南無妙法蓮華経
--------譬 喩 品 偏--------

 

  私たちは是の様に考えています。
  私たちの様な世間知らずの女の子でも、少しでも人の役に立ちたいと思い。
  遊び半分で作ったと思われるサークルでも、初心を忘れず、サークル活動をあせらず、なまけず、あきらめずに夢を
  持ってやり続ける事が人の役に立つ事であり、世の中を変える事であり、自分たちの幸せにもつながるものと。
  ---皆さん、ヨロシク
  

   担当:経済部国際科3年 香多かおり

解 説


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経

語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・波旬(ハジュン)
 殺人者・悪人を指して言う

・八十種の妙好
 三十二相をさらに細別して八十種にした。八十種隋形好とも言う。

・十八不共の法
 身に過失がないなどの十八種の佛にのみ備わり、他には共通しない特色

1.身無失
 行動の規範である「戒」、宗教的精神統一である「定」、真理を知る「慧」、人を哀れむ「慈悲」をもって身を修める事
2.口無失
 無量の智慧弁才をもって、機会を伺いながら、大衆に法を悟らす事
3.念無失
 禅定を修め、心を乱す事なく、諸法の中に於いても、執着する心が無く、常に安穏である事
4.無異想
 すべての人に平等な想いを持つ事
5.無不定心
 どんな状況でも心が静かな事
6.無不知己捨
 すべての法を知っていても、法に執着しない事
7.欲無滅
 諸の衆を度せんと欲して心が飽きる事がない事
8.精進無滅
 諸の衆を度すため、心身を精進させる事に満足し、休息する事がない
9.念無滅
 過去〜未来のすべての佛の法、智慧に同意し、満足し、退転する事がない
10.慧無滅
 すべての智慧を身に付け、どんな難しい法でも、区別する事無く、悟る事
11.解脱無滅
 すべての執着から離れ、有為解脱、無為解脱を得ること
12.解脱智見無滅
 すべての解脱を得て、事を明らかに了承し、認識して、無碍な心を得る事
13.一切身業隋智慧行
 佛清浄の勝相もって智に従って行じ衆生を利益する
14.一切口業隋智慧行
 不思議で、清らか言葉をもって、智に従って衆生を教化し利益する
15.一切意業隋智慧行
 清浄な意業をもって、智に従って衆生を教化し利益する
16.智慧知過去世無礙
 智慧をもって、過去の所有一切、もしくは過去世の衆生、非衆生の法を偏り無く、照らして見ても、心が無碍である事
17.智慧知未来世無礙
 智慧をもって、未来の所有一切、もしくは来世の衆生、非衆生の法を偏り無く、照らして見ても、心が無碍である事
18.智慧知現世無礙
 智慧をもって、現在の所有一切、もしくは現世の衆生、非衆生の法を偏り無く、照らして見ても、心が無碍である事


---感 想---

こんにちは、皆さん。
あっ!。早々、私たちと伊東 美咲似の尼さん、との出会いはゴールデンウイークに企画した。修学旅行先出の事です。

私たちは、あれや、これやと、話しているうちに、観音菩薩が住んでいる浄土と同じ所と言われる日光の中禅寺湖に決まりました。 そして、日光へ向かう電車の中で、鹿沼にある古峰ヶ原や今市の如来寺も行くと参考になる事を聞きながら、気ままに旅することにしました。

結局、日光の帰り、古峰ヶ原へ行く途中の古びた尼寺に、たまたま、寄り道した時に、その尼さんに出会い、話しをしたのがきっかけです。

私たちが、その尼寺”般若寺”に寄り道したのは古峰ヶ原への道を尋ねるため、レンタカーを降り、山門でうろうろしていたのです。

尼さんは、私たちを見るなり、
「抹香くさい、処がお嫌でなければ、中にお入りなさい」と声を掛けたのです。

----続く。

◆譬 喩 品(ひゅうほん)

ここから、譬喩品(ひゅうほん)をお送りします。
この作品(譬喩品)は舎利弗の苦悩を通し、人の妄想と言うものを描いています。人は、多にして、勝手に誤解を自ら招き、苦しみ、それを他人のせいにして、 いつの間にか、人を怨んだり、憎んだり、避けたりします。

舎利弗も、同じ様に、お釈迦様の方便を聞き、この法を成就すると佛に成り、佛に成ると○○、自分は法を成就し、佛に成ったのに、○○が来ない。 これはお釈迦様に騙された。勝手に誤解し、苦しみ、お釈迦様に疑念を抱く事が描かれています。

そして、この作品はお釈迦様がどのようにして、人を救うのかも描かれています。

-----では、どうぞお楽しみくださいネ!q(・ェ・q)ルン♪(p・ェ・)pルン♪

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●翻 訳 二

しかも、八十種の妙好・十八不共の法などの功徳を我は皆、失なってしまい。 我れ一人で歩いている時、大衆の中に佛が居るのを見かけ、そして、沢山の聞く人に周りを取り囲まれた佛が広く、大衆を多くの言葉や比喩でもって、心を豊かにしている姿を見かけました。

この光景を見て、我は自ら、この思いを抱きました。この功徳を失ない、自らその事を騙し欺くのかと言う事、そして、我は常に煩悩(昼夜に)にさいなまれながらも、この事を考え悩んでいて、よって、世尊に尋ねたいと願っている事です。

”なぜ、失ったのか?。なぜ、失わないのか?。”
我は常に世尊(佛)をあがめて来たり、また、諸の菩薩を賞賛して参りました。この事の意味を、煩悩にさいなまれている身で有りながらも、思いはかていました。

今、佛のお言葉を頂きたいと願っています。どうか、宜しく法を説いて下さい。
無漏を思いはかることは非常に難しいく、多くの人を仏道を修行する場所へ導いていながらも、我は元々、邪見に執着する梵志(バラモン教の信徒)であり、諸の梵志を指導する指導者であった。

世尊、我が心の思いを承知されて、
邪を抜き、涅槃を説いて下さるならば、我は悉く、邪見を取り払い、空の法により、悟りを得る事が出来でる。 その時、心に自から思う事ができるでしょう。滅度(涅槃)に到ることが出来たと、

しかし、今、自ら悟ったのです。これ、実の滅度ではない事を、
もし、我が佛に成った時は三十二相を身に付け、天人・夜叉衆及び龍神等が謹み敬うはずです。そして、この時に、我は永く煩悩を滅し尽くし、もう、ほかにやる事がないと思う事ができると。

佛は大衆の中において、我に”佛に成るべし”と説き、この様な演説を聴いて、疑惑をすべて残らず、自分の中から除く事が出来ませんでした。

初め、佛の説く所を聞いて、心の中に大い成る驚愕が走り、”将に悪の佛を作り、我が心を悩乱するのではないか”と思いました。 佛は種々の縁・比喩をもって巧みに言説なされ、その心が海の様に安らいだものでありましたが、我はこれを聞いて、疑いを晴らす事が出来ませんでした。

佛が説いた過去世の無量の滅度後の佛も、方便の中に安住して、また皆、この法を説いて下さっています。現在及び未来の佛が計り知れないほど居たとしても、また、 諸の方便をもって、この様な法を演説なされる。今居る世尊のような人でも、この世に生まれて、出家してから得度し、法輪を転じるまで、方便をもって、法を説かれる。

世尊は真実の道を説いて下さい。
邪悪な魔王、ハジュンはこの様な方便を使わない。この事より我は確実に知る事が出来ず、”この佛は魔の佛では無い”とだけであった。 我は疑の網に堕ちて、故に、これは魔の成せる業と思うのです。

佛の柔軟な声で、とても奥が深いく不思議な清浄の法を落ち着き払って、演説しているのを聞いて、我が心に大いなる歓喜が沸き、永く間、疑いが湧く事が無く、 実智の中に安住する。我は決心し、作佛(成仏)して、天・人に敬われる為に、無上の法輪を転じて諸の菩薩を教化する。

その時に佛、舎利弗に告げました。
吾は、今まさに天・人・苦行者・バラモンの僧たちの大衆の中において説く。私は昔かつて、二万億の佛の所において、無上道(仏道)を得たのです。 そして、その教えに従いって、常に、汝を教え導いて来たのです。

汝もまた、煩悩(ぼんのう)に迷いながらも、我に従って教えを受けて来たのです。 今、我は汝を方便をもって、引導させる為、我が法の中で生きるのです。

舎利弗、私は昔、あなたを佛道に志願させました。汝はその時の事をすべて忘れ、そして、自分かってに、滅度の法を得たと思い込んだのです。

我は今一度、汝が昔、誓願して修行した本願所行の道を歩んだ頃の様な気持ちを堅く心に抱く事を願う。 と共に、法を聞いている諸の者達の為に、本願所行の道(願い立て、その解決を計る事)をこの大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・佛所護念と名ずけた事を説きます。

舎利弗、汝が未来、気が遠くなるほどの時を過ぎて、千萬億の数の沢山の佛を供養し、正法を守り、菩薩所行の道(六波羅密)を身に付けたなら、成仏することが出来るでしょう。

そして、名を華光如来(けこう)・応供(おうぐ)・正偏智(しょうへんち)・明行足(みょうこうそく)・善逝(ぜんぜい)・ 世間解(せけんげ)・無上士(むじょうし)・調御丈夫(じょごじょうぶ)・天人・佛・世尊と言う。

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