南無妙法蓮華経
-----法 師 品 偏----

 

  私たち、女の子のサークルは
  以外と真面目に仏教を取り上げています。これは布教の為ではなく、
  このhpを読んで、労働・人生・価値観などのイメージを変えてもらう為のものです。だから、気軽に読んで下さいね!
 
  

   担当:現代哲学学科2年 花井 美喜


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト







語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


 

 ・一念
 単に一瞬の意で用いられることが多い。

 ・随喜(ずいき)
 心から喜び、ありがたがること

 ・所W(ぞうがい)
 高貴な人がさす絹で出来た日傘

 ・線香←乳香(にゅうこう)
 紀元は鎮痛剤として用いられていたが、後にエジプトではミイラ作り用いられた。

 ・贍奉(せんぶ)
 贍→豊、奉→献上;めぐみを与える

 ・業報(ごうほう)
 善悪の業(ごう)を原因として、それに応じて受ける報い

 ・毀訾(きし)
 文句を言って、邪魔する。

 ・所至(しょし)
 考えの深い事

 ・宝聚(ほうじゅ)
 宝の集まり


---編 集 録---

”春荒れて転がる缶の音は寂き 花を散して山を残さん。”
春、暖かな卯月を向かえ、新たな友と共に、花を愛でながら、酒を酌み交わすうち 女を忘れて、酔いつぶれた様を見て、これで良いのだろうかと思って詠んだ歌

今日は皆さん
相変わらず、お元気ですか。花見は済んだでしょうか?。私たちも御他聞にもれず、飛鳥山で花見を しました。沢山の人で、混雑していて花を観るどころでは有りませんでした。では前回の話の続きを どうぞ!

仲本優奈;
「鈴音さん、因縁を知ったからと言って、何の徳があるの?」
鈴音;
「そうですね。皆さんはニュートンの万有引力を知っていますか?」
仲本優奈;
「良くは分かりません」
鈴音;
「皆さんが知らなくても、皆さんの体には重力が働いていますよね。なぜですか?」
仲本優奈;
「分かりません」
鈴音;
「それは貴女たちの体が物質であり、物質には質量があるからです。それと同じで、人は生き物である。 生き物である以上、食べないと苦を感じて死ぬ。つまり、生ているから食べる、食べるから働く、 働くから疲れる、疲れるから苦を感じて楽をする、楽をするから楽を覚る

覚るから貪る、貪るから執着する、執着するから考える、考えるから迷う、迷うから悩む、 悩むから病む、病むから苦しんで死ぬと言う法則は変えようがない。

変えられるのはその質だけ、つまり、充実した生き方をするには因縁を学ぶ必要があると仏教では教えているのです。 では、歴史に戻りましょう。

紀元前10世紀頃、アッシリアはメソポタミアからエジプトに至るまでを支配した。アッシリアはヒッタイトが バビロニアから撤退した時、そこへイラン高原から移動してきたアーリア人系の部族の国であるミタンニ ・カッシートの属国から始まった。

アッシリア人は原住民とシュメール人とアッカド人などの混血でセム語を話す民族であり、暮らしは 雪解け水に頼る農業方法で、農業よりも牧畜に依存する生活をしていた。

しかし、アーリア人により馬と戦車、製鉄技術など学ぶと独特な軍隊を作り、他国を攻めては略奪行為 を行うといった軍事国家を形成し、紀元前8世紀イスラエル王国を滅ぼし、 紀元前7世紀エジプトを支配 する。

紀元前612年、圧政のもと反乱が起こり、新バビロニア(カルデア)メディア王国との連合軍の前に、滅びた。」
----続く。

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◆法 師 品(ほうしひん)

ここからは法師品(ほうしひん)です。
この作品では、お釈迦様と薬王菩薩との会話が描かれています。この前の作品は出家している者に対して 法華経の教えに従うとお釈迦様と同じ様に阿耨多羅三藐三菩提(あのくだらさんみゃくさんぼだい)に成れて、 仏になり、二度と苦海に生まれる事がないと説いた。

ここでは、将来おいて、この法華経を読み、感心した者も同じ様に阿耨多羅三藐三菩提になる事が出来ると 説いている。

なぜならば、この者たちは前世において、仏の所で修行を積んで、生まれ変わらなくても 良いのでは有るが人を哀れんで、人を救う為に生まれて来た如来の使いであるからである。

つまり、因縁因果を解りやすく説いた作品で、”好きこそ物の上手なれ”と言った様なものである。

------終わり

●翻 訳 一

その時に、世尊は
薬王菩薩を始として、 八万の大士(菩薩)に告げられました。

”薬王よ、汝はこの大衆の中いる計り知れない諸天・龍王(りゅおう)・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(げんだつば) ・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(ぎんなら)・摩喉羅伽(まごらか)

・人と非人(奴隷)と及び比丘(びく)・比丘尼(びくに)・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)などの 声聞(しょもん)を求むる者・ 辟支仏(びくしぶつ)を求むる者 ・仏道を求むる者を見なさい。

この様な者たちは、一人も残さずに仏前において、妙法華経の短文である一偈(げ)或いは一句を聞いて、例え、 一瞬でも心に喜びを感じて、ありがたいと思う者には我が皆に記を与え授ける。

必ずや阿耨多羅三藐三菩提が得られるのです。”更に仏は薬王に告げられた。
”また、如来(お釈迦様)が滅度(入滅)した後において、もし、人があって、この人がこの妙法華経や。

この経の一偈・一句を聞いて、一瞬でも心から喜んで、有難いと思った者には、我が、 また阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授ける。

もし、また人いて、この人がこの妙法華経、或いは一偈を忘れずに、心に留めて置こうとして、声に出してこれらを読んだり、 意味を解説したり、また、これを書写して、この経巻を敬いものと考える事があるならば、この人は仏と同様である。

種々に華・瓔珞(らくよう)・抹香(まっこう)・塗香(ずこう)・焼香(しょこう)・所W(ぞうがい)幢幡(どうばん)・衣服・伎楽(ぎがく)を供養し、 或いは手を合わせながら身を謹んで、この人を敬いながら見るのです。

古代ヒンズー教(バラモン教)では
業(カルマ)と言う考え方があった。カルマとはこの世は善と悪で成り立っていて、善は綺麗なもの、清いもの、 価値ある物あるのに対して、悪とは醜いもの、穢いもの、役に立たないものと思われていた。

そして、その思想は
人の身分にも及び、身分が低くなるにつれて魂は汚れて行き、人に害を及ぼす存在であり、生きる価値の無いもの と見なされ、また悪は悪を好むことから差別された。

そこで、お釈迦様はその事を否定する為に、インドの神々である諸天や悪の象徴である阿修羅・ 迦楼羅などを仏教に帰依させて、人は平等である事、悪い事は人、本来の内面にある事を 説いたのである。

薬王よ、必ず知るのです。
この様な沢山の人たちは、すでに過去において十万億の仏を供養しながら、 多くの仏の所で大願を成就し、衆生を哀れんだ末に、この様な人間に生まれ来たのです。

薬王よ、もし、人がいて、幾人かの衆生が”未来世に、必ず仏に成る事が出来るのか?”と問われたならば、 この様な多くの人々に”未来世、必ず仏に成る事が出来る事”を教えるのです。

何を持ってかと言えば、もし、これを聞いて興味を起こした善男子及び善女人 が法華経、或いは法華経の一句でも、忘れず心に留め置こうとして、 声を出して読みながら、教えの意味を理解したり、それらを書写するからである。

そして、様々な物、経巻を始に華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・所W・幢幡・衣服・妓楽などを供養し、手を合わせながら身を謹み、 人を敬って見ながらも、必ずや、この者はすべての世間に恵みをもたら所となる。

よって、如来の供養(因果応報)をもって、この者を供養するのです。 確実に知るのです。この人は大いなる菩薩の阿耨多羅三藐三菩提を成就して、衆生を悲しんでは、哀れみをもって、 この世間に生れるを願い、広く妙法華経を演説しながら、世間の人に悟らさせる。

何と言えば良いのか?。全身全霊を尽くして、教えを忘れ去らぬ様に、様々に供養する者をです。

薬王よ。必ず知るのです。
この人は自から清浄の業報(煩悩を無くして、生老病死の苦がない所)を捨てて、 我が滅度の後に、衆生を哀れんで、故に悪世(今の世)に生れて、広め様として、この経を述べるのです。

もし、この善男子及び善女人たちは我が滅度した後においても、出来る限り、 密かに一人であろうとも、法華経・或いは一句を理解しやすい様に話を聞かせる。

必ず知るのです。
この人はすなわち、如来が使わした使者であり、如来の心を伝え様として、如来が成される事を行なうのです。

何と言ったら良いのか?。大衆の中で、広く、人の為にこれを説こうとするのかを。
薬王よ。もし、悪人がいて、不善の心を起こして、一時的ではあるが仏の前に姿を現し、 常に仏を馬鹿にして、その場を壊そうとする、その罪はまだ軽い方である。

もし、一人の人を特定して、悪口を言いふらし、在家及び出家の者が法華経を 声に出して読む事に文句を言って、邪魔する、その罪は甚だ重い。

薬王よ、必ず知るのです。
この法華経を声に出して読んで居る者は仏が徳で美しく身を飾る様に、自からをも 徳で美しく身を飾って(荘厳)いる事を。

すなわち、如来の肩に乗っている荷物を自らも背負い助けているのである。 その深い思いに至ろうとするやり方には逆らう事無く従がって、その人に向って礼を尽くすのです。

一心に合掌して、恭敬(くぎょう)・供養・尊重(そんちょう)・讃歎(さんだん)するに、華 ・香・瓔珞(ようらく)・抹香(まっこう)・塗香(ずいこう)・焼香(しょうこう)

・所W(ぞうばん)・幢幡(どうばん)・衣服・肴膳(きょうぜん)などもって行う、また、 諸の技楽(ぎがく)などで音を奏で、世においても、勝れた供え物を集めて、この者を供養せよ。

そして、天の宝を持ち、これを分散せよ。天上の宝聚(ほうじゅ)をもって献上しなさい。
どう言う訳かと言うと、この人は喜んで法を説いてくれるからです。しばしの間、これを聞くだけで、 すなわち、阿耨多羅三藐三菩提にたどり着くことが出来るからです。




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