南無妙法蓮華経
-----法 師 功 徳 品 偏-----

 

  私たちは、普通の女の子でも
  願い続ける事で夢が叶うと信じています。このhpも、その事を証明しょうとして、掲載した物です。   そう言う訳ですから、皆さんも協力して下さいネ!。
 
  

   担当:人文学科3年 木村 あい


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト



プラボットの異端児
短歌入門






語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・須曼那(シュマナ)
アーモンドの事、カシューナッツ

・末利華(マリッカ)
ジャスミンの事

・瞻蔔華(チャンパカ)
クチナシの事

・波羅羅華(ハラ・ラカ)
青睡蓮の事

・多摩羅跋(タマラバ)
月桂樹の事

・波利質多羅(ハリシッタラ)
デイゴの事

・勝殿(しょうでん)
帝釈天の善見にある宮殿の事

・禅(ぜん)
禅とは古代インドの「禅那(ジャーナ)」を起源する。当時は「身体・呼吸・精神」を調整する事により、 超能力である「神通力」を身に付ける手法と考えられていたが、お釈迦様により執着を断つ手法として瞑想(座禅)が作られた。

瞑想(座禅)には大きく分けて→サマタ瞑想(座禅)ヴィパッサナー瞑想(観行)がる。

・四禅天
仏教以外の修行者が生まれ変われる天界と仏教の禅定うち(色界定) を修行した者が生まれ変われる天界を四禅天とした。

初禅
離生喜楽と言い、我欲を離れる喜び
二禅
定生喜楽と言い、禅定をして生じる喜び
三禅
離喜妙楽と言い、普通の喜びより大きな喜び
三禅
非苦非楽と言い、苦楽を超越した喜び

・七覚支
悟りを得るための7種の修行法の事で、三十七菩提分法の一つである。

1)念覚支
2)択法覚支
3)精進覚支
4)喜覚支
5)軽安覚支
6)定覚支
7)捨覚支

・無為
因縁に支配されない世界→涅槃・空間など

・大転輪王(だいてんりんおう)
インド神話で、正義によって世界を治める理想的帝王とされ、釈迦族の最初の王とも言われる。

・諸仏(しょぶつ)
諸仏とは、流派によって多少違うが人々の事だそうです。どんな人でも、多少の善意があるからだそうです。 なぜならば、悪い事した時、人はそれを隠そうとします。隠そうとするのは、善意がある為に自分の行為が 明らかに悪い事と分かっているからだそうです。


---編 集 録---


短冊に
書いて見たいな 昨日の事
夕べのキスに 私の嘘
<解釈>

小さな頃は七夕の日が楽しかったのですが、最近はニュースで気付かされるばかり日々。 そんな中、歌を考えろと言うので、バッカプルを思い出して、俵万智風に読んでみた。


今日は、皆さん
お元気ですか。梅雨が明けたと思ったら、37℃を超える日が続いて大変です。まぁ、住んでる所が館林の 近くですから、仕方が無いのかもしれません。

今、大学では前期の試験が、始まろうとしています。中でも、哲学みたいな問題が出たら、アウトです。 人文学科の試験は一口で表現する事が難しく、 宇宙から恋の悩みまでと言った感じでしょうか?。では、前回の話の続きからどうぞ!

あい;
「これまでの話で周代は終わりですか?」
鈴音;
「あまいですよ。771年間、続いた周代はそう簡単に終わりません。」
あい;
「あっ、そうですか。」
鈴音;
「前回は、10代目の脂、(れいおう)でしたよね。そして、脂、は王でありながら、 傲慢で私利私欲を貪った為に、人民の不満を募らせて反乱が起き、彘(てい)に出奔したのでしたよね。

その後、脂、が死去すると、その子(清)が第11代目の王位(宣王;せんおう)に着くと、それまで政権を 預かっていた周定公と召穆公は、王に政権を返還する大政奉還をして、共和制は幕を閉じたのです。

そして、周を宗(尊ぶ対象)として王政を復活させる中興の時代を迎えるのです。 宣王は、まず始めに異民族の排除に乗り出し、西戎・玁狁(けんいん)・荊蛮(けいばん)・淮夷・徐戎の討伐や、戸籍調査及び、 籍田の礼の廃止を実施したのです。

ところが、の爵位継承に介入や、西の異民族との戦争で失敗するなど して、勢力が衰え始めた。

12代目の幽王時代、属国の褒が罪を犯し、王室に人質として 褒姒(ほうじ)を差し出すと、それがもとで申侯と対立し、申侯と 犬戎(匈奴)によって、 幽王が暗殺された。

そして、洛邑に遷都して元太子を平王に任じた為、鎬京に居る 携王と対立する様になり、周は東西に二分したが、後に平王が携王を滅ぼして東周時代(春秋時代)が到来したのです。

春秋時代に成ると周王は権威のみとなり、 その勢力は極端に衰退し、相次ぐ内乱を鎮める事が出来なくなる。そこで登場して来るのが覇者です。そして、覇者は 周王に変わって諸侯の盟主となって会盟を開き、諸侯の間の取決めをする様になった。

覇者とは、を以て天下を治める王者に対して実力を以て天下を治めた者の事で、春秋時代には 春秋五覇と言われる諸侯が現れた。

まだ、この頃は天に上帝が居ると信じられていた為に、諸侯一族を根絶やしにする事も、奇襲を欠ける事もせず、 あくまでも、礼儀を重んじて戦争をする反面、戦の勝敗をト辞で占っていた。この様な事は殷では無く、あくまでも、 占いは自然の神々に対して用いられるものであった。

また、春秋時代の終わりには、身分制秩序が壊れて、実力主義が横行する様になり、周初への復古を理想として身分制秩序の再編 と仁道政治を唱える思想家(孔子)が誕生した。」

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◆法 師 功 徳 品(ほうしくどくほん)

ここからは法師功徳品(ほうしくどく)です。
この部分では、前回の眼・耳と同様に三千世界の姿を描きながら、鼻の功徳を得るとある香りを嗅ぐだけで、 ある物事が起きる事を知る様に成る事が描かれている。

また、鼻というものは、人間の五官のうちでも最も動物的なものであって、 それだけに人間の感情を直接的に大きく左右するものである。

匂いというものは実にとらえがたいものであるが、「五種法師」を行ずるものは八百の鼻の功徳を得て、 それすらも自由自在に嗅ぎ分けられるようになる。

●翻 訳 二

また、次に常精進よ。
もし、良識ある青年や婦人(善男子・善女人)が、この経を授かろうとして、読んだり、書いたり、唱えたり、他人に 説明したりするならば、八百ある鼻の功徳を成し遂げるであろう。

この清らかな鼻根で三千大千世界の上下(大乗と小乗)・内外(仏教と他教)にある様々な香を嗅ぐであろう。

須曼那華香(スマナー樹の香り)・闍提華香(ジャーティカ樹の香り)・末利華香(マツリカの香り) ・瞻蔔華香(チャンパカの香り)・波羅羅華香(ハララカの香り)・赤蓮華香(赤い蓮の花の香り)・青蓮華香(青い蓮の花の香り)

・白蓮華香(白い蓮の花の香り)・木々の花々の香り・木の実の香り・栴檀香(センダンの香り) ・沈水香(きゃらの香り)・多摩羅跋香(タマーラ樹の香り)・多伽羅香(最高の伽羅の香り)、

及び千万種の香りを調合したものをである。そして、それは時には粉であったり、時には丸めた物であったり、 時には香水であったりする。

更に、この経を守ろうとする者はこの世に住み着きながら、すべての物事を良く理解して判断するであろう。

更にまた、三界を輪廻する衆生の香り・象の香り・馬の香り・牛や羊とうの香り・男の香り・女の香り・童子の香り ・童女の香り、および草木や藪や林の香りなどを区別しながら知るであろう。

仮にそれが近くても、遠い所にあるとしても、すべての様々な香りを、一つも残す事無く、皆、嗅ぎ分けることが出来き、 間違える事がない。

この経を守ろうとする者は、この世に住んで居ながら、更に天上界にある様々な天の香りを嗅ぐ事が出来るのである。
波利質多羅(ハリシッタラ)や拘鞫陀羅(クベイダラ)の香り、及び曼陀羅華(まんだらけ;朝鮮アサガオ)の香り

・立派な曼陀羅華の香り・曼殊沙華(まんじゅしゃか)の香り・立派な曼殊沙華の香り・栴檀(せんだん)の香り・沈水の香り ・色々な種類の抹香の香り・数多くの名も無き花の香りなど、この様な様々な天の香りを調合して作り出した香を嗅いだとしても、 分からない事がないのである。

また、天上界の神々(諸天)の体から出る香りを嗅ぐ事が出来る。例えば、釈提桓因(しゃくだいかんいん;帝釈天) が宮殿にいて五欲を楽しみに喜び遊ぶ時の香り、或いは不思議な法を納めた高い建物の上にあって、 六欲天の中の とう利天(三十三天)に住む神々 の為に法を説く時の香り、

或いは色々な園(畑や庭など、人が手が加えられた所)で喜んで遊んでいる時の香り、 及び他の天界に住む男女の体から出る香り、それらすべての香りを一つ残らず、遥か彼方で嗅ぐであろう。

この様に、それらの香りを次から次へと嗅いで行きながら、初禅の梵天(ブラフマン) に至った後、更に、その上の有頂天に至るであろう。 そして、そこに住む多くの神々の体から出る香りや、神々が焚く香の香りをすべて皆、嗅ぐであろう。

また、四諦の法を聞いて仏道を歩む者(声聞;しょうもん)の香り・ひとりで悟りを開き、他人に悟りを教えない者 (辟支仏;びくしぶつ)の香り・悟りを求める修行者(菩薩)の香り・目覚めた人々(諸仏)の体から出る香り、 これらすべてのものを遥かに遠い所から嗅いで、それらのある場所を知るであろう。

しかし、この香を嗅いだからと言って鼻の働きが壊れて嗅ぎ分ける事が出来なくなる事が無いのである。 もし、良く判断して他人の為にそれを説こうと思った時、相手を思う気持ちが有れば(憶念)、 間違う事がない。”

その時に、世尊は、再び、この意味を述べようと思って、歌(偈;げ)でもって述べたのである。

”ある所にある者がいるとして、この者の鼻は清く、この世界の中の香り、ある時は香しい物、またある時は臭い物 を嗅ぐ。そして、ありとあらゆる物の匂いを一つも残さず嗅ぎ、これを知り尽くす。

須曼那(シュマナ)・闍提(シャダイ)、月桂樹・栴檀、沈水及び桂木などの様々な種類の花や果実の匂いや、 衆生の香り、男子や女人の匂いを知るであろう。

更に、この説法者は遠くに住みながらも、香りを嗅いで、そのありかを知るであろう。 偉大な転輪王・小転輪及びその妻子・家臣・女官などの香りを嗅いで、そのありかを知るであろう。

身を飾る珍しい宝、および地中の宝蔵、転輪王に従がう美しい女官などの香りを嗅いでそのありか を知るであろう。

様々な人が身を飾る装飾品、衣服および首飾りや腕輪、身に塗られる様々な塗香などの香りを嗅いで、その身 を知るであろう。

天の神々の立ち振る舞い(行坐)、遊んで楽しむもの(遊戯)及び神が化けるもの(神変)など、 この法華経の教えを守る者は、それらの香りを嗅いで、すべてを知るであろう。

多くの樹の花・果実および牛乳から出した油の香りを、仏の言葉を忘れない者はこの世に住んで、 一つも残さず、それらのありかを知るであろう。

それぞれの山の深くの険しい場所、一面に、栴檀(せんだん)樹の花が咲き乱れる。(衆生)人の中に生まれた者は、その 香りを嗅いで、すべて事を知るであろう。

鉄囲山や大海及び大地の中に住む多くの衆生で、仏の言葉を守る者は香りを嗅いで、一つも残さず、そのありかを 知るであろう。

阿修羅の男・女及びその様々な一族の者が争ったり、遊んだりする時の香りを嗅いで、皆、良くこれを知るだろう。 険しい荒野の凹んでいる所に居る師子・象・虎・狼 野牛・水牛などの香りを嗅いで、その居る所を知るであろう。

もし、妊娠する者あって、未だにそれが男か、女か判断できない無根の状態で、人であると言えない時に、 香りを嗅いで、すべての事を良く知るであろう。

香りを嗅ぐ力をもって、その者の初めての妊娠であっても、無事に生む事が出来るか、どうか。不安に成らず、気楽に 良い子が産める事を知るであろう。

香りを嗅ぐ力をもって、男と女が抱える思い、欲に染まって痴恚を起す心を知り、また善を修める者を知るだろう。 地中に隠れた様々な宝、金・銀などの色々な珍しい宝や銅器に盛られるもの香りを 嗅いで、それらを一つも残す事無く知るであろう。

様々な種類の装飾品、その価値を知ることは不可能であり、香りを嗅いでその品の質の良し悪し(貴賎)、 その品の出所及びその品の所在を知るであろう。

天上界の多くの花々、曼荼羅(まんだらけ)・曼珠沙(まんしゅしゃか)・波利質多樹(ハリシッタ) の香りを聞いですべて知るであろう。

天上界のそれぞれの宮殿、上・中・下の差別により、様々な宝の花で飾られ、香りを嗅いで、それらをすべて知るであろう。

帝釈天の住む宮殿(勝殿)やその庭園にある林及び数多くの見晴台のある妙法堂(五重の塔)、それらの中で楽しそうに遊ぶ人々の 香りを嗅いで、すべて知るであろう。

天の神々が、もしかして法(教え)を聞き、或いは五欲 を受けて、行ったり来たり、立ったり座ったり、寝たりする動作を起す時の香りを嗅いで、すべてを良く知るであろう。

天女が身に付けている所の衣、好ましい花や香りで、その衣を飾って人の世話をしながら遊んでいる時、その香りを 嗅いで、すべてを知るであろう。

この様にしながら、徐々に上に昇って行き、そして、梵天に到着し、精神統一()に入る者や、 精神統一()を終えた者の香りを嗅いで、すべてを知るであろう。

二禅の光音天(こうおんてん)・ 三禅の遍浄天(へんじょうてん)と昇り、そして、有頂天に至って 初めてこの迷いの世に生まれると、共に天国から退かなければ成らない(退没)苦を受ける時の香りを嗅いで、すべてを知るであろう。(六道四生

それぞれの比丘の集団(サンガ)らの法であっても、 常に精進し、時には座り、 時には歩き(経行)、仏が説いた教えを書き記した経を声に出して読み、或いは林樹の下に身 を置いて、精神統一するために座禅する。

法華経を読む者(持経者)はそれら香りを嗅いで、一つも残らず、それらのありか(理由)を知るであろう。

菩薩は志ざしを非常に堅して、座禅を組み、もしくは経を読み、或いは人のために説法する。それらの香りを嗅いで、 すべてを良く知るのである。

あちこちに居る普通の人(在在方)と同じである世尊(釈迦)はすべての人から恭しく敬まわれ、そして、 人々を哀れみ、教えを説く香りを嗅いで、すべてを良く知るであろう。

仏の前に居た人々(衆生)は仏の言葉(経)を聞いて、喜びながら、教えられた様に修行する時の香りを嗅いで、 すべてを知るであろう。

未だ菩薩(悟りを求める者)が煩悩に従ったり、 それを増したりする事の無い無漏法(無為・七覚支 ・八正道)によって生じた鼻根を得ていないと言えども、法華経を読んだ者は、まず初めに鼻根のこの特性を得るであろう。

また、次に常精進よ。
もし、良識ある青年や婦人(善男子・善女人)が、この経を聞いて忘れない様にと、時には読み、時には唱え、時には 人に聞かせ、時には経を書き写すならば、千二百に及ぶ舌に関する功徳(良い果の因となる行い)が得られるだろう。

時には好きな物(好)、時には食べる気にならない物(醜)、時には美味しい物、時にはまずい物などあり、それら多くの物が 自分の思い通り行かず、食べるのに苦労するものであっても、

その舌の上に乗せれば、すべてが変わり、とても美味しい物となる。それは、まるで天の神々が食べる 不老長寿の食べ物(甘露)の様にとても美味しい物になるであろう。

もし、この舌根をもって、大衆の中で演説する事があったなら、奥深い不思議な声を出して聞く人の心に 入り、皆を喜ばして楽しませるだろう。

そして、天上界に住む人々や、女官たちや、帝釈天や、梵天や、色界に住んでいる神々(諸天)などが、とても奥深くて 不思議な声で演説している所や、意見が飛び交う様子を聞いて、天に住むすべての者が一人も残らず、 それを聞きに集まって来るだろう。

また、多くの龍神・龍女・夜叉・夜叉の女 ・乾闥婆・乾闥婆の女・阿修羅・阿修羅の女・迦楼羅・迦楼羅の女・緊那羅・緊那羅の女・摩睺羅伽 ・摩睺羅伽の女たちが法を聞こうとして、皆で来ては親しみを持って近づき、身を謹んで敬いながら、 合掌して供養するだろう。

また、比丘(びく)・比丘尼(びくに)・優婆塞(うばそく)・優婆夷(いばい)・国王・王子・家臣・一族の者 ・小転輪王・大転輪王・七宝を持って千子を従がえた徳の高い王・城内及び城外に居る一族のたちは、 その宮殿に乗りながら、共に一緒になって法を聞く為に来るだろう。

この菩薩は巧みに教えを説き、そして、バラモン・身分が低いが得の高い人である居士(こじ)・国民たちは、 自分の寿命が尽きるまで、菩薩に従がいながら仕えて、菩薩を供養するであろう。

また、様々な声聞・辟支仏・菩薩・諸仏(心ある人)は、常に願ってこの菩薩を見る様になるであろう。 そして、この菩薩が居ると思われるあたりでは、多くの心ある人(諸仏)がいて、皆が法を説いている菩薩の方向を見ているだろう。

また、すべての仏が一人も残さず、すべての仏の法を聞き、それらをすべて記憶する(受持)。また、 良く奥深い不思議な経を唱えるのである。”



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