南無妙法蓮華経
----------序 品 偏----------

 

  私達が仏教を取り上げた目的は
  私たちの周りで、普段、起きている事件や悩みなどの解決の糸口を見つけるためのものです。!
  それと同時に、3000年前のインド社会で、なぜ、お釈迦様が仏教を悟り、広めようとしたのかの研究です。
  だから、皆さんが理解し、今後の日常生活でお役に立てれば、幸いです。(^〇^)
  

   担当:文学部人文学科2年 藤井あゆみ

解 説


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経

語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


浄戒
清浄な戒。五戒・十戒などの仏のいましめ
十戒
不殺生・不偸盗(ふちゆうとう)・不淫(ふいんいつ)(性行為の禁止) ・不妄語・不飲酒(ふおんじゆ)・不塗飾香鬘(ふとしよくこうまん) ・不歌舞観聴(芸能観賞の禁止)・不坐高大広床・不非時食(ふひじじき) ・不蓄金銀宝戒のこと

諸法実相
すべての事物・現象がそのまま真実の姿を現していると言って、現象の背後に現象生起の源としての何か実在的なものと考えるようなことは誤りであり、その姿にはけっして実在的実体ではない。

大道
人の守るべき正しい道。仏道

仙人
世俗的な常識にとらわれない、無欲な人

懈怠
なまけること

三乗
〔「乗」は迷いの此岸から悟りの彼岸へ衆生(しゆじよう)を渡す乗り物の意〕衆生が煩悩(ぼんのう)の世界から菩提の世界に達する三つの方法。声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の総称



---感 想---

皆さん、今年も早いものですね。!
もう、梅雨の時期を迎える事となりました。そ言う中、皆さんはどう過ごしていますか?

私たちはと言うと、相変わらず就職活動とサークル活動で世話しなく過ごしています。そんな中、ヒョンな事より落 語を聞く機会を得る事になり、落語を聴きました。

聴いてみると以外に、面白く得るものが有るのです。それは何かと言うと、私たちが法華経を訳す時に、分からない事があり、落語を聴いているうちに、法華経に書いてあるあの事は こう言う事かなと思い付く事があるからです。

女優の伊藤美咲似の尼さんに、法華経に関するhpをどう作ったら良いか、相談した時に「ホォ〜、それは面白い。そうじゃな、落語の様な聞いて飽きず、為になるものが良いかな?」

その事が法華経の般若波羅蜜につながるそうです。?何はともあれ、これからも、自分たちなりにやって、行きたいと思います。皆さん、ヨロシクネ!

◆序 品(じょほん)

これで、序 品は最後です。
今回、取り上げているのは偈は、文殊菩薩の回答を更に分かりやすく表現した物と考えられます。

この序品は、仏の光明をきっかけに、仏道を修行してきたかやどうして行けば良いかを書いたものだと思われる

-----では、どうぞお楽しみくださいネ!q(・ェ・q)ルン♪(p・ェ・)pルン♪

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●翻 訳 七

あるいは諸の比丘が山林の中に住み、精進し浄戒を持つこと、明珠を護る様である。また、諸の菩薩が布施・忍辱などの修行する、 その姿の数はガンジス河の砂と同じである事を見る

  これは仏の光の照した事によるもの、また、諸の菩薩が深く諸の禅定に入って、身心寂かに動さずに、無上道を求むを見る。

また、諸の菩薩の法が心を静にしながら徐々に煩悩を滅する寂滅の相を知って、各々は自分の胸中において、法を説いて仏道を求むるを見る。

その時に四部の衆は日月燈仏の大神通力を現わされたのを見て、皆は歓喜しながらも、各々、自問自答した。この事、何の因縁ぞ?天・人が奉った尊(佛) は適いに応えて、三昧より起ち

妙光菩薩をお讃めなされた。”汝は為れ世間の眼、すべてを信じて、良く法蔵(経典)を奉りながら身につけ事は 我が説いた所の法と同じである。唯一、汝のみが悟り得ただけである。”

世尊、既に讃歎し終え、妙光を歓喜せしめて、この法華経を説かれたのです。六十小劫の教えが終わろうとしても、この座を起つ事は無かった。 説いて下さった所の上妙の法をこの妙光法師はすべて残す事無く、教えを乞い身に付けた。

佛はこの法華を説いて、衆を歓喜させ、すべてを已って、順じて、この日のうちに天・人の衆たちにお告げになりました。

”諸法実相の義を汝等が為に説き終えた。我は今夜中に、涅槃(入滅)に入るだろう。汝、一心に精進し、生活態度を改めよ。!さもないと、 諸佛に出会う事は、甚だ、難しいく、億劫と言う時に、一度きり出会うことができるようなものです。

世尊の諸子(弟子)等は佛が涅槃に入りなさる事を聞いて、各々、”仏滅すること第一であり、なぜ急ぐのか”と悲悩を懐いた。 聖主法の王(佛)は無量の衆をなぐさめて言った。

”我がもし滅度した時、汝等は憂怖することなかれ、この徳蔵菩薩(妙光)は無漏実相(諸法実相と同じ)の心をすでに、通達して得ている。 この者を次の佛としなさい。名を浄身と名のり、また、無量の衆を度すのです。

佛がこの夜に滅度なされた様子は薪が燃え尽きて、火が消えて行く様でありました。色々な舎利(ほね)を分布して無量の塔を建てた比丘・比丘尼はガンジスの砂の数と同じ数に及び、 益々、精進して、無上道を求めました。

この妙光法師は仏の法蔵(経典)を持ち、八十小劫の世の教えの中において、広く法華経を布教する。日月燈明の八人の王子たちは妙光に開化せられて、無上道を堅く守り、無数の仏を見極めて、あがめるのです。 諸仏を供養し終えて、心から信じて従い、大道を修行して、相継いで成仏することを得て、転じて授記する。

最後の天中の天をば、名付けて燃燈仏という。諸の仙人の導師として、無量の衆を度脱させていたこの妙光法師に、時に、一りの弟子がいました。 心常に懈怠を抱いて、名利(名誉と財利)に貧著し、名利を求むる事に飽きる事がない。

多く族姓の家に遊びに行き、習誦する事を棄捨して、忘れ去ってしまい利を理解する事が無かった。この因縁を以ての故に、之を号けて求名と名付けた。

また、この者は多くの善業を修行し、無数の佛を見極めて、あがめる事を得て、諸佛を供養し、心から信じ佛に従がって大道を行い、六波羅蜜を身に付けて、今、釈師子(釈迦)を見極めて、あがめる。

この者は、後に、佛に成り、名を弥勒と言う。また、広く諸の衆生を度す、その救われた者の数は数える事が出来ないほどである。彼の仏の滅度の後、怠けし者は汝、これなり、妙光法師は、今の則ち、我が身是れなり。

我は燈明仏を見極めるのに、お釈迦様の光明の神通力はこの燈明仏の時と同じである。これを以て知るのです。今の仏も、法華経を説こうとしているのです。今の佛の気持ちは光明を放って現したのようにです。 これは諸仏の方便です。

今の仏の光明を放ったのも、森羅万象の真実の姿の意義を切り開く為の助けとするものです。 様々な人達は今、当に、知るのです。手を合せて、一心に待ち続けていれば、仏様は法雨を雨らして、道を求むる者の願いを叶えて下さる。

様々な三乗を求むる人がもし、疑惑を持つなら、仏はこれを断じて、この教えに身を捧げて、尽くす事を悔やむように成らない事をお示しになる。

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