南無妙法蓮華経
--------譬 喩 品 偏--------

 

  私たちは是の様に考えています。
  私たちの様な世間知らずの女の子でも、少しでも人の役に立ちたいと思い。
  遊び半分で作ったと思われるサークルでも、初心を忘れず、サークル活動をあせらず、なまけず、あきらめずに夢を
  持ってやり続ける事が人の役に立つ事であり、世の中を変える事であり、自分たちの幸せにもつながるものと。
  ---皆さん、ヨロシク
  

   担当:経済部国際科3年 香多かおり

解 説


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

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法華経


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からも出来るよ。

語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


三毒(さんどく)
人の心を毒する三つの根本的な煩悩。癖貪(とん)・瞋(しん)・痴

五見(ごけん)
六煩悩の見を五つに分けたもので、仏教の教義に反する五つの誤った考え。
1.自己の実在を考える我見と周囲のものが自己に所属すると考える我所見を合わせた身見
2.自己の死後の永続を信じる常見と死後の断絶を信じる断見を合わせた辺見
3.因果の道理を否定する邪見
4.誤った見解を信じる見取見(けんじゆけん)
5.誤った宗教的行為を信じる戒取見(かいじゆけん)
六煩悩
三毒+慢・疑・見

十惑(じゅうわく)
三毒+慢・疑+五見、合わせて一〇としたもの。十煩悩。

数字の単位
大きくなる単位
一・十・百・千・万・億・兆・京(けい)・垓(がい)・丈(し)・壌(じょう)・溝(こう)・砂(かん)・正(せい)・載(さい)・極(ごく)・恒河沙(こうがしゃ)・阿僧梢(あそうぎ)・那由他(なゆた)・不可思議(ふかしぎ)・無量大数(むりょうだいすう)

小さくなる単位
割・分・厘・毛・割(わり)・分(ぶ)・厘(りん)・毛(もう)・糸(し)・忽(こつ)・微(び)・繊(せん)・沙(しゃ)・塵(じん)・埃(あい)・渺(びょう)・漠(ばく)・糊(もこ)・逡巡(しゅんじゅん)・須臾(しゅゆ)・瞬息(しゅんそく)・弾指(だんし)・刹那(せつな)・六徳(りっとく)・空虚(くうきょ)・清浄(せいじょう)

徳本
諸善を生み出す根本(身、口、意)

功徳
よい果報を得られるような善行。普通、供養(くよう)・布施(ふせ)の類をいう

智慧
智は知識で、煩悩を抑える心の働き、慧は真理を見通す心の働きを言う


---感 想---

皆さん。こんにちは、前回の話の続きをします。
私たちは、もじもじしながら、「良いですか?」と返事をした。

すると、尼さんは人なつこい顔をしながら、私たちに、「良いから、入れと言ったのですよ。」と言った。

私たちは、恐るおそる、「失礼します」と言いながら、山門をくぐり、中に入りました。

尼さんは、涼しい顔で、「ようこそ、この般若寺に御出で下さいました。私の名は鈴音(りおん)と言います。」 なお、鈴音は夏の風鈴の音のように、心地よく人の心に染み入るような言葉を掛けられるようにと願って、名付けたそうです。

そして、鈴音比丘尼は私たちに、「珍しいですね、この様な処に、女子大生が来るのは?、しかも、こんなに大勢で、何か有ったのですか?」と尋ねたのです。

私たちは、鈴音尼に答えて言ったのです。「女子大生は就職支援サークルを作り、良い会社、やりがいのある仕事就職のアプローチなどの研究をしょうと思い、 まずはじめに、なぜ、人は働かなければ、ならないかを調べている内に、仏教にたどり着いたのです。」

すると、鈴音比丘尼は「それは、面白ですね、その話しの続きを本堂で、ゆっくりとお伺いしたいものですね。」と言いながら、私たちを寺の本堂へと招き入れました。 ----続く。

◆譬 喩 品(ひゅうほん)

ここから、譬喩品(ひゅうほん)をお送りします。
この場面では、舎利弗の質問にお釈迦様が答える場面が描かれている。それは、遠い将来、正法を持ち、菩薩の修行して佛に成ると告げられる。

舎利弗が佛に成り、十二の悟り開きをその教えを説き終える頃に、堅満菩薩に阿耨多羅三藐三菩提の記を授け、その者を次の佛とするよう、比丘たちに告げ 入滅する。

その後、この世に、正法と像法が広まる。

正法
正しい仏法の行われる時期。釈迦の死後の五百年(または千年)間
像法
教法と修行者は存在するが、正しい修行が行われないため悟りを開く者が出ない時期
末法
教法は存在するが、修行を行う者がなく同時に悟りの証も得られない時期

-----では、どうぞお楽しみくださいネ!q(・ェ・q)ルン♪(p・ェ・)pルン♪

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●翻 訳 三

住む国(精神世界の例え)を離垢(りく)と名ずけ。 その土は誰に対しても、正しく平等であり、清らかで瑕一つ無く、厳しくに輝ている。 また、安穏で楽しみに満ち溢れ、天・人で溢れ返っている。

離垢の地には、八つの交じわる道がある。黄金を縄にして、その縄でもって道の片方を境線にする。 もう一方の片側には各々七宝の樹木が道沿いに列を成して生えていて、常に実が成っている。

華光如来(未来の舎利弗の名)もまた、三乗をもって衆生を教え導いている。 舎利弗、彼の佛が世に現われた時、世は悪世で無いかも知れませんが、 本願
(仏・菩薩が衆生(しゆじよう)を救済するために立てた誓願) を叶える為、三乗の法を説くのです。

その教える時を大寶荘厳(だいほうしょうごん)と名付ける。 なぜ、大寶荘厳(だいほうしょうごん)と名付けたのかと言うと、その国には菩薩が居て、 その菩薩を大寶と見なしたからです。彼の諸の菩薩は無量・無辺・不可思議の数に上り、 数字の単位で表すことが出来ないほど居ました。

彼の菩薩は佛の智力により現れた菩薩で無いので、この者たちをよく知る人はいない。 もし、修業に行こうとする時は足に綺麗な花をたむけられる。 この諸の菩薩は、初めて、その心を起こした訳ではありません。

皆、久しく徳本を植えて、数限りない百千萬憶と言う数の佛の所において、 嘘偽りの無い仏道の修行を身につけて、常に諸佛から感心してほめたたえられ、 常に佛の智慧を身につけ、大神通力を持ち、すべての諸法の門(この世のすべての教えの数)を知り、 飾りけがなくまじめで、誰に対しても変わらなく、志す思いは堅固である。

この様な菩薩がその国には充満している。
舎利弗、華光(けこう)佛は寿命十二劫の教えを持っている。 王子のころ、まだ佛になる前を除けば、その国の人民は寿命八劫の教えを持っていた。

華光佛が堅満菩薩(けんまん)に寿命十二劫の教えを授け終わり、 阿耨多羅三藐三菩提の記(阿耨多羅三藐三菩提を説く事)を授けて、諸の比丘に告げました。

この堅満菩薩が次に佛に成る事、その佛の名を華足安行(けそくあんぎょう) ・多陀阿伽度(ただあかど)・阿羅訶(あらか)・三藐三佛陀(さんみゃくさんぶつだ)と言う。 その佛の国土も、また同様です。

舎利弗、この華光佛が滅度した後、正法(仏教の教え)が世の中に広まり、寿命三十二劫の教えが根付くでしょう。 そして、その後の像法の時も、寿命三十二劫の教えが広まり、根付くでしょう。

その時、世尊(世間に尊重される者、釈迦)は重ねてこの義(意義)を述べんと欲し、偈(教理を説く詩、言葉)を説いて言った。

舎利弗、来世に佛普智尊(佛の事を普く知る佛、仏の異名)と成って、名を華光となずける。無量の衆の煩悩を鎮め、 無数の佛を供養し、菩薩の行(六波羅蜜)、十力などの功徳を身に付けて、無上道(仏道)を悟る。

無量の劫を過ぎ終わり(衆の煩悩を滅し終わる事)、その劫を大寶厳(だいほうごん)と名ずけ、その世界を離垢(りく)と名ずる。 清浄にして、瑕一つ無く、瑠璃でもって大地を作り上げ、金の縄で、道を区切りる。七宝が寄り集って出来た樹は、常に、華が咲き、果実が生っている。

彼の国の諸の菩薩は常に、志が堅く、神通・波羅蜜を皆、すでに身に付けて、無数の佛の所において、善く菩薩の道を学習する。 この様な大士(菩薩の別名)らがいるのは華光佛の教化によるものです。

佛が王子の時、国を捨て、世の栄えを捨てて、人生の最後の身を出家して、佛道を成就した。 華光佛は世に現れ、その寿命は十二小劫で、その国の人民の寿命は八小劫であった。

その佛が滅度の後、正法が世に住む事、三十二小劫で、広く諸の衆生の煩悩を沈め、生死の海を渡らした。正法が世から 忘れ去られた後、像法が世に住み、その寿命は三十二劫であった。

佛の骨を広く、流布して、天・人は普く、供養する。華光佛に例えた理由、その事は、皆、つぎに示す通りだからです。 その両足聖尊はもとも勝れていて、比べる者がありません。彼の者、すなわち、汝が身なり、宜しく将に、自ら喜んで、佛を褒め称えよ。

尋○劫とは
一生の間に身に付けた教えの数と思われる。
尋八劫とは普通の人だと一生の間に下記の八法を身に付けだけである。
八法は、世間の愛する所、憎む所、よく人心を扇動するので、また八風とも言う。
1.利(損得)、2.哀、3.毀(こわす)、4.誉(名誉)、5.称(名声)、6.譏(そしり)、7.苦、8.楽


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