南無妙法蓮華経
  -----普賢菩薩勧発品偏-----

 

  私たちのHPも
  どうすれば、”幸福を得られるのか?”と言う事を実践したつもりです。もし、これを読んで幸せに成れたら幸いです。
 
  

   担当:倫理社会学2年 赤塚 朋美


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
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法華経


参考サイト

仙学研究舎

中国史

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語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・正定聚(しょうじょうじゅ)
不退転の菩薩の事で、将来は浄土に生まれ仏と成る事が定められた菩薩の事。

・濁悪世(じょくあくせ)
劫濁(こうじょく)・見濁(けんじょく)・煩悩濁(ぼんのうじょく)・衆生濁(しゅじょうじょく)・ 命濁(みょうじょく)の五濁悪世の事。


---編 集 録---

落ち葉舞う 季節はいつも 恋終わり 寄添う君に かんざし一つ
季節はめぐり、早くも霜降り月になり、ある日の事 彼から別れを切り出された時の歌

今日は、皆さん
お元気でしょうか?。久しぶりに短歌を呼んで見ました。今年の内定率は過去最悪で70%代です。 超氷河期を越え、何と言えば良いのでしょうか?エコポイントで内定がもらえ無いでしょうかね。 下らない話はこれ位で、前回の話の続きをどうぞ

あかり;
「このままだと宣帝でページが終わちゃうよ。」
鈴音;
「前64年、宣帝は王奉光の娘を皇后に立て、張婕、(ちょうしょうよ)らを退けた。また、 病人の租税を免除し、諱の罪を 犯した者を無罪にした。

更に、匈奴は車師国が漢に降った事を知ると、車師国を討伐する為に出兵したが、鄭吉と司馬埙の漢軍に阻まれ、進軍しなかった。 その為、漢軍は守王を残して本隊は渠犁国(コルラ市) に戻った。しかし、車師王は匈奴を恐れて烏孫に逃げた。

宣帝は鄭吉を衛司馬とし、護鄯善以西南道として鄯善より西の西南道を管轄させた。また、蕭望之 を少府に任命すると、共に張安世の兄の掖庭令(張賀)を陽都哀侯にし、その子である張彭祖を陽都侯に封じた。

また、勃海・膠東で盗賊が頻繁に起こり、宣帝は張敞に盗賊鎮定と劉賀の監視を命じた。 そして、劉賀は廃人である事を宣帝に報告した。

前63年、趙広漢が魏相夫人を罪に落とし入れた事で処刑され、代わって黄霸 が京兆尹に任命されたが、数ヶ月で違法行為を弾劾されて潁川太守に戻された。更に丙吉を太子太傅から博陽侯に封じた。四月、突然に 疏広太傅と疏受少傅が帰国してしまった。

前62年、右扶風の尹翁帰及び富平侯の張安世が死去した為、尹翁帰の子3人は太守とし、張安世の子の張延寿を富平侯としたが 翌年には病気で退官した。また韋賢が死去して子の韋玄成 を河南太守とした。

前61年、京兆尹を黄霸から張敞に代えて窃盗団を捕まえさせた。また、 この年に渠安国が不審な先零羌を殺害した為、諸羌族は帰義羌候の楊玉を盟主に立て、匈奴と手を組んで反乱を起した。

しかし、趙充国が四万の騎兵を授けて九群付近に駐屯すると匈奴は逃げ去った。更に、同盟国の罕羌・幵羌を味方に付けて 先零羌を攻撃すると、先零羌は地を捨てて逃げ去ったので兵を留めて屯田させた。また、匈奴に 丁零が攻めた。

前60年、趙充国が帰国した後、仲間割れして先零羌が滅亡すると、辛武賢との確執より 趙卬が殺され、趙充国は辞職した。更に 蓋寛饒や厳延年らが烏掲・堅昆・丁令の不興を買い、自害した。匈奴の 握衍朐鞮単于が即位すると、叔父の日逐王が漢に亡命した。

前59年、握衍朐鞮単于は日逐王の2人の弟を殺すなど残虐であった為に国中から憎まれ、 翌年には烏桓が姑夕王を攻撃し、単于が激怒した為に姑夕王・烏禅幕・ 左地貴人らは稽侯蛳を呼韓邪単于 に即位させて握衍朐鞮を自害に追い込んだ。

そして、翌年の前57年に匈奴は屠耆単于、烏藉単于、呼掲単于、車犁単于などの五単于が乱立する時代を迎えた。 また、漢では韓延寿が東郡太守の時に公金横領した事を蕭望之に弾劾され、処刑された。

前56年、楊ツが太僕の戴長楽を弾劾した事により爵位を失い、庶民にさせられた。前55年には丙吉が死去して黄霸が丞相と成り、 翌年には武帝の子の廣陵王が死ぬ。また、大司農中丞の耿寿昌により常平倉法が考案された。

前53年、呼韓邪単于が兄のシツシ単于に破れると、子を漢に入朝させたので、シツシ単于も子を入朝させた。 前51年、呼韓邪単于が入朝した事で烏孫やパルチアなどの諸国は漢を恐れ、シツシ単于は匈奴の故庭から去って行った。

漢では、黄霸が死去して于定国が丞相に成り、皇太子セキと王政君に子(成帝)が出来た。 翌年の前50年には、宣帝の五人の子らを諸侯に封じた。

前49年、呼韓邪単于が来朝した隙に、シツシ単于は西地の伊利目単于(屠耆単于の弟)を攻撃した事で漢から討伐兵が出された。 その為、シツシ単于は北地を征圧しょうとして烏孫に近づいて裏切られた為、烏孫を襲って烏掲・ 堅昆・丁零を降した。

烏孫小昆弥の烏就屠が亡くなった為に、拊離を小昆弥に任命するが弟に殺され、弟の子・安日を立てた。冬に宣帝が崩御した。 」
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◆普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぱつひん)

ここからは普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぱつひん)です。
ここでは、お釈迦様が去ってから永い年月が過ぎ、この世が五濁悪世(ごじょくあくせ)と呼ばれる乱れた世界になっても 法華経を得られる方法を述べている。

そして、普賢菩薩は四つの法を教え、それを守り通す者には、普賢自ら姿を現して守護し、煩悩や悪魔を遠ざける陀羅尼 を授ける事が記されている。

●翻 訳 一 

その時に
普賢菩薩は思いのままに真実を見通す力(自在神通力)をもって、あらゆるものから尊敬されている者の名(威徳名) を聞いた。

そして、想像する事(無量)も、数える事(無辺)も、言い表わす事(不可称)も出来ない数の多くの偉大な菩薩たちを従えて、 東方より、やって来たのである。

彼らが通過した所の諸国は、すべて震動し、珍しい蓮の花の雨を降らし、数えられない百千万億と 言う音色の伎楽が鳴り響いたのである。

また、更に多くの天神・龍神・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら) ・緊那羅(きんなら)・摩睺羅伽(まごらか)・人間及び人に有らざる者ら、数え切れない大勢の者たちに周りを囲まれると、

それぞれの菩薩が威厳ある態度と、計り知れない不思議な力(神通力)を見せ付けて娑婆世界の 耆闍崛山(ぎしゃくっせん)の山の中に到着すると、 額に釈迦牟尼仏の足を当て礼拝し、七回も仏の周りを右に巡ると、仏に明らかに述べた。

”世尊よ。我れらは宝威徳上王仏(ほういんとくじょうおうぶつ)の国に居ながらも遥か彼方にある。この娑婆世界で説かれた法華経を耳にし、 計る事も数える事も出来ない百千万億の数の菩薩たちと一緒に詣り、教えを授かりたいと願ったのである。

叶う事が出来るのであるなら、世尊よ。今ここで我らの為に、この法華経を解き明かして下さい。もし、善男子・善女人 が、如来(釈迦)の居ない世の中において、どの様にして、この法華経を得れば良いのだろうか。”

そして、仏は普賢菩薩に真実を知らせる為に述べた。
”もし、善男子(良家の息子)や善女人(良家の婦人)が、この四つ約束(四法)を守り通したならば、如来の去った世においても、 必ず、この法華経を得る事が出来るであろう。

一つ目は多くの仏たちに見守れている事を忘れ去らない事。二つ目は、人から尊敬される様々な行い(本)を積み重ねる事。 三つ目は生きる目的が定まった者たち(正定聚=菩薩)に仲間入りする事。四つ目は、すべての生き物を迷いの世界から救出させようとする心を起す事である。

良家の息子や婦人たちは、この様な四法の教えを成し遂げたなら、如来が去った後の世においても、必ず、この経を得る事が出来るであろう。” その時、普賢菩薩は仏に明らかに述べた。

”世尊よ。世尊の居ない世が500年続き、この世が濁悪世と成っても、 この経典を授かって大切にする者が居たならば、必ず、我らはこの者を見守りながら、衰患(わずらい)を取払って安心させるだろう。 更に、この者の隙を探し求める者が現われても、その機会を与え無い様にするであろう。

例え、それが悪魔であろうとも、或いは悪魔の子であろうとも、或いは魔女であろうとも、 或いは悪魔に従う者たちであろうとも、或いは魔に魅了された者であろとも、隙を突く事は出来ない。

更に、それが夜叉であろうと、或いは羅刹(らせつ)であろうと、或いは鳩槃荼(くはんだ)であろうと、 或いは毘舎闍(びしゃじゃ)であろうと、

或いは吉蔗(きしゃ)であろうと、或いは富単那 (ふだんな)であろうと、或いは韋陀羅(いだら)であろうと、それらの人を悩ませる者たちであっても、隙を伺う事が 出来ない様にするであろう。

また、この者が歩たり立止まったりしながら、この経典を唱えて教えを覚え様とするならば、 その時、我れは六つの牙を生やした白い象王の背に乗って、偉大な菩薩たちと共に、その者の所に赴き

自らの姿を現して、その者を供養したり、見守ったりして心を和ませる。なぜなら、 この者が法華経を供養するからである。

仮に、この者が禅を組んでこの経に思いを巡らしたならば、その時は我れも、再び白い象王に乗って、 その者の目の前に姿を見せるであろう。

仮に、その者が法華経の一句、或いは一偈(げ)を忘れて思い出せない所が有ったならば、 我れが、必ずその所を教える。その為に、この者と共にお経を唱え、思い出させて教えの意味を理解させるであろう。

その時、この法華経を所持してお経を唱える者は我が姿を見て、大いに喜びながら、更に修行に励む(精進)であろう。 そして、様々な三昧や陀羅尼を得るであろう。

それらは、煩悩を吹き飛ばす旋陀羅尼(せんだらに)・無限に尽きる事のない百千万億旋陀羅尼・真実の声に耳を澄ませる 法音方便陀羅尼と名付けられ、これらの陀羅尼をこの者は得るであろう。

世尊よ。もし、仏が去った後の世で五百年が過ぎた頃の五種の穢れ に染まった世の中(濁悪世)で、比丘(びく)・比丘尼(びくに)・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい) を探し求める者、経典を持っている者、経を唱える者、経を書写する者。

もし、これらの者たちがこの法華経を学んで、その教えを身に付けたいと願うならば、 21日間(三七日)、雑念を取払って心を一つに集中させる努力(精進)を惜しまない事である。

そして、それを満足させて21日(三七日)が過ぎた日、我れ、自ら六つの牙を持つ白い象に乗り、 数え切れない菩薩たちを従えながら、その者の周囲を巡り拝礼するであろう。

つまり、すべての生き物が見るだけで喜びを与える姿をその者の目前に現して、この者の為に真実の姿を 解き明かし、教え導いて喜びを分け与えるであろう。(示教利喜)

また更に、この者に陀羅尼の呪文を与える。何故なら、この陀羅尼を得られる事で、あらゆる物事を破壊する様な非情者(非人)に成る事が無く、 また、この者の心を乱そうとして誘惑しても、誘惑出来る女人が現れる事が無くなるからだ。

そして、我は我が身に変えても、常にこの者を守るであろう。ただ、願う事ならば、世尊よ。 我がこの陀羅尼を説くことを許して下さい。”

そして、仏の前で呪文を説いて明らかにした。
阿檀地(あだんでー)壇陀婆境(だんだばてぃ)檀陀婆帝(だんだーヴぁるたに)檀陀鳩除隷(だんだくしゃれー) 檀陀脩陀隷(だんだすだーり)脩陀隷(すだーり)脩陀羅婆底(すだーらはてぃ)

仏陀波羶禰(ぷっだばしゅやねー)薩婆陀羅尼(さるばだらに)阿婆多尼(あばたらに) 脩阿婆多尼(しゅあばたに)僧伽婆履叉尼(そぎゃはびしゃに)僧伽涅(そぎゃね)伽陀尼(きゃだに)

阿僧祇(あそうぎ)僧伽波伽提地(そぎゃはぎゃち)帝隷阿惰(ていれあだ)僧伽兜略(そぎゃとうりゃ) 阿羅帝(あらて)波羅帝(はらて)薩婆僧伽(さるばそぎゃ)三摩地(さんまち)伽蘭地(きゃらんだい)

薩婆達磨(さるばだるま)修波利刹帝(しゅはりせってい)薩婆薩埵(さるばさっとば)楼駄舎略(るだきょうしゃりゃ) 阿莵伽地(あときゃだい)辛阿毘吉利地帝(しんなびきりだいて)

世尊よ。もし、ある菩薩がいて、その者がこの陀羅尼を聞く事が出来たならば、 それは普賢菩の神通力のお陰である事を知るのである。



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