南無妙法蓮華経
--------譬 喩 品 偏--------

 

  私たちは是の様に考えています。
  私たちの様な世間知らずの女の子でも、少しでも人の役に立ちたいと思い。
  遊び半分で作ったと思われるサークルでも、初心を忘れず、サークル活動をあせらず、なまけず、あきらめずに夢を
  持ってやり続ける事が人の役に立つ事であり、世の中を変える事であり、自分たちの幸せにもつながるものと。
  ---皆さん、ヨロシク
  

   担当:経済部国際科3年 香多かおり

解 説


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

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法華経


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文章を書く方法

新聞各社

語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・白(もう)して
 はっきり言う事

・華瓔(けよう)
はなわ

・寶縄(ほうじょ)
 金糸、銀糸、絹糸などで、編んである縄

・おんねん
 絨毯のこと

・軀命(くみょう)
 からだと命の事

・虚妄(きょもう)
 嘘、偽りのこと

・抜済(ばっさい)
 完全に抜き取り除く

・如何に況や
 どのように例えようか

・饒益(にょうやく)
 多くの物を持っている事、不自由の無い事

・貧窮困苦(ひんきゅうこんく)
 貧しくて生活に困り悩む

・怨憎会苦(おうぞうえく)
 八苦の一。うらみにくむ人に会う苦しみ

・愛別離苦(あいべつりく)
 八苦の一。親・兄弟・妻子など愛する者と別れる苦しみ

・怖畏
煩悩である為に損・滅・老・死・などにおそれおののく事

・衰悩
煩悩である為に、我身に損・滅・があり、その事に執着し悩む事

・憂患
三毒による業から起きる悲しみ、苦しみなどの禍の事

・無明
無知や欲などから起こる惑いの事

・暗蔽
愚人の心、常に理に暗く、欲に覆われている事
・五欲財利(ごよくざいり)
 財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲と価値を財貨に求める事

・無所畏(むしょうい)
 智慧(ちえ)があるため、教えを説くときに自信にあふれ何ものも怖れないこと。

・三界(さんかい)
 精神世界から物質世界まで、すべてをの世界を三つに分けたもの



---感 想---

今日は、皆さん。 今宵は皆一切苦から、話し等、ごさいまする。

鈴音;
「お釈迦様の説いた四諦の法の苦諦の中に、書いてある事です。」
私たち;
「おゃ、お釈迦様はこの世は空で、何も存在する事が出来ないでは?」
鈴音;
「それはそうですが、その続きがあるのです。確かに、この世は空で、の流れのように、絶えず変化しているのです。その変化は誰にも止められない」
私たち;
「どうして、ですか?」
鈴音;
「難しいことは分からないが、そうでないと時間が止まり、過去、現在、未来が生じる事が無く、今の自分の存在が無い事を意味する。 つまり、とはから成り、その結果として自由に変化できる。その変化は縁からもたされ、因が変化して果になる。」
私たち;
「その事が皆一切苦にどう関係するのですか?」
鈴音;
「その変化は縁からもたさる。よって自分の都合でどうにも出来ないから、すべてのものが苦の原因と成り得る。」
「分かりましたか?」
私たち;
「何となく、これを理解するのは四苦八苦しますネ。!鈴音さん、」
鈴音;
「それで良いのですョ。生きて行く事は何かをしなければならず、苦をしいられるのです。 だから、せめてもの救いとして、人の役にたち、人から認められた方が良いと思います。」
私たち;
「人の役立つ事が苦の救いとなるのですか。?」
と私たちが言い終わると鈴音尼君は阿弥陀仏に供えてある、供物のリンゴを私たちに差し出しました。
----続く。

◆譬 喩 品(ひゅうほん)

ここから、譬喩品(ひゅうほん)をお送りします。
この場面は火宅から子らを救う長者の姿が描かれています。その事により、人が生きている事の意味と生きている事で生じる欲により、 人がどう生きているのかなどを示しています。

そして、人をどのように阿耨多羅三藐三菩提(あのくだらさんみゃくさんぼだい)に導くのか、またなぜ、そうしなければならないのか。? と言う事も描かれています。

なお、阿耨多羅三藐三菩提(あのくだらさんみゃくさんぼだい)とは仏そのものだと分かります

-----では、どうぞお楽しみくださいネ!q(・ェ・q)ルン♪(p・ェ・)pルン♪

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●翻 訳 五

ところで、諸子ら、おのおのは父に隠す事無く、はっきりと言いました。
”父が先ほど許された、私たちが好むおもちゃの品の羊車(ようしゃ)・鹿車(ろくしゃ)・牛車(ごしゃ)をお願いですから、今、私たちにお与え下さい。!”

舎利弗、その時に長者は
各々の諸子に等一級の大車を与えた。その車は立派で、色々な種類の宝石の集まりを交互に組んで飾られていて、周囲を楯で廻らされている。

また、四面に鈴を付け、その大車の上は天蓋が張ってあり、その天蓋には珍しい形の細々した宝石により厳かに飾られて、 様々な宝(金、銀、絹など)で作られた縄をもって、結んだり、組んだりして、様々な花輪を作り、それらを垂らした。

その大車の中は毛布を重ねて敷いた上に、黄をおびた赤色の枕が安置してあり、その大車を白牛に担がせた。 その牛の肌色はとていも綺麗で、体格は良く、筋骨隆々であって、 白牛の足の歩みは正確であり、早さは、将に風の様であった。 また、召し使いを多く従えさせ、これを護衛させた。

なぜかと言うと、この大長者は財に富み、人が想像すら出来ないほどであり、様々な蔵はすべて残らず、宝で埋め尽くされていて、 しかも、長者はこのように、考えている。
私が貯えた物を極めることなど、出来はしない。下劣な詰まらない車を諸子らに与えるわけにはいかない。 今、この幼くて、無邪気な男の子は皆、私の子供であり、愛するのに変わりは無い。

私はこの様な七寶の大車を数限りないほど持っており、必ずや、等しく一人り、一人りにこれを与える、都合よく、区別する事はしない。 なぜかと言うと、私がこの物をもって、周囲の一国を賜るとしても、なお足らない。どう例えたら、良いのか諸子らを?

諸子が各々の大車に乗し、この時に、諸子は今までにない気持ちを得る。この事を得させるのが私の本願ではない。 舎利弗、汝の心にはどう感じたうか?。
この長者が等しく、諸子に珍しい寶の大車を与えた事は、むしろ、虚しい偽り(妄)であろうか、または、違うのであろうか?。

舎利弗は言った。
”妄想と違います、世尊。この長者は、ただ、諸子を火難から逃れさせ、その者たちの軀命をまとうさせる事を得られないとしても、これ偽りでは有りません。”

”なぜかと言うと、”
もし、寿命をまっとうしたとしたら、この事で、すでに好むおもちゃの品を得たのと同じです。まして、方便をもって彼の火宅より、しかも、これ(火難)を抜きとて終ったのですから。

世尊、もし、この長者が粗末な車さえ与えないとしても、嘘をついた事には成りません。何故ならば、この長者は先にこの思いを抱いたからです。

”私は方便をもって、子供を救出させよう”と思った事です。この因・縁(理由)をもって、嘘をついた事には成りません。 どの様に申し上げれば良いやら。長者は自から、自分の財産は無限にある事を知り、諸子らを物で不自由させたくないと思って、等しく大車を与えた事です。

佛、舎利弗に告げました。
”宜しい、宜しい、汝が言った通りです。”舎利弗、如来もまた同じなのです。すなわち、如来はすべての世間の父です。 諸の怖畏(いふ)・衰悩(すいのう)・憂患(うげん)・無明(むみょう)・暗蔽(あんぺい)を永く滅して、他に比べるものが無いのです。

しかも、悉く無量の知見・力・無所畏(むしょい)を成就し、大神力及び智慧力が有り、方便・智慧波羅蜜を身に付けているのです。常に、怠ける事無く、飽きる事無く、 大慈大悲の心を起こし、善事を求めて、すべてのものを役に立つようにする。

しかも、三界が朽ちて、古びた火宅に如来が生まれたことは衆生の生・老・病・死・憂悲(うひ)・苦悩・愚痴(ぐち)・暗蔽(あんぺい)・三毒の火を度し、 教え導き、阿耨多羅三藐三菩提(あのくだらさんみゃくさんぼだい)を授けんが為です。

諸の衆生を見ると、生・老・病・死・憂悲(うひ)・苦悩に焼かれたり、煮られたりしている。また、五欲を持って、金品を貯える為に、色々な苦を受ける。 さらに、何でも貪り食うように心を執着させて、それらを追求する。

これらの事より、実際に、自ら集められた苦により苦しみ、後には地獄・畜生・餓鬼の苦を受ける。 もし、天上人に生まれて、人間界に在ったならば、貧窮困苦・怨憎会苦・愛別離苦のような諸苦がある。

衆生はその中に埋没して、喜んで遊んでいて、そのことを自覚せず、知らず、驚きもせず、恐怖すらしない。 また厭うともせず、解脱する事を求めず。この三界の火宅において東西に走り回り、大苦に会うと言うのに患いる事も無い。

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