私達が仏教を取り上げた目的は
私たちの周りで、普段、起きている事件や悩みなどの解決の糸口を見つけるためのものです。!
それと同時に、3000年前のインド社会で、なぜ、お釈迦様が仏教を悟り、広めようとしたのかの研究です。
だから、皆さんが理解し、今後の日常生活でお役に立てれば、幸いです。(^〇^)
担当:文学部人文学科2年 藤井あゆみ
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
涅槃(ねはん)
我欲から離れ、惑(欲から来る迷い)・業(心・身・口で行なう悪行)の因縁を断ち、生死の苦の因果を断つ事
縁覚(えんがく)
仏の教えによらず、ひとりで十二因縁の理を悟り、惑を断つが、他人に説こうとしない聖者。声聞(しようもん)とともに二乗といい、小乗の修行者とする
浄道(じょうどう)
六波羅蜜の事
三界(さんかい)
世界をそこに住む生き物の心・体の能力・智慧の程度によって、三種に分類したもの
1.欲界
物質(体を含む)に依存し、欲心に束縛される世界で、下は地獄で、上、人と天の一部
2.色界
四種の禅を修行した者の世界で、僅かながら、物質に依存する。
3.無色界
一切は「空」であるとの観法を修行した者の世界で、全く物質を離れた精神的存在
佛(ほとけ)
自ら悟りを開き、人を教え導く者の意で、多くは釈迦を指すが、時には他の者を指す場合がある
菩薩(ぼさつ)
自ら佛と同様な悟りを得ようと発心して、修行すると同時に他人の救済にも努力する修行者
禅定
精神をある対象に集中させ、宗教的な精神状態に入ること。また、その精神状態。
五神通
1.自在に何処にでも住める。
2.自在にを有りのままの姿を見る事が出来る。
3.自在に真実を聞くことが出来る。
4.自在に人の心念を知ることが出来る
5.自在に自分や六道の衆生の宿命を知ることが出来る
法華経の翻訳をはじめて、半年が過ぎてしまいました。それでもなぜか。序門のところで手間どり、なかなか前に進む事ができません。
お頭が悪いからでしょうか?------------ゴ━━━━(# ゚Д゚)━━━━ルァ!!
やさしい皆さんはそうは言いませんよね。----多分(ダメな時は顔に免じて、許してくださいね!)
この原因は私たち成りに次の様に考えています。この法華経は比喩を用いて書かれている為に、読む人の経験や知識、
また、読んだ時の心の状態により、伝わる意味が異なる為、
それらを踏まえて、しかも、多くの人に理解できるか。また、中国語の独特的な言い回し方を日本語でどう翻訳するかなど、難題が山積しているからです。
私たち”女子大生サークル”は昼夜をとわず、サークル活動をするのは私たちが有志であるからであり、人に仏教を押し付けてどうこうするものでは有りません。
そう言う訳で、皆さん、応援して下さいね!。
法華経の最初の作品が序品(じょほん)です。
翻訳三の部分からお釈迦様の無量義三昧に入り光を放ち、その事で、弥勒菩薩と文殊師利菩薩の問答が始まる場面です。
この事は弥勒菩薩と文殊師利菩薩の問答より、大乗経の無量義・教菩薩法・佛所護念を説いていると思われる
-----では、どうぞお楽しみくださいネ!q(・ェ・q)ルン♪(p・ェ・)pルン♪
「文殊師利導師、なぜ、世尊は眉間白毫の大光を放ち、普く、佛土を照らして、しかも、曼陀羅華や曼殊沙華の雨を降らし、栴檀香の風を吹かせ、衆たちを悦ばせたのですか。?
この因縁より、すべての地面は皆、厳かに清められ、しかも、六種に振動する。(仏の入胎・出胎・出家・成道・転法輪・入滅のそれぞれのとき、大地が感応し震動して現した六種の相。動・起・湧(ゆう)・震・吼(く)・撃の六つと思われる)
この時、四部の衆は皆、歓喜し、何の疑念も無く、未曾有なる事を得ることが出来たのですか。
眉間の光明で、東方の萬ハ千の土を黄金色に照らし、お示しになり、しかも、下は阿鼻地獄から上、有頂天に到るまで、色々な世界に住む
六道の衆生、生死の有様、善悪業の背景、受報(六根から入る六境に対する感覚)による苦楽などをここ来て、つぶさに、見る。
また、諸佛は聖主師子(お釈迦様)の経典が他の経典より一番に難しく、とても奥が深い物である事を演説され、また、清浄な声で巧みに言葉を用いて、諸な菩薩に教えになった事。
億・萬と言う無数の言葉を用いて、話しを巧みにし、人に聞きたいと思わせるため、各々の世界において、正法(邪教に対して)を講義する時、様々な因縁・
無量の喩えなどをもって、佛法(佛の教え)を照明し、衆生を悟りを開かせるのを見る。
もし、人が老・病・死の苦しみに、もがいているならば、その人の為に涅槃を説き、様々な苦が深まらないように尽くさしめる。
もし、人が福があって、かつて、佛を供養して、優れた法を追い求める者には、縁覚を説く
もし、佛子(菩薩)がいて、様々な修行し、この上ない智慧を求める者には、浄道を説く
文殊師利、我はここに住み、この様な事を見聞きしてきた事は千・億の数に及ぶものですが、この様な沢山の事の意味を、今、略して、説いて下さい。
我、彼の土の恒沙の菩薩(古代インドの神々)や様々な因縁をもって、佛道を求めるのを見る。
或いは、金・銀・珊瑚・真珠・宝石・シャコ・瑪瑙・黄金・珍しい物・奴隷・車・宝石で飾られた手車を歓喜して、布施し、佛道に回向して
この佛の乗(教え)は三界において第一のものであり、諸佛に褒め称えられたものである。そのものを得たいと願う、
或いは、菩薩の四頭立ての宝車、欄楯天蓋、車飾りを布施し、また、生活して妻子を養いながら、無上道を求めるのを見る。
また、菩薩は心身を悦び、自ら進んで差出して、佛の智慧を求めるのを見る。
文殊師利、我は諸王(神々)を祭る佛の所に詣で、無上道を問いかけて、参りました。すなわち、楽土、宮殿、家来を捨て、髪を剃り、
法服を着るのを見る。或いは、菩薩、しかも比丘となって、自分独りで閑静な場所に住み、願って経典を声を出して読んでいるのを見る。
また、菩薩が勇気を出して、精進し、山の奥深くに入つて、佛道を念じるのを見る。また、欲を離れ、常に、世間から離れた静か場所に身を置き、
深く禅定を修めて、五神通を得るのを見る。
また、菩薩が座禅を組みながら考えをめぐらし、そして、合掌しながら千萬の数の偈(句)をもって、諸法の王を褒め称えのを見る。
また、菩薩の智慧は深く、志は堅く、よく諸佛に問いかけて、答えを聞いてはすべて、理解し覚えた事を見る。
また、佛子(菩薩)の定慧(戒律)を身に付け、無量(数えられない)の喩えをもって、
民衆の為に法(教え)を講義し、楽しく悦びながら説法して、他の教えの諸の菩薩を仏化し、魔の兵士たちを破り、法の太鼓を打ち鳴らすのを見る。
また、菩薩が独り静かに、黙って、天・龍を供養するだけでは喜びとしない事を見る。また、菩薩が林に身を置いて、光を放ち、地獄の苦を救い、佛道に入らしめるのを見る。