私たちは是の様に考えています。
私たちの様な世間知らずの女の子でも、少しでも人の役に立ちたいと思い。
遊び半分で作ったと思われるサークルでも、初心を忘れず、サークル活動をあせらず、なまけず、あきらめずに夢を
持ってやり続ける事が人の役に立つ事であり、世の中を変える事であり、自分たちの幸せにもつながるものと。
---皆さん、ヨロシク
担当:経済部国際科3年 香多かおり
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・四果
小乗仏教において、修行によって得られる結果を分類したもの。
・預流(よる)果、
聖者の位に入った者
・一来果、
天界と人間界を往復する者
・不還(ふげん)果
流転することのなくなった者
・無学果(阿羅漢果)の総称
完全な悟りを開た者
・有無の見
有見(うけん)と無見(むけん)。いずれにも偏らない中道が真理とされる。有無の二見
・有見
この世の事物は実体として存在するという、反仏教的な考え
・無見
この世の事物は実体として存在せず、一切が無であるという考え
・邪見
五見の一つ。因果を否定すること
皆さん。こんにちは、前回の話の続きをします。
私たちは、本堂に通され、阿弥陀仏の前に座り、話の続きをする事に成りました。
鈴音尼さん
「さて、どうして、あなた達は仏教に関心を持ったのですか。?」
私たち、
「最初は、自分たちの為、就職に有利なように、クラブを作ったのです。そして、クラブ活動をしているかの様に、
ホームページを作り、そこに、適当に就職情報を載せて置けば、良いかな〜と、思いました。」
鈴音尼さん
「それから、どうしたのですか。?」
私たち、
「ある日、ニュースを見ていると、ひきこもり、フリーター、過労死、就職難、定年退職問題
ワーキングプアーなどの社会問題が起きていることを知ったのです。」
「私たちは、人と言うのは仕事があっても、無くても、悩み苦しむものである。
と気が付き、人はなぜ、仕事をしなければならないのか。?と言う事を調べたら、面白いと思ったのです。」
鈴音尼さん
「なるほど、それで、人の悩み苦しみに関しては仏教って、訳ですか。?」
「でも、わたしで、お役に立てれば良いですが。?」
私たち、
「鈴音さん、私たちより法華経の知識は有るのでしょう。?」
鈴音尼さん
「無いと言うと、嘘になるが、お釈迦様は法華経を知ったからと言って、苦しみは消えないと言っておられる。」
私たち、
「どうすれば言いのですか。?鈴音さん」
----続く。
◆譬 喩 品(ひゅうほん)
ここから、譬喩品(ひゅうほん)をお送りします。
この場面は舎利弗がお釈迦様から、将来、華光佛になり、諸の菩薩を教え導き、最後に堅満菩薩に受記し、無余涅槃に入る。
と阿耨多羅三藐三菩提の記を授けられるが四衆の者たちはその意味が分からず、再び、お釈迦様に阿耨多羅三藐三菩提の記
を尋ねることを描いている。
ここから、以降に三界の火宅の話しが始まる。
-----では、どうぞお楽しみくださいネ!q(・ェ・q)ルン♪(p・ェ・)pルン♪
その時に、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆及び・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩・羅伽等の大衆は
舎利弗が仏前に於て阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるを見て、心が大に歓喜し、気持ちが湧きあがり、感無量になった。
阿耨多羅三藐三菩提の記とは、諸の菩薩の志を堅固し、神通(真理を見抜く力)・波羅蜜(迷いの世界から悟りの世界に住むための行)を身に付けさせて、
無数の佛の所において、善く菩薩の道(六波羅蜜)を学習させる事が出来る事を指す。
おのおの各自は服を脱ぎ、佛にその上着を供養した。釈提桓因(しゃくだいかんにん)・梵天王(ぼんてんおう)等・無数の天子と共に、天子たちの衣や天の音楽・
曼陀羅華・魔訶曼陀羅華等をもって佛を供養した。
空中に脱ぎ散らかした天の衣は空に留まり、自ら回転している。
諸天の伎楽、百千萬種の者達は一時、天の衣と同じく空中にいて、諸の天華を降らしながら、この言葉を思い浮かべた。
佛は昔、ハラナイで、初めて法輪を説きながら広めたのです。また今、この上ないほどの大法輪を説き、広めるのでしょうか?
その時、諸の天子、重ねてこの義(意義)を述べて、偈を挙げて言った。
”昔、ハラナイで四諦の法輪を説法し、その説法の中において分別し、
諸法は五衆(五蘊(ごうん))の生滅を説き、今また、とても不思議で最高の大法輪を説き広めなされたましたが、この法はとても奥が深くて、これをよく、理解して信じる者は少ないでしょう。
世尊、この法を説いて下さるならば私達、皆が歓喜すると共に、大智舎利弗が今、世尊から阿耨多羅三藐三菩提の記を授かった時と同様、私達も必ず佛に成り、一切の世間において、最尊(最上の佛)として、この上ない者に成るでしょう。
仏道は悟りがたいものです。したがって、方便をもって、説く時期が来たらば、法を説いてください。さすれば、私が持っている現世及び過去の幸運、佛を見て得られる功徳などすべてを佛道に入らしめる為に役立てましょう。
その時、舎利弗は佛に謹んで、申し上げました。
世尊、我は今、また疑惑など有りません。直接、佛の前で阿耨多羅三藐三菩提の記を授かる事が出来たのです。
この諸の千二百人の者は心が自在である者たちであり、昔、学地に住んでいる頃(道場で教えを学んでいる頃)、佛が常に、教え導く為、
”我が法は良く、生・老・病・死の苦を離れて、最後には涅槃に到達する”と御しゃっているのを聞いた者達です。
この学・無学の人(四果)、また各々、自ら我見及び有無の二見から離れる事が出来たので涅槃を得たのだと思い込んでいました。
しかし、今、世尊を前にして、未だ聞いた事のない法を聞き、皆は疑惑に堕ちてしまいました。宜しいでしょうか。?世尊、願わくは四衆の為に、その因縁(事の起こりと意味)を説いて、抱いた疑惑から心を離れさせて下さい。
その時、佛が舎利弗に告げました。
我が先に、色々な佛や世尊の様々な因縁・比喩・言辞(言葉)をもって、方便して法を説いたのは阿耨多羅三藐三菩提を得る為の物であると言っていません。
この数々の教えを説いて意味する所は皆、菩薩を教え導く為のものです。さらに、舎利弗。今この場において、また更に、比喩をもって、この意義を明かしましょう。色々な知識ある者は比喩をもって悟り得なさい。