南無妙法蓮華経
--------譬 喩 品 偏--------

 

  私たちは是の様に考えています。
  私たちの様な世間知らずの女の子でも、少しでも人の役に立ちたいと思い。
  遊び半分で作ったと思われるサークルでも、初心を忘れず、サークル活動をあせらず、なまけず、あきらめずに夢を
  持ってやり続ける事が人の役に立つ事であり、世の中を変える事であり、自分たちの幸せにもつながるものと。
  ---皆さん、ヨロシク
  

   担当:経済部国際科3年 香多かおり

解 説


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経

語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


法性(ほうしょう)
宇宙万物の共有する不変・平等無差別な本体。あらゆる存在の本来の真実なるあり方。仏の真理

済度(さいど)
困ったり苦しんでいる境遇から助け出すこと

方便随宜(ほうべんずいき)
ある教えを悟らすために、用いた仮の話

度脱(どだつ)
悟り開く

終日竟夜(ひねもすよもすがら)
煩悩を日に例えて、朝から夜まで、つまり、起きている間煩悩にさらされている。

佛法の分
佛法の意味する所

無漏(むろ)
漏とは、欲のために、得た徳を失う事から煩悩の身を漏とした。その煩悩から離れたことを無漏と言う

・煩悩
人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき。
1.肉体や心の欲望、
2.他者への怒り、
3.仮の実在への執着など。

無上道(むじょうどう)
その煩悩から離れる方法、すなわち、六波羅蜜



---感 想---

今日も、朝から暑いですね!
頭がボ〜ットして、何も考えられません。こんな時は、校舎の窓からイケ面を探す事にしていますが、直、頭痛や目まいを覚える時があります。

つくづく、私たち自身は縁に恵まれない苦果であることを感じさせられるのです。この事を男子どもに、伝えると”俺たちの方が迷惑している。 第一、頭痛や目まいの原因は熱射病”では、ないのか?”との返答でした。そんな事より、 もう時期、お盆です。

お盆とは、サンスクリット語のボン、つまり、霊と言う意味です。昔の人は災難が起きるのは不幸な死に方をした人の霊が天国に行けずに苦しんでいて、 そのせいで、災難が起きるが起きると考えていました。そこで、その霊を弔うために、行なったお祭りがお盆です。

今では、そのなごりが隅田川の打ち上げ花火・ねぶた祭りなどがそうだと伊東美咲似の尼さんが言っておりました。 だから、皆さんもお花お線香を持って、お墓参りしてはいかがでしょうか?

◆譬 喩 品(ひゅうほん)

ここから、譬喩品(ひゅうほん)をお送りします。
この作品は方便品の続きです。方便品では、縁により、因がうまれ、その因が新たな縁と結ばれ、果を生じ報いを受ける。

その因果から、抜けるにはどう言う縁に自分の身を置けば良いかが記されていた。譬喩品は苦果いる人を救う智慧、阿耨多羅三藐三菩提について、記されている。 最初の所は舎利弗の苦悩から、描かれている。

-----では、どうぞお楽しみくださいネ!q(・ェ・q)ルン♪(p・ェ・)pルン♪

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●翻 訳 一

その時に、
舎利弗は急に悦びに満ち溢れ、手を合わせながら立ち、世尊の顔を眺めて、申しあげました。

「我々は世尊に従って参り、今まさに、我々はこの法の説を聞きて、今までに味わった事のない喜びを覚えました。 どう言う訳でしょうか、

昔、我は佛に従いながらこの様な法を聞き、諸の菩薩が遺言を残し、次の佛を指名する事を見ながらも、 我らには、この様な事に預かる事ができず、甚だ如来の思いも及ばない智慧を得る事が出来ない事に心を痛めていました。

世尊、我は常に一人で山林に入り、樹木の下に住みながら、時には禅を組み、時には周りを歩き、常にこの様な思いを抱いていました。

”我らも同様に法性(真理)に入っているのに、どうして、如来は小乗の法をもって、我らを済度するのか?。 これは、我らが罪によるものであり、世尊(佛)に成れないと言う事なのか?。”

”ど言う訳なのか?。もし、我らが、諸佛の智慧の因(もと)である阿耨多羅三藐三菩提(あのくだらさんみゃくさんぼだい)を成就する事、 また、それを説いてくださるのを待ていれば、必ず、世尊が大乗をもって、我らを度脱して下さるはずではないのか?。”

しかし、我らは方便随宜の説の意味を悟る事が出来ずにいて、初めて佛法を聞いて、偶然に、その言葉を 信じて教えに従がい、勝手に、これなら間違いなく悟りを得る事ができると考えていたのです。

世尊、我は昔より今まで、煩悩にさらされながら、毎日、自から煩悩の責めさいなみを克服して来ました。

しかし、今、佛に従いながら、未だに聞いた事のない法を聞いて、諸の疑念や悔恨を断じて、身心ともに落ち着き、物怖じせず、快く安穏な心を得る事ができました。

今日、知る事が出来たのです。我らは、本当に、佛の弟子であり、そして、佛の言葉をもって、あるいは、法の教えをもって、佛法の分(意義)を得る事ができたこと。」

その時に、舎利弗はこの義(思い)を述べんと欲して、偈を説いて(言葉を用いて)言った。
「我、この説法を聞いて、今まで一度も味わった事のないものを得る事ができ、大歓喜の心が沸き上がり、今までの疑念がすべて除かれました。 昔より今まで、佛教を身に付けて、大乗の心を忘れた事はありませんでした。

佛の言葉は非常に不思議なもので、良く衆生の悩みを取り除かれておられ、 すでに煩悩を滅した我であるけれども、佛の言葉を聞く度、つらい悩みが消えて行くのです。

我は山中の谷に身を置いたり、或いは林の樹木の下に座り、時には禅を組んだり、また、ある時にはその周りを歩いたりして、常にこの事を考えていたのです。

そして、時には、叫び声を上げ、自分を責めたりしました。”いかんぞ!しかも自らをあざむく事は”と。

我らも、また、佛子(菩薩)であり、同じく無漏の法を得ているにも関らず、未来に無上道を演説することが出来ずにいる。 また、同じように、第一の法を得ていると言えども、佛の特徴である「三十二相」・「十力」・「八解脱」を得る事が出来ない。

・三十二相
仏の姿で、三十二種類の体の特徴の事

・八解脱
八正道を参考の事

・十力
合理と不合理とを区別する智力など十種、佛が備える智力

1.世俗智
四諦を知る以前の一切の凡夫の智

2.法智
苦集滅道を悟る智

3.類智
上二界の苦集滅道を悟る智

4.苦智
上下界の苦諦を悟る智

5.集智
上下界の集諦を悟る智

6.滅智
上下界の滅諦を悟る智

7.道智
上下界の道諦を悟る智

8.他心智
他人の心を知る智

9.尽智
すでに一切の煩悩を断ち消した智

10.無生智
鋭い根(6根)を有する阿羅漢のみ、具足する智、すべてを悟り、知る事が無くなった状態で、更に悟りを開く智

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