南無妙法蓮華経
------陀羅尼品偏------

 

  私たちは、
  仏教を通して人としての生き方をあるがままに見つめ、皆さんと一緒に有意義な人生を送れたら幸いと考えています。    
  

   担当:社会世相史2年 綾 明子


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

仙学研究舎

文景帝国

中国史地図

中国通史



語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・善男子、善女子
宗派によって意味は微妙に違うが、仏の教えを聞きに来た者への呼びかけらしい。

・勇施菩薩
衆生に対してよく法の施しをする有志の意

・富単那(ふたんな)
子供の熱病を引き起こす病魔で、広目天の配下の一人




---編 集 録---

急に暑く成りましたね。国会も鳩山から管首相に代わりましたが、問題は山積している様です。 六月はジューン・ブライドと 言われる様に結婚の多い月ですが、最近はそうも言ってられない状況ですね。

今日は、皆さん
お元気でしょうか?。私たちも相変わらず元気ですが、最近ツイッターに心を奪われ、クラブ活動に身が入りません。 どうすれば良いのでしょう。いっそうの事、どこかの高校やサイバーエージェント見たいに禁止するぞ!。 では、前回の話の続きをどうぞ。

明子;
「南越は丞相呂嘉に牛耳られたのですか?」
鈴音;
「南越王趙興が幼かったので、漢から安国少季が派遣されたのですが、それが樛太后の元彼だった為に 国民からの支持を得られなかったからです。

そこで、樛太后は番禺(南越の都)の会を開いて呂嘉を暗殺しようとしたが、趙興に止められて失敗に終わると、太后・王・安国少季らでは 呂嘉の反抗を制圧する事が出来ないとして前112年に韓千秋 と樛太后の弟である樛楽の軍を派遣した。

それを知った呂嘉は南越王趙興・樛太后・安国少季を殺害して趙建徳(ちょうけんとく)を勝手に王位につけ、漢の討伐軍を 全滅させた。同年の秋に、武帝は10万の兵を五つに分けて南越攻略に乗り出した。

第一路の長沙国桂陽(湖南省)を伏波将軍路博徳に攻めさせ、 第二路の豫章郡(江西省)を楼樓船将軍楊僕に攻めさせ、 第三路の零陵(湖南省)に戈船将軍を、第四路の漓水・蒼梧郡(広西省)に下誌ォ軍を置き、第五路の牂柯江に 夜郎国の軍隊を使った。

そして、前110年の冬には趙建徳が校尉の司馬蘇弘に、 また呂嘉が南越郎官の孫都に捕われると、南越国の各郡県は降参し、漢に平定された。 更に、翌年に東越王雛余善が反乱を起したので、楊僕・韓説王温舒らと共に東越を攻めたが敗れた。

しかし、雛居股と東越国建成侯敖によって雛余善が暗殺され、東越は滅亡した。 その後、前109年に衛氏朝鮮を討つ事と成り、 楊僕は斉から勃海を通り攻め込んだが、朝鮮王右渠に破れる。

次に左将軍荀彘と共に、王険城(平壌)を囲むと、右渠が楊僕に降参した為、荀彘は右渠と共に楊僕 を捕られた。この事が武帝に知られ、荀彘は処刑された。

前104年、武帝は西域の大宛(フェルガナ地方)「汗血馬」という良馬を譲る様う求めるが断れた為に、 李広利を弐師将軍に任じて 弐師城攻略に向かわせたが、大敗して敦煌まで退いた。

しかし、これを知った武帝は激怒して玉門関まで李広利軍を進ませて、 再び、前102年に大宛を攻め、大宛城を包囲する事に成功して大宛王を降伏させた。そして、前101年には3000頭の汗血馬と共に凱旋して海西侯に封じられた。

更に、大宛遠征に際して大宛の東にある郁成城で漢軍を襲撃した楼蘭王を捕らえ詰問すると、 前100年に匈奴へ使者として蘇武・張勝・常恵を赴かせた。 その際、漢の降将虞常と匈奴の緱王と共謀して衛律を殺し、単于の母を脅迫して漢に帰ろうと画策した。

その為に使者はすべて捕われの身に成る。前99年に匈奴討伐に李広利を向かわせ、更にその支援に李陵 を当たらせたが、合流する前に匈奴の本隊三万と遭遇して戦闘に入り、匈奴の捕虜と成った事を陳歩楽から報告される。

そして、武帝は激怒して陳歩楽を自害させ、更に李陵を擁護した司馬遷(史記)を宮刑に処し、 李陵の一族を皆殺しにした。再び、前97年に李広利・韓説・公孫敖を出撃させ、匈奴の 且鞮侯を討伐しょうとしたが失敗して李広利が捕虜となった。

前93年には江充が水衡都尉となり、 前91年に巫蠱の獄により江充が戻太子劉拠を取り調べ様としたが、劉拠はこれに従わず、江充や 韓説を殺害した。

これにより、武帝は皇太子と石徳(石慶の子)が謀反を起こしたとして、 獄死した公孫賀に代わりに任命した 丞相の劉屈釐に討伐を命じた。

その後、武帝は新たな後継者を指名する必要に迫られ、幼少の末子である劉弗陵が皇太子に立てた。 更に、前88年には江充の親友だった馬何羅らが武帝の暗殺を企てたが、 日磾に阻止された。 そして、翌年の前87年に武帝の崩御すると、劉弗陵が即位して昭帝に成った。」

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◆陀羅尼品(だらにほん)

ここからは陀羅尼品(だらにほん)です。
ここで述べられている事は仏道を歩み、その教えを実践する者(法師)は様々な神々に見守られている事が 描かれています。

そして、陀羅尼とはサンスクリット語で 「憶えていなければならいもの」と言う意味で、当初は仏教の戒律や作法を指していましたが、 いつの間にか呪文を意味する様に成りました。

この呪文はインドの神々の名で、禅をする時に雑念を消す為に心で唱えるものとして、 用いられたと言う説があります。

●翻 訳 一 

その時に
薬王菩薩は、直に座より立ち上がり、ひたすら右の肩の衣を脱いで両手を合わせると、仏に向かって明らかに述べた。

”世尊よ。もし、この善男子・善女人の中で、この法華経の教えを覚えて忘れ去らない者、或いはこれを声に出して読んで理解する者、或いは経巻を書写する者には どれほどの福が得られるのであろうか”

仏は薬王に告げられた。

”もし、善男子・善女人が居て、その者たちが八百万億と言う沢山の数(那由他)、 例えばガンジス河の砂と等しい数の仏たちを供養するとしょう。

汝はどう思うであろう。それによって得られた福の方が、むしろ多いと思うのか、どうか?”

薬王菩薩は述べた。
”遥かに多いでしょう。世尊よ。”

仏は次に様に申された。
”もし、善男子・善女人がこの経を読み、そして、一つ、或いは四つの句偈 を心に深く刻んで忘れない様にと経を唱え(読誦)、その意味を解釈し、この経の教えに従って修行した方が、功徳は遥かに多いのである。”

その時に
薬王菩薩は仏に明らかに述べた。

”世尊よ。我れは、今、この場にて法(ダルマ)を説き聞かせる者には、 雑念を取払う能遮 (陀羅尼)の呪文を与える事で、これらの者を必ず守護する。”

そして、呪文を説いた。
”安爾(あいー) 曼爾(まにー) 摩禰(まねー) 摩摩禰(ままねー) 旨隷(しれー) 遮梨第(しゃりてー) 瞼嘩(さめー)姶履多(さみたー) 韓撞帝(ヴぃしゃーんてー) 目帝(むくてー) 目多履(むくためー) 沙履(さめー) 阿韓沙履(あヴぃしゃめー) 桑履婆履(さまさめー) 叉裔(じゃえー) 阿叉裔(あくしゃえー)

阿菅拭・(あくしねー) 仙帝(しゃんてー) 姶履(さみてー) 陀羅尼(だーらに) 阿慮伽娑婆(あーろーかぶはーしぇー) 鼓薦此叉蹴(ぷらてぃあヴぇーくしゃに) 礪此剃(にでぃる) 阿便埠遵硝履剃(あびやんたらにびしゅてー) 阿豆埠波隷輸地(あとやんたらぱりしゅでぃ)

彊究隷(うとぅくれー) 牟究隷(むとぅくれー) 阿羅隷(あらでー) 波羅隷(ばらでー) 首迦差(しゅかかし) 阿三磨三履(あさまさめー)仏駄枇青利裸帝(ぷっだびぃろーきてー) 達磨政利差(だるまぱりーくしてー) 僧伽浬笹沙雨(さそがにるぐほーしゃに)

婆舎婆舎輸地(ばやばやヴぃしょーだに) 鼻埠渥(まんとぅれー) 鼻埠遅叉夜多(まんとらーくしゃやてー) 郵楼埠(るてー)郵楼埠僑舎略(るたかうしやりえー) 悪叉選(あくしゃえー)悪叉冶多冶阿(あくしゃやヴぁなたーえー) 婆慮(ヴぁろーだ)阿摩若山郡多夜(あまにやなたーえー)。

世尊よ。この神秘的な呪文である陀羅尼は、六十二億と言うガンジス河の砂と等しい数の仏たちが説いたものである。もし、仏道を修めてお教えを説く者(法師) の所に行って危害を加え様とする者、つまり、その者はこの沢山の仏たちを襲撃して危害を加えるのと同じである。”

時に、釈迦牟尼仏は薬王菩薩を称えて述べた。

”素晴らしい、素晴らしい、薬王よ。汝は、この法師(仏道を修して法を説く者)を哀れみ、祈りを込めて(愍念)、この者を襲撃して危害を加える者から守って助ける(擁護)為に、 この陀羅尼を説いた。これにより沢山の衆生に多くの利益を授けさせられるであろう。”

その時に
勇施菩薩は仏に明らかに述べた。

”世尊よ。我れも、また法華経を声に出して読んで、深く心に刻もうとする(受持)者を襲って危害を加える者たちから 守る為に陀羅尼を説きましょう。

もし、この法師がこの陀羅尼を得たならば、もしも夜叉や、 羅刹や、富単那や、或いは邪悪な鬼の吉蔗(きっしゃ)や、鳩槃荼や、餓鬼などと言った者どもが、 その欠点を探し求めて問い質そうとしても、その機会を得られる事は出来ないのであろう。”

そして、
直に仏の前で呪文を唱えながら、それを明かしたのである。

”座隷(じゅヴぁれー)摩訶座隷(まはじゅヴぁれー)郁枳(うっけー)目枳(むっく)阿隷(あでー) 阿羅婆第(あだヴぁてぃ)涅隷第(ぬりてぃえー)涅隷多婆第(ぬりてぃやーヴぁてぃ)伊緻尼(いってぃに) 韋緻尼(ヴぃってぃに)旨緻尼(ちってぃに)涅隷犀尼(ぬりてぃえーに)捏犁婆底(ぬりてぃやーヴぁてぃ)。”

世尊よ。この神秘的な呪文である陀羅尼は、ガンジス河の砂の数と等しい仏たちが述べる所のものであり、また、すべての仏が感謝して喜ばれたものである。 もし、この法師(仏道を修して法を説く者)を襲撃して危害を加え様とする者は、つまり、沢山の仏を襲撃して危害を加えるのと同じである。”

その時に
この世の擁護者である毘沙門天王は仏に明らかに述べた。

”世尊よ。我れも、また衆生を哀れみ祈りを込めて、この法師を見守りながら助ける(擁護)為に、この陀羅尼を説く。”

そして、呪文を説き明かしたのである。
”阿梨(あつてー)那梨(なつてー)竃那梨(ヴぁなってー)阿那慮(あなでー)那履(まーでぃ)拘那履(くなでぃ)。

世尊よ。この神秘的な呪文をもって法師を見守りながら助ける。そして、我れも、また自ら、この経の教えを守る者を見守りながら助けて、 百由旬の距離を歩むまでには様々な病気の原因となる悩みを必ずや消し去るであろう。”




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