南無妙法蓮華経
------陀羅尼品偏------

 

  私たちは、
  仏教を通して人としての生き方をあるがままに見つめ、皆さんと一緒に有意義な人生を送れたら幸いと考えています。    
  

   担当:社会世相史2年 綾 明子


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

仙学研究舎

文景帝国

中国史地図

中国通史



語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・持国天(じごくてん)
古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち 東勝身州(インド)の守護神で、配下に 乾闥婆畢舎遮が居る

・羅刹女
女性の鬼神であるが、愛欲・情欲の誘惑をもって出家を邪魔する女の比喩。法華経では仏教を保護する諸天善神になる→ 神仏習合思想(本地垂迹

・夜叉(やしゃ)
半神半鬼で、八部衆(はちぶしゅう)の一つ

・羅刹(らせつ)
人を食う鬼神の総称でもありが、十二天の一天

・吉蔗(きっしゃ)
起尸鬼(キシキ)の事。死体に憑く鬼神で、呪文(毘陀羅法) を使って死体を起して人を殺す鬼でもある。

・毘陀羅(びだら)
死体を起こす呪文の事であり、また吉蔗の異名でもある。

・阿跋摩羅(あばつまら)
物影から生まれる影形鬼(ようぎょうき)の事で、青鬼とも言う

・鍵陀羅(けんだら)
元々はインド最貧州オリッサ州の中の最も貧しいケンダラパラ地区で、鬼の名に成った

・烏摩勒伽(うまろきゃ)
人を操り狂わす鬼の事、或いは竜神の阿婆羅と言う。また四夜叉の一人

・羅刹女
元々はガンダーラ地方の女神;ハーリティー信仰チベットに伝わる大地母神信仰のシンボルであった。 しかし、大乗仏教が起こると、その聖地に仏塔が建てられる様になる。

・阿梨樹(ありじゅう)
アルジャカの事で、別名オオカミボウキとも言う。アルジャカの実は落ちる時に七分になるという




---編 集 録---

W杯も終わり、漸く夜はグッスリ眠る事が出来ましすよね。今日、日銀短観が発表されたが、景気が 良いのかどうか分らないです。

今日は、皆さん
残念でしたのよね!W杯は。でも、決勝リーグまで言ったのですから良しとしましょう。気に成るのが相撲の賭博問題 と参議院選挙の事でしょうか?。それよりも文化祭の事ですよ。散々な結果に終わってしまいました。

と言う事で、前回の話の続きをどうぞ

明子;
「いよいよ。前漢が終わる?」
鈴音;
劉屈氂に巫蠱の乱を鎮圧する様命じて戻太子の 劉拠を自殺させ、更にその嫡男の劉進や一族、及び田仁一族が処刑されたが、 後に江充の悪企みであった事を知り、江充一族を処刑された。

そして、前90年に李広利が武帝から匈奴討伐勅命を受け、五原に出兵する前に劉屈氂と謀り、李広利の妹の子、 劉髆を皇太子になるよう密談したが、武帝の怒りを買って劉屈氂と李広利の一族は処刑され、前89年に田千秋が丞相に成った。

また、江充の友である馬何羅は類が及ぶのを恐れて武帝の暗殺を企て、 金日磾に見付かり、処刑される。

前87年に武帝の崩御し、僅か8歳の劉弗陵が昭帝に即位すると、鉤弋夫人 を追尊して皇后とした。そして、政務は霍光上官桀金日磾田千秋桑弘羊らに 委ねらる事になった。その年の冬には匈奴が朔方に侵入して吏民を殺略する。

翌年の前86年には、漢と和親を結ぼうとした狐鹿姑単于(匈奴)が病に掛かり、漢では燕王劉旦 ・劉長・劉沢らが叛乱を企てた。

しかし、その叛乱も雋不疑に見付かり、劉長と劉沢は処刑され、 劉旦は昭帝の兄であった為に許された。更に、金日磾が死去する。

前85年に匈奴の狐鹿姑単于 が死去して、子の左谷蠡王(位)が壺衍鞮単于に即位すると、 叔父の右谷蠡王と左賢王が不満を抱いて、 盧屠王を利用して西国の烏孫と共に匈奴を攻めるが失敗した。

前84年、上官桀は孫娘を蓋長公主(昭帝の姉)の愛人の丁外人と謀り、昭帝のulにし、 息子の上官安を騎都尉とした。

前83年、上官婕、を皇后にすると、恩赦を下した。また、益州で西南夷の反乱が起き、水衡都尉の呂辟胡に命じたが、これに破れて 大鴻臚の田広明に命じて鎮圧した。 更に、上官桀が丁外人に候を与え様としたが、霍光に阻止されて、二人は対立した。

その年の秋に、匈奴は代郡に侵攻して都尉を殺したが、単于が幼く、母の閼氏の不正な統治の為に、国内は混乱していた。 その為に、漢の攻撃を恐れた衛律は単于に不降者の蘇武 や馬宏等を漢に帰国させて漢と和親する様に進言した。

前82年、匈奴は左右部の2万騎を出撃させて漢の辺境を侵したが、漢軍に追撃されて甌脱王は捕らわれた。翌年の前81年の春に、 蘇武らは帰国し、漢と匈奴は和親を結んだ。衛律は死去して李陵 は匈奴に残った。

また、この年に塩鉄酒の専売制を巡り、法家思想に基づく政府側の 桑弘羊らと、 儒家思想に基づく知識人との間で論戦(塩鉄論)が交わされた。そして、 霍光によって酒の専売が止められた。

前80年、武都氐が反乱を起こすと、馬適建・韓増及び田広明がこれを鎮圧した。 更に、蓋公主が上官桀・上官安・桑弘羊らを燕王の下に集結させ、霍光を排除しょうと試みたが、昭帝に見抜かれて処刑された。

また、匈奴も酒泉・張掖の警備が弱い事を知ると、その地を奪還する為に、右賢王・犁汚王の4千騎は3隊に分かれ、 日勒・屋蘭・番和に侵入した。しかし、張掖太守と属国都尉によって殲滅させられた。

前79年、匈奴は五原郡に侵入し、数千人を殺害したが、烏桓族が謀反を起して匈奴を攻撃している事を知ると、 范明友を度遼将軍に任命し、遼東郡から出陣させ、烏桓軍を制圧した。

前77年、昭帝は元服し、田千秋丞相が薨御した。杅弥国(タリム盆地の南側)の皇太子頼丹を校尉将軍とし、 輪台で屯田させようとしたが、亀茲王(タリム盆地の南側) に殺された。

この事で、楼蘭王は匈奴と漢に人質を戻す様に要求すると、 匈奴から王子安帰が帰国したが、漢からは帰国しなかった為に、安帰を楼蘭王にして漢の使節を殺害した。しかし、 傅介子によって安帰は暗殺され、 尉屠耆を新たな楼蘭王にした。

前75年、遼東城と玄菟城を築くと、烏桓が再び塞内を犯して、范明友がこれを撃った。 翌年の前74年に、昭帝が未央宮で崩じた。」

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◆陀羅尼品(だらにほん)

ここからは陀羅尼品(だらにほん)です。
この陀羅尼品では、バラモン教や地方の民間信仰の神々が仏教を支持している様子が描かれている。

背景には在家を中心とした大乗仏教の集団の菩薩部が荘園を持たない為に困窮し、他教の信徒を取り込まざる おえなかったと考えられている。

また、陀羅尼は呪文の一種で毒蛇を払うための言葉がルーツで意味が無い。日本で熊を避ける為に声を掛け合うのと 同じである。その後、怪我などの痛みをこらえる為に唱えられる様になり、やがて記憶力の向上や雑念を払う為に 用いられる様に成ったと言う説がある。

●翻 訳 二 

その時に
持国天王はこの集会の中に居て、 何千万億と言う、途方も無い数(那由他)の人食い鬼、乾闥婆(けんだつば)たちに敬われながら、 幾重にも周りを囲まわれていた。

そして、歩み出て仏の側まで来ると、仏に手を合わせながら明らかに述べた。

”世尊よ。我れも、また神秘的な呪文である陀羅尼をもって法華経の教えを守る者を見守り、 あらゆる敵から助け出すであろう。(擁護)”

そして、呪文を教え聞かしたのである。
”阿伽弥(あがねー)伽弥(がねー) 瞿利(がうり) 乾陀利(がんだーり)栴陀利(ちゃんだーり) 摩踏耆(まーたんぎ) 常求利(ぷつかし) 浮楼莎汐尼(ぶるーさり) 頬底(しし)。”

”世尊よ。
この神秘的な陀羅尼は四十二億もの仏が唱えたものである。もし、仏道を修めて教えを説く者である法師の 邪魔をする為に、危害を加え様とする者は、この多くの仏たちの邪魔をして危害を加えるのと同じである。”

その時に
羅刹女たちも居たのである。一人目を藍婆(らんば)と言い、二人目を毘藍婆(びらんば)と言い、三人目を 曲歯(こくし)と言う。

更に、四人目を華歯(けし)と言い、五人目を黒歯(こくし)と言い、六人目を多髪(たはつ)と言い、 七人目を無厭足(むえんぞく)と言い、八人目を持瓔珞(じようらく)と言い、九人目を皋諦(こうたい)と言い、 最後の十人目を奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうせいき)と言った。

これら十羅刹女鬼子母(鬼女ハーリティー)、並びにその子供たちや配下の者どもは、 一緒に成って仏の側まで来ると、声を揃えて仏に向かって明らかに述べた。

”世尊よ。我れらも、また法華経を声に出して読みながら覚え様とする者を見守り、これを助けて、その者が悩んで衰弱する 原因を取除いてやろうと思います。

もし、法師の欠点(短)を見付けて問い詰め様とする者が居たとしても、その者がその機会を得られる事は出来ないであろう”

そして、仏の前において呪文(パリッタ)を唱えて明らかにした。

”伊堤履(いてぃめー) 伊堤泯(いてぃめー) 伊堤履(いてぃめー) 阿提履(いてぃめー) 伊提履(いてぃめー) 泥履(にめー) 泥履(にめー) 泥履(にめー) 泥履(にめー) 泥履(にめー) 楼醯(るへー) 楼醯(るへー) 楼醯(るへー) 楼醯(るへー) 多醯(すとぅへー) 多醯(すとくへー) 多醯(すとぅへー)・兜醯(すとぅへー)。

むしろ、我が頭上にある聖地の上を歩いたとしても、その法師を悩ます事があってはならない。

さもないと、夜叉、或いは羅刹、 或いは餓鬼(強欲な死者)、或いは富単那(ふたんな;病魔)、或いは吉蔗(きしゃ)、 或いは毘陀羅(びだら)、或いは健駄(けんだ)、或いは烏摩勒伽(うまろきゃ)

或いは阿跋摩羅(あばつまら)、或いは夜叉が唱える呪文、或いは人が唱える呪文などにより熱病に掛かって、 もしくは一日、もしくは二日、もしくは三日、もしくは四日、もしくは七日、もしくは常に熱病に苦しめられるであろう。

また、勇ましい男の姿、或いは妖艶な女の姿、或いはあどけない男の子の姿、或いは可愛らしい女の子の姿、 及び夢の中にまで入り込むまで悩ましたりする事があってはならない。”

そして、仏の前で歌(偈;げ)を説いて述べた。
”もし、我が唱える呪文に従わず、真理(法)を解く者を悩まして心を乱せば、頭は七つに裂かれて アルジャカ(阿梨樹;ありじゅ)の枝の様になるであろう。

それは、父母を殺した罪と同じであり、また、騙して油を搾り取る者が浴びる罪と同じである。

更に、測り(斗秤)を使って物の重さをごまかし、人を惑わして品物を取り揃えた者は、 和合している集団を二分した罪(破僧罪)と同じである。

つまり、この法師を犯した者はこの様な不幸な結果を、必ずや、得るであろう。”

それぞれの羅刹女が、この歌(偈;げ)を説き終えてから、仏にはっきりと述べた。

”世尊よ。我れらも、また、確実に身を尽くして、この経を聞いて覚える(受持)為に、声に出して読み(読誦)、 修行する者を見守り、危害を加える者から救い出す。

そして、心静かに落ち着かせる為に、悩んで衰えさせる様々な要因から離れさせ、 様々な毒薬(煩悩)を消し去らすであろう。”

仏は、沢山の羅刹女に告げた。
”それは素晴らしい、それは大変素晴らしい事である。

汝らよ、ただ単に法華経の名を聞いて覚えた者を見守り、助ける事だけでも、その福を数える事が出来ない。 まして、それを聞いて忘れる事無く、その教えを身に付け様として、

経巻に花・香・腕輪や首飾り・抹香(まこう)・塗香(ずいこう)・焼香(しょうこう)・幢幡と天蓋・音楽を供養する。 更に、バター油のともし火(蘇燈)・鉱油のともし火(油燈)・様々な香油のともし火(香油燈) ・ソマナ花の油のともし火(蘇摩那華油燈)・金色の花の油のともし火(瞻蔔華油燈)

ヴァルーシカの花の油のともし火(婆師迦華油燈) ・青い睡蓮の花の油のともし火(優鉢羅華油燈)など、様々なともし火を燃やして供養する。

この様に何百・何千もの種類の品を供養する者を見守り、邪魔する者から助ける者の福を どの様に述べれば良いであろうか?

皋諦(こう たい)よ。汝ら、及び、その配下の者は、必ずや、この様な法師を見守り、邪魔する者から助けるのである。”

この陀羅尼の物語を聞かせた終えた時、六万八千人もの者が無生法忍を得たのである。




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