私達が仏教を取り上げた目的は
私たちの周りで、普段、起きている事件や悩みなどの解決の糸口を見つけるためのものです。!
それと同時に、3000年前のインド社会で、なぜ、お釈迦様が仏教を悟り、広めようとしたのかの研究です。
だから、皆さんが理解し、今後の日常生活でお役に立てれば、幸いです。(^〇^)
担当:文学部人文学科2年 藤井あゆみ
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
七慢(ななまん)
おごりたかぶる煩悩を七種に分けたもの
・慢
自分が劣っていても、自分が勝れていると思う者
・過慢
自分が他の者と等しいにも関らず、自分が勝れていると思う者
・慢過慢
勝れている者の中で、自分が最も勝れていると思う者
・我慢
自分があって、自分に関るものすべてに執着心を起こす者
・増上慢
妄想を真の悟りと思う者
・下劣慢
他を見て、自分が劣っている思う者
・邪慢
悪行を成し遂げ、その悪を自慢する者
寂滅(じゃくめつ)の法
本質は静寂で、すべての相(想い)を離れる。つまり、涅槃の事
由旬(ゆじゅん)
帝王の軍隊が一日に進む距離といわれ、約10キロメートル、約15キロメートルなど諸説ある。
授記(じゅき)
仏が弟子に対して成仏の予言をすること
佛の十号
如来(にょらい)
多陀阿伽度と音写されている。真実のままに現れて真実を人々に示す者。
応供(おうぐ)
阿羅訶、阿羅漢と音写されている。煩悩の尽きた者。
正偏知(しょうへんち)
一切智を具し一切法を了知する者
等正覚(とうしょうがく)
三藐三仏陀と音写されている。一切智を具し一切法を了知する者。
(ここまでは一般に悟った人に対する尊称として使われる。ここから後は仏教の釈迦にのみ対する尊称)
明行足(みょうぎょうそく)
宿命・天眼・漏尽の三明の行の具足者。
善逝(ぜんぜい)
智慧によって迷妄を断じ世間を出た者。
世間解(せけんげ)
世間・出世間における因果の理を解了する者。
無上士(むじょうし)
惑業が断じつくされて世界の第一人者となれる者。
調御丈夫(じょうごじょうぶ)
御者が馬を調御するように、衆生を調伏制御して悟りに至らせる者。
天人師(てんにんし)
天人の師となる者。
仏(ぶつ)
煩悩を滅し、無明を断尽し、自ら悟り、他者を悟らせる者。
世尊(せそん)
人天の尊敬を受ける栄光ある者。真実なる幸福者
最近、天候不順で、寒暖の差が激しので、私たちのサークル内でも、数人が体調を崩し、
クラブ活動をお休みしています。皆さんは、如何でしょうか?
これまで、法華経の翻訳をお届けして来ましたが、いったい、
何の役に立つのでしょうかナァ〜就職活動に?と思う人が居るかも知れませんね!
まず、自分に何が出来るか?、何に興味があるか?、将来何になりたいか?、相手が何を求めているか?、相手はどう言う性質か?などを
考えると就職活動も上手くいくと言う事です。
法華経の中では、ズバット書いてはいませんが、どう言う風に物事を考えて行くかは記されています。ですから私たちはこのhpで、取り上げているのです
気分がすぐれない時は散歩や深呼吸や音読や歌う事などすると気分がよくなります。
実際、お釈迦様もやっていました。その事は法華経の中に記されています。
法華経の最初の作品が序品(じょほん)です。
是までは、弥勒菩薩が文殊師利菩薩にお釈迦様が涅槃に入り、光明を示した訳を尋ねている場面でした。
色々な質問を弥勒菩薩がすることを描く事で、読者に仏道とはどう言うものが、自然に伝わるように描かれています。
技法も、何度も同じ事を3度に渡りくりかえし、繰り返すたびに、より具体的に表現されています。
この場面から、いよいよ文殊師利菩薩の答える場面が始まります。弥勒菩薩はまだ、仏教に関心の無い人、つまり、未来の仏を意味していると言われています。
文殊師利菩薩はお釈迦様の弟子で一番賢い弟子と言われています。
-----では、どうぞお楽しみくださいネ!q(・ェ・q)ルン♪(p・ェ・)pルン♪
また、菩薩がかつて、不休不眠で、時には林の中を歩き、佛道を求め尽くす事を見る。また、戒を身に付け、礼儀正しく、
嘘を吐かずに浄い事は宝珠の様にして、佛道を求めるを見る。
また、菩薩が種々の侮辱や苦しみを耐え忍び心を動かさない忍辱の心に住み、おごりたかぶる増上慢の人に罵けられ、
鞭で打たれても、すべて、耐え忍んで佛道を求めるを見る。
また、ふざけている者や愚かな者の仲間から離れ、賢い者と親しくなり、
一心に心の乱れを除くため、気持ちを山林で整え、永い年月もって、もって佛道を求めるを見る。
或いは、珍しい食べ物や飲み物及び百種の薬を佛や僧に施す。また、値段の付けようのない高価な服や価値のない服を佛や僧に施す。
または、多種多様の栴檀香と言われる香り立つ宝物、妙なる音を出す楽器類を佛や僧に施し、さらに、華や果実が生茂る清浄な園の林や温泉が湧き出る浴地
等を佛や僧に施す。
それら供物は様々な品数であり、珍しく、貴重である物ばかりであった。それらをいやがる事無く、喜んで、佛や僧に施して、無上道を求めるを見る。
或いは、菩薩の寂滅(じゃくめつ)の法を説いて、様々な数、多くの衆生を教え導く、また、菩薩の数々の教えの性(本心)は二相(二心)ある事が無く、
まるで、何も無い空の様であると観じるを見る。
また、菩薩の心には執着するものが無い。その上、この不思議な智慧をもって、無上道を求めるを見る。文殊師利、
また、菩薩が佛と成り、滅度した後、骨を供養する。また、様々な佛子(菩薩)の骨を収めた塔や佛を祭る廟を作る。
その数はガンジス河の沙と等しいほど無数にのぼり、国界(あの世とこの世の境)を厳粛に飾る。宝塔は高く、その高さは五千由旬、縦・横は等しく
二千由旬、一つ一つの塔廟に飾りのある竿柱に長方形の美しい布をたらした旗の幢幡が千あり、
上部を乳の様に交り合わせた所を珠もって顕わした幔幕があり、寶鈴が和鳴している。
諸の天・龍神・人及び非人は常に、香・華・伎楽をもって、供養するを見る。
文殊師利、諸の佛子(菩薩)等、骨を供養する為に、塔廟を厳粛に飾り、国界(あの世とこの世の境)は自然に、
天の樹王が華を敷きつめる様に開花させた、普段では味わう事のない不思議で、気分がよい気持ちを得られる様にした事。
佛、一つ光を放ちなさって、我及び集いし者達の心境に、様々な普段とは違う不思議な感覚を得るのを見る。
諸佛の神力・智慧は不思議なものです。一つ浄光を放って、数えられない国(人)を照らしたのです。
我ら、これを見て、かつて味わった事のない感覚を得たのです。佛子文殊師利、願わくは、
このら数々の疑念を晴らして下さい。四衆は喜んで尊敬して、佛子及び我を仰ぎ見る。
佛子、世尊がなぜ、この光明を放なたれたのか?答えて、疑いを晴らし、我らを喜ばして下さい。何の利益が有って、
この光明を現したのか?、佛が道場で禅を組で得た所の妙法を説こうとしない事を決めたのか?、将に、今、授記しょうと決めたのか。?
諸の佛土(お寺などの仏を祭った所)を宝石などを集め、厳しくに現して、諸佛を祭りあげて礼拝する事は、ただ、愚かしい事(縁)
ではないはずです。
文殊師利、四衆・龍神は仁徳を身につけた者を仰ぎ見て、思いを察しよとしている事を知り、何かを説いて下さい!。」
その時、文殊師利は弥勒菩薩・摩訶薩(偉大な衆生)及び諸の大士(道心堅固な僧)に語る。
「善男子等、我が思うには、今の佛、世尊は大法を説き、大法の雨を降らし、大法の螺を吹き、大法の鼓を撃ち、
大法の義を演説しょうとしている。
諸の善男子、我は過去の諸佛の言い伝えにより、この様な光景が有った事を聞いております。
聞いた所によると、この光を放ち終わり、大法を説いて下さいました。
この事より、今、佛が光を現したのは一人残らず、衆生をすべての世間の信じがたい法を知らして、聞かせたいと願う為
この様な現象をお示しになったのでしょう。
諸の善男子、無量・無辺・不可思議・阿僧祗劫と言われる、途方もない過去に、佛がいました。佛の名は日月燈明如来・應供
正偏知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・佛・世尊を名付けた。