ここから法華経を離れて、より具体的に仏教の教え(戒律)を示しています。訪れた皆さんの参考になれば幸いです。
担当:人文学科2年 中野 由衣
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゜д゜)ノ ョロ!!
・慈悲(じひ)
慈→マイトリー(友情)悲→カルナー苦しみ;すべての人を最高の友情と思って苦しみを取り除こうとする事。
・正念(せいねん)
八正道の一つで
、物事の本質をあるがままに心にとどめ、常に真理を求める心を忘れない事
・諸法実相(しょほうじっそう)
諸法とは現象、実相は真実の事で、あらゆる現象である物事には、それを起こさせる真実の原因がある。
・十悪業(じゅうあくぎょう)
身・口・心の三業(さんごう)が作る十種の悪い行い
身業;殺生、偸盗、 邪淫
口業;妄語、両舌、悪口、綺語
心業;貪欲、嗔恚、 愚痴→三毒
・世雄(せおう)
世間において最も雄々しく一切の煩悩にうち勝った人の意
驚いたぜぇ〜野田政権が11/16日に解散するぜぇ。おおといけね!女子大生設定を忘れるところだったわ!今朝から訃報が届き、
私達は驚きました。「時間ですよ」で、お馴染みの森光子さんが亡くなった事を聞いて、そっと手を合わせました。
今日は、皆さん
お元気でしょうか?私達は元気でが、今月は学園祭が行われる月で、何かと忙しい月に成りました。
あっ!そうそう今年から学園祭での飲酒がダメに成りました。めっちゃ寂しく成りました。
由衣; | |
「この頃から官宦制度が始まったのですね。?」 | |
鈴音; | |
「そうです。皇太后の外戚の力を削ぐためです。また、宦官を作った事で後漢時代が急に滅んでいったのです。
では歴に話を戻しましょう。 88年、和帝が9才で即位すると、生母の梁貴人は竇太后によって殺され、竇太后の兄の 竇 憲が実権を握った。 89年、竇憲は劉暢を殺害して蔡倫に罪を被せた。その為、北匈奴討伐を上奏して贖罪した。 そして、車騎将軍に竇憲が任ぜられると、征西大将軍の耿秉・南匈奴・烏桓 ・羌胡の兵を引き連れて稽落山(モンゴル)を攻めた。そして、91年には北匈奴を破り、北単于は 康居の地に逃れた。 92年、日食と地震の災害が起き、更に竇一族の専横が酷くなった為、和帝は宦官の鄭衆と図って竇憲を自害させて 宦官が実権を握る宦官政権が樹立した。これを機に外戚勢力と宦官勢力が争い始め、後漢が腐敗して行く 94年、西域都護の班超によって西域 の50余国が後漢の属国に成った。また、南匈奴の安国単于と左賢王師子 の間に確執が生まれ、安国単于は師子・朱徽・杜崇の連合軍に攻められ、舅に安国が暗殺された。 やがて、師子が南匈奴の単于に成ると、南匈奴に降伏していた北匈奴が逢侯 を単于にして挙兵し、南匈奴を攻めた。しかし、朝廷は鴻・馮柱・朱徽の討伐軍を派遣し、更に烏桓・鮮卑を率いる任尚軍を差し向けると、 北匈奴は塞外へ遁走した。 その後、逢侯単于は族民を二分すると、左部の胡人らは長城内に戻り、右部の逢侯らは南匈奴と戦い続け、単于檀が率いる 南匈奴によって、98年に滅ぼされた。 95年、鴻、朱徽、杜崇らは皆獄に下され死去した。 96年、貴人の陰氏を皇后に立てた。また、南匈奴の右温禺犢王が師子単于に叛いて漢軍に討伐される。また、車師後王が車師前王を攻撃した為、 王林が率いる漢軍に倒される。 97年、皇太后の竇氏が死去して章徳皇后とされた。西域長史の王林が車師後王を撃ち、更に、劉尚と趙世らが隴西に侵略した焼当羌を撃った。 101年、和帝はオルドス→ハノイ(張掖、居延、朔方、日南)まで巡幸し、貧民や孤児や寡婦たちの救済策を行なった。また 、羌族・鮮卑・巫蛮が後漢に叛いて成敗された。 105年、高句麗が郡界を侵略した為、遼東太守の耿キに撃たれた。 また、和帝が於章前殿において死去した。 そして、劉隆が殤帝に即位と共に平原王に立てられたが、106年に病死してしまい。そこで、章帝の孫・劉祐を6代皇帝の 安帝とし、皇后が政権を握る臨朝称制を敷いた。 112年、安帝が元服したが、飢饉が起きて先零羌・烏桓・鮮卑が反乱し、更に単于檀が率いる南匈奴が反乱を起した。翌年には南匈奴を降伏させたが、 先零羌は117年まで降伏させる事は出来なかった。 118年、鮮卑が遼西に侵攻するが、烏桓と遼西の連合軍に敗れるが、翌年に高句麗と穢貊が玄菟郡を攻撃したのを機に、鮮卑が再び馬城を侵略した。 更に、120年には沈テイ種羌(チベット族)が張掖に侵攻する。また、この年、劉保が皇太子に成った。 度遼将軍の遵が鮮卑を、護羌校尉の馬賢が羌族を討つと、121年に幽州刺史の馮煥によって高句麗も倒された。 また、閻氏を皇后にすると、外戚の氏を退けて閻氏や宦官李閏らの助けを借りて親政を行なった。 11月頃から、鮮卑・高句麗・馬韓・穢貊らに次々と玄菟城を襲われ、 夫餘の助けを借りて鮮卑以外を破った。122年、天候不順の為に虔人羌が反乱を起し、再び鮮卑が鴈門・定襄・太原などの漢の領地を攻撃した。 124年、南匈奴が叛いた為、匈奴中郎将の馬翼がこれを討ち破った。翌年、安帝が崩御し、閻皇后が皇太后として臨朝し、兄の閻顯が車騎將軍と成り 、政権を牛耳った。」 |
ここからは仏説観普賢菩薩行法経です。
”我れは、今ここで、目の前の現象にばかり捕らわれて来た眼球(眼根)が、どんなに罪深いものであるかを告白する。それは、心を迷わす物(害)に覆われて、
それが真実であると思う心(穢れ)で濁されり、盲目と成って物事の道理を見極める事が出来なく成った事である。
ここも前説の普賢菩薩の行法の続きが書かれている部分で、主に六根清浄の方法が書かれている。
・目根は物の姿形(現象)に捕らわれて物事の本質を見抜けない。
→沢山の仏を供養し、過去の過ちを告白して悔いる事。やがて、釈迦牟尼仏・分身仏・多宝仏塔が見えるように成る
・耳根は正しい事を聞いて心を戸惑わせ、悪口を聞いては心を怒らせる
→大乗の経典を何度も読んで慈悲を起させる事である。そうしないと、三毒により三悪道に落ちる
・舌根は妄言・綺語・悪口・両舌・誹謗・妄語を話して人を傷付けたりして人の和を乱し、
邪見(因果の理法を否定する考え)を褒める。
→南方にいる仏(栴檀徳)に自分の罪を懺悔すると、大慈悲・喜捨の法を説いてくれる。
以上の事が書かれている。
●翻 訳 五
仏よ!
叶う事であるならば、我を仏の友として親しみ(大慈)を感じ、哀れんで我を見守って下さい。
普賢菩薩よ!
大きな法船(大乗仏教)に乗って、あらゆる方角にいる沢山の菩薩たちを共に従えて、この娑婆世界に渡って来て下さい。
一心に願う事は、我を哀れんで、我が煩悩だらけ(不善)の眼球や、障害と成る行為(悪業障)を悔い改める法を聞かせて下さい。”
この言葉を三度も唱えながら、五体を大地に付け、更に大乗仏教の教えを常に思い出して真実を求める心(正念)を決して忘れるな!
そして、これこそが眼根の罪を懺悔する法なのである。
沢山の仏たちの名前を呼びながら、香を焚き、花びらを撒いて、大乗の心(菩提心)を起し、竿に吹流しや幡や傘を取り付けて、
眼から齎された過失(過患)を明らかにして罪を懺悔するならば、この者はこの世で釈迦牟尼仏の姿を見る事が出来きるであろう。
更に、釈迦が様々な姿に化けた数限り無い仏たち(分身諸仏)と出会え、果てしない時が流れる間(阿僧祇劫)、悪道に堕ちずに済むだろう。
これも、大乗の力や大乗の願いによるものであるのだ。
そして、全ての陀羅尼菩薩と共に仏の配下になろうする者の思いを正念と呼び、他の事を考える事を邪念と呼ぶ。更に、この様な境遇を
眼根の初境界の相(姿)と呼ぶ。
そして、修行者は眼根の垢を洗い清め終わり、更に大乗経典を声に出して読み続け、四時間毎に(昼夜六時)方膝を地面に付けて懺悔して、
この様に述べた。
”我れは、今釈迦牟尼仏や釈迦牟尼仏が変身した分身諸仏の姿を見る事が出来た。それなのに、なぜか、多宝仏の塔や、釈迦牟尼仏の身体の骨(舎利)
を見ることが出来ないのか?。
多宝仏の塔は、常に存在して消え去る事が無いと言うのに、悪で濁された我れの眼では見ることが出来ない。”
この様に言い終わったならば、更に懺悔を続けよ。
すると、七日が過ぎた当たりで多宝仏の塔が地下より湧き出し、それの戸を釈迦牟尼仏が右手で開けるだろう。
そして、多宝仏の姿を見たならば、普賢の色身三昧に入れるだろう。
それの姿は、ガンジス河の砂と同じの数の毛穴があり、それら一つ一つから眩しい光を放っていた。
また、その一本一本の光線の中には百千万と言われる化仏が居た。
この様な光景を見せた時、修行者は喜び、称賛しながら、塔の周りを回り始めた。そして、七週した所で、
多宝如来が大声を出して褒め称え始めた。
”法の子よ。
汝は、本当に良く大乗の教えを修行した。良く普賢の教えに黙って従い、眼根の罪を懺悔した。この因縁(訳)により、
我れは汝のもとに参り、汝がどれ位、正しいのかを証明しょう”
この様に語り終えても、褒め称える事を止めなかった。
”素晴らしい、素晴らしい、釈迦牟尼仏よ。良く偉大な法を説き、その偉大な法の雨を降らして、五濁悪世で暮らしている者たちの
願いを叶えさせた。”
この時、修行者が多宝仏塔を見る事が出来た。そして、眺め終えると、再び普賢菩薩のもとに戻って、普賢に手を合わせて拝礼し、この様に述べた。
”大師よ。我れにどの様な過ちがあったのか?教えて下さい”と、
普賢は、再び述べた。
”汝は、気が遠く成るほどの永い年月、汝の耳根は聞こえてくるモノだけを頼りに生きて来た因縁より、仏教以外の教えに従順に成ってしまった。その為、
仏の説法(妙音)を聞く度、迷いを起して疑念を持ち。更に悪口を聞く度、損害の素と成る108煩悩を起す。
この様な悪い耳がもたらす報い(結果)は悪い事ばかりであり、悪口を聞いては様々な怒り(攀縁)が沸いて来るのだ。なぜなら、常に”自分が正しい”と言う過った考えを持って、人の話を聞くからだ
(顛倒)。
そして、いつの日にかは仏教の教えが届かない所、すなわち悪道・
人の思いが届かない辺境・道理が見抜けない邪見の世界に堕ちてしまうだろう。
しかし、汝は今日まで、海が蓄えている恵みと同じ様な大乗の功徳を唱えてる事が無かった。この因縁により、
汝はあらゆる方向に居る仏たちを見る事が出来た。
更に、多宝仏塔が姿を現し、汝が修行した事を証明してくれたのである。今、汝は自ら、自分の犯した沢山の過ちを告白して悔い改めよ。(懺悔=忍)”
普賢の言葉を聞き終わって、再び修行者は合掌して五体を大地に投げ出しながら、この様に言った。
”正遍知世尊よ!(すべての現象を正しく知って最も尊ばれる者)
姿を現して、我が修行した証と成って下さい。なぜなら、方等経典(大乗仏教の経典)の中心になる教えは慈悲であるからだ。
ただ願う事は、我を具に見て我が話したい心の内を聞いて下さい。我れは、遥か昔から今日まで、耳とそれに依ってもたらさせる声(耳根の因縁)を
聞いて困惑する。その様子は、にわかの草に捕まった虫の様だ。
様々な嫌な話や声を聞く度、煩悩の三毒が生じては気分がコロコロと変わり、困惑しては少しも安らぐ事が無かった。
この様に人は他者に悪影響を及ぼす声を放ち、我が神経(識神)を消耗させ、更に三途の川(三悪道)へ突き落とすのである。
今初めて我はこの事を悟り、世尊と呼ばれる沢山の仏たちと向き合って、心を開きながら罪を告白して許しを請いたいのである。”と、
既に懺悔し終えた修行者は、多宝仏が放たれた大きな光り(知恵の比喩)を見ることが出来た。その光りは金色をし、
隅々まで東方及び、あらゆる方向の世界を照らし出していた。
数え切れない仏達が居て、皆が純金の身体を持っていた。そして、東方の空間に向かって、この様に唱言を言っていた。
”この世に仏世尊が居ります。名を善徳と言う”と
また、多くの生き物を救済する為、釈迦が色々な姿の仏に変身した数え切れない分身仏が菩提樹の下にある師子座で両脚を組んで座っていた。
そして、この様々な仏(世尊)たちは、この世で生きている者の姿を自由に思い描く三昧(普現色身三昧=現一切色身三昧)に入って、
このように言って皆で褒めたのである。
『素晴らしい、素晴らしい、良識ある者(善男子)よ。今、汝は声に出して大乗経典を読むとは、汝が読んでいる所は仏の境遇を示したものである』
この様な言葉を語り終えると、普賢菩薩は更に懺悔の法を示した。
『汝、前世の途方も無い永い年月、香りを貪りながら、様々な物を認識して選別して来た。それによって、あれや、これや、とこだわり(貪着)を持って
悩みの世界(生死)に落ちたのである。
今、汝は明らかに大乗の因果律を観察するのである。大乗の因果律とは、あらゆる現象の全てには、必ず真実が一つ存在する。(諸法実相)と言う事である』
この様な語句を聞き終わって、五体を大地に投げながら懺悔を行ない。それをやり終えたら、必ずこの言葉を述べよ。
『南無釈迦牟尼仏(釈迦牟尼仏に感謝します)・南無多宝仏塔(多宝仏塔に感謝します)・南無十方釈迦牟尼仏
・分身諸仏(あらゆる方向に居る釈迦が身を変えた仏達に感謝する)』と。
この語句を話し、終えたら、一人も残す事無くあらゆる方角に居る仏たちに拝礼するのだ。『東方の道徳に合った善行しかしない仏。及び、
その仏の分身である仏たちに感謝する』と、唱えながら。
眼に映った一人一人の仏に真心をもって拝礼し、香りの良い花をもって仏を供養するのだ。そして、供養し終えたなら、右膝を地に付け、左膝を立てて、
尻を上げて、身体をキチンと整えながら、手を合わせて、様々な偈をもって沢山の仏を褒め称えよ。
そして、賛美し終えたらなば、十悪業を解き明かして様々な罪を懺悔し、この言葉を述べよ。
”我れ、遠い過去世から無限の時が流れる間、香・味・触などの六境を貪って、十悪業を築き上げて来たのである。
その為、この因縁によって思いも付かない過去より今日まで、常に地獄・餓鬼・畜生・孤立・邪見(曲がった考え
)などの不善を数多く身に受けた。
今日、この様な数々の悪業を自ら告発し、釈迦の教えが正しく伝わった時代(正法)の王である仏たちに、心を向けて自分の犯した罪を
明らかにして必ず懺悔するのだ”と。
もし、懺悔が終ったとしても、身も心も怠ける事無く、更に大乗経典を声に出して唱えよ。
すると、大経典乗の力より、天空から声が聞こえ、汝に次の様に告げるだろう。
”法の子(菩薩)よ。汝、必ずあらゆる方向の仏に心を向けて大乗仏法を褒め称え、
更に様々な仏たちの面前で自らの過ちを告白するのである。
何故なら、如来である色々な仏たちは、汝の慈父(慈しみ深い父)であるからだ。
汝は、確かに自らの口で、舌根が作り上げた悪い結果をもたらす悪い癖を解き明かすのである。
この舌根は悪業(過去の悪習)によって造られたイメージ(想い)に突き動かされて、妄言(見栄張る事)・綺語(おだてる事)・悪口
・両舌(相手の調子に合わせる事)・誹謗・妄語(嘘をつく事)・邪見の言葉を褒め称えて、
下らない言葉(無益な語)ばかりを聞かせるのである。
この様に多くの衆生が犯す何の役にも立たない悪い行為(悪業)は、互いに争い合って人の和を乱し、人の存在(法)を無駄なもの(法非)と決め付ける。
この様に衆生が犯す罪を、今、ひつも残さず懺悔するのである。”と、
様々な世雄(仏)の前で、この言葉を語り終えたら、五体を地面に付け、あらゆる方角に居るすべての仏たちに拝礼し、
正座して手を合わせながら、この様に述べよ。
『この舌の過失によって、もたらされる災難は、計り知れぬほど大きなものである。様々な悪習で身に付けた刺が舌の味覚を通して突き刺り、
そして、この舌によって正法輪(繰り返し行われる菩薩の修行)が邪魔されるのである。
この様な悪い舌は善果を齎すち善行(功徳)の種までも断ち切る。道理の通らない(非義)世の中において、
多岐に渡って邪見の考えをあえて解き聞かす。
更に邪見を褒め称えるのである。その様子は、焚火に薪を加えた炎の様に、或は大い火災が衆生に火傷を負わす様に、
或いは毒を飲んだ者が傷跡も無く死ぬと同じ様にであった。
この様にネジ曲った心を持って人を傷つけた罪の報いは、必ず悪道に落ちて百劫・千劫と言う永い年月を、そこで過ごすであろう。
そして、嘘を付いて(妄語)は、大地獄に落ちて行くであろう。
今、我れは南方の仏達に心を向けて(帰向)、心に秘めていた罪や過ちを声に出して告白するのである。』