私たちは、普通の女の子でも
願い続ける事で夢が叶うと信じています。このhpも、その事を証明しょうとして、掲載した物です。
そう言う訳ですから、皆さんも協力して下さいネ!。
担当:人文学科3年 木村 あい
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・因縁
当初は因縁はある果をもたらす原因を指していたが、後になって直接要因(因)と間接要因(縁)に分けられた
・業
過去の行いが現在に影響している事→因果関係
また、業には身業・口業・意業の三業がある
身業
人間が身体で行うすべての行為
口業
言語表現による行為
意業
思考・判断・意志などの心の働き
・天眼(てんがん)
肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼の五眼の一つ
肉眼
肉体にそなわっている普通の目
天眼
あらゆるものを見通す超自然的な知覚能力
慧眼
この世の空 (くう) であるという真理を悟る能力をもつ目
法眼
諸法を観察する智慧 (ちえ) のまなこ
仏眼
悟りを開いた者に備わる、すべての実相を見通す眼
・弥楼山(みるせん)
須弥山のこと
・天について
天とは三界の色界を四禅に分け、またそれを細かく18天に分けられたものを言うようです。
そして、物質的条件(色)にとらわれた有情が住む処としている。
・梅雨空に一人寂しく喫茶店
道端に咲く紫陽花の花
・手をつなぎ 歩く坂道
恋の道 相合傘に 紫陽花の花
<解釈>
この短歌は
先輩より「紫陽花」で歌を作れ!と言われて詠んだものですが、イマイチ良くない気がしています。
どうすれば、心に染みる歌が出来るのだろうか?。
今日は、皆さん
お元気でしょうか。もう、早いもので六月も終わりです。最近、やたらと太宰治の話題がテレビで
取り上げられていますね!。
テレビで思い出したけど、偶然、NHKの「ソクラテスの人事」と言う番組を目にし、思った事は
各企業の宣伝だ!と思えるくらいのものでした。実際の面接では、知識や性格だけでもダメなのだ。
では、前回の話の続きをどうぞ!。
あい; | |
「かなの質問はどうなったのでしょうか?。」 | |
鈴音; | |
「答えている途中ですよ。」 | |
あい; | 「そうですか。」 |
鈴音; | |
「そうです。仏教が漢文の訳される途中、漢字に訳せない事や意味がつかめない事が
あるのです。その為に儒教や道教の教えを使ったのです。 たとえば、天です。中国では人の霊が神に成ったり、また神がある目的の為に人に生まれ変わたり、子孫が悪い事を すると罰を与えたりしますが、インドの神はそう言うものでは有りません。 インドの神は超能力をもった変わり者と言った感じです。 エホバの様に全知全能でも、人に試練を与えて神の意志を伝えたり、正しい者に奇跡を起させる事はありません。 どちらかと言えば、気分次第で人の様に間違いを起したり、人を救ったりする存在です。だから、中国で言う 「天」とは違うのです。そう言った意味で中国の思想の成り立ちを考える必要が有るのです。 では、歴史に戻りましょう。 周の成王時代だったでしょうか?。この頃のに成ると、封建制 や東方夷族の討伐を実施し、更に周公旦の礼など用いて国を安定させ、黄金時代を迎えたのです。また、周公旦の 礼は後の儒教の基礎となりました。 4代目の昭王の頃には礼学を整えると共に、黄河と長江に挟まれた淮水流域(楚) を納める為に南夷征伐を実施する。5代目の穆王(ぼくおう)の頃には首都、成周の西部から侵入する遊牧民(犬戎) を打つ為に西夷征伐を実施すると共に、様々な儀礼が誕生し、 太平の世を迎えた。 6・7代目の共王と懿王(いおう)の時代に成ると、 周公や召公のような権威の高い聖職者が祭祀や軍事に関る事が無くなり、行政区域が設けられ区域ごとに司と言う 官職が各地に置き、その官職にそれまでの氏族を任命した。 その為、王室と氏族の関係は、古代の祭祀関係に留まらず、その職事を通じて固定的に結合する様に変化して来た。 つまり、官職や氏族の族長の地位などは世襲制で、それらが世襲される時は王が任命する形を取る譜代関係によって 王室に忠誠を示す貴族社会を作り上げた。 これによって、世襲化と共に、宗法 という祖先を基準とした序列観念(宗主権) を作り出した為、これまでの自然神信仰が忘れ去られ、祖先信仰が尊ばれる様に成り、 後に中華思想が生まれた原因になる 8代目の孝王(こうおう)の時代に成ると 都市近郊では貴族達の権力闘争が始まり、地方では有力な氏族によって未開拓地の開発が始められ、広大な領地を 所有する雄族が現れる様になった。 9代目の夷王の時には宗周西方の眉県に盂・夨・散などの雄族が起こり、渭水の北方の岐山には克氏が現れる。やがて、 諸夷の反乱を鎮めるのに克氏の力を借りるほどに王室は衰退する。 その為、10代目の脂、の時は周公、召公の二大臣が交代で朝政を見る共和制が施行された。」 |
ここからは法師功徳品(ほうしくどく)です。
その時に、仏は常精進菩薩・摩訶薩に告げられたのです。
ここで描かれている事は、法華経を聞いて、この教えを覚え様として、経を読んだり、声に出して経を唱えたり
、他人に聞かせたり、他の紙に書き写したりする者は六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)を清浄して功徳を受ける
と言う事です。
そして、まず初めに眼の功徳に関して書かれています。
眼の功徳(良果の本なる行動)→我が無い為に自分に都合が良いように物事を見る事が無く、常に心が平静で荒々しい感情の波が立っていない
ために、物事の正しい相が見える。
●翻 訳 一
”仮に、良識がある青年や婦人(善男子・善女人)たちが、この法華経の教えを授かって、忘れ去らぬ(受持)様にとして、
時には読んだり 、時には声に出して唱えたり、時には人に聞かせたり、時には書き写すならば、
この人は、必ずや八百の眼の功徳・千二百の耳の功徳・八百の鼻の功徳・千二百の舌の功徳・八百の身の功徳
・千二百の意の功徳を得るであろう。そして、この功徳をもって、
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)を美しく飾り、六根を清浄するであろう。
この良識がある青年や婦人らはそれぞれの両親から授かった清らかな肉眼で三千大千世界の内外にある
すべての山や林や河や海を見るであろう。
それは、下の阿鼻(あび)地獄
から上の有頂(うちょう)にまで及ぶ。また、その中に住むすべての衆生の姿を見、そして、人の行い
(業)がある果をもたらす原因
(因縁)と成る事や
ある果が生じる事でもたらされる報いをすべて見て、知り尽くすであろう。”
その時に、世尊は再び、この意義を述べようと思って、歌(偈;げ)をもって分かり易く述べた。
”もし、大衆の中に身を置いたとしても、自信を持って何者も恐れ無い心(無所畏)をもって、この法華経を説く者あらば、
汝はその者が成す功徳(善行)を聞くのである。
この人は八百の功徳を持った勝れた眼を得て、これを持って自分の肉眼を美しく飾り、
それ故にその目は非常に清らかである。
父母から授かった眼で、具に三千世界の内外にある弥楼山(みるせん)や須弥(しゅみ)及び鉄囲(てっち)
並びに他の多くの山林や海や江河の水を見る様子は、下界の阿鼻地獄から天上界の有頂天に至りて、その中に住んでいる
沢山の衆生をすべて見たのと同じである。
未だ、天人が持つている能力で、あらゆるものを見通す事が出来る天眼(五眼の一)を得ていないと言えども、
彼の者の肉眼の力はこの様な力があるのである。
また、次に常精進よ。
もし良識がある青年や婦人たち(善男子・善女人)が、この経を授かって忘れ去らぬ様にと、時には読み、時には
声を出して唱えたり、時には人に聞かせたり、時には書き写したりしたならば。
千二百の耳の功徳を得るだろう。そして、この清らかな耳をもって、三千大千世界の下界にある阿鼻地獄から上界にある
有頂天にまで耳を傾けて、
その中の内外を問わずに、あらゆる種類のあらゆる語言の音声(人の声)や象声(象の鳴声)や馬声(馬の鳴声)や
牛声(牛の鳴声)・車声(車の音)・啼哭声(泣き叫ぶ声)・愁歎声(嘆き悲しむ声)・螺声(法螺貝の音)・鼓声(つづみの音)、
鐘声(鐘の音)・鈴声(鈴の音)・笑声(笑い声)・語声(話し声)・男声(男の声)・女声(女の声)
・童子声(子供の声)・童女声(女の子の声)・法声(真実の声)・非法声(虚偽の声)・苦声(苦しんでる声)
・楽声(楽しんでる声)・凡夫声(欲に惑う者の声)・聖人声(四諦
を知り、悟りの道を歩む者の声)・喜声(歓喜の声)・不喜声(悲しみの声)・天声(天人の声)・竜声(龍神の声)
夜叉声(やしゃの声)・乾闥婆声(けんだつばの声)・阿修羅声(あしゅらの声)・迦楼羅声(かるらの声)・緊那羅声
(ぎんならの声)・摩喉羅伽声(まごらかの声)・火声(火の音)・水声(水の音)・風声(風の音)・地獄声(地獄からの声)
畜生声(弱肉強食の世界に住む畜生の声)・餓鬼声(閻魔王界に住む餓鬼の声)・比丘声(僧侶の声)・比丘尼声(尼の声)・声聞声(仏の弟子の声)
・辟支仏声(独学で悟りを開いた者の声)・菩薩声(菩薩の声)・仏声(仏の声)を聞くのである。
要するにこれを言うと、三千大千世界の中のあるもので、内面・外面を分ける事無く、すべてのあらゆる声を、
未だ、世界のあらゆる音声を聞き取れる天耳を得ずといえども、父母から授かった清らかな耳で、常に聞き、すべてを知るのである。
そして、その様な数々の声を良く考えて判断したとしても、耳根(聴覚)は壊れる事が無いである。”
その時、世尊は再び、この意味を伝え様と思って、歌でもって分かる様に述べた。
”父母から授けられた耳は初めから清く、穢れや濁り(濁穢)などは無い。この普通の耳で、三千世界の声を
聞くのである。 象・馬・車・牛の声や鐘・鈴・法螺貝・つつみの音や小さい琴・大きい琴(琴瑟)・たて琴(箜篌)の音
簫(しょう)・笛の音声・清んだ美しい歌声など、これらを聞いて、一つの物に執着する事無く、数え切れない種類の人の声を
聞いて、これらをすべて理解(解了)するであろう。
また、諸天の声や本当に美しい歌声を聞き、及び、男女の声や童子(少年)や童女(少女)の声を聞き、更に、
山や川や危険な谷に住む迦陵頻伽(かりょうびん)の声や命命鳥
などの様々な鳥の鳴声をすべて聞き、また、地獄の人々の苦痛で、様々なムチや毒に苦しむ声や、餓鬼(がき)が飢えや咽の渇きに
攻められて飲食を探す声や、
大海のほとりに住み、互いに話をする時に大声を出す様々な阿修羅の者たちの声があるとしても、この様に教えを説く者は、
この間に安住して、遥かにこの者たちの声を聞くならば、耳(耳根)が聞えなくなる事はない。
あらゆる方向の世界に住む鳥獣が鳴いて、仲間を呼んだとしても、その教えを説く人は、ここに居て、
すべて残らずこれを聞くであろう。
それは、梵天の更に上にある、光音天及び
遍浄天、そして有頂天など、それぞれの天の話し声である。
そして、法師はここに居て、それらすべてを 一つも残さずに聞く事を得るだろう。
また、すべての比丘や多くの比丘尼たちはが、経典を忘れない為に読んでいる声や、あるいは他人の為に教えを
説いてる声を、法師はここに居ながら、すべて残らず、これを聞く事を得るだろう。