南無妙法蓮華経
----------方 便 品 偏----------

 

  私達が仏教を取り上げた目的は、変な宗教集団に勧誘する事では有りません。!
  あくまでも、学問の延長線上の位置付けとして、考えています。
  だから、皆さんが理解し、今後の日常生活でお役に立てれば、幸いです。(^〇^)
  

   担当:教養学部国文学科3年 森村あや子

解 説


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ





語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


劫濁
人間の寿命が二万歳以下となる時期に現れる戦乱・飢饉(ききん)・流行病などの社会的災悪が起きる事。

煩悩濁
煩悩のために種々の罪悪を犯すこと
衆生濁
見濁・煩悩濁の結果より人間の果報は著しく衰え、心が鈍く、体が弱く、苦が多く福が少ない事
見濁
外見だけで、引け目を感じたり、偏ってものを見ること
命濁
見濁・煩悩濁の結果より人間の寿命が短く成る事


---はじめに---

このサイトはブログで掲載した物を再度、私たち成りにまとめ直した物です。
私たちがこの法華経をテーマに選んだ理由は、今、この国が抱えている社会的問題”いじめ、ワーキングプアー、格差、天下り など”が人間の質から起こっている様な気がしたからです。


そこで、私たちは在家の人の為に書かれたとされる法華経三十三巻に何かヒントが有るのでは無いかな〜?と考えたからです。 よって、私たちなりの翻訳ですから、これが正しいとは言えない所があると思います。 要は、全体的に法華経が○○ダナ〜アと皆さんに思って下されば幸いです。




◆方便品(ほうべんほん)

この方便品(ほうべんほん)は序品(じょほん)の続きです。
その前に、南無妙法蓮華経ですが、南無とは意味がありません。単なる「もし、もし」とか「あの〜」と言った様な呼びかけです。 妙法蓮華経は優れた法で白い蓮の華と名付けた教えと言うそうです。

では、話を方便品に戻しましょう。
この方便品は法華経の中で、一番重要な部分が書かれた作品で、人の本質・価値・苦悩の原因・佛の意味・智慧など。 が書いてあります。また、全体的にはお釈迦様と弟子、舎利弗との会話から成り立っています。

-----では、どうぞお楽しみくださいネ!q(・ェ・q)ルン♪(p・ェ・)pルン♪

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●翻 訳 一

その時、世尊は、瞑想を終え静かに立って、舎利佛に言いました。
「佛の智慧は考え付かないほど深く、不思議なものです。その智慧の入り口でさえ、用意に立つ事が出来ないばかりか、そこに辿り着くのさえ、困難です。

要は、すべての声聞(しょうもん)や辟支仏(びゃくしぶつ)が理解しょうとしても、理解する事が出来ないものです。

なぜならば、
佛はかつけ百千萬億と言う無数の数にのぼる佛に、親しくし、色々世話をして、 諸の佛の数限りない教えを実践し、勇猛果敢に成し遂げ、名声を上げました。

とても深くて、きわめて珍しい真実の法則を成し遂げ、適切に法を説いた訳はあなたがたには分かりません。

舎利弗、
私が佛となってから今まで、色々な事物や例を示して講義し、無数の方便をもって、衆生を導いてきたのは色々なものに対する執着心を捨てさせるためです。 なぜかと言うと、如来(釈迦)は比喩もって真実を伝える力・物事を見抜く智慧の修行 をし、すでにすべてを得ているのです。

舎利弗、
如来の智慧はとても広く、奥が深いのです。無数・汚れない・力・恐れがなく 静寂・悟りなどを悉く一心にし、深く無限に瞑想に入り、今までに無い真実の法則を成し遂げたのです。

舎利弗、
如来はよく諸の事を考えて、諸の真実を説き、言葉巧みに衆の心を喜ばせた。

舎利弗、
簡単に言えば、今までに有った事の無く、想像すら出来ない、変わる事のない 真実の教えを佛は成し遂げたのです。

止めましょう!舎利佛、法を説は止めましょう。
なぜかと言うと、佛が成就した法はめったに無い、理解の出来ない法です。
ただ仏と仏の間でのみ、この世のすべての物事の真実の様を見極め尽くした最高の法が理解できるものなのです。

つまり、すべての物事について、
(如是相)このような姿・形をし、
(如是性)このような習性があり、
(如是體)このような性格・性質を持ち、
(如是力)このように用いられる能力があり、
(如是作)このように6根により作られる三毒・作られる物があり、
(如是因)このようにある習慣が物事の因になり、
(如是縁)このように因を育てる縁があり、
(如是果)このように因によって生じる結果があり、
(如是報)このように生じた結果により苦楽・報いを味わう、ということである。
この最初から最後までの事はあらゆる存在がすべて空で、実体のあるものはないから生じることです。」

●翻 訳 二

その時、再び世尊はこの義を述べる為、偈を挙げて言った。
「偈・・・省略」

大衆の中に、諸の声聞・辟支仏・悟に達してない阿羅漢・無知で影響されやすい人達や 声聞・辟支仏に成る事を心に誓った比丘(僧)・比丘尼(尼)・仏教を信じる男の子; 優婆塞(うばい)・仏教を信じる女の子;優婆夷(うばそく)の人達は、

なぜ、世尊が丁寧に方便を褒めたたえて、この言葉をおしゃたのであるか? また、世尊が得た法を神秘的で悟る事が困難であること演説した意味が何であるか分からなかった。 その上、更に、それらの事を世尊が説いてくれれば、自分たちも涅槃に入る事が出来るのに、なぜ世尊は説かないのか?と疑念を持った。

その時、
舎利弗は四衆の疑念を感じ、世尊に言った。
「世尊、どう言う理由がお有りに成り、御自から、自分の得た法が諸佛の法より、一番の方便であり、神秘的で、不思議で、難解な法である事を褒め称えたのでしょうか?

私は昔から今日まで、世尊がこの様におしゃたのを聞いた事がありません。
今、四衆は皆、疑念を抱いています。願わくは世尊、この事を私たちに説いてください!。」

その時、再び舎利弗はこの義を述べる為、偈を挙げて言った。
「偈・・・省略」

その時、世尊は舎利弗に告げた。
「止めましょう、止めましょう。まだ、説く時期でない、もし、この法を説けば、すべての世間の諸天及び人は、皆驚くでしょう。」 舎利弗は重ねて、世尊に明らかに言った。

「世尊、私の願いは単に、教えを乞いたいだけです。どうか、教えを説いてください。 どういう言う理由で、教えを説いて頂けないのでしょうか。?

ここに居る多くの衆生は、
かつて、諸佛に従がって6根を清浄し、智慧を得たのです。佛の悟った教えを聞いたならば、佛を尊敬し、教えを心から信じるでしょう。」

その時、再び舎利弗はこの義を述べる為、偈を挙げて言った。
「偈・・・省略」

世尊は再び、舎利弗に言った。
「止めなさい。舎利弗、もしこの法を説けば、すべての世間の天・人・阿修羅,皆、驚きと共に疑いを抱くでしょう。また、増上慢の比丘(坊主)は地獄の坑口に落ちる。」

その時、舎利弗は重ねて、世尊に言いました。
「世尊、法を説いて頂けないでしょうか?お願いします。お願いします。今、ここに居る私の仲間は前世において、すでに佛に使えて、教化した者たちです。 ですから、必ずや教えを敬い信じるでしょう。そして、日々安穏に暮らし沢山の利益を受ける事ができます。」

その時、世尊は舎利弗に言った。
「お前は、私に三度も教えを請うたので、教えを説いて上げましょう。舎利佛、良く聞き、考えなさい。」

●翻 訳 三

どう言うわけか?
この事を聞いた者達は自分の席を立って、世尊を礼拝し、そして、退く事をしなかった。 この者たちは業が深く、増上慢にして、いまだ真実を得ていないのに、得たと思い。 悟っていないのに、悟っていると思い込んでいる。 この事によりこの者たちは安住する事がない。世尊は沈黙し、その事を制止する事が無かった。

その時、世尊は舎利弗に言った。
「私の足元に居るこの者たちは価値のわからない、もぱら信仰のみ堅持する者たちです。この様な者たちは退っても仕方ありません。私は今、あなたのために法を説く、良く聞きなさい!」

舎利弗は答えて、言った。
「この世で唯一の世尊、叶うなら、是非お聞きしたいです。」

世尊は次の様に舎利佛に言いました。
「私が説く不思議な法はうどんげが咲くようなものだ。舎利佛、お前たちは佛が説いた法は妄言ではない事を信じなさい。

舎利弗、諸佛が適切な時を見計らって、説く法は用意に理解できない。
なぜならば、私は無数の方便・色々な物事・たとえ・言葉をもって諸法を演説するからです。この法は自分が慎重に考えて物事を判断することではない。

ただ諸佛のみが存在し、この事実を示している。
なぜならば、諸佛世尊は重大な事実をもって、この世に出現した。

舎利佛、
いかなる理由を持ってこの事を伝えるのか言うと、 諸佛世尊は、衆生を佛の知識を自覚させ、衆生の心を清浄させる為、

衆生に佛の知識の存在を示す為、衆生を佛の知識に到達する道に入らす為にこの世に現れたのです。 舎利佛、この事をもって、諸佛は唯一大事の因縁をもって故にに、世に出現したもうと言う。」

世尊は次の様に舎利弗に言いました。
「諸佛如来は、菩薩を教え導びいて来たのは、色々な修行させたり、説法したりし、一つの事実を悟らし、佛の知識をもって衆生に具体的な事実を示し、真実を悟らす為。

舎利佛、
如来は大乗教をもって、衆生の為に説く法、以外の教えが、二又は三ある事は無い。

舎利弗、すべての世界のあらゆる佛の法(教え)もまた、そうである。
舎利弗、過去の諸佛も、計り知れない多くの方便・色々な事実・比喩・ことばをもって、衆生の為にあらゆる教えを演説する。

この法も皆、一佛乗である為です。
この諸の衆生の諸佛に従い、教えを聞いても、極めてすぐれたもので、皆すべての智慧の種を得た。

舎利弗、
未来の諸佛がまさに、世に出る時も、また計り知れない多くの方便・色々な事実・比喩・ことばをもって、衆生の為にあらゆる教えを演説する。

この法も皆、一佛乗である。この諸の衆生の佛に従い法を聞いたならば、極めてすぐれたもので、すべての智慧の種を得る事ができる。

●翻 訳 四

舎利弗、
現在世界中の数限りない佛が住んでいる所において、佛に崇められ、衆生に多くの恵みを与え、安楽に暮らしている諸佛世尊から学ぶ事、多し。

この諸佛もまた計ることのできない、多くの方便・色々は事実・比喩・ことばをもって、衆生の為に諸な真実の法則を演説する。

この法も皆一佛乗(成佛するのは一つの方法しかない事)の為、この諸の衆生の佛に従がって法を聞いたところ、まさに勝れていて皆すべての智慧の元を得ることが出来る。

舎利弗、この諸佛は何の欲も無く、ただただ菩薩を教え導くだけである。
それは佛の知識・見識によって衆生に真実を示すために、あるいは衆生に真実を悟らすため、またあるいは衆生に救いの道に入らす為なのです。

舎利弗、
私も今、この佛と同じなのです。諸の衆生に色々な欲・心の奥底に執着があるのを知って、その本性に従い、色々は事実・比喩・ことば・方便力をもって、法を説くだけなのです。

舎利弗、以上に事は皆、一佛乗のすべての智慧の種を与える為だけの事です。
舎利弗、世の中の世界には、救う道が二つ、あるいは三つあると諸佛が言っているが、これは諸佛が5濁(劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁)の悪世に現れた為です。

舎利弗、劫濁の濁乱の時、
衆生は欲が深く、思いやりが無いばかりか、他人をうらやみ色々な悪事を起こすが故に、諸佛は方便力をもって、一佛乗であるが良く考えて、三つあると説いたのです。

舎利弗、もし、私の弟子で、自ら阿羅漢・辟支仏と願うなら
”諸佛如来が菩薩に教え導ている事”を聞いた事がない、またはその事を知らないとするならば、私の弟子でもなく、阿羅漢でもなく、辟支仏でもない。

また、この諸の比丘・比丘尼が
自ら阿羅漢(悟りを得て人々の尊敬と供養を受ける資格を備えた人)を得て、現世の身がこの世に現れる最後の姿であり、究極の涅槃を得たと思うのなら、阿耨多羅三藐三菩提(あのくだらさんみゃくさんぼだい)を追い求めない。

今、将に、この輩たちは皆、増上慢である事を知るのです。
もし、比丘の姿に阿羅漢であると悟り、この者の法を信じても、得られるものは何にもない。この者たちは、佛がこの世から姿を消した後、前世に佛が存在した事実を隠す者たちです。なぜかと言うと、人々がこの者の経を信じて教えを乞い、または、この者の経を通読し、その意味を理解しょうとするが、理解出来ずにいる人は何にも得る事が出来ずに、 もし、他の佛に会えば、この佛の法で、納得してしまうからです。

舎利佛、あなた達はまさに、一心に信じ、理解しなさい。
佛の言葉を銘記して忘れない様にするのです。そして、諸佛如来の言葉は妄言で無い事を、他の救いは無く、唯一の救い(一佛乗)が有るだけであることを。

その時、世尊は重ねてこの義を述べんと欲して、偈を説いた。

●翻 訳 五

「実力もないのに自己を過信して思い上がるている比丘(出家した男)や比丘尼(出家した女)または我がままな優婆塞(仏教信じる男の子)・疑い深い優婆夷(仏教信じる女の子)このような四衆の者が五千人いる。

この者達は自分からその罪を認めず、戒(いましめ)も守る事が出来ず、そのことを気にもしない、この様な愚か者は自から出って行きなさい。

衆中の邪魔になるばかりか、佛と言うのは威徳を備えなければならない。よって、去りなさい。この様な者は福が少ないばかりか、この法を授けることに耐え切れない。

この衆は価値がなく、ただ諸の信仰の儀式を堅く守るだけです。
舎利佛、良く聞くのです。
諸佛が得た法は計り知れない方便力をもって、衆生の為に法を説くのです。

衆生の思想、今での諸行、束縛されているすべての欲、先祖の善悪の業を佛は悉く、知り尽くした上で、諸の縁・比喩・言辞・方便力を用いて、すべての衆生を歓喜させるのです。

或いは修多羅(仏の言葉を記した経典)・偈(げ)及び本事(過去世の実践)また、人間の本性は未だに見た事がない事を説き、また因縁・比喩並びに祇夜(経文中、散文で説いた意味をもう一度韻文で述べた部分。)・優婆提舎経(うばだいしゃきょう)を説くのです。

無知な者は小法(小乗教)を願い、生死を心配し、数え切れないほどの色々な佛が教え導く不思議で深い救いの道を修行せず、苦を集め悩み、苦みもがく。その為、涅槃を説くのです。

我、この方便をもうけて、佛の智慧に入る事を得させようとしているのです。 未だに、汝たちに佛の道を成就することを説くことは無かった。それは、説く時節が未だに来なかった為です。

今、正しくこの時が到来した事を確信し、大乗教を説くことにする。衆生を心から信じて従うて、我がこの九部の法を説く、この法は大乗に入る為の基本の概念である。

我が弟子の心は浄くして柔軟であり、また賢い者たちである。きっと、計り知れない佛の下で、不思議で奥く深いの佛道を修行することが出来るであろう。

この諸の佛子の為、大乗教を説くことにする。
我、この様な人は来世に佛道を成就することを記す。心の奥底から佛を念じ、清浄の様相をそなえている人、この人たちは佛が法を得た事を聞いて、大いに喜ぶ。この事を佛は知り、彼らに大乗を説いった。

声聞(聞く人)もしくは菩薩、我が悟った法を聞いたり、または、一偈を読んだりしたその者は、皆、成佛すること疑いない。十方佛土(人が住んでいるあらゆる場所)の中には唯一乗の法のみあり、二つないし、三つはない。

佛の方便の説を除けば、仮の名を名乗り、衆生を引導するのは佛の智慧を説かんとするためのものです。

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