南無妙法蓮華経
------妙荘厳王本事品偏------

 

  私たちは
  このhpを通し、少しでも訪れた人達の心が癒される事を願っています。お釈迦様の教えは難しいものではありません。
  人として当たり前な教えですよ。    
  

   担当:倫理社会学2年 港 あかり


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

仙学研究舎

中国史

中国史地図





語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!





---編 集 録---

池上彰の学べるニュースで中国国内の事をやっていました。中国も、日本同様に超高齢化社会問題をはらんでいる。 8.4.2.1問題と言うらしい。原因は一人っ子政策らしい。また、この政策の為に、あやまかして育てられた小皇帝や 闇っ子が問題となっている。

今日は、皆さん
お元気でしょうか?最近、女子の間でダイエット弁当が 話題になっています。特にタニタ社員食堂の栄養士さんが出したやつです。でも、私としては作るより、食べる方が良いかなぁ。
では、前回の話の続きをどうぞ

あかり;
「匈奴が張安世らに討伐されて滅亡したの?」
鈴音;
「前68年の秋、匈奴は飢饉に見舞われ、更に匈奴の左地の君長が漢に攻め、漢の甌脱に敗北して 匈奴は漢に降伏しました。

前67年、許皇后の子の奭を皇太子にすると、丙吉を太傅に、太中大夫の疏広を少傅に 許広漢を平恩侯に、霍雲を冠陽侯にすると、 霍光夫人の顕は怒り、霍皇后に皇太子を毒殺する様に進めた。

同年の五月に、韋賢丞相が引退し、魏相が丞相と成ると、 丙吉を御史大夫に、疏広を太子太傅に、疏受(疏広の甥)を少傅に、許舜(許広漢の弟)を太子監護にした。 更に、儒者の蕭望之謁者に任命した。

魏相が出した封事廃止により霍一族の悪事が宣帝の目に止まる様に成り、霍禹 ・范明友ら始めとする霍一族から兵権を取り上げると、許氏・史氏にそれらを与え、張安世衛将軍とした。

また、治獄の吏の事件を例に挙げて路温舒が宣帝に、裁判に携わる延尉を四人とする様に 進言し、これを了承した。更に、宣帝は霍皇后の不穏な行動から許皇后の死去は霍氏の毒殺に依るものと疑い始めた。

秋、再び昨年より車師国を討伐する様に命じられていた鄭吉車師国の石城を攻め様とした為、車師王烏貴は匈奴に救いを求めるが、 匈奴はこれに応えず、車師国は漢に降参した。

前66年、母方の祖母を博平君とし、衛尉・城門屯兵・北軍八校尉を張安世の監視下に置いた。そして、霍禹らは霍顕から淳于衍を使って 許皇后を毒殺した事を打ち明けられ、更に霍雲の舅の李竟の企みを宣帝に責問された。

七月、霍禹、霍雲らは騙して上官太后の宴席に魏丞相・許広漢を招いて范明友・ケ広漢らに打たせ、 霍禹を皇帝にしょうとした。それを知ったが董忠に告げ、更に楊ツ金安上を通して宣帝に知らされ、霍禹らは処刑された。

八月、霍皇后成君は廃されたが、霍氏の旧人だった杜延年は連座を免れた。更に、張章・董忠・楊ツ・金安上らを列侯にし、霍一族の横暴を 忠告した徐福(曲突徙薪)と梁邱賀を郎にした。

九月、塩の価格を安くした。また、任章による暗殺計画を未然に防いだ梁邱賀 を太中大夫・給事中とした。更に、北海太守の朱邑が成績第一で大司農に、渤海太守の龔遂が水衡都尉に昇進し、龔遂の相談役の王生 をその次官とした。

前65年、亀茲王が漢の外孫である烏孫公主の娘と娶り、 宣帝と兄弟関係と成った為に入朝し、その年の冬に建章衛尉を置いた。趙広漢の賓客が酒の密売に関わり、 吏氏に責問され、趙広漢は密告した蘇賢が裁いたが、蘇賢の親に告発されて趙広漢は減給処分された。

その後、趙広漢は再び、栄畜に冤罪を科すと、魏相に咎められた。その為、魏相を捕らえて処罰しょうとしたが、 廷尉の蕭望之により冤罪である事が発覚し、前64年に 趙広漢は処刑させられた。その後、尹翁帰 が右扶風に成った。

また、この年に莎車王が死去し、烏孫公主の次男の万年を莎車王に即位させたが、 乱暴者であった為、弟の呼屠徴に殺されて王位を奪われ、漢に叛いた。

その為に、馮奉世の漢軍に制圧された。宣帝は 韓増を送り、馮奉世に 大宛を撃つ様に命じた。そして、大宛は名馬を献上した。また、馮奉世を光禄大夫にした。

前64年、宣帝は王奉光の娘を後宮に入れ、王皇后とした為に張婕、(ちょうしょうよ)らは安心した。 」

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◆妙荘厳王本事品(みょうそうげんおうほんじほん)

ここからは妙荘厳王本事品(みょうそうげんおうほんじほん)です。
ここからは後編分部が描かれている。浄眼菩薩と浄蔵菩薩が説く方便により、法華経を理解した父(妙荘厳王)が 雲雷音宿王華智仏に会って出家し、悟り開く場面

更に、その父が今の華徳菩薩に、浄眼が今の薬王菩薩に、浄蔵が今の薬上菩薩である事。また、その母は仏の 前で教えを聞く菩薩である事を述べている。

更に、様々な三昧をして悟りを開き星宿光長者・雷光明長者が浄眼菩薩・浄蔵菩薩から薬王菩薩・薬上菩薩と成る事過程を 書き加えて、後に医療を具現化した薬師八大菩薩(文殊菩薩・観音菩薩・勢至菩薩・弥勒菩薩・宝檀華菩薩・無尽意菩薩・ 薬王菩薩・薬師上菩薩)と成って行く。

●翻 訳 二 

その時に
妙荘厳王や後宮(こうきゅう)で暮らしている八万四千人の者たち、 すべての者が飽きる気持ちに耐えながら(堪任)、この法華経を聞いて覚えた。

浄眼菩薩は永らく法華経を声に出して読み、或いはその経を書写し、或いは他人にその教えを解説している内に、 それらを行っても心を乱す事かない境地(法華三昧)に通じて仏の悟りに達したのである(通達)。

また、浄蔵菩薩も、すでに数えられない百千万億と言う年月において、 死後に地獄・餓鬼・畜生などの悪趣に堕ちる様々な行為から離脱して心を乱す事かない境地(悪趣三昧)に通じて仏の悟りに達したのである。

なぜなら、浄蔵菩薩はすべての衆生に様々な悪趣がある事を示し、それらから 離脱する方法を教えようと決心したからだ。

また、その王(妙荘厳王)の夫人は様々な仏たちの教えを集めるのに心を乱す事かない境地(諸仏集三昧)を得ると、沢山の仏たちが知識を 蓄えられる記憶(蔵)の秘密を良く習得したのである。

二人の子らは、この様に方便力によって、父親を教え導いて善に変えさす為、仏の教えを理解させて信じさせる事を心に命じ、 仏の教えを楽しく思わせ、好きにさせたのである。

これによって、妙荘厳王は多くの家来や親族の者と共に、また、浄徳夫人も、後宮の女官や親類の者たちと共に、 更に、その王の二人の息子は四万二千人と共に、同時に皆が仏の所にやって来たのである。

仏の所に到着すると、仏の足の甲を額に付けて礼拝した後、仏のまわりを三回ほど時計回りに巡り終えると、 ある距離を置いて一箇所に座ったのである。

その時に
彼の仏(雲雷音宿王華智仏)は王の為に真理(法)を聞かせ、具体的にそれを示して教え(示教)、喜んで功徳を得させてと(利喜)、 王は大変喜んだのである。

その時に
妙荘厳王及びその夫人は首に掛けた真珠のネックレス、その価値は計り知れない品でありながらも、 それを解いて仏の上に撒いた。

すると、真珠は何もない空間(虚空)で変化し、四柱からなる貴重でめずらしい楼閣(宝台)となった。楼閣の中は大変貴重な品で床が張られていて、 百千万もの天の衣が敷き詰められていた。そして、その上に結跏趺坐したままの仏が偉大な光明を放していたのである。

その時に、妙荘厳王はこの様に思いを抱いた。

”仏の体は、何て不思議なのだろう。姿が整って威厳があり、他の者と違って静かにどっしりと構え(端厳殊特)、 この世で一番と思われる。美しいつや肌を持つ事が出来たのであろうか。?”

そして、雲雷音宿王華智仏は四衆に自らの思いを知らす為に述べた。
”汝らは、この妙荘厳王が我が前に合掌して立てる姿を、どの様に見たであろうか?

この王は我が教えを聞いている内に出家修行者(比丘)と成る事を決心し、 仏が実践して来た道を参考(助)にしながら、その教えを励んで学び取り、必ずや仏に成るであろう。

そして、名を娑羅樹王(しゃらじゅおう)と名乗り、国を偉大な光明と名付け、時代(劫)を大高王(偉大で高貴な王が居た時代)と名付けるだろう。

その娑羅樹王仏には、数え切れないほどの菩薩や声聞たちが仕え、国は清く正しく平等に成る。また、娑羅樹王仏には この様に素晴らしい功徳が備わるであろう”

そして、その王は、すぐに国を弟に譲り、更に夫人や二人の息子、並びに多くの家臣を頼むと、仏の教えに従って 出家し、仏道を修行したのである。

王が出家した後、八万四千年と言う永い年月において常に勤行し、 一生懸命に努力(精進)して妙法華経を修行したのである。これらの修行を終えた後、すべての煩悩を清め、善行によって多くの福で身を飾りながらも、 心を乱す事の無い心境を得たのである。( 一切浄功徳荘厳三昧)

そして、空中に昇り始め、タマラ樹の7倍の高さで留まると、仏に明らかに述べた。

”世尊よ。この我が二人の息子たちは、過去に仏と同じ事を我にしたのである。自在に相手の心を変えさす神通力 をもって、我が邪心(自分勝手な思い)を変えさせ、仏が説いた真理の教えの中で、何の心配も要らずに暮らす事を得て、 世尊の姿を見る事が出来たのである。

この二人の子らは、我の過ちを気付かせ、正しい道理に導かせた真の友人(善知識)である。 前世、身に付けた無貪(むとん)・無瞋(むしん)・無痴(むち)などの 善根の心を呼び起こさせ、我れに沢山の恵みを与える為に、 我が家に生まれて来たのである。”

その時に
雲雷音宿王華智仏は妙荘厳王に自らの思いを知らせる為に述べた。

”その通りだ。その通りだ。今、汝が述べた通りである。もし、良識ある若者(善男子)や良き夫人たち(善女人)が、善根を心に種えたならば、この世に生まれ来る度、 良き友(善知識=僧侶)と、めぐり会えるであろう。

その良き友(善知識)は、良く仏と全く変わらない行為をするであろう。丁寧にお教えを示して相手を喜ばし、功徳を与えて あらゆる真実を気付かせる最高の智慧に入らせるであろう。(阿耨多羅三藐三菩提)

大王よ。今、知るのである。この良き友(善知識)が汝を仏道へ導く、大きな動機(因縁)を与えたのである。 つまり、汝を教え導いてその心を入れ替えさせ、仏の姿を見せてあらゆる現象が生じる訳を悟らす最高の智慧を求める心を起させた。

大王よ。
汝は、この二人の子らをどの様に見るのだ。

この子らは、すでに遠い昔において、極めて大きな数(那由他)の六十五百千万億人で、ガンジス河の砂と等しい 数の仏たちを供養した後、 親しみを持って沢山の仏に近づき、彼らを敬ったのである。

そして、沢山の仏たちのもとに居て法華経を聞きながら、その教えを覚えて(受持)、物事を斜めに見る(邪見) すべての生きもの(衆生)を哀れんで、物事を正しく見させる事(正見)を教えた。”

そして、妙荘厳王は空中から下りて、仏に明らかに述べた。

世尊よ。如来(にょらい)は、非常に不思議な人である。功徳と智慧を持ち、更に頭の肉が盛り上がり(肉髻)、 そこから放たれた光明であらゆるものを照らし出す。また、目は広くて長く、瞳はブルーであった。

更に眉間(みけん)にある右巻きの白色の旋毛(せんもう)は白メノウの満月(珂月)の様であり、 歯は白くて欠ける事無く整っていて、常に白く輝いていた。唇は血色が良く、赤みを帯びて頻婆(かんば)の果実の様であった。”

その時に
妙荘厳王はこの様に仏に備わった数え挙げる事が出来ない百千万億の功徳(価値ある特質)を称賛し終えると、 如来の前に歩み出て、真剣に手を合わせながら(合唱)、 雲雷音宿王華智仏にはっきりと述べた。

”世尊よ。この様な教えを今まで聞いた事が無かった。如来が説いた真理(法)は、不思議なほど優れて奥の深い功徳を身に付けさせ、 それを完成さす事が出来たのである。更に、如来に教わった戒律に従って行動した所、心は安穏になり、正しく(善)、晴れ晴れとした気持ちに成れた。

我れは今日より、再び、心の思うがままに従って、自らが行動を起す事は無いであろう。つまり、邪見・憍慢(自惚れ)・ 瞋恚など、多くの悪を生む心を持つ事が無いのである。”

この様に自らの言葉で話し終えると、雲雷音宿王華智仏に礼拝して出て行ったのである。

仏(釈迦)は集まった大勢の者たちに真実を知らせた。
”汝らはどの様に思うであろうか?。妙荘厳王は別人で無く、今の華徳(げとく)菩薩であり、 その妻の浄徳夫人は、今、仏の前において光明で照らし出されて光り輝く姿を見せる菩薩である。

また、妙荘厳王や多くの家臣を悲しんで哀れんだ末に、彼らの中に生まれて来た二人の子等は、 今の薬王菩薩と薬上菩薩で有るのだ。

この薬王・薬上菩薩はこの様な立派な功徳を成し遂げ、既に数え切れない数の百千万億もの仏達の所において、 沢山の徳の本(善根)を植えて、人が考え付かないほどのあらゆる善をもたらす功徳を完成させた。

もし、人が居て、この者がこの二人の菩薩の名前を知っていたならば、すべての世の神々や人々は、 再び、礼拝するのであろう。”

仏は、この妙荘厳王本事品を説かれた時、八万四千人の人々は塵(六境)を 遠ざけて垢(俗世の習慣)から離れて、あらゆる現象(諸法)が生じる中に於いて、その本質を知り、眼識 (視覚による先入観)を洗い流す事が出来たのである。(法眼浄)



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