南無妙法蓮華経
--------譬 喩 品 偏--------

 

  私たちは是の様に考えています。
  私たちの様な世間知らずの女の子でも、少しでも人の役に立ちたいと思い。
  遊び半分で作ったと思われるサークルでも、初心を忘れず、サークル活動をあせらず、なまけず、あきらめずに夢を
  持ってやり続ける事が人の役に立つ事であり、世の中を変える事であり、自分たちの幸せにもつながるものと。
  ---皆さん、ヨロシク
  

   担当:経済部国際科3年 香多かおり


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。


妙法蓮華経

フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

アルキメデスの館所翻大品般若経





語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・利根(りこん)⇔鈍根(どんこん)
 生まれつき賢いこと⇔才知のにぶい性質

・明了(みょうりょう)
 明白な事

・深心(じんしん)
 菩薩の三心の一。妙理・善道を求める心

・堅固(けんご)
 意志が強く、簡単に相手に従ったり動かされたりしない

・凡愚(ぼんぐ)
 凡夫愚痴のことで、欲に執着し、貪る者が、場当たり的に思いついた考え

・悪智識(あくちしき)
 悪人及び悪友のこと

・瞋(しんに)
 怒り・憎しみ・怨(うら)みなどの憎悪の感情

・邪道の書物
カーマ・スートラ・ウパデーシャ

 


---編 集 録---

今日は、皆さん。残暑見舞い申しあけます。

夜空を焦がす花火の時期も過たとは言え、まだ厳しき残暑が続く折、私たちは、相変わらず、法華経と睨めっこするばかりです。

また、時には、「蓮華の香りを嗅いで見ては、タメ息をつく。月下美人は月光もって、匂い起こし花を咲かす、何をもってか、蓮華を咲せん。」
短歌?らしい歌を読では、遊んでしまう始末です。

では早速、この前の続きからです。
鈴音:
「はい、それがあるのですよ。では、お尋ねいたしましょう。なぜ、金魚に餌を与えるのですか?」
私たち:
「それは、死ぬから」
鈴音:
「そうですね。では、なぜ、を交換するのですか?」
私たち:
「それは、死ぬから」
鈴音:
「なぜ、金魚は餌を食べないと死ぬのですか?」
私たち:
「それは、金魚が生きているからです。」
鈴音:
「なぜ、水を交換しないと金魚は死ぬのですか?」
私たち:
「それは、、、、」
恵夢:
「それは、金魚の糞で水が濁り、水の中の空気が無くった為、金魚がエラ呼吸が出来なく成ったからです。」
私たち:
「ヘェ〜、そうなんだ!」
鈴音は微笑ながら、うなずき、そして、誉めて言いました。
鈴音:
「そう、貴女の言う通り、魚はすべてエラ呼吸をするのです。善く、学びましたね!、恵夢さん。では、最後の問いを致しましょう。あの池に住む魚、沼に住む魚 湖に住む魚、川に住む魚、河に住む魚、海に住む魚、たちは誰が餌をやり、誰が水を入れ替えるのですか?」
私たち:
「誰って?、鈴音さん、自然の魚は誰からも、餌をもらうなど世話をして貰う事がありません。自がやるのですよ?」
鈴音:
「そうですね。私が言いたいのは自然がなりたって生きているものに、人の一時的な感情によって、 手を加えると生き物は死ぬと言う事です。ですから、慈悲をもって、生き物を見れば、どうすれば良いか、分かるはずです。」

----続く。

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◆譬 喩 品(ひゅうほん)

ここから、譬喩品(ひゅうほん)をお送りします。
譬喩品はこれで、終わりです。この最後の場面では、妙法華経を人に説く為の条件が書いてあります。

つまり、人は凡愚であるため、様々な苦を受け、悩み続け病気になって死の恐怖を味わう。また、 救おうとしても、教えを聞かないどころか、理解できずに邪魔して、無限地獄に堕ちて行く。

その為、ここで書かれた人に妙法華経を教えて、凡愚を救う事が何より大事であり、その事が阿耨多羅三藐三菩提である が記されている。

-----完

●翻 訳 十一

舎利弗に告ぐ。
もし、この経をけなす者の罪を説こうとして、永い時間を費やしたとしても、説く事が出来ない。 この因縁を持って、更に我は汝に語る。

無智の人の中で、この経を説く事はするな!
もし、生まれつき利口で、智慧があることが明白であり、多くの物事を聞き知って、佛道を求める者が居たとしたら、 この者の為に、この経を説くべし。

もし、人がかつて、億百千の佛を供養し、色々な善の種を植え、深心を持ち堅固である人が居たとしたら、 この人の為に、この経を説くべし。

もし、精進する人がいて、常に慈心を身に付け、 何事にも身命を惜しまない人の為に、この経を説くべし。

もし、人を謹み敬い、異心(人に逆らう心)を起こさず、色々な凡愚(凡夫の愚痴)から離れて、 たった一人で、山麓に住もうとしたらば、この人の為に、この経を説くべし。

また、舎利弗
もし、ある人がいて、その人が悪智識(悪友)を捨てて、 善友に親しみを持ち近づくを見たとしたら、その人の為にこの経を説くべし。

もし、佛子(菩薩)の持戒心を正しく、きれいなものであること、浄明珠の様であると思い、 大乗経を求める者を見た時、その人の為にこの経を説くべし。

もし、瞋を持つ事のない人がいて、その人は素直で、柔軟な心を持ち、常にすべてのものに哀れみを持ち、諸佛を供養する者であるなら、 その人の為にこの経を説くべし。

また、佛子(菩薩)が大衆の中で、清浄な心で、 様々な因縁・比喩・言葉をもって説法し、その説法することが自由で有ったとしたら、 その人の為にこの経を説くべし。

もし、比丘の一切智により、四方に法を求めて、頭を下げ両手を合わせながら、ただ、楽して、大乗の経典を受持して、 もしくは、余経(三乗のこと)の一偈(歌)を受けたことがある人、その人の為にこの経を説くべし。

人が心に応じて舎利弗を求めるように、経を求め、その教えを得たいと願い、 自ら頭を下げ、教えを乞うとする者。そして、その者は他の教えを求める事が無くまた、 未だかつて、邪道の書物を念ずることが無いとしたならば、その人の為にこの経を説くべし。

舎利弗に告ぐ
我はこの様に、佛道を求める者の姿を説いて見せたが、いくら時間をかけて説いたとしても、尽きる事は無い。 この様な人々はよく、この教法を信じ、理解する者達である。汝、将に、この人々の為に妙法華経を説くのです。

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