私たちは是の様に考えています。
私たちの様な世間知らずの女の子でも、少しでも人の役に立ちたいと思い。
遊び半分で作ったと思われるサークルでも、初心を忘れず、サークル活動をあせらず、なまけず、あきらめずに夢を
持ってやり続ける事が人の役に立つ事であり、世の中を変える事であり、自分たちの幸せにもつながるものと。
---皆さん、ヨロシク
担当:経済部国際科3年 香多かおり
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・倶時(くじ)
同時に
・周帀(しゅうそう)
周りを廻る
・焚焼(ぼんしょう)
焼け焦げる
・諸子(しょし)
多くの人を敬っていう語、同輩以下の人を指す場合
・若しは、〜あり
おそらく、たぶん〜いたどろう
・将に〜べし
確実に〜する
・為
ある物事に関することを表す。…にとって。…に関して
ある別の目的をもって、また、自分の利益にしようとする下心があって、事を行う
・情
人が本来もっている性質で、愛する心を言う
・玩
もてあそぶ物や眺めるだけの物
・四衢道
町の中で四つの道の交わった所
皆さん。こんにちは、前回の話の続きをします。
鈴音;
「まぁ〜、そうあせる事ない!。私が言いたい事は仏教の教えの一である。
一切皆苦を言ったまでです」
私たち;
「分かりません。どう言う事でしょうか?」
鈴音;
「う〜ん、そうですね。あなた達は法華経を知ると自分たちがどうなると思う」
私たち;
「悩み、苦しみが無くなり、自分の望みがすべて叶う」
鈴音;
「なるほど、でも法華経を知ったからと言って、苦しみが無くなる訳ではないし、望みがすべて叶う訳でもない」
私たち;
「どう言う事でしょうか?」
鈴音;
「私たちが普段、苦と思われる事の感覚を変え、苦を単に苦ではなく、将来、喜びに変わるものとして捕らえる事で苦を楽に変える。
つまり、意識を変えて、ものを見る事を記されているのが法華経であり、また、その意識を変えるには読むだけでだめ、実践することです。」
「例えば、自分の身を違う環境に置くとか、日常ではやらない事をやってみるとか、色々な人の話しを聞く事が何より大事であるとも、記されている。」 ちなみに、仏教では人の心を八識に分類している。
私たち;
「早い話、一つの概念に捕らわれるなってことですか。?」
鈴音;
「はい、そうです。」
私たち;
「一切皆苦とは、」
----続く。
◆譬 喩 品(ひゅうほん)
ここから、譬喩品(ひゅうほん)をお送りします。
この部分は阿耨多羅三藐三菩提(あのくだらさんみゃくさんぼだい)を三界の火宅と言う有名な喩え話で、説明しています。
この話しに出てくるものはすべて、現実のものを例えていて、今でも通じます。
三界の火宅に出て来る。長者・諸子・火・家・獣・鬼・車・宝石が何か理解できると、仏教の最高の悟り、阿耨多羅三藐三菩提
が判るでしょう。
-----では、どうぞお楽しみくださいネ!q(・ェ・q)ルン♪(p・ェ・)pルン♪
舎利弗、
聚楽(じゅらく)と言う都市国家に大長者がおり、その年、大長者は衰退して行くが、
財産は無限にあり、多くの田畑や諸の使用人などを所有していた。
その家は大変大きく立派であるが、門は唯一、一門だけしか無かった。
色々な人の集まりが数多くあり、その数は百・二百・ないしは五百とも言われるほどで有った。
そして、それらの者たちはその屋敷内に住んでいた。
神を祭る堂や神棚は朽ち果て、垣根や壁などは崩れ落ち、
土台などは腐れて壊れ、棟(むね)と梁(はり)は傾き、
危うい状態であった。家の周囲を廻るように、突然、火が起こり、家を焼いてしまう。
長者の諸子、凡そ、十人か?・二十人か?・あるいは三十人位までが、この家の中にいた。
長者はこの大火が四面より、起きるのを見て、大いに恐れ、この思いを抱いた。
私は良く、この燃えている所の門より、安穏に出ることが出来たものだ。けれども、
しかも諸子らは、まだ火宅の中におり、戯れる事に喜び、その楽しさに心を奪われて
、覚えず、知らず、驚かず、怖じず。
火が来て身を攻め、苦痛に襲われるにも関らず、心はその患いを嫌がる事無く、そこから出ようと求める意志もない。
災難ある事を自覚せず、知ろうともせず、驚かず、怖いとも思わないことを言っている。
なぜなら、他人に起きている災難は自分には起きないし、自分は他人とは違うと信じているからです。
舎利弗、この長者はこのように考えた。
私は手足に力があるのだから、花かごや机などを家から運び出そうかと。また、更に考えた。
この家には唯、一門しか無く、その門も極めて狭く、諸子らは幼稚で、未だこの事態を認識しないで、
戯れが出来る場所を恋い慕い、執着している。
そして、今確実に、柱などが崩れ落ち、火に包まれ、焼かれようとしているなか。
長者は今確実に、諸子を救う為、恐れおののく事態を説明しなければならないと決めた。
”この家はすでに燃えている。宜しく、時期を見て、速く家から出て、火に焼かれる事が無い様に”
との思いを抱き終わって、自分の考えの通り、事細かに諸子らに告げた。
”お前たち、すぐに家を出よ!”と父は哀れみ、善言(よい言葉)を用って、
先導するが、諸子らは戯れに喜び、その楽しみに執着し、夢中で、またく聞き入れず。
驚く事も無く、恐れる事も無く、ついには逃げ出す気さえ、失う。また、何者であるか?この火は、
何者であるか?この家は、と言う様に、どの様な事を失ったか、さえ知らず。ただ、東西に走ては戯れ、父を見ては足を止めるだけであった。
その時、長者はこの様な思いを抱いた。
この家はすでに大火に焼かれ、仮に、我や諸子らがこの家から出ないとするなら、必ずや焼かれる。
我、今必ず、方便を設けて、諸子等をこの害から逃れさせなければならない。
父は諸子の心が向く先にはそれぞれ、好む所があり。色々な珍しい玩具や形の変わった玩具の物を愛して、執着する事を知って、彼らに告げた。
”お前たちが玩具を好きに成る気持ちは不思議であり、理解に苦しむものである。だが、お前たちが、もし取らなければ、必ず後悔する様な数多くの種類
の羊車(ようしゃ)・鹿車(ろくしゃ)・牛車(ごしゃ)などを今、門の外にあるので、もって遊ぶが良い。”
”お前たち、この火宅より、宜しく速やかに出て来なさい!。お前たちの欲しがっている物、すべてをお前たちに必ず与えよう。”
その時、諸子らは父の言う珍しい玩具のことを聞くや、父の願い通り、諸子らの各々の心は急に、奮い立ち、互いに玩具の在りかを捜し求めるかのように、
あちこち歩き廻りながら競い合う。そして、共に奔走して争いながら火宅から出た。
この時、長者は
諸子等が無事に火宅より出て、皆が四衢道の中の路地に座って、そしてまた、彼らには怪我など一つも無く、その上、皆の心が落ち着いて、歓喜に湧き立っている様子を見る。