうとする広大な誓願→ 四弘誓願

・火坑(かきょう)
火の燃えさかる穴→貪欲な心=地獄の苦しみの例えです

・金剛山(こんごうさん)
この世の果てにあるとされる山⇒鉄囲山

・王難(おうなん)
「王」とは自分自身を指す言葉で、王難とは傍若無人に振舞った事より囚われて処刑される事

・呪詛(じゅそ)
特定の人に災いがかかるように神仏に祈ること

・蚖蛇(がんじゃ)
蚖は、頭が丸く黒味がかったまむし、または、むかで・とかげ

・蝮蠍(ぶっかつ)
蝮は、胴が太く背に斑点のあるまむし。蠍はさそり。

・気毒(けどく)
まむしなどが吐き掛ける息

・煙火(えんか)
火が燃え上がる時の煙りの事。

・困厄(こんやく)
人生の苦しみ、悩み、災難のすべてを指す。

・智力(ちりょく)
新しい状況に対して迅速に適切に対応できる能力の事で 知恵の働きを意味する(インテリジェンス)。

・刹(くに)
仏塔または仏国土

・悪趣(あくしゅ)
現世で悪事をした結果、死後におもむく苦悩の世界(三悪趣)。 また、浄土教の九品往生の下品(げぼん)・中品(ちゅうぼん)・上品(じょうぼん)の赴く所。

・真観(しんかん)
仏教の根本的教理、四念処(四法印)を感じて見る事。

・清浄観(しょうじょうかん)
あらゆる現象を先入観や感情などを入れず、冷静に見つめる事(客観的な事)。

・智慧観(ちえかん)
あらゆる現象が生じる原因を知り、正しく物事を見る事。

・悲観(ひかん)
人の苦しみを見て、苦を取り除く事(抜苦)。

・慈観(じかん)
孤独な人を見て、希望や勇気などを与える事(与楽)。

・慧日(えにち)
太陽の事で、仏教では煩悩や罪障を除く智慧の事。

・風火(ふうか)
四大元素の風火の事。→アリストテレスの 四元素説とは違うよ。

・甘露(かんろ)
インド神話に出て来る神秘的な飲み物のアムリタの事で、飲む者に不死を与えるとされた。この事はヒンドゥー教における天地創造神話の 乳海攪拌に記されている。




---編 集 録---

GWは、どこも、かくも、人だらけです。それでも何処かに出かけないと気が済まないのは、 日本人の性と言うものなのでしょうか?。

今日は、皆さん
元気ですか。私たちは、お釈迦様のシャリが覚王山日泰寺 に安置されているのを聞き、GW中に出掛けたのですが、渋滞に巻き込まれて日泰寺 に辿り着いた頃には日が陰り始めていました。

では、前回の話の続きをどうぞ。

麻由美;
「鈴音さん、漢代から儒教が始まるはずでは?」
鈴音;
「紀元前141年に、景帝が崩御して劉徹(武帝)が即位すると、 文景の治で充実した国力 を背景に積極的な施策に乗り出すのです。

劉徹が即位後、長公主の娘の陳阿嬌を皇后に、 王皇后は皇太后に、祖母竇皇太后は太皇太后に成る。更に、武帝は丞相衛綰の助言に従い、賢良対策を実施して董仲舒を採用する。

そして、董仲舒の進言を受けて儒家以外の諸子百家を排斥し、儒学を国家教学に据えると、公孫弘や趙綰、 王臧などの儒者を次々に登用して行ったのです。

しかし、その事を知った竇太皇太后は怒り、趙綰や王臧などの儒者を排除する様に伝えられた。また、実姉の平陽公主の策により、 衛子夫を武帝に近づかせ、武帝の寵姫にさせた。

紀元前140年に、
多くの冤罪事件を起こしたとして丞相衛綰を罷免すると共に、黄老学の直不疑をも罷免して、 竇嬰を丞相に、王皇后の弟の田蚡 を太尉に任命したのです。

竇嬰と田蚡は趙綰を御史大夫、王臧を郎中令に就かせると、儒学者申公を招いて明堂(政堂)を設ける。 更に、関所を廃止して儒学の礼に基づいて服装の制度が作られた。

これにより、外戚の竇氏一族や皇族のうちで、節操・善行のない者を除籍すると、竇太后の怒りを買い、趙綰・王臧らは紀元前139年に自害し、 竇嬰・田蚡は罷免させられ、許昌を丞相に、石奮の長男の石建を郎中令、 末子の石慶を内史とした。

また、この年、匈奴の投降者から月氏の存在を知ると、月氏と同盟を結ぶ為に 張騫を派遣したが、匈奴の軍臣単于に捕えられた。

紀元前138年、閩越王郢出は、呉(湖北省)の太子劉子駒 の挑発及び東甌の内乱に乗じて東甌(浙江省)を攻めた為、荘助を漢に送った。

武帝は信頼していた田蚡に反対されながらも、荘助に符節を持たせ、会稽太守に東甌を救出する様に命じた。しかし、 漢軍が到着した頃には、閩越の兵は引き上げ、東甌王貞復は亡くなっていたのです。

紀元前137年には、南越武王趙佗が崩御し、王位は孫の 趙眜に継承された。また、翌年には広川王越・清河王乗が薨じて 跡継ぎが居ない為に国を無くした。

紀元前135年に竇太皇太后が崩御すると、丞相が許昌から田蚡に成り、韓安国 が御史大夫に任ぜられた。また、再び閩越王鄒郢が南越へ侵攻した為に、南越(広東省)王趙眜は武帝に救いを求めた。

これに応えて、閩越(福建省)討伐に王恢、韓安国を派遣するが、漢軍が南嶺 を越えた辺りで、閩越王弟の余善が叛乱を企て兄の鄒郢を殺害して漢に降伏した為、余善を新たな閩越王に封じて中大夫荘助を南越に派遣して後始末をさせた。

この為に、趙眜は武帝に対する謝意を表明し、太子趙嬰斉を入朝させ、宿衛の任に就かせた。 また、翌年の紀元前134年には董仲舒の建言により、官吏任用法が任子制 から郷挙里選制に変わった。

紀元前134年に匈奴が漢に和親を申し出ると韓安国の助言に従って匈奴と和親条約を結ぶが、翌年には馬邑の聶壹が王恢を通じて匈奴を 利益で誘い出して攻撃する策を計り、李広公孫賀、 王恢、李息、韓安国らに護衛させた。しかし、軍臣単于に見破られて失敗し、王恢は自害した。

また、この頃から武帝は神仙説を唱える李少君を援助し、不老不死の薬を手に入れようとして 神仙説に魅了されて行き、儒教は五経博士が置かれた割りには官吏が学ぶ学問の一つに過ぎなかった。

紀元前131年には、田蚡と対立していた灌夫、竇嬰が処刑され、間もなく田蚡も病死した為、平棘侯薛沢を丞相とした。

紀元前129年、再び、匈奴が上谷(河北懐来の東南)を襲撃し、衛青、李広などの将軍が命令を受けて匈奴討伐に出撃するが、その戦いは衛青、霍去病 、李広らが匈奴を撃破するまでの10年間続く事に成る。

紀元前127年、諸侯に対して「推恩の令」施行し、 前119年には、再び張騫を烏孫へ派遣させた。また、 紀元前120年には南越王趙眛が死去して趙嬰斉が即位すると、趙嬰斉は樛氏の立后と趙興の立太子を武帝に上奏する。

紀元前115年、趙嬰斉が病死し太子である趙興が王位を継承したが、2年後には南越国の実権は丞相である呂嘉の手に握られ、 韓千秋らに呂嘉を殺害する様に依頼したが失敗し、前112年に呂嘉は反乱を起こした。」(続く)

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◆観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)

ここからは観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)です。
いよいよ、この偈の場面で観世音菩薩普門品は終わりです。この偈では今までの事を節を付けて覚え易くする為の 工夫がされている。

しかし、和訳したのでその効果は薄らいでいる。観音様の能力をまとめると、相手の能力に応じて 三十三身に 姿を変え、どのよう状況下(七難)であろうと救い出す。

その時に発する観音の声は、人が語り掛ける様な声では無く、風や波の音をもって人に語りかける。そして、 観世音菩薩が人を救う為にあらゆる手段を講じる事を仏が解き明かした時、それを聞いた人々は最高の悟りを 得る事が出来た



●翻 訳 三 

その時に
無尽意菩薩(むじんにぼさつ)は、歌(偈;げ)をもって質問したのである。

”世尊は、すでに三十二相と言う偉大な身体的特徴を身に付けられた。我れは、もう一度、彼の菩薩について尋ねたい。 あの仏子(菩薩)は、何の因縁あって、観世音と名付けられたのであろうか?”

三十二相(妙相)を身に付けられた世尊は歌(偈;げ)をもって無尽意に答えられたのである。

”無尽意よ。今一度、観音菩薩の行いを聞くのである。観音菩薩は、どの様な場所であろうと、 どの様な状況下であろうと、救いを求める者の呼び掛けに、すべて応える。

観音菩薩は仏道に入る時に偉大な誓い(弘誓) を立てた。それは海の様に深いものである。時をいくら費やしても、思い計る事は出来ない。

千億と言う数多くの仏たちに仕えて、大いなる清浄の願(六根清浄)を誓ったのである。 今、我れは汝が為に、省略して話を聞かせる。

観音の名を聞き、もしくはその姿を見て、それを心に深く刻んで、空しく人生(私利私欲)を送らなければ、 人の有りとあらゆる苦(ストレス)は無くなるであろう。

たとえば、他人を傷つける悪意に乗せられて、他人から勢い良く燃えている炎の穴の中に(火坑=怒り)、無理やり 突き落とされそうな時に、あの観音の力を信じて心で唱えたならば、燃え盛る炎の穴(火坑)は一変して 涼しい池に成るであろう。

或いは、大海に漂いながら潮の流れに従うだけで、いつでも竜や怪魚や様々な鬼どもから襲われても不思議でない状況(難)に置かれた時、 あの観音の力を信じて心で唱えたならば、津波(波浪)でさえも、その者を沈める事は出来ないのである。

或いは、須弥山の頂上(有頂天)に辿り着いて他人から突き落とされた時、 あの観音の力を信じて心で唱えたならば、太陽の様に大空(虚空)に留まっている。

或いは、悪人どもに追われて、この世の果てにある金剛山(鉄囲山)から転落した時、 あの観音の力を信じて心で唱えたならば、一本の髪の毛さえも、失う事が無いのである。

或いは、怨むべき盗賊に出会い、それらの者たちに取り囲まれ、各々の手に刀を握り締め、今にも、 害を与え様としている時に、あの観音の力を信じて心で唱えたならば、すべての盗賊の心に慈悲が現れるだろう。

或いは、自らの行為を王から攻められ(王難)、自白させられる苦に出会い、 処刑させられる場面に臨んで、これで寿命が尽きると思う時に、あの観音の力を信じて心で唱えたならば、 刀はバラバラ(段段)に砕けてしまうであろう。

或いは、牢屋に鎖で監禁された上、更に手足に手錠や足かせを掛けられた時に、あの観音の力を信じて心で唱えたならば、 恨みや疑いが消えて心が晴れ晴れする様に解けて解放されるであろう。

他人から呪い(呪詛;じゅそ)や沢山の毒薬で、その身を 傷つけようと望まれた者が、あの観音の力を信じて心で唱えたならば、呪いはかえって呪った者に取り付くだろう。

或いは、凶悪な羅刹(らせつ)や邪悪な竜や様々な鬼どもに出会った時に、あの観音の力を信じて心で唱えたならば、 出会ったとしても攻撃してこないだろう。

もしくは、凶暴な猛獣に取り囲まれ、その鋭い牙や爪に恐れおののく時に、あの観音の力を信じて心で唱えたならば、 素早く何も無い方向に走り去るだろう。

毒トカゲや毒蛇(蚖蛇)及びサソリなどの吐く毒の息が、燃ゆる炎の煙の様な時に、あの観音の力を信じて心で唱えたならば、 その声を聞いて自ら散らばって走り去るであろう。

雷雲が大きな音を轟かし、稲光を走らせ、ひょうを降らし、大雨を注ぐ時に、あの観音の力を信じて心で唱えたならば、 それに応じて雷雲は消え去るであろう。

衆生が困難や災難(困厄)を受けて、計り知れない苦しみに身が責められたとしても、観音の不思議な智力で、 巧みに世間の苦しみから救われるであろう。

神通力を身付けて、幅広い知恵の方便を修行して、 あらゆる所にある国で姿を現す事の出来ない仏国土(刹)は無い。

現世で悪事を働き、来世に赴く沢山ある様々な悪道の地獄・餓鬼・畜生や、 生・老・病・死の四苦など、観音の方便によって、徐々にすべての苦を消滅させれるであろう。

真実を見つめる心(真観)、先入観に捕われずに物事を見る心(清浄観)、奥の深い道理に照らして物事を判断する心(智慧観)、 人の苦を抜こうとする心(悲観)、 楽を与えようとする心(慈観)もって人を見る。よって、常に彼の菩薩に願い、常に彼の菩薩を敬うのである。

穢れ無く、あらゆる穢れを洗い流して清める光(無垢清浄光)、太陽の光(慧日)が多くの闇を破り、災難のもとである 風・火を鎮め、平等にこの世を照して、すべてのものを明らかにするのである。

人の苦しみを和らげる本質(悲体)の戒は雷の様に体中を響き渡り、人に楽を与え様とする心(慈意)は、 不思議な入道雲の様に、人々に不死の霊薬(甘露)と同じ法の雨を注ぎ、 煩悩の炎(怒り)を鎮め、消し去るであろう。

人と口論した事で役人に裁かれ、兵隊たちに囲まれる中にあって、恐怖して身を震わす時に、 あの観音の力を信じて心で唱えたならば、様々な恨み事は、すべて退散するだろう。

観世音が発する不思議な声(妙音)は、林に吹く涼しい風の音(梵音)であったり、 海鳴りの様に大きな音(海潮音)であったりするが、 あの世間の人の話し声よりも、遥か勝っているのである。

これより、どこに居いたとしても、常に観音菩薩を心の底から思い、一瞬たりとも(念念)疑いを持ってはいけない。

観世音は清らかで人の穢れを洗い流せる尊い者である。それ故に、死をもたらす災難(厄)に苦悩する者の為に、 頼れる所と成ったのである。

この菩薩は良い結果に結び付くあらゆる行い(功徳)を身に付け、人に楽を与えようとする心の目(慈眼)で あらゆる生き物(衆生)を見る。

そして、苦海は幸福で満たされた海となり、人が思いも尽かないほど、 大きくなるのである。この事より、菩薩の前にひれ伏し頭を地につけ足元を礼拝せよ”

その時に、
持地菩薩(地蔵菩薩の事)は、直ぐに座から立ち上がって仏の前に歩み寄ると、はっきりと述べた。

”世尊よ。もし、ある衆生がいたとして、その者がこの観世音菩薩の経の中で、観世音の自在な技(業)、つまり、救う相手に応じて三十三身の姿に化身 する神通力(普門示現)がある事を聞いた者は、必ず知るのである。この人の善をもたらす行い(功徳)は、決して少なくない事を、”

仏がこの普門の教えを説かれた時、
大勢の人々(衆中)、八万四千の衆生のすべての者が、他と比べる事が出来ない(無等等)、最高の悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を求める心 を起こしたのである。




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