私たち、女の子のサークルは
以外と真面目に仏教を取り上げています。これは布教の為ではなく、
このhpを読んで、労働・人生・価値観などのイメージを変えてもらう為のものです。だから、気軽に読んで下さいね!
担当:現代哲学学科2年 花井 美喜
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・自然智
自己に本来備わっている智
・妙宝聚(みょうほうじゅ)
勝れた宝石の集まり
・礼敬(らいきょう)
お辞儀をすること
・上饌(じょうせん)
上質の食物の事
・甘美
甘くて味のよい
・八十億劫(はちじゅうおくこう)
人が輪廻転生する中で行なって来た罪科の事
八十億劫=八法×
十界×
億劫(輪廻転生している時間)
・護念(ごねん)
仏・菩薩が行者を守ること
・在在処処(ざいざいしょしょ)
至る所
・須(もち)いず
要求しない
・歌頌(かじゅ)
人を称える歌
”着メロのテルマの歌に恋せしに熱き心に涙溢れん”
春半ば、卯月も終わり、タンポポの綿が飛び交う頃、いつもの通勤電車の車内から
「
そばにいるね」が流れ来て、恋の予感も無く、何とはなしに
切なくなり「わたしも、ここにいるよ」とつぶやく。
こんにちは、皆さん。
もう少しで、四月も終わりに成るけれど、皆さんは元気で過ごしているでしょうか?。
私たちは相変わらず元気ですが、この間、生意気な後輩から”法華経ばかりでなく、
会社面接
のロールプレーニングでもやった方が良いのではないか?”と言われました。
”最近の若いやつは何も分かっていないナァ〜”と思いながら”縁”について、教えて上げましたが、
理解できたのか?心配です。では、前回の続きをどうぞ!
仲本優奈;
「鈴音さん、お釈迦様の悟りとは何ですか?」
鈴音;
「難しのですが、簡単に説明すると人の心と言うものは、コーヒカップにはコーヒ、湯飲み茶碗にはお茶
、コップには水、さかずきには酒、ワイングラスにはワインと言った様に器(縁)により、中に入るもの(因)
を決めてしまうのです。
ところが実際はどの器でも、水やお茶などを飲むことが出来るのですが、器と中身が違うと違和感を感じる。
つまり、自分の身に付けた習慣と異なると苦(果)を感じる。
よって、縁によって因が生じ、因によって果が生じるのであるから、縁を変えれば果も変わる事。」
仲本優奈;
「何となく分かった様な、分からない様な」
鈴音;
「最初はその言葉を覚えているだけで良いのです。では歴史に戻りましょう。
紀元前612年アッシリアが滅びたあたりからですね?。その後はオリエント世界は
リディア、メディア、エジプト、そして新バビロニアの四大国の時代となり、
新バビロニアは主にエジプトと抗争し、また
メディアも、リディアと抗争したのです。
この時代、新バビロニア(カルデア)の様子は旧約聖書に書かれている事で有名です。また、トロイの木馬で有名なギリシャ神話に登場する
フリギア
を支配したキンメル人を撃退して、フリギアを呑み込んだリディアは世界で始めて鋳造貨幣を導入したことで名高い。(エレクトロン貨)
そして、イラン高原を中心としたメディアはアッシリアを攻めるが失敗して、一時、スキタイ
に支配されるが、再び、盛り返してスキタイ
を滅ぼして、新バビロニアと同盟を組み、アッシリアを滅ぼした。
メディアの大きな特徴はサトラップ(知事)を置いた事である。そして、紀元前550年にアンシャン王キュロスによって、
四国は統一され、アケメネス朝ペルシアが誕生する。
アケメネス朝ペルシアでは思想が自由だった為、ユダヤ教(一神教)、ゾロアスター教(二神教)が生まれたのです。」
----続く。
ここからは法師品(ほうしひん)です。
この場面は今までの事を偈(歌)で短文を箇条書きにして、分かり易く表した部分です。内容はこの法華経を
感心して、覚えようとする者やこの法華経を広めようとする者はお釈迦様と同じであり、
その者たちがこの世に生まれた訳と行いやこの者たちを邪魔した者の罪が書かれている。また、
法華経を祭っている所(寺院)に参拝するだけでも、お釈迦様の悟りに近づ事であると記されている。
------終わり
その時に、世尊は再び、この意味を伝え様と思い、偈(歌)をもって分かる様に述べたのです。
”もし、仏道を歩みながら暮らして、自然智を成就したいと願うならば、常に、自ら進んで、法華(十二因縁の事)の教えを受けて、
それを守っている者を必ず供養するのです。
仏道をもっと早く、成就しょうと願って、一切種智慧を得ようと思うならば、この経の教えを銘記して忘れない事と、
教えを守っている者を必ず供養するのです。
もし、良く妙法華経の教えを銘記して忘れない者が居たとするならば、この者は沢山の衆生を悲しんで、これを救おうと考えて
仏が使わされた者である事を必ず知るのです。
良く、妙法華経の多くの教えを確り心に刻み、忘れない者は清浄の土(浄土;自分の目的地)を捨てて
衆を哀れむが、故にここに生じたのである。
自分の立身出世や損得を忘れて、人の為に何かをやる事。たとえば、自ら得られた悟り(浄土)を
自分だけで見取り締めする事無く、その教えを他人にも伝える事です。古代インドでは仙人と呼ばれた人は
自ら得られた悟りを誰に伝える事無く死んでいったそうです。
必ず知るのです。
この様な人は生まれたいと望む所に自在に生まれる事が出来るので、良く、
この悪世においても、沢山の人に無上の法を説く事が出来る事。
よって、天の華や香及び天宝の衣服や天上の妙宝聚(みょうほうじゅ)をもって説法者を供養するのです。
自分が滅度した後
この世が悪世になり、この経を忘れ無かった者に、必ずや、手を合わせて、お辞儀をするのです。それは
世尊に供養したのと同じ様にするのです。
上質の食べ物で、色々な味良いものや様々な種類の衣服などで、この仏子(菩薩)に供養して、
少しでも、説法を聞ける機会を得ることを願い求めるのです。
もし、後の世において、良く、この経の教えを守り、忘れ去ることの無い者は
我が使わして、人の中に現われては教え導く為に、如来が行なう事を行なわせるのです。
もし、一説(一劫)を説法している最中に、常に不善の心を懐き、汚い言葉を口にして、仏を馬鹿にし、
罵ると、限りない重い罪を得る。
また、この法華経を声に出して読んで、覚えようとしている者に、暫くの間、悪口を言って害を加える者、
その者の罪は、これ以上に重いものである。
ある人がいて、その人が仏道を求める為に、一時(一劫)、手を合わせながら我が前にあって、
無数の偈(歌)を歌いながら賛美する。
この仏の賛美によって、計り知れない功徳を得るのである。この様に持経者(じきょうしゃ;法華経を読む者)を感心して誉める人、
その人の福はこれ以上の功徳を得られる。
よって、八十億劫という永い間に輪廻転生
して報いを受けるべき罪を招く原因となるものの中で、最も勝れた色や声及び香・味・触
(五欲)をもって、持経者を供養するのです。
これらのものをすでに供養し終えて、もし、暫くの間でも、教を聞く事が出来たならば、自らを喜んで、
”我は今、大きな利益を得たのだ”と喜ぶのです。
薬王よ、今、汝に伝える。
我が今まで説き明かした教えの数々の中において、法華が最も、第一位である。”
その時に、再び、仏は薬王菩薩と摩訶薩たちに述べられました。
”我が紐解いた法の経典は、すでに解き明かした法や今、解き明かしたばかり法や
将来、必ず解き明さなければならない法を数えるとするならば、計り知れない数の千万億に昇る。
しかも、その中で、この法華経は最も、理解に苦しみ、信じ難い法である。
薬王よ。
この経は多くの仏が秘密にする位に重要な法の蔵である。あちら、こちらにこれをばら撒き、みだりに
人に与えては成らない。
多くの仏である世尊が大切に守り続けて来たものであり、昔より今まで、一度もはっきりと解き明かす事
をしなかったのである。しかも、この経は如来が現在する今でさえ、なおも怨嫉(おんしつ)が多いのである。
まして、仏が滅度した後はどうなる事か?。
人が代々に受け継がれて来た十悪五逆は
五欲を貪る事から生じる。また人が人の話を聞き入れないのは増長慢している為に、すぐに嫉妬や怨みの心を起こして、
人の和合を壊すからである。これらの理由から人は罪の連鎖から逃れらず、その報いを受け続けて苦を味わう。
薬王よ。必ず知るのです。
それは、如来が入滅した後の世において、出来うる限り、この経を書き写したり、声を出して読んだりして、先祖の霊を供養しながら、
他人の為にその意味を解き明かす者は如来(自分の身)が、すなわち衣(智慧の喩え)をもって、その身は覆い尽くされる。
また、他に現存する多くの仏(善人の喩え)から、その身を守られる事を得られるのである。
この人は仏やその教えを信じて、疑う事のない大信力や人を苦しみから救って、自から煩悩を解脱したいと願わせる志願力
及び正しい事を教えて人を良い結果へと導く善根力があるのである。
必ずや知るのである。
その人は如来と共に心の奥底に宿るのである。そして、終に如来の手により、
その人の頭をなでられることを得るのである。
如来とは
主にお釈迦様の事を言うが、また、ある意味、法則に基づいて何かを行なった時、それに応えて果をもたらすものを
言う事から、多くの場合に人の体も、自分の意志に従がって働き果をもたらす事から如来と考えられている。(一部の宗派)
菩薩とは
如来に成仏出来るのだが、あえて、人を救う為に成仏せずに如来を助ける立場を取った者であるが、
如来に対する存在であり、お釈迦様が悟りを開くまでの段階の姿を意味している。
薬王よ。
どう言う所であろうとも、時には説き、時には読み、時には声上げて読み、時には写経し、
時には経巻が置いてある場所では、すべてに七宝の塔を建て、
しかも出来るだけ高く、広くして、厳かに美しく飾り立てるのである。
また、骨(舎利:しゃり)を安置する事を要求したりしないのである。
なぜならば、すでに、この中には如来の全身があるからです。
この塔に、すべての華・香・瓔珞(ようらく)・所W(ぞうがい)・幢幡(どんばん)・妓楽(ぎがく)
・歌頌(かじゅ)をもって供養し、謹んで敬い、尊いものとして重じ、感心して誉める事を行なうのです。
もし、人がこの塔を見たならば、必ず礼拝して、供養するからである。
必ず知るのです。
これらの者、皆が阿耨多羅三藐三菩提(あのくだらさんみやくさんぼだい)に近づいた事をです。
薬王よ、
多く人が居たとして、その中に在家の者や出家の者で菩薩の道を歩もうとして、
もし、この法華経を見聞きしながら、教を声を上げて読むか、或いは忘れない様に書き記したものを供養
する事をしないのであらば、まさに次の事を知るのです。
この人は未だ完全に菩薩の道を歩んでいないのである事を、もし、この経典を聞きたいと願う者は、
すなわち、完全に菩薩の道を歩む者である。
この様に、衆生の為に仏道を求める者があって、もし、この法華経を見たり、聞いたりした後に、
これを良く信じて理解しよう思いながら、教えを授かり、深く心に刻んで忘れないならば、
必ず次の事を知るのです。この人は阿耨多羅三藐三菩提に近づく事が出来た事である。
薬王よ。
たとえば、雨に乏しく、土地が渇いて水を求める人が居たとする。その人はあの高原に穴をほって、
水を求めようとして、土を掘るが、掘り起こした土が乾いているのを見ては、また水が遠い事を知る。
努力を重ね、諦めずに堀り続けた為、少しずつ湿りけのある土へと変わって行くのを
見、遂に、漸く泥にたどり着いたのである。
そして、その人は水のある所に近づいている事を確信し、知ったと同じ様に、
菩薩も、また、同じなのである。
もし、この法華経を未だ聞いた事が無く、未だ理解する事が出来ず、未だ学問を習って、身に付ける事が出来ないのならば、
必ず次の事を知るのです。
この人は阿耨多羅三藐三菩提を去ることは、まだ遠い。(輪廻転生して苦しみ続ける因縁から解脱する事が遠い)
もし、聞いた後に理解しょうと考えて、学問を習い、身に付けることを得たならば、
必ず、阿耨多羅三藐三菩提に近づく事が得られたのだと知るのである。
なぜならば、すべての菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は、皆、この経に所属しているからである。