南無妙法蓮華経
----------方 便 品 偏----------

 

  私達が仏教を取り上げた目的は、変な宗教集団に勧誘する事では有りません。!
  あくまでも、学問の延長線上の位置付けとして、考えています。
  だから、皆さんが理解し、今後の日常生活でお役に立てれば、幸いです。(^〇^)
  

   担当:教養学部国文学科3年 森村あや子

解 説


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ





語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!





■感 想

これまで、方便品を読んで、分かった事は合コンで単にイケメンやお坊ちゃまを探し、追い求めるゲットした、だけでは 幸福は得られないし、また、追い求めるは虚しい事である。---Σq|゚Д゚|p ワオォ

今までの私たちのように、自分だけの思いを彼に押し付ける事や可愛いしぐさをして彼の心を繋ぎ留める事は価値の無い事で、 愚かな女の証拠である事。----ママァ・・・・ヽ(´Д`)ノ

それより、自分がどう生きて行かで、自分の周りの環境が変わり、 それに相応しい縁につながると言う事でしょうか。!----☆:*・゚(●´∀`●)ホェ:*・゚

時間と知識の問題で、法華経の訳が間に合わない部分がありますが、是からも翻訳を続けていきますので、皆さん、宜しく お願い致します。----浮気しちゃダメ!(`Д´) ムキー


●翻 訳 六

 諸佛がこの世に現れたのは、
 たった、この一つの事の理由だけてあり、その以外の二つ目は無いのです。

 最後まで、
 小乗(劣った法)をもって、衆生を迷いから救い導きだすことは出来ないのです。

 佛は自ら大乗の法則が
 成り立っている世に暮らし、その得た法の様に、智慧の力を鮮やかに示し、これにより衆生を得度させる。

 自ら無上道・大乗平等の法を悟り得て、
 もし、小乗をもって佛化すること、または、一人でも、佛となることが出来たならば、我は欲を貪る者に落ちてしまう事を知ってのです。  この様な事は決して、起こりえない事で有る。

 もし、人が佛に帰依すれば、
 如来は人をあざむきたぶらかすことをせず、また欲を貪る心を持っていない。

 すなわち、世の中の諸法において、悪法を断じているので、佛はすべての人が住む世界において、孤独になっても恐れることがない。

 我、ある姿を現し、身を飾り、光明をもって世間を照らす。数限りない衆に尊ばれて、その為に諸法の本来の特徴を示す。

 舎利佛、まさに知るべし。
 我、”すべての衆を自分と同じ、またすべての衆は自分と異なる事ない”の本誓願を立てた。

 我が昔の所願のように、今ここに居る者をすでに満足させている。
 すべての衆生を教え導き、皆を佛道に入らしめる為に、もし、我れ衆生に会えば佛道をもって、ことごとく教えた。

 無知な者は
 頭がこんがらがり、どうしてよいか迷い込み、教えを受ける事ができない。我れが知る限り、この衆生は未だに真実の修行をせず、  堅く5欲に執着して、痴愛を持ち、自ら悩みを生じさせている。

 また、徳が薄い福の少ない者である。  つまり、たくさんの苦に行き詰まり、真実が見え隠れしている繁った邪見の林の中に入り、そして、その様な諸見(五見)に終止して、身勝手な想いを身に付ける。

深く偽りの教えに執着心を起こし、いつまでもその事を持ち続け捨てようせず、自己中心的で自分から自己を高く敬う、或いは他人に媚びへつらい心に信念がない。

途方も長い時において、佛の名声を聞く事無く、また正法を聞く事無い者は救い難し。

●翻 訳 七

この故、舎利佛、
我は衆生の為に方便を設けて諸の苦の終局を説き、そして涅槃を説くのである。我が涅槃を説いたとしても、これは真の滅ではない。

諸法はもちろんのこと、
我が身もこれと同じで、常に自らも寂滅の相を持つため、心身を静寂かにして、徐々に煩悩の炎を消し去るのです。

この故、佛の弟子に佛道を修行させて、
来世に、自ら佛に成る事を得させるためです。我は方便力をもって、三乗の法(九部の法)を開示する。

すべての諸の世尊も、皆一乗の道を授けるのです。
今、この諸の大乗に皆が疑惑を抱くことを止めなさい。諸佛の言葉は異なる事が有りません。たった一つ救い道で、二つの救いの道はないのです。

過去の途方も無い永い時、数えられないほどの人を救わしめる佛が居た。その佛の悟りの数は百千萬憶種あり、そして佛の数は無限で有った。

この様な諸の世尊も、
色々な縁・比喩・無数の方便力(仮説)をもって、諸法の理念を演説する。この様な諸の世尊たちも、皆な一乗の法を説き、数えられない衆生を教化して、佛道に入らしめた。

また、徳の高い君主は
すべての世間の神・人・群衆類の心の奥底に眠る欲を知り、更に第一義を示すための手段として、様々な方便を用いる。

もし、ある衆生がいて
その衆生類が過去において、諸の佛に出会いて、法を聞いて布施し、あるいは持戒・忍辱・精進・禅・智など色々な福徳を修行したなら、 この人たちは皆、佛道を成就している者たちです。

諸佛が滅度(無意涅槃)した後、
舎利(佛の骨)を供養する者、色々な種類の塔を立てて、金・銀・水晶・シャコガイ・めのう・るりの宝玉 などをもって、清らかでけがれのな様に広く厳しくに飾り立て、領主の所有地に諸の塔を木組み合わせて建てる。

あるいは
石廟(石で作られた霊をまつる所)を造り、ビャクダン及び香水・ダ−ル樹(松の一種)並びに他の木材・レンガ・泥でもって舎利を供養する者も佛道を成就している者ある。

もし、荒野の中において
土を積んで佛廟を造った。として、それが子供が遊んで、作ったかの様に、ただ、砂をかき集めて、佛廟としても、その人たちは皆、すでに佛道を成就している。

もし、人が佛の為に
色々な仏像を建立し、そしてその仏像に彫刻して様々な模様を施す。この様な人は皆、すでに佛道を成就している。

あるいは
七寶を建て、黄銅・赤白銅・はんだ及びすずの鉛・鉄と木及び土や漆を塗った布などで、厳しくに飾り立て仏像を造ったとしたら、この様な人は皆、すでに佛道を成就している。

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