ここから法華経を離れて、より具体的に仏教の教え(戒律)を示しています。訪れた皆さんの参考になれば幸いです。
担当:人文学科2年 中野 由衣
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゜д゜)ノ ョロ!!
・慈悲喜捨(じひきしゃ)
1)慈→慈しみ;人に親しみを持つ気持ち。友情に近い感情
2)悲→哀れみ;困った人を見て助け様とする気持ち
3)喜→喜び;人の幸福を見て喜ぶ気持ち
4)捨→捨てる;嫉妬・怒り・好き嫌いなどの感情を捨てて、冷静に物事を見られる気持ち
・愛語(あいご)
四摂法の一つ。相手に物腰の柔らかい言葉をかけて親愛を感じせしめ、仏道に引き入れる事
・四摂法(ししょうぼう)
仏・菩薩が、苦海に住んでいる衆生を悟りの世界に救い出す為の手段
1)布施→食べ物・財物・知識・法など相手が望むものを施して親愛を感じせしめ、仏道に引き入れる事
2)愛語→相手に物腰の柔らかい言葉をかけて親愛を感じせしめ、仏道に引き入れる事
3)利行→相手に身・口・意の善行をもって利益し親愛を感じせしめ、仏道に引き入れる事
4)同事→相手の機根(法を聞き、受け入れられる機会や根性)に随い、その所行によって同化し、仏道に引き入れる事
・六和敬
1)身和敬;仲間と行動を共にする事
2)口和敬;仲間にねぎらいの言葉を掛ける事
3)意和敬;仲間と同じ思いを持つ事
4)戒和敬;仲間と決めた規則を守る事
5)見和敬;仲間と同じ物の見方や考え方をする事
6)利和敬;仲間と得られた恵み(食べ物)を分け合う事
・五逆罪
1)父を殺す事
2)母を殺す事
3)阿羅漢(あらかん)を殺す事
4)僧の和合を破る事
5)仏身を傷つける事
一つでも犯せば無間地獄(むけんじごく)に落ちると説かれる
・二十五有
感情や意識など、心の動きを有するもので三界を25種に分割したもの
・八邪(はちじゃ)
八正道の反対の言葉
1)邪見;道理に合わない物の見方する事
2)邪思惟;私腹を肥やそうとする考え
3)邪語;嘘を付く事
4)邪業;殺生・盗み・性行などを行う事
5)邪命;反社会的な職に就く事
6)邪方便;失敗を他人に擦り付ける事
7)邪念;常に怠けようとする事
8)邪定;落ち着きが無い事
・八難
1;地獄→希望も夢もない孤独な状態
2;餓鬼→常に飢えている状態
3:畜生→動物の様に常に争っている状態
4:長寿天→長寿を楽しんで求道心が起きない状態
5:辺地→人間の欲望がうずまいている状態
6;盲聾→心の目耳が閉ざされている状態
7;世智弁聡→世渡りの知恵にたけている状態
8;仏前仏後→仏の様な救いの手を差し伸べる者がいない状態
・四波羅蜜
涅槃(ねはん)に備わる四つの徳。常・楽・我・浄
・五眼
@肉眼;現実の色形を見る眼。
A天眼;三世(さんぜ)十方(じっぽう)を見とおす眼。
B法眼;現象の差別を見わける眼。
C慧眼;真理の平等を見ぬく眼。
D仏眼;前四眼をそなえる仏の眼。
・方等経(ほうどうきょう)
初めは原始的な仏典の分類法である九部経や十二部経
の方広経を指したが、次第に般若経典群、法華経、華厳経などの大乗経典を指す様に成った。小乗経典;阿含経典群
・業障(ごっしょう)
三障の一つ
煩悩障→貪欲・瞋恚・愚痴の惑い
業障→三惑の報い;五逆十悪の業
報障→悪業の報い;地獄・餓鬼・畜生の苦報
いつの間にか、6月10日だ。あれから半年が経ったよー
空梅雨で、作物が育たない日々だぜぇ〜、もう流行って無いけど、キンタローをAKB総選挙に加えればおもろかったのになぁ
今日は、皆さん
お元気でしょうか?私達も元気と言いたい所ですが、毎日、暑くてバテ気味です。しかし、そんな事は言ってられないのです。
6月の文化祭に出展する物を準備しないと、いけないからです。皆さん、宜しかったら、見に来てね!では、話の続きどうぞ!
由衣; | |
「なぜ、宦官が政権を握らなかったのでしょうか?」 | |
鈴音; | |
「まだ、この頃の宦官には武力が無く、皇帝派と皇太后派が競合していたからだと思います。
更に、この事で豪族の曹操が魏を建国する事に成ったのです。では、歴史に戻りましょう。 125年、安帝の崩御後、閻皇后と側近の宦官によって少帝懿を即位させたが、200日で死去してしまった。その後、 宦官孫程らによってクーデターが起り、皇太子を廃された劉保を 順帝に即位させた。 その後、順帝は孫程らの宦官を地方領主して養子を認め財産を継承する事を許し、車騎將軍の閻顯を処刑した。 126年に、閻皇太后が死去すると、太傅・太尉・司徒を入替えた。更に、隴西の鐘羌及び鮮卑に侵入された。 鐘羌は護羌校尉・馬賢に討伐させたが、鮮卑は127年に耿曄・南単于の連合軍が撃った。夏には、殺された母の李氏に 皇后を追尊し、反乱を起した西域諸国を漢に服従させ、焉耆 ・亀茲・疏勒ら17ヶ国を傘下に納めた。 128年、天災に見舞われて救貧政策を出すと、再び鮮卑 が漢に侵攻する。翌年の129年に順帝が元服すると、五州で長雨の被害を浴びる。また、会稽郡から呉郡を分割した。 130年、疏勒・大宛・莎車が使者を送って来たが、国内では旱ばつ・イナゴの災害に見舞われた。10月、陰城公主を殺害した罪で 班超の孫の始を処刑した。131年、再び耿曄に鮮卑討伐を命じるが、 鮮卑の族長・ 其至ケンが死去する133年まで続いた。 更に、12月には日南(ベトナム)の葉調国とタン国から使者が来た。翌年の132年に、梁氏を皇后とすると、会稽郡を海賊に荒らされ、 妖賊の章河らに揚州を荒らされた。133年、呉郡と会稽郡で飢饉が発生し、京師では地震が起きた。 134年、盗賊が益州を荒らした。夏、車師後部司馬が車師後王を率いて北匈奴を攻め、単于の母を捕虜にすると、 135年、捕虜奪還の為、再び北匈奴は車師後王国に出撃して漢軍と車師後 軍を破った。他にも烏桓・羌族・鐘羌の侵攻を受けた。 136年、春に夫余(満州国)の王が来朝し、10月に承福殿が火事で焼失し、順帝は御雲臺に避難した。暮に象林蛮夷が、 137年には、武陵蛮や日南の蛮らが後漢に叛いた為、討伐した。夏、江夏の盜賊が暴れまわった。 138年、京師及金城、隴西において地震が起き、九江郡の賊・蔡伯流が江都県長を殺す。また、焼当羌を金城郡に侵攻して 翌年に馬賢郡に破られる。140年、南匈奴の句龍吾斯の乱が起きて、 去特若尸逐就単于が自殺した。 その後、句龍の吾斯は車紐を単于し、烏桓と羌胡軍を引き連れて上郡を侵略したが、使匈奴中郎将の張耽に討たれる。 141年、且凍羌と戦って征西将軍の馬賢が戦死する。8月、大将軍の梁商 が死去して梁冀が大将軍となった。10月、諸種羌が武威に侵攻した。 142年、再び南匈奴の句龍吾斯が乱を起こすが、翌年に守義王兜樓儲単于に殺される。また、焼当羌が護羌校尉・趙沖に倒される。 12月には、楊州と徐州の盜賊が燒城寺を攻めた。 144年、領護羌校尉の衛据は叛羌を追討し、更に南郡と江夏の盜賊を討つと、順帝が崩御した為、2歳の冲帝を即位させた。 そして、外戚の梁 冀が摂政として権力を握た。 145年、冲帝が急死すると、章帝の玄孫である質帝を即位させたが、 梁 冀を嫌った為、翌年の146年には梁 冀によって毒殺され、次に桓帝を選ぶと、147年には反対派の 李固らを処分し、横暴を極めた。 159年、梁皇后が死去すると、桓帝は単超ら5人の宦官と謀り、梁冀派の宦官張を逮捕し、梁冀を討伐した。 この政変により、宦官に権力が集中する様になり、宦官に養子制・財産相続を認めた為に世襲貴族を志向する者が現れた。 166年、外戚・豪族勢力と宦官勢力が対立し、やがて李膺らが宦官たちの横暴を朝廷に直訴し、李膺が終身禁錮の刑に処せられた。 第一次党錮の禁が起きた。 167年、桓帝が崩御して李膺は許された。 168年、竇皇后・大将軍の竇武・太傅の陳蕃が霊帝を即位させると、竇武・陳蕃は宦官一掃を皇后に直訴して宦官の管霸・蘇康らを処刑した。 更に、竇武らは宦官排除する為に第二次党錮の禁を起こして挙兵したが、169年に宦官の曹節 と護匈奴中郎将の張奐に討たれてしまった。 その後、十常侍と呼ばれる宦官に政権を握られ霊帝は政治を放棄し、酒と女に溺れて行く一方で、張奐や皇甫規といった将軍達は 羌や鮮卑の侵攻や、飢餓による各地の反乱の鎮圧に奔走して疲弊して行った。 184年、太平道の教祖・張角が農民を巻き込んで挙兵した黄巾の乱 が勃発し、何進は大将軍して朱儁・皇甫嵩・曹操・ 孫堅らの軍によって鎮圧された。 188年、黄巾の乱後も残党が各地で反乱を起した為、霊帝は軍制改革を行い皇帝直属の部隊・西園八校尉を置き、自らを無上将軍と名乗った。 189年、霊帝が崩御すると、少帝を支持する何皇后派と献帝を支持する董太后派との間で後継者争いが起きると、宦官の 蹇碩が少帝の叔父・何進 の暗殺を企て失敗し、蹇碩・董重らは排除されて少帝が即位した。 その後、国民の不満が朝廷や宦官に集まり、何進・袁紹らは宦官排除に乗り出したが、何皇后と弟の何苗が反対した為、膠着状態に陥ると、 袁紹が丁原や董卓らの諸侯を都に呼び寄せ、皇太后派に圧力を掛けると、 何進が宮中に入り、宦官の段珪・畢嵐に暗殺された。 これにより、袁紹らが宮中に突入し宦官殺害を実行すると、宦官の段珪に少帝と弟の陳留王が連れ去られて 董卓によって奪還された。その後、董卓が朝廷を牛耳り、9月に少帝を廃して弟の陳留王を献帝に即位させた。 190年、袁紹を盟主として反董卓連合軍が成立すると、初めに曹操が攻撃を開始して董卓の徐栄軍に敗北するが、 その後も孫堅が攻撃し続け、悉く董卓軍を破ると、191年に董卓は洛陽の町を焼き払って、長安へ逃れた。 192年、董卓は部下の呂布と王允よって暗殺されて政権は王允の手に渡ったが、 すぐに郭シ・李カクに攻め滅ぼされて 政権は李カクに渡った。194年、献帝が元服すると、郭シと李カクが覇権争いを始めた為、張済が献帝を弘農に移そうとした。 その時、郭シが裏切って献帝を連れ去ろうとしたが、楊奉に阻まれた。196年に楊奉・董承らに擁され洛陽へ帰還し、 更に曹操の庇護を受けて許に遷都した。 9月、献帝は曹操を武平侯して大将軍を命じた。その後、曹操は政敵の楊奉を攻撃すると、楊奉は袁紹の所へ逃げ込んだ。 197年、大将軍が曹操から袁紹へ移ると、翌年に、朝廷は裴茂・段ワイら を派遣して、李カクを滅ぼした。 199年、袁紹が劉和と共に公孫サンを討つと、曹操は袁術・ 呂布・劉備を討った。 その後、劉備は袁紹の所に逃げ込むと、200年には袁紹と曹操が争う官渡の戦いが勃発して袁紹が敗北する。 202年、袁紹が死去すると、曹操は袁氏と袁氏に味方した烏桓族まで滅ぼした。208年に曹操は三公制を廃止して丞相と御史大夫を置いて、 丞相に成り、荊州の劉表、江東の孫権、益州の劉璋、漢中の五斗米道、関中の馬騰らを攻め滅ぼす。 216年、曹操は漢から独立した魏を建国しながらも、漢の丞相を続けた。219年、曹仁の樊城が関羽軍に攻められると、 曹操は、劉備と同盟関係の孫権と手を結び、 劉備の関羽軍を滅ぼした。 220年、曹操が病死すると、息子の曹丕が後漢の献帝から禅譲を受け皇帝と成り、遂に後漢は終った。」 |
ここからは仏説観普賢菩薩行法経です。
先の様な思いを抱いた時、空中から声が聞こえた。
この場面では、あらゆる現象に捕われて苦しむ者の為、慈悲喜捨の
四梵行を教え、
更に、六根が作る悪業の仕組を解明かして、十悪業・五逆罪を作らない様に、六情根の懺悔法を解き明かした。
更に、苦を増す十二因果を説き、四波羅蜜を教えて、智波羅蜜を成就させた事が描かれている。
●翻 訳 六
”南方に栴檀徳と名乗る仏がいる。その仏は、衆生の苦を抜く為に、様々な姿に変身した分身の仏が数限り無く居る。
そのすべての仏たち、皆が大乗教を解き明かして道理に背く悪業(罪悪)によってもたらされる苦を全部取り除いてくれる。
今まで犯して来た沢山の罪を、今、あらゆる方角に居る無数の仏たち、即ち、衆生の苦を抜いてくれる尊き者たち(大悲世尊)に向かって、
その悪業(黒悪)をありのまま述べて懺悔せよ。そして、懺悔の言葉を述べたならば、五体を大地に伏して仏たちに拝礼せよ。”
この時に、沢山の仏たちが眩しい光を放って、その修行者の体を照らし出すと、その者の身も心も自然と喜びに包まれ、大慈悲の心を起し、
一つも残す事無く、あらゆる現象を心に留めさせる(念)であろ。
この時に
様々な仏たちが修行者の為に、幅広く慈悲喜捨の偉大な法を解き明かし、更に他者を癒す優しい言葉(愛語)を教えて、
互いが敬い合って仲良くする法(六和敬)を修めさせた。
更に、この時に
誰もが覆す事が出来ない菩薩の教えを修行者が聞き終えると、修行者の心に大きな喜びが沸き上がり、更に経典を音読して(誦習)
、最後まで怠ける事が無かった。
また、空中から不思議な声がして、この様に述べたのである。
『汝、必ずや身心共にその罪を明らかにして懺悔せよ。身体は殺生・窃盗・淫乱を好み、心は常に身勝手な事(不善)
をあれこれと考えるものである。
人として犯しては成らない十悪業や、必ず地獄に堕ち
五逆罪が作られるのは猿の様に、或は鳥もち(黐膠)の様に、
様々なものに捕らわれて、それらすべてを取りこぼす事無く六情根の
中に入れる為である。
この六根よって作られた習慣(業)が、植物の枝・小枝・花・葉の様に、衆生が輪廻する三界や、生き物の感情を25分割された
二十五有や、生まれ変るあらゆる世にまで隙間無く満ちている。
また
良く、無明・老・死などの自分ではどうにも成らない十二因果によって苦を増し、八邪や八難の中を潜り貫ける事は不可能である。
汝、必ずやこの様な悪い「不善の業」を懺悔するのだ。』
その時に、修行者はこの言葉を聞き終わると、空中の声に向かって尋ねた。
『我れは、どこでどの様にして懺悔の法を修行すれば良いのか?』
時に、空中の声はこれに対してこの様に言った。
『釈迦牟尼仏を万物をあまねく照らす太陽と同じ様に宇宙の真実をすべての人に照らす仏
(毘盧遮那)と呼ばれた。
その仏が住む世界を常寂光(煩悩に乱される事無く、絶対的な真理を悟れる浄土)と名づけられた。
様々な現象を見極める事で常波羅蜜を得、
あらゆる束縛から逃れて安楽な気持ちに成って我波羅蜜を得、生じた現象に左右されない事で浄波羅蜜を得、
身心の快楽を捨て去った事で楽波羅蜜を得た。
これら四波羅蜜の法の意義とは、何かが存在するとか、しないとかを見るものでない。欲界から離れ、心を穏やかにして
般若波羅蜜の境地に辿り着く為のものであるのだ。
物の存在に依存している色界において、常に成り立つ法である。その為、必ず、汝はあらゆる方向に居る仏たちを仰ぎ見よ。』
時に、あらゆる方角に居る仏たちが、それぞれの右の手を伸ばして修行者の頭を撫でながら、この様に言った。
『素晴しい、素晴しい。善男子(良識ある者)よ!
今まで汝は大乗の経典を声に出して読んだお陰で、あらゆる方向にいる仏たちが懺悔の法を解き明かしてくれたのである。
菩薩の修行とは、煩悩(結使)を断ち切らず、
煩悩によって迷わされる世界(使海)に住まない事である。つまり、心の中を見ても、心が無く、
顛倒したイメージ(想い)があるだけである。
この様なイメージが存在するのは、心が何かに捕われて、あれこれと妄想する事より起きるのである。
まるで空に吹く風の様に、何かにすがって留まる事が無いのである。
この様な心の働き(法相)は、自力で生じさせる事も、滅するも出来なければ、何が罪で、何が幸福なのか、判断できない。
自分の心で有りながらも、自由奔放な空である為、常に罪悪や幸福が支配してると限らない。
先に述べた様に、あらゆるものの印象が自力でその存在を維持する事も無ければ、壊す事も無い(無住無壊)。
この様な懺悔では、心の中を覗いたとしても信念がない。更に、真理が理解出来ず、それを守る事が出来ないであろう。
数々の法はあらゆる束縛から自分を解放させる為のものであり(諸法解脱)、
滅諦とは、煩悩が吹き消された穏やかな境地を指すものである(滅諦寂静)。
これらを認識した事(相)を偉大な懺悔、或いは仏の福相を身に付ける偉大な懺悔(荘厳懺悔)、或いは四苦を消滅させる懺悔(無罪相懺悔)と呼び、これらは色・声・香・味・触によって起きる(心識)
を取り除く事であるのだ。
この様な懺悔を行う者は、心身の穢れ(煩悩や私利私欲)を洗い流して清めた為、水が流れる様に欲に捕われる事が無く、
一瞬一瞬に沸き起る思い(念念)の中に普賢菩薩及び、あらゆる方向の仏たちを見る事が出来るだろう。』
この時に
それぞれの恩師(世尊)が、衆生救済の為の偉大な知恵(大悲光明)をもって、修行者に言葉で表わせない法(無相法)を解き明かすであろう。
更に、修行者に空が究極の真理である事を教えたとしても、その事を素直に聞き入れるだろう。また、修行者はそれを聞き終わっても、驚く事も、
驚愕する事も無く、時が過ぎると共に菩薩の上位に入り、悟りを開くであろう。
仏(ブッタ)は弟子の阿難に告げた。
「この様な修行をする事を懺悔と名付け、この懺悔があらゆる方角に居る仏建ちや、偉大な菩薩たちが心がけて行う懺悔の教えである」
更に、仏(ブッタ)は阿難に告げた。
「我が去った後の世において、もし、我が弟子たちの中で教えに背く悪事を働き、懺悔する者が居たとするならば、ひたすら大乗経典を
声に出して読むのである。
深い平等な真理が記されている、この方等経が仏たちの目と成って、様々な仏たちが五眼
を身に付ける事が出来たのである。
また、法身・報身・身応などの仏の三身は、大乗の教え
(方等)より産まれた。これは、偉大な教えの証しでもあり、波の無い穏やかな海(涅槃海)へと、導く印でもある。
この様な海の中で、よく穢れを洗い流して清まった仏の三身が誕生したのである。この三種の身は、六道の人間界や天上界に住む者にとって
功徳と言う稲を植える田んぼであり、供養を受ける阿羅漢の中で、最も尊い人である。
そして、この大乗方経等典を声に出して読んだ者、必ず、仏の功徳を身にまとい、永らく様々な悪事を消滅した後、
仏の智慧が備わる事を知るのである。」
その時に、世尊は、更に偈を挙げて述べた。
「もし、眼根に悪(三惑)あって、その悪業の報い(障害)を受けて眼が穢れたならば、ひたすら大乗のお経を唱えて、
奥底に眠る最高の真理を考えよ。
これが、道理に背いた過去の数々な行いを消し去る眼の懺悔と名付ける。耳根は根も葉もない噂(乱声)を耳にして、
互いが助け合って仲良くする正しい道を乱し、嫉妬に狂って心を掻き乱す様は、まるで知恵の無い猿と同じである。
ひたすら大乗の経典を唱えて、必ずや言葉に出して言い表わせない「空」の真理を悟り、永い間、すべての悪(煩悩)を消滅させて、
どの様な話からでも、真実を聞き分けられる耳(天耳)をもって、周りの人の話を聞くのである。
鼻根は様々な香りに捕らわれ、煩悩(染)に従って様々な印象(触)を起こしながら、妄想にふける。
この様に狂って迷う鼻は、煩悩(染)に従って、悟りの邪魔に成る数々の
塵を呼び寄せる。
もし、大乗経を唱えて、物事が生じる様子をありのまま、良く観察したならば、長い間、過去の様々な悪習を断ち切った後、
再び、この世に産まれる事が無いのである。
舌根は五番目の煩悩を起す。悪口をもって他人を騙したり、罵ったり、脅したりする悪業を行う。もし、自らが後悔して悪口
を治したいと望むならば、努力して慈悲を修めよ。あらゆる存在(法)が実に虚しい(寂)ものだと思って、
様々な考えを起こして、想いを膨らませては成らない。
心根は、手長猿の様に、少しも落ち着く事が無い。もし、自分の欠点を指摘してもらって悔改め様と望むならば、
(折伏) 必ず、この事を修行をせよ。
大乗経典を声に出して読み、真理を悟った釈迦の姿(大覚身)や、仏の力や、恐れの無い心(無畏)を常に思い出すのである。
身体は心を働かせる機関の主人であるのも関わらず、塵(色声香味触)の風が吹く度、それに従って動かされ、
煩悩を起す六根(六賊)の中に於いて悪ふざけをする。この様に好き勝手にいたずらしても、
誰も咎める者がいない。
もし、この様な悪事を消し去り、永らく、様々な戸惑いから来る精神的な苦労(塵労=煩悩)から離れ、涅槃と言う城に住み、
常に安心して穏やかな日々を過ごしたいと望むならば、必ず大乗経を声に出して読むのである。
そして、それが沢山の菩薩を産んだ母(仏)で有る事を心に留めよ。巧みに仏教の本質に近付かせる為の沢山の手段の
方便は、現実の姿を思い出す事によって得られる。
この様な六法を六情根と名付ける。
今まで身口意が行なって来た悪事がすべて障害の海に変わる。この様な海は、すべて妄想より生まれるのである。
もし、懺悔したいと望むならば、正座(端坐)して、あるがままの現実の姿を思い出すのである。
そうする事で、之まで積み重ねて来た沢山の罪が、日光の下で消えて行く霜や露の様に、消えて行くのである。
この事より、心の底から六情根の罪を明らかにして悔い改めよ。(懺悔)」