南無妙法蓮華経
---常 不 軽 菩 薩 品 偏---

 

  女の子が書いたhpだから、
  信用できないと思うかもしれませんが、自分達に成りに努力し、確信を持ってhpを書いていますので、
  是非、私たちのhpに遊びに来てくださいね!。
   
  

   担当:社哲学科2年 牛島 由紀


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト



プラボットの異端児
短歌入門


儒教の歴史

中国思想史・天



語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・日月燈明(にちげつとうみょう)
太陽と月の光の事から、自然界を意味する

・雲自在燈王(うんじざいとうおう)
夕日の事で、日月燈明如来の別名とされている。

・軽賎(けいせん)
人を見下して馬鹿にすること

・計著(けいちゃく)
法などを自分の頭の中だけで、色々と思考する以外に体を動かない事。


---編 集 録---


稲刈りの
香り運ぶや 秋の風
切ない思い 誰に伝えん

<解釈>

この歌は車窓から見た田園風景と女心を取り混ぜて歌ったものですが、イマイチピンと来ません。締め切りが 来たので、乗せてしまいました。



今日は、皆さん
お元気でしょうか?。私たちも、大学が始まって忙しい日々が始まりました。ところが、四年生たちは内定が決まらずに、 焦っている様です。

政権交代しても、いつ頃までにこの問題が解決するのかが心配だそうです。卒業してしまうと、どの様な事情があっても、 新卒とは見てくれません。中途採用だと、少なくとも3年以上の事績が問われるし、バイトは認められないとの事です。

ともかく、今年も就職活動は問題だそうです。では前回の話の続きをどうぞ

あい;
「孟子・荀子って誰ですか」
鈴音;
「孔子の死後、時代は更に下克上が激しくなって弱肉強食の世界と成り始める。まず、 南の長江流域ではという2つの新興勢力が興り、そのうちの呉は楚の首都を陥落させ、越を破ると、晋と覇権争いをするのであるが越に滅ぼされる。また、越も楚に滅ぶされた。

やがて、晋も韓・魏・趙の三国に分れ、斉は呂斉から田斉となり、楚も主君と有力貴族との間で政権争いをしていた。 そうして、戦国七雄と呼ばれる 秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の間で、覇権を巡って戦いが繰り広げられた戦国時代を迎える事になったのです。

戦国時代 に成ると諸侯や家臣が争っていく中で、富国強兵をはかるためのさまざまな政策が必要と成り、それに答える為に 下級の士や庶民の中にも知識を身につけて諸侯に政策を提案するような遊説家が登場する様になる。

そして、 諸侯はそれを食客としてもてなし、その意見を取り入れた。また、諸侯の中には大学を造り、学者達に学問の場を 提供する者も現れた。こうして、中国にはあらゆる思想家が乱立する諸子百家 の時代を迎えるのです。

そんな中に、儒家と正反対の墨家(ぼっか)が 台頭して来たのです。墨家とは孔子と同じ魯出身の墨子 によって創られた思想家集団で、「兼愛交利(博愛主義)」と 「非攻説」を説き、儒教の家族愛を基本とする「仁」は差別愛(エゴイズム)であると批判したのです。

それに対して、子思の学派から儒学を学んだ孟子によって、仁に対する を発展させて行き、人は生まれながら善とする性善説 を説いたのです。

そして、四端を示して仁・義・礼・智の 目を儒教の基本理念として、諸侯に「民こそが国家で 最も重要とし、仁に基づく王道政治こそが天命であり、民意を失う事は天命を失う事であり易姓革命が起きる」と 説いたのです。

しかし、戦国時代の末に生まれた荀子によって性善説は否定されて性悪説 が説かれました。でも、性悪説も、性善説も述べている事は同じで、人は学ぶ事で善を保ち続けられる事らしいのです。

また、荀子は天を単なる自然現象で、人の行為は天と連動しているとする天人合一説を否定した天人の分を 説いた。これにより後に法家と言う思想家が誕生する。」

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◆常 不 軽 菩 薩 品(じょうふきょうひん)

ここからは常不軽菩薩品(じょうふきょうひん)です。
この場面は常不軽菩薩がこの世を去った後、日月燈明と出会って法華経を聞き、更に雲自在燈王と出会って、 その教えを説いてもらいながら六根を清浄し、また更に多くの仏を供養しながら、善行を積んで徳を身に付けて 仏に成った事が描かれている。

また、その常不軽菩薩は過去の自分の姿であり、常不軽を馬鹿にしていた四衆は跋陀婆羅ほか五百の菩薩・師子月 ほか五百の比丘、尼思佛ほか五百人の優婆塞たちである事を述べている。

この常不軽菩薩品は、どんなに下らない人間と思われても、人を救おうとして一生懸命やる事が仏道の第一歩で ある事を説いた作品だそうです。

●翻 訳 二

この菩薩は、更に千万億の多くの人々を教え導いて、これ以上無い悟り(阿耨多羅三藐三菩提)の中に 住まわせたのである。

そして、命が尽きた後、二千億もの仏に巡る合うことが出来たのである。その仏たち、すべての者が同じ名の 日月燈明と名乗ったのである。 そして、その仏たちが説いた教え(法)の中で、この法華経を聞いたのである。

この訳(因縁)により、また二千億もの仏に巡り合えたのである。この仏達も、同様に皆が同じ名の雲自在燈王と 名乗ったのである。

この諸仏の教えの中で、教えを授かってこれを守り(受持)、或いはこれを声に出して読みながら(読誦)、 多くの四衆の為にこの経典を聞かした事より、この普通の眼は汚れが取れて清らかになり(清浄)、 更に耳や、鼻や、舌や、身や、意など諸根も、汚れが取れて清らかになった。

そして、多くの四衆の中で、教えを話したとしても、心が恐れる事は無かったのである。

得大勢よ。
この常不軽菩薩・摩訶薩は、 さほど多くない諸仏を次の様に供養するのである。それは謹んで仏を敬ったり、仏を尊んで、褒め称える事である。

そして、この様に沢山の善い果報が受けられる素となる行為(善根→八正道)を行なって来た後、再び千万億もの仏に巡り合って、また諸仏の 教えの中において、この経典を説いて、優れた性質を得る為の修行(功徳→六波羅蜜) を成し遂げて仏に成る事が出来たのである。

得大勢よ。
汝はどう思うのか?。その時の常不軽菩薩は他でもない、この我自身である。もし、我れが前世(宿世)で、 この経を聞いて心に刻み(受持)、声に出して読んで他人の為に聞かせる事が無ければ、素早く最高の悟り(阿耨多羅三藐三菩提) を得る事は出来なかった。

我れは、先の仏の所において、この経を聞いて憶えて(受持)、声に出してこれを読み(読誦)ながら、人の為にこれを説明した事より、 素早く最高の悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を得たのである。

得大勢よ。
この時の四衆の比丘(ビク)・比丘尼(ビクニ)・優婆塞(ウバソク)・優婆夷(ウバイ)は、 瞋恚の気持ちをもって、我れを見下して馬鹿にする事より、

二百億と言う永い年月、常に仏に巡る合う事が無く、教えを聞かず、僧を見ずに、千年もの長きに渡り、阿鼻地獄において 大きな苦悩を受けるであろう。この罪の償い終わり、再び常不軽菩薩が最高の悟り(阿耨多羅三藐三菩提) へと導く機会に遭遇する。

得大勢よ。
汝はどの様に思うであろうか。その時の四衆、つまり、常にこの菩薩を見下していた者は他でもない、

今、この大会に居る跋陀婆羅(ばっだばら)を初めとする五百人の菩薩、師子月(ししがつ)を初めとする五百の比丘、 尼思仏(にしぶつ)を初めとする五百の優婆塞(うばい)、これら皆が最高の悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を得た後、再び元の迷土に 帰る事の無かった者である。

得大勢よ。
必ず知るのである。この法華経は、大いにそれぞれの菩薩摩訶薩に利益を授けさせて(饒益)、 良く最高の悟りに至らしめる。

この事より、それぞれの菩薩摩訶薩や如来がこの世から去った後、常に、この経を聞いて記憶し、声に出して読み、これを人に解説し、 書写するのである。”

その時に
世尊(お釈迦様)は、再び、この意味を伝え様と望んで、歌(偈;げ)を聞かせて分る様に述べた。

”過去にある仏が居りました。名を威音王と申されました。不思議な知識(神智)が限り無くあって、すべての者を率いて導くと事は 天人・人間・竜神などが共に供養する所であった。

この仏が世を去った後、教えが尽き様と思われる時。一人の菩薩が居て、名を常不軽(じょふきょう)と言った。 時に、それぞれの四衆は教えの意味を自分の頭の中だけで思考する事だけに拘っていた(計著)。不軽菩薩は、 そうした僧侶の所に赴き、自らこの者たちに話しかける様に述べた。

『私は、あなた達を馬鹿にしたりしない。あなた達は仏道を歩んで、皆必ず仏に成るでしょう。』と、多くの者がこの事 を聞き終わると、人を馬鹿にして傷つける様に大声で怒鳴った。(軽毀罵詈)

だが、不軽菩薩は良くこれを耐え忍び(忍受)、その罪を終えると共に寿命尽きる時を迎え、この経を聞く事を得て 六根を清浄する。

六根を清浄して神通力を得た事より寿命を伸ばして(増益)、また多くの人の為に広い地域において、 この経を説いたのである。

様々な教えに執着している人々(四衆)、皆が菩薩の教え導いた所を成し遂げた事により仏の道に留まる事が 出来たのである。

不軽が命を終えると共に数え切れない仏にめぐり合った。そして、この経を説いた事により、数えられない福を得て、 暫くして、善い行いを積み上げて優れた能力(功徳→智・断・恵)を身に付け、 素早く仏道を完成させた。

その時の不軽は、すなわち我が身であり、あの時の四部の衆、法に執着した者が不軽の述べた『あなたは必ずや仏に成るだろう』 と言う言葉を聞いたのは、この因縁をもって数えられない仏にめぐり合う為である。

この会の菩薩や五百の阿羅漢、並びに四衆の清信士(優婆塞)・清信女(優婆夷) 今、我が前において、法を聴くこれらの者である。

我れが前世で、この多くの者(諸人)に勧めて、この経の第一の教えを聞かせて心に染み込ませる。物事の成り行きを明らかに示しながら、 人に真実を教えて涅槃(ねはん)の境地に住まわせる。

代々生まれ変わる度に、この様な経典を受け継いで守って来た。億億万劫と言う遠い昔から不可思議劫と言う時が流れるまで。 時節が到来して、この法華経を聞く事を得る。億億万劫の遠い昔から不可思議と言う永い時が流れるまでの中で、時に諸仏世尊はこの経を説くだろう。

この事より、仏教の修行をしている者たちは仏の滅度後において、この様な経を聞いても、疑惑を生じさせてはならない。 必ずや一生懸命、多くの人にこの経を説くのである。代々、仏に廻り合えて、素早く仏道を成し遂げるであろう。”




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