南無妙法蓮華経
----------序 品 偏----------

 

  私達が仏教を取り上げた目的は
  私たちの周りで、普段、起きている事件や悩みなどの解決の糸口を見つけるためのものです。!
  それと同時に、3000年前のインド社会で、なぜ、お釈迦様が仏教を悟り、広めようとしたのかの研究です。
  だから、皆さんが理解し、今後の日常生活でお役に立てれば、幸いです。(^〇^)
  

   担当:文学部人文学科2年 藤井あゆみ

解 説


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経

語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


貧著(とんちゃく)
多くを求めて、厭きない事を貧。狭い事や詰まらない事に凝り固まり、それから離れない事を著という。

善根(ぜんこん)
よい報いを受ける原因となるおこない。例えば、礼儀正しい事、悪口を言わない事、御礼を言う事など。根とは心・口・身の事

供養
死者の霊に供え物などをして、その冥福を祈ること

恭敬(くぎょう)
つつしみうやまう

讃歎(さんだん)
非常に感心してほめること

偈(げ)
禅宗で、悟りの境地などの宗教的内容を表現する漢詩


自からの行いが原因で齎らした果



---感 想---

最近、テレビを見ていて、嫌なニュースと嬉しいニュースが有りました。嬉しいニュースは失業率が下がり、雇用状況が改善した事です。

嫌なニュースは自殺者の増加、年金の問題、女子大生による殺人未遂事件、コムスンによる介護不正請求の問題 など数多く、驚くことばかりです。そして、テレビでは、それらの事件の悲惨な状況と事件の批評を伝えるだけです。

これらの嫌なニュースを聞く限り、最近の日本人は自己主義が強く、物質が豊かであれば心も豊かであり、幸せに成れると思っているからでは無いのかな?。

そして、これらの発端はテレビを始めマスメコミにも、あるのでは無いかと考えています。

そこで、私たちはサークル活動やこのhpを通し、そう言う縁を少しずつ変えて行きたいと願っています。このhpを訪れた人が 豊かになれば、自然に日本社会も豊かで美しい国になるでしょう。

それは、「おはよう」と声を出して挨拶する事と「ありがとう」と声を出して感謝する事と「ばぁ〜か」と罵り怒らない事から始まるとお釈迦様は言っています。

◆序 品(じょほん)

法華経の最初の作品が序品(じょほん)です。

この部分は、前回からの続きで、日月燈明如来の方便(例え)からです。日月燈明如来も、 お釈迦様と同じ様に、無量義(すべては空から始まる)を説き、三昧に入り、光明を現す。

そして、妙光菩薩が弥勒菩薩と同じ様に光明の意味を尋ねる。日月燈明如来は三昧を出て、妙光菩薩の為に、 更に妙法蓮華教(原因があるから果を生じる)を説く、そして、如来が入滅(死)後、妙光菩薩が師となり教団を率いる。

また、ハ百の弟子の中に、とんでもない弟子、求名と言う弟子がいた。その弟子は仏入滅後に、弥勒菩薩と名のり、次に仏になると文殊師利菩薩に告げられる。

そして、この事が妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念である事と悟る、皆さんは気が付いたでしょうか?

-----では、どうぞお楽しみくださいネ!q(・ェ・q)ルン♪(p・ェ・)pルン♪

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●翻 訳 六

日月燈明佛の八人の子らは皆、妙光菩薩を師と仰いだ。妙光菩薩は八人の子らを教え導き、阿耨多羅三藐三菩提の身を得させ、決して、その身を失わないようにした。

この諸の王子は数え切れない百千万億の仏を供養し終え、皆、仏道を成就する。その王子らの中で、最後に、佛に成った(入滅する)者の名を然燈という。

八百の弟子の中で、名を求名と言う一人の弟子がいました。
その者は名誉と利益に貧著し、また、多くの経典を声を上げて読んでも、理解できず、利益を授かる事が出来ない。 しかも、得た徳を忘れ、失う事が多い。よって、求名と名付けられた。

この者は、また諸の善根を身に付け(因)、人と接した事(縁)により、無量の百千万億の諸佛に出会う事が出来き、諸佛を供養・恭敬・尊重(そんちょう)・讃歎することが出来た。

弥勒、まさに知るのです。
その時の妙光菩薩は決して、他の者の事ではなく、我が身、自身であり、求名菩薩は汝が身、自身である。今、この光景を見るに、日月燈明如来の光明と異ることはない。

これゆえに、我が思うに、今日、如来も、まさに大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くる法を説き成されようとしているのです。

この時に文殊師利、大衆の中で重ねて、この意義を宣べんと思い、偈(詩)をもって告げた。

「我が過去世の計り知れない多くの時を思い返すと、人から尊ばれている佛がいました。その佛は日月燈明と名のり、 法を演説し、計り知れない数の衆生、無数億の菩薩、を度して佛の智慧(仏道)に入らしめていました。

佛が未だ出家しない時に生まれた八王子は大聖(佛の異名)の出家を見て、また、父に随って梵行を修す。時に、佛はこの教えを大乗経の無量義と名くると説いて、 諸の大衆の中に於て、この大衆の為に広く分別しながら法を説いていました。

  佛は此の経を説きおわり、即ち法座(座席)の上に於て、跏趺して三昧に坐した所を無量義処と名ずけた。

天より曼陀華を雨らし、天鼓自然に鳴り、諸の天龍鬼神は人中尊(人から佛に成った者)を供養する。すべての各々の佛土(慈悲心)は即時に大に震動し、佛は眉間の光を放ち 諸の希有の事を現された。 

この光は東方の万八千の佛土(未来、仏となる人の慈悲心)を照して、一切衆生(すべての人)の生死の業報処(行いとその報いと死にざま)を示めされた。 諸の仏土の衆宝を以て荘厳し、瑠璃(るり)・頗黎(はり)の色なるを見ることある。
(弟子たちを、諸の因縁・方便・比喩などをもって指導して、弟子たちの中には菩薩・摩訶薩に成る者が有ると言う事)

これは佛が光を照らした事によるものです。及び、諸の天・人・龍神・夜叉衆・乾闥緊那羅の各々がその佛を供養するを見る。 又諸の如来が自然に仏道を成就して、肌の色を黄金と同様であり、その印は厳にして甚だ不思議なことで、浄い瑠璃の中で内側から真金の像が現われたのを見るようなものです。

世尊は大衆の中に居て、法の深い意味をある例えを用いながら演説なされた。一つ一つ様々な仏土(慈悲心)、声聞、の衆たちは無数おり。佛の光で照らされた事により、すべての彼の大衆を見る。

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