私達のhpは、
読者の皆さんの為に、何か生きる為のヒントをもたらす事を願って作成しました。
もしも、何も得られないと思う人は、傲慢で、自分が生かされている事を知らない人です。
担当:宗教心理学科3年 桜 麻由美
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・無尽意菩薩
衆生を済度しようとする尽きることのない強い意志を持った菩薩
・杻械(ちゅうかい)
手かせと足かせ
・枷鎖(かさ)
罪人をつなぐのに用いた刑具→桎梏(しっこく)
・無畏(むい)
財施・法施・無畏施の三施の一つで、恐怖心を取り除く事
・南無(なむ)
サンスクリット語のナマスの音写で命を捧げる、それほど大事に敬うという意味。
インドでは「感謝する」と言う意味
・巍巍(ぎーぎ)
徳の高く尊いさま
・淫欲(いんよく)
三毒の内の貪欲を更に五つに分けた五欲(食欲・淫欲・睡眠欲・名誉欲・財欲)の一つ、その中でも淫欲は依存性が強く
治す事が困難である。また、淫欲は男女間の性だけで無く、ギャンブル・アルコール・麻薬を言う事が有る
・福徳(ふくとく)
善根によって得る功徳
バンクーバーオリンピックが終わり、これで寝不足から解消されると思ったら、ペルー沖地震の津波情報で
今夜も眠れそうにありません。
今日は、皆さん
お元気でしょうか?。私たちは相変わらず元気です。最近、私たちの間では、フィギアスケートのキム・ヨナと
浅田真央の判定の話題で持ち切りです。しかし、あるサイトで気になる記事を見付けてしまいました。
それは、スケート場の維持費が高い為にスケート場の数が激減している事です。その為にフィギアス選手に成る為には
年間で約一千万の経費が掛かるそうです(大変ですね)。と言う事で、前回からの話の続きをどうぞ。
麻由美; | |
「なぜ、呂氏一族を倒す為に挙兵した劉襄(りゅうじょう)で無く、 劉恒(りゅうこう)が即位したのですか?。」 | |
鈴音; | |
「それはですね。確かに、劉章の密告を受け、
更に魏勃・駟釣・祝午の助言により、丞相の召平を殺害して
兄の劉襄が呂氏討伐に動いた事で、周勃・陳平らは呂一族を倒して少帝弘
を排除する事が出来たのですが、 しかし、一部の大臣と琅邪王劉沢から 「劉襄を皇帝に即位させると、外戚である駟釣が悪人である為に呂氏の二の舞に成る」との進言により、 生母が没落貴族の末裔で、権力欲が少なく人格者との評判の高い劉恒を新皇帝に立てる事を決めたのです。 そして、紀元前179年に外戚の薄昭や宋昌 の助言に従がって代王劉恒が文帝に即位し、 生母の薄氏が皇太后と成ると、密かに少帝弘・常山王劉朝・淮陽王劉武らは毒殺された。 そして、文帝は周勃を右丞相に、陳平を左丞相にし、呂氏に奪われていた城陽・瑯邪・済南郡を斉王劉襄に返還すると、 劉章を城陽王に、劉沢を燕王に封建させた。更に、陸賈に命じて南越王 趙佗を従がわせた。 一方では袁盎との確執で、 周勃は引退するが、紀元前178年に陳平の死去に伴い、再び周勃は丞相に就任する。だが、翌年の紀元前177年に日食が 起こり、文帝は詔を発布して周勃を解任し、後任の丞相に灌嬰が就いたのです。 灌嬰が就任すると同時に、匈奴が北辺に侵入した為、灌嬰は兵を率いて匈奴を討ち、文帝も太原まで自ら出向く事と成った。 それを知った済北王劉興居が反乱を起すが、すぐに文帝に知られ、柴武 を大将軍に任命して済北王劉興居を討たせた。 その後、劉興居は撃破されて捕らえられ、自殺したが、劉興居の反乱に与した者は赦免された。また、この年には 劉章が病死した為に子の劉喜が城陽王を継ぐ事を許したのです。 更に、淮南王劉長が長安に入朝した際、 母の敵として審食其を撲殺したが、処罰されなかった為、劉長は、更に横暴に成り、漢の法に従がわずに 自ら法令を作り、天子の制度を用い、不遜な事を上書する様になって行くのです。 翌年の紀元前176年には灌嬰が亡くなり、その後任に張蒼 が成った。更に、絳県に赴任した周勃は訪ねて来た使者を武装して出迎えた為に謀叛の疑いを掛けられて投獄され、 張釈之の調べを受ける事と成ったのです。 しかし、周勃は投獄される際に獄吏に賄賂を渡し、周勝之 に無実だと書いた手紙を渡す。そして無実だということが袁盎や文帝の母の薄太后に知ることとなり、文帝を諫め釈放する。 紀元前174年に、終に劉長は柴武の後継ぎ柴奇らと反乱を企てるが、その事を知った丞相らが文帝に死罪に当たると上奏すると、 劉長から王位を奪って蜀に流罪したが、護送中の車の中で餓死する。その後、雍県まで護送していた役人を処刑し、 劉長の四人の子ら(劉安・劉勃・劉賜・劉良)を列侯に封じたのです。 紀元前172年に夏侯嬰が亡くなり、紀元前170年に薄昭が使者を殺害した罪で自殺し、紀元前169年に周勃が亡くなる。 紀元前167年に収帑連座の令・誹謗妖言の令に加えて肉刑 を廃止すると共に田に関する租税を廃止した。 また、その年の冬に匈奴が朝那(甘粛省)の要塞を攻めて北地都尉の孫卬を殺した。そこで、文帝は朧西・北地・上郡 に軍を置き、また渭北に周舎の衛将軍と張武の車騎将軍を置いて皇帝自ら将として出陣しようとしたが、皇太后に 止められた為に、張相如・董赤・欒布を派遣して匈奴を討たせた。 紀元前166年、公孫臣が文帝に五行説 を用いて漢は土徳である事を説くが、張蒼にこの事を否定された。翌年に黄竜(周が失った鼎)が成紀(甘粛省)で発見され、 公孫臣を博士し、張蒼を疎んじた。更に、張蒼が中候に推挙した者が汚職をした事より、丞相の職を辞職させられた。 紀元前164年、文帝は趙人の儒者新垣平から言われた通り、渭陽に五帝廟(讖緯思想)を設けて参拝した。 更に、周勝之が殺人を犯したために絳侯を取り上げられ、弟の周亜夫に後を継がせた。 紀元前163年、新垣平から文帝に瑞兆の印である玉杯が贈られ、文帝は改元して年号を「後元」としたが、この事が 新垣平の策略ある事が分かり新垣平の三族を死刑にする。 紀元前162年、丞相張蒼が罷免され、申屠嘉が丞相となる。申屠嘉 は怠慢なケ通を斬ろうとするが文帝に助けられた。また、この年に文帝は匈奴 の老上単于と和議を結んで、家臣の中行説 と共に公主を嫁がせた。 紀元前160年、匈奴の老上単于が崩御し、 その子の軍臣が匈奴の新単于と成った為、再び文帝は匈奴と和親を再確認した。 紀元前159年、匈奴の軍臣が和議を破り雲中郡(山西省)に侵入した為、文帝は飛狐(河北省)に車騎将軍令勉、句注山(山西省)に将軍蘇意 北地(甘粛省)に将軍張武、細柳(陝西省)に将軍周亜夫、灞上に宗正劉礼、棘門(陝西省)に祝茲侯を配置して数ヶ月に渡り匈奴と戦った。 そして、諸侯の入貢を免除し、山沢の禁をゆるめて人民の利をはかり、衣服・調度・狗馬を減じ、郎・吏員などの人員削減を行い、 倉倉をひらいて穀物を貧民に与え、民に爵の売買を認めた。 紀元前157年、劉長の子らをそれぞれ淮南王・衡山王・廬江王にすると、文帝は未央宮にて崩じたのです。」 |
ここからは観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)です。
その時に、
この観世音菩薩普門品は、一般に広く『観音経』『観音信仰』を普及させた事で有名ですが、
観音菩薩のルーツ
を探ると古代宗教の神々に到達するといわれる。
古代イランのゾロアスター教の
女神アナーヒター、
ヒンドゥー教のシバァ神やその
妃ドゥルガー・
女神ラクシュミーなど
多くの神々の属性が取り入れられ、複合されて観音菩薩という一つの存在に結晶したものと考えられている。
紀元1世紀頃の観音菩薩像がガンターラから発見されており、すでに紀元1世紀頃には観音信仰が形作られていたものと
言われています。その後、中国に渡ってこの法華経の観世音菩薩普門品が作られたそうです。
では、ここで書かれている事は「南無観世音菩薩」と唱える事で、七難から避難する事が出来ると言う事と、
七難は三毒五欲の煩悩から起こる事が記されている
七難とは
火難
自分の思い通りに行かない事に腹を立てる事。怒り・嫉妬・怨み・憎しみ
水難
淫欲に溺れてまともな暮らしが出来ない事。ギャンブル・酒・女
風難
傲慢な事から他人の恨みや嫉妬を買って邪魔される事。いじめ、悪口、風評被害
刀杖難(とうじょうなん)
無知である事でトラブルに巻き込まれて他人に殺傷される事。
交通事故、過労死、リストラ
鬼難
自分に自信が持て無い事で訳が分らない物(妄想)に心が奪われる事。恋愛・占い・怨霊
枷鎖難(かさなん)
自らの欲を満たしてきた為に、その欲に拘束されて身動きが取れない状態に成る事。
麻薬、依存症など病気、ローン地獄
怨賊難(おんぞくなん)
世の中は悪人だらけであると思い込んで世を畏れる事。孤独
●翻 訳 一
無尽意(むじんに)菩薩は座っていた席から立ち上がり、敬意を表す為に右肩の衣を脱いで肌を見せると、ひたすら仏に手を合わせながら、
仏に向かってこの言葉を述べた。
”世尊よ。
観世音菩薩は、どの様な因縁(理由)があって
観世音と名乗る様に成ったのでしょうか。”
そして、仏は無尽意(むじんに)菩薩に告げたのである。
”善男子(良識有る者)よ。
もし、思いも及ばないほどの数の百千万億もの衆生が居て、その衆生が様々な苦悩を受けた時に、
この観世音菩薩の事を聞いて知り、その名を一心に唱えたとしたならば、
観世音菩薩は、すぐに心の叫び声を感じ取って、叫んでいる者のすべてをその苦悩から解脱
させるであろう。
もし、この観世音菩薩の名を忘れない者であるならば、
たとえ、大火(瞋恚の比喩)の中に飛び込んだとしても、大火の炎もその者を焼き尽くす事が出来ないであろう。
なぜなら、その者はこの菩薩の偉大な神力によって護られているからである。
もし、洪水(貪欲の比喩)の激流に溺れて身を漂わせている時に、その菩薩の名(名号)を唱えれば、
すぐに浅い所を見つける事が出来るであろう。
もし、百千万億と言われる多くの衆生がいて、その者たちが金・銀・瑠璃・しゃこ・碼碯(めのう)・珊瑚(さんご)・琥珀(こはく)・真珠とうの七宝を
探し求める為に大海へと船出した時に、例えば暴風が吹いて、互いに繋ぎ止めていた船(船舫)が吹き飛ばされて
羅刹鬼が住む国に舞い落ちたとしても、
その中にいる者が、もし一人でも、観世音菩薩の名を唱えたならば、この多くの者たち、すべてが羅刹の難から逃れて
安全な所に辿り着く事が出来るだろう。
これらの理由(因縁)より世の音を観じる(世の人の声をあるがままに観察する)と名付けられたのである。
もしまた、ある人がいたとして、その人が今まさに、他の者から危害を加えられる場面にぶつかった時、観世音菩薩の名を唱えたならば、
相手が手にした刀や棒(刀杖)は自然とバラバラに砕け散り、その害から逃れて安全な所に避難出来るであろう。
もし、仏が救済しなければならない三千大千国土(娑婆)で、その中を自分の仲間で満たそうとしている夜叉(やしゃ)や
羅刹(らせつ)が、人の居る所にやって来ては、人を悩まそうと思っている時に、
その観世音菩薩の名を呼んで聞かしたならば、これらの様々な悪鬼どもの悪眼では、この者の姿を見付ける事は出来ず、
増してや、危害を加える事など、とても無理な事である。
また人をもって例えるならば、罪を犯した者や無実の罪で捕らわれた者が、手かせ・足かせ・首かせなどの刑具(杻械)
と鎖(枷鎖)で、その身を牢獄に繋がれた時に、
観世音菩薩の名を唱えたならば、すべての枷や鎖が一つも残す事なく粉々に壊れて、安全な所に避難する事が
出来るであろう。(解脱)
或いは、三千大千国土の中に、憎むべき極悪非道の悪人(怨賊)どもが横行している国があり、
更に、そこに一人の道案内する者(商主)と、
その者に従がう大勢の商人たちの商隊(キャラバン)が居たとしょう。
しかも、彼らは貴重な宝を大切に持ちながら崖が続く様な険しい路を歩んでいるとしょう。その時に、
彼らの中から一人のある者がこの言葉を一同の者に向かって述べた。(唱言)
”多くの良識ある者よ(善男子)。
不安になって恐怖を抱いてはいけない。汝ら、今まさに一心に観世音菩薩の名前を唱えるのだ。
この菩薩はよく不安な気持ちを取除いて(無畏)、生きている物(衆生)に生きる勇気を
与えてくれる菩薩なのだ。
汝らが、もしこの菩薩の名を呼んだならば、この憎むべき極悪非道の悪人(怨賊)どもの恐怖から逃れて、
安全な所に辿り着けれるだろう。(解脱)”と、
そして、多くの商人たちがこの事を聞くと、皆が一緒になって声を出して『南無
観世音菩薩』と唱えたのである。つまり、その名を唱えた事で彼らは、あらゆる恐怖から解脱する事が出来たのである。
無尽意よ。
この観世音菩薩摩訶薩がいつでも悪を封じて人を救う神通力(威神)の力が徳くて偉大な事
(巍巍)は先に述べた通りである。
もし、ある人(衆生)が居たとして、その者が淫欲(五の貪欲の一)
の多い者であったとしても、常に観世音菩薩の事を思い出し、観世音菩薩を謹んで敬うのであれば、
自ずと欲から離れる事が出来る。
或いは、その者が瞋恚(しんに)の多い者であるとしても、常に観世音菩薩の事を思い出して観世音菩薩を謹んで敬うのであれば、
自ずと欲から離れる事が出来る。
また或いは、その者が愚痴(ぐち→無明)
の多い者であるとしても、常に観世音菩薩の事を思い出して観世音菩薩を謹んで敬うのであれば、自ずと欲から離れる事が出来る。
無尽意よ。
観世音菩薩は先に述べた様に多くの煩悩を封じさせる偉大な神通力をもって他者に多くの利益を与えて下さる。
この事より、衆生は常に心の中で観世音菩薩を思い出すのである。
仮に、ある婦人が居たとする。そして、その者が、例えば男の子を生みたいと望んで観世音菩薩を礼拝して供養したならば、
豊かな才能をもって誰からも好かれ(福徳)、頭の賢い(智慧)男の子を生むだろう。
また、例えば、その者が女の子を生みたいと希望するならば、姿形が美しく、顔立ちの整った女性(端正有相)で有りながらも、
前世において善い行為を積んだ事より、多くの人から愛され尊敬される(愛敬)女の子を生むだろう。
無尽意よ。
観世音菩薩は、この様な力も備えているのである。