私たちは是の様に考えています。
私たちの様な世間知らずの女の子でも、少しでも人の役に立ちたいと思い。
遊び半分で作ったと思われるサークルでも、初心を忘れず、サークル活動をあせらず、なまけず、あきらめずに夢を
持ってやり続ける事が人の役に立つ事であり、世の中を変える事であり、自分たちの幸せにもつながるものと。
---皆さん、ヨロシク
担当:経済部国際科3年 香多かおり
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・便に(すなわち)
すぐに
・得度(とくど)
悟って、彼岸へ渡ること
・然(しこ)うして
そして、
・無漏
漏は煩悩(ぼんのう)のことで、悟りが開け、迷いや欲望がなくなったこと
・根
眼・鼻・口・耳・身・心で物を認識する所
・力
働きのこと
・覚
悟りや智慧のこと
・道
手段や方法のこと
・禅定
足を組んで、心を静めること
・解脱
煩悩の束縛から解放されて、安らかで自由な悟りの境地に達する為の修行
・三昧
心を一つのものに集中させて、安定した精神状態に入る宗教的な瞑想
・獨善寂(どくぜんじゃく)
自己抑制と心を平静にする法
・一切智(声聞縁覚の智)
あらゆる事物について”空”を知る縁覚・声聞の智慧
・道種智(菩薩の智)
菩薩が教化する対象をよく理解する智慧
・一切種智(佛智)
万物が本来は空であって平等・無差別であることを知るとともに、現象として出現する諸相をすべて知る仏の最高の智慧
・無師智
師がいなくて、悟りを開く智慧
・自然慧
他から教えを受けたのでなく自然に悟りを開いた仏の智慧(ちえ)。自己に本来備わっている智
おはようでやんす。!どんどん、話しがコムズカシクなって、きゃしたが、辛抱して下さいネ。!
皆さん!、、、、、、、、、r(≧ω≦*)スマンスマン
では、この間のあの続きの話をする事と致しましょう。
鈴音尼君から林檎を渡された。私たちは意味も分からず、お腹が空いていた為か、思わず、林檎に齧り付いた。
私たち:
「美味しいですね。鈴音さん」
鈴音:
「それは、良かった。」
私たち:
「ところで、先の話と林檎には何の関係が有るのですか?」
鈴音:
「大いに、関係が有りますよ!。人を救う事、つまり、善意はこの林檎と同じなのです。
善意と言う、美味しい林檎を味わった人はその美味しさに感激して、また、その林檎を食べたい思うでしょう。
そして、どうすれば、その林檎を手に入れることが出来るかを調べるでしょう。
やがて、林檎と言う果実の中にある種子を蒔き、それを芽吹かせ、その芽を育て林檎の木を作り、花を咲かせ、林檎の実が生る事を知るでしょう。
そして、その人は林檎を作り、その美味しさを他の人にも知らせるようになり、ついには林檎は多くの人に知られ、そのあまりの美味しさの為、
人にとって貴重な存在になり、林檎の木も大切にされるのです。
逆に、林檎がまずいとしたら、その場で人に捨てられ、林檎はなかなか芽を出す事ができない。
仮に、芽を出して木に成り、林檎の実を付けたとしても、そのまずさから、その林檎の木は斧で人より、切り倒され、ついには林檎はこの世から消滅する。
だから、人の役立つ事はこの林檎のように、誰からも尊ばれる存在になり、無量観を感じ、やがて、煩悩が消える。共に、その事が苦の救いとなる。と言う事ですよ。」
私たち:
「なるほど、お釈迦様の教えは奥が深いのですね!」
----続く。
◆譬 喩 品(ひゅうほん)
ここから、譬喩品(ひゅうほん)をお送りします。
この場面では火宅の話を用いて、仏が衆生を救済する理由と方法が描かれている。
また、三乗の法についても述べられていて、菩薩のあり方が描かれている
-----では、どうぞお楽しみくださいネ!q(・ェ・q)ルン♪(p・ェ・)pルン♪
舎利弗、佛はこの様な姿を見み終わり、すぐに、この思いを抱いた。
我は、衆生の父である。故に、衆生の苦難を抜き、計り知れない佛の智慧と言う楽を与え、
それを持たせ、遊ばせようと。
舎利弗、如来も、またこの思いを抱いた。
もし、我がただ単に、方便を捨て、神力及び智慧力のみを用いて、色々な衆生の為に、
如来の知識・力・無所畏を賛美したならば、衆生はこの事によって、
得度する事は出来ない。
なぜならば、この諸の衆生は未だに、生・老・病・死・憂悲(心配・悲しみ)・苦悩を免れず、
三界の火宅に焼かれる。何に由ってか、佛の智慧を理解出来ないのです。
三界の火宅に焼かれるとは、
まずは、三界です。
・精神世界からなる無色界
・眼に見える物質からなる色界
・身体を維持する為に必要な物と心を慰めるのに必要な物から成り立ち、人が欲しがる物を欲界
の三界と言う。
簡単に言うと、財利を満たす事が幸せであると言う考えに浸り、物が溢れた世界に住み、欲を生む身を持ついる為に、物から起きる色・声・香・味・触によって欲に目覚め、心を奪われて
最後には命まで失う事を意味する。つまり、欲は火で、宅は名声、技能、知識などの徳を意味する
舎利弗、彼の長者も身体に力がみなぎっているにも関らず、これを用いず。
ただ単に、丁寧に話し掛けて、方便をもって、諸子が被る火宅の難から諸子を遠うざけるように努め、
そして、後で各々珍寶の大車を与えたように、如来も、またまた、長者と同じ事をする。
力・無所畏があると言えども、しかし、これを用いず。ただ、智慧方便を以って、三界の火宅より、衆生を引き抜いて、求済する為に、三乗の声聞・辟支仏・佛乗を説き。さらに、この言葉を述べたのです。
”汝たち、楽して、三界の火宅に住む事を得ようとするな!塵の害となる色・声・香・味・触を貪ることなかれ。!仮に、貪る事に心が捕らわれて愛を生じたとすれば、この時すでに焼かれているのです。
汝たち、速やかに三界を出て、必ずや三乗の声聞・辟支仏・佛乗を得のです。”
”我は今、汝たちの為に、三乗の法を得る上で、やるべきことを守らせて、最後には後悔させない。汝たちはただ単に、確実に修行に勤め、精進するのです。如来はこの方便をもって衆生を誘い、仏道を進ませるのです。”
また、この言葉を述べた。
”汝たち、必ずや知るのです。この三乗の法は、すべて、聖(佛のこと)が称嘆なされたところであり、心が自在になり、その心を繋ぎとめるものが無くなり、寛容になる。
この三乗の法に乗って、無漏(むろ)の根・力・覚・道・禅定・
解脱・三昧とうをもって、自ら喜び、楽しみながら、つまり、考え付かない安穏で快楽な気持ちを得るのです。
舎利弗、
もし智慧のある衆生がいて、佛世尊に従い、敬って法を聞いて、信じて、法を受けようとし、自ら勤めて精進して速やかに三界を出ようと願い、自ら涅槃を求める。
これを聲聞乗と名づける。彼の諸子が羊車を求めて、火宅を出たのと同じである。
もし、衆生がいて、佛世尊に従い、敬って法を聞いて、信じて、法を受けようとし、自ら勤めて精進して、自然の智慧を求め、獨善寂を願い、深く諸法の因・縁を知る。
これを辟支仏乗と名づける。彼の諸子が鹿車を求めて、火宅を出たのと同じである。
もし、衆生がいて、佛世尊に従い、敬って法を聞いて、信じて、法を受けようとし、自ら勤めて精進して、一切智・佛智・自然智・無師智・如来の知見・力・無所畏を求め、
数えられない多くの衆生に哀れむ心を起こして、安穏にさせて、天・人に恩恵を与え、すべての煩悩から脱出させ涅槃に渡す。これを大乗と名づける。
菩薩はこの乗を求めるが故に名づけて、摩訶薩とする。彼の諸子が牛車を求めて、火宅を出たのと同じである。
舎利弗、彼の長者の、諸子等の安穏に火宅を出る事が出来て、恐れのない所に到るのを見て、自ら、財産が限りない事を思いて、等しく大車を以って諸子に与えた様に、如来も、また同じ様する。
なぜなら、如来は一切衆生の父であるから。
もし、無量億千の衆生の、佛教の門(佛の教え)をもって三界の苦・怖畏の険道を出て、涅槃の楽を得るのを見て、如来はその時に、この思いを抱く。