南無妙法蓮華経
------妙荘厳王本事品偏------

 

  私たちは
  このhpを通し、少しでも訪れた人達の心が癒される事を願っています。お釈迦様の教えは難しいものではありません。
  人として当たり前な教えですよ。    
  

   担当:倫理社会学2年 港 あかり


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

仙学研究舎

中国史

中国史地図





語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・三十七品
三十七道品(さんじゅうしちどうぽん)→ 四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の七科の事。

1)四念住
身念処・受念処・心念処・法念処

2)四正断
律儀断・断断・随護断・修断

3)四神足
欲神足・勤神足・心神足・観神足

4)五根
生起する煩悩を抑えて、正しい悟りの道に赴かせる働き
(1)信根(しんこん):仏法僧の三宝と四諦を信ずること。
(2)精進根(しょうじんこん):十善などの善いことを怠らずに行うこと。
(3)念根(ねんこん):正法を憶念して忘れないこと。
(4)定根(じょうこん):心を散乱せしめないこと。
(5)慧根(えこん):真理を思惟すること

5)五力
悪を破る力があり、悟りへ至る五つの働き。信力・精進力・念力・定力・慧力

6)七覚支
悟りの智慧を助ける七種の修行法。択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・捨覚支・定覚支・念覚支

7)八正道
欲楽の生活は「苦」を招き、禁欲の苦行も「生きる意味を失う」として、どちらにも偏らない生き方の中道を提唱した。
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定

・十惑
貪(とん)・瞋(しん)・痴・慢・疑・有身見・辺執見・邪見・見取見・戒見取見の事。




---編 集 録---

こう暑いと、バイトどころの話ではありません。店長の眼を盗んでは、アイスをほお張る日々が続いてます。 あと、どの位暑さが続くのでしょうか?

今日は、皆さん
お盆はどうでしたか?。最近、女子の間ではお墓めぐる墓マイラーが、 密かなブームと成っています。しかし、これは自分の先祖で無く、有名人のお墓を巡る事だそうです。

要するに巡礼です。巡礼にはキリスト教やイスラム教に見られる一つの聖地だけに巡礼する直線型と、 インドや東洋で見られる複数の聖地を巡る回国型がある。

紀元前6世紀、シヴァ神を守護神とする古都べナレスの周縁を右回りで円環状に一巡するカーシー五里巡礼が始まりで、後にインド各地にある聖地を旅して 苦行を積み、人間本来の個性に溢れた全体性と平等性を回復させる意味合いが強く成って行きました。
では、前回の話の続きをどうぞ

あかり;
「ここから漢が衰退するの?」
鈴音;
「そうですね。但し、宣帝を除いての話です。では、前74年の昭帝は崩御した所 から話を進める事にしましよう。

前74年の四月、突然として昭帝が21才の若さで崩じた。その時、上官皇后は15才で子供は居ません。家臣たちは 昭帝の兄の広陵王の劉胥を即位させようとするが、”広陵王は粗暴である”として霍光・楊敞 丞相は武帝の孫の昌邑王劉賀を推薦した。

しかし、劉賀は長安に入り皇帝になったものの素行が悪く、霍光と田延年は楊敞丞相を始めとする大臣たちに 劉賀帝の廃位を持ち掛け、在位27日で上官皇太后から廃帝の命が出された。また、霍光は張安世 に昌邑王の家臣を捕らえる事を命じた。

その後、霍光と張安世らは劉進の子で、丙吉により養育されて民間で育った劉病已を即位させ、 宣帝とし、許広漢の娘・許平君を皇后にした。 また、夏侯勝を上官皇太后の師とした。

そして、18才で即位した宣帝は高祖廟に謁し、上官皇太后を尊んで太皇太后とした。また、厳延年の訴えを退けた。 同年の8月には楊敞丞相が亡くなり、蔡義を丞相に、 田広明を御史大夫に昇進させて列侯に加えた。

更に、許広漢の娘・許平君が後の皇太子奭(セキ)を生んだ為に、 許広漢は昌成の領主(君)に取り立てた。紀元前73年に霍光は大政奉還を宣帝に願い出たが宣帝に退けれれた。また、評判の高い 黄霸を廷尉正に任命した。

紀元前72年に大司農の田延年が罪を得て自殺し、厳延年は辞職して去った。また、この年に宣帝は孝武皇帝の廟号(びょうごう)を 決める様に命じたが、夏侯勝はそれに反論した。その為に夏侯勝と、それに同意した黄霸は捕らえられた。

また、昆莫の孫の岑陬に嫁がせた江都公主 が死去した為、劉戊の孫娘の解憂を岑陬に嫁がたが、間も無くして岑陬が死去すると、子の泥靡が幼かった為に、従弟の 翁帰靡(大禄の子)を王位に付かせて解憂を嫁がせた。

この年に、匈奴が烏孫を攻めた為に宣帝は烏孫に使者として常恵を派遣し、援軍として 田広明軍・趙充国軍・田順軍・ 韓増軍・范明友軍の 計15万の軍勢を送った。その結果、匈奴が大敗して壺衍鞮単于は 烏孫を深く怨む様に成った。

その年の冬に匈奴は烏孫に報復攻撃したが、その帰りに大雪にあって多くの人民と畜産を凍死させて弱っていた所に、北の丁令、 東の烏桓、西の烏孫に攻撃された。その為に弱体した匈奴から同盟諸国が離反し始める様になった。

紀元前71年、漢では皇后の許平君が第2子を出産した後に死去した。更に、田広明が杜延年に 受降城の都尉の未亡人を姦淫して約束の期限までに進軍出しなかった事を問責されて自害した。 また、六月に蔡義丞相が薨御した為に、韋 賢を丞相した。

紀元前70年、霍光の娘の霍成君を皇后に立てた。更に、常恵は節を烏孫人に盗まれながらも、軍功があった為に長羅侯に封じられた後、 霍光の一存で常恵が亀茲国に攻め、頼丹の殺害した事を責めて 亀茲国の姑翼の首を斬った。

四月に琅邪,北海で大地震が起き、夏侯勝や黄霸たちは解放され、夏侯勝は再び長信少府・太子太傅となり、黄霸は揚州刺史と成った。 その後、夏侯建と夏侯勝が経書を巡って論戦する。

紀元前69年、春秋(歴史書)を学び、儒者を重んじた于定国が廷尉となった。 紀元前68年、霍光が死去すると、御史大夫魏相の進言より、張安世を大将軍に任命したが、 頑なに拒んだ為に大司馬車騎将軍領尚諸事とした。

また、霍去病の孫の霍山を楽平侯に封じて奉車都尉領尚諸事とした。更に「副書」の制度を廃止させて信賞必罰主義を取った。 匈奴では壺衍(壺衍鞮)単于が崩じた為に、弟の左賢王を虚閭権渠単于とし、 呼盧訾王が辺境の略奪しょうとしたが、張安世らに討伐された。 」

次ページへ

◆妙荘厳王本事品(みょうそうげんおうほんじほん)

ここからは妙荘厳王本事品(みょうそうげんおうほんじほん)です。
この作品は現世利益を説いた薬王菩薩品の薬王菩薩の前世を描いた作品で、薬王菩薩品の続きと思われている。

日月浄明徳如来の時には一切衆生喜見菩薩に生まれ、雲雷宿王華智如来の時には、妙荘厳王と浄徳夫人の二人の子、 浄蔵と浄眼として生まれ、浄蔵が今の薬王菩薩、浄眼が今の薬上菩薩に成った事を述べている。

そして、バラモンのカースト(血統)を信じている父を改心させる様子が描きつつ、六波羅蜜・四無量心・ 七科三十七道・三昧などの仏教の教理を述べている。

●翻 訳 一 

その時に
仏(釈迦)は、様々な人々の集まりである大衆に向かって告げたのである。

”遥か昔に思いを馳せながら、数える事も(無量無辺不)、思付く事も(不可思議)出来ないほど、遥かに長い年月(阿僧祇劫)を遡った当たりに ある仏が居たのである。

そして、その仏は雲雷音宿王華智(うんらいおんしゅくおうけち)・多陀阿伽度(タダアガダ;如来) ・阿羅訶(アラカ;応供)・三藐三 仏陀(サンミャクサンブッダ;正しい悟りを自覚した者)と名乗り、

仏国土(浄土)を光明で綺麗に飾られた国(光明荘厳)と言い、また、仏が居た時代を楽園(喜見)と言ったのである。そして、 彼の仏が従える教団の中に一人の王がいて、名を妙荘厳(みょうしょうごん)と言う。

その王には夫人がいて、名を浄徳(じょうとく)と言った。また、夫人には二人の子供が居て、一人目を浄蔵(じょうぞう)と名付け、 二人目を浄眼(じょうげん)と名付けた。

この二人の子には、偉大な神通力(大神力)があって、幸運をもたらす功徳(福徳)や智慧(学んで得た知識で無い実践智)を持ち、 永らく、菩薩がやらねばならない善の道を修行したのである。

すなわち、六波羅蜜の檀那波羅蜜(だんなはらみつ;布施)・尸羅波羅蜜(しらはらみつ;持戒)・ 羼提波羅蜜(せんだいはらみつ;忍辱)・毘梨耶波羅蜜(ぴりやはらみつ;精進)・禅那波羅蜜(ぜんなはらみつ;禅定)・ 般若波羅蜜(はんにゃはらみつ;智慧)。

そして、十波羅蜜の方便波羅蜜(ほうべんはらみつ)・四無量心の慈悲喜捨(じひきしゃ)や、 仏の悟りを理解させる為に手助けする道、三十七品(七科三十七道品)の教えを、すべて明らかに理解して習得したのである。

また、菩薩が煩悩を断つ為に六根を清浄する事を厭わない心境(浄三昧)・太陽や星の運行の様に規則正し行動をするとしても 厭わない心境(星宿三昧)・どの様な人に慈悲・智慧を分け与える事を厭わない心境(浄光三昧)・常に粗末な物を身に纏ったとしても厭わない心境(浄色三昧)

真実を明らかにする事に厭わない心境(浄照明三昧)・長く仏を様々な物で供養したとしても厭わない心境(長荘厳三昧) ・偉大で威厳のある功徳を収め尽くす事を厭わない心境(大威徳蔵三昧)などを得。再び、これら三昧 (内心を見極め無心に成る事)をも、すべて習得したのである。

その時に
彼の仏(雲雷音宿王華智仏)は、父である妙荘厳王を欲界から解脱させよう(引導)と思い、また、輪廻を繰り返す生き物(衆生) を哀れに思うと、この法華経を説き明かしたのである。

そして、ある時に、
浄蔵と浄眼の二人の息子たちは、自分の母の所に行き、十本の指(十指爪掌)を合わせて明らかに述べた。

”我らが願いを叶えて下さい、我が母よ。雲雷音宿王華智仏の所に赴き、仏と会って頂けないでしょうか?。 我れらも、また、必ずや母の近くに仕えながら母の友を務め、仏を礼拝して供養するだろう。

なぜなら、この仏はすべての天神や人々の群集の中において、この法華経を説かれているからです。 どうか、母上。教えを聞いて理解されます様、宜しくお願い致します。”

そして、母はある事実を知らせる為、この子らに言った。
”お前たちの父上は、異教の教祖たち(外道)が説いた教えを聞き、それを信じてしまい、 心の奥底から婆羅門(バラモン)の規則(法)に縛られてしまった。

お前たち(汝ら)は母の言葉に答えて、必ずや父の所に往き、明らかに仏の事を申し上げて父を説得(與)した上で、 父と共に連れだって(共倶)、ここを立ち去るのです。”

浄蔵(じょうぞう)と浄眼(じょうげん)は、十本の指先の腹(十指爪掌)を合わせて母に述べた。

”我れらは、彼の仏教の最高指導者である法王の弟子で、すでに菩薩であるのです。しかしながら、十惑五見の内の 邪見を持ち、因果の理法を否定する考えを持った家に生まれて来たのである。”

母は子らに自分の思いを知らせる為に言った。
”もし、お前たちが自分の父を憂いるのなら、父の為に不思議な現象(神変)を起して見せなさい。

もし、父がそれを見る事が出来たならば、必ず父の心の穢れは洗い流されて清い心に成るであろう(清浄)。 そして、我れらの話を聞き入れて、仏の所に赴くであろう。”

そこで、二人の子等は父を思って、空中(虚空)に舞い上がり、タラの木(多羅樹)の七倍の高さに留まると、様々な不思議な現象を表した。

空中を歩いたり・立ったり・座ったり、横になったりし(行住坐臥)、 或いは身の上から水を出して身の下より火を出す、逆に身の下から水を出して身の上より火を出す。

また、或いは空中を満すほどの大きな身を出現させたかと思いと、再び小さな身を出現させた。そして、小さな身をもって大きな身を出現させた後に、 空中に姿を消したかと思うと、突然として地上に現れた。(ブロッケン現象)

また、地中に入る姿は水が浸み込む様であり、水の上に立つ姿(水履)は地上に立っている様であった。 これらのあらゆる不思議な現象(神変)を示し、王である父親の心を洗い清めて仏道を信じさせ、迷いから解脱させるのである。 (信解)

父は我が子が示したあの様な神通力を見た時、心が大きな喜びに包まれ、今まで味わった事の無い喜びに出合う事が出来たのである。 そして、手を合わせて子に向って言ったのである。

”お前たちの師はどこの誰れだ。お前たちはどこの誰れの弟子であるのか?”

二人の子らは、明らかに述べた。
”大王よ。彼の者は雲雷音宿王華智仏と言い、今、七宝で飾られた菩提樹の根本にある法座の上に身を置き、足を組みながら座っている。

そして、すべての世間(所有された社会)の天神や人の集まりの中において、 多くの者に法華経を説き明かしている。この仏が我れらが師であり、我れはこの仏の弟子であるのです。”

父は子らに自らの思いを伝える様に言った。
”我れも、今、お前たちの師に会って見たいと思う。我と一緒に仏の所に行く事が出来るのか?”

そして、この二人の子らは空中から舞い降りると、自分の母の所に行き、手を合せて母に言った。
”王である父は、今、すでに仏道を信じて、迷いから解脱(信解)して、これ以上ない正しい悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を求める心を起して、 どんな辛い修行にも耐え忍ぶ(堪任;かんにん)事が出来るであろう。

我れらは、父の為にやるべき事をやり、すでに父に仏の言葉やその意味や行いなどの事柄(仏事)を話して仏道に入らせたのです。 願う事なら、母上がこれを聞き入れて下さる様(見聴)に、お願い致します。我らが出家 して彼の仏の所で仏道を修行する事をです。”

その時に
二人の子らは、再び、その心にある意志を伝え様と思い、歌(偈;げ)で母に申し上げた。

”叶う事なら母よ。我れらを解き放し、我らが出家して沙門(しゃもん)と成る事を認めよ。 多くの仏たちとめぐり会う事は非常に難し事である。この機に、我れらは仏に仕えて仏道を学びたいのである。

なぜなら、優曇波羅(うどんはらげ)が咲くよりも、仏と出会う事は更に難しいのである。 また、あらゆる災難から出脱する事は、更に困難である。願わくは、我らが出家を聞き入れて下さい。”

そして、母は自分の意志を知らせる様に言った。
”お前たちの出家を許す(聴)。なぜなら、仏に出会う事は非常に難しいからであるからだ。”

そして、二人の子らは父母に明らかに述べた。
”素晴らしい事です、父母よ。願わくは雲雷音宿王華智仏の所に行って拝礼する時に、親しみを持って近づきながら、供養して下さい。

なぜなら、仏に出会う機会は滅多に無い事であり、三千年に一度しか咲かない優曇波羅(うどんはらげ)の花と同じか、 或いは片眼の亀が浮木の穴に首を突っ込む様なものである。

しかしながら、我れらは前世の行いが良かった為に、深くて厚い福に恵まれた。そして、この世に生を受けて仏の教え(法)に出会えたのである。 この理由より、父母よ。必ず、我れらが言う事を聞き入れ、我らの出家を許可して下さい。なぜなら、多くの仏たちと出会う事は難しく、 時を経て、また仏と出会う事は難しいからです。”






前項へ次項へ